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愚弟怨讐編 上
前人未到、``北の魔境`` 2
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―――――……………。
何が起こったのだろうか。気がつけば反射的に地面に伏せていた。ゆっくりと起き上がり、御玲は状況把握に専念する。
あまりに眩しいものを見ていたせいか、視力が中々戻らない。まずい。近くに敵がいるかもしれないというのに、まだぼやけたままだ。
徐々に、徐々に視力が戻っていく。ようやく個体を認識できるまで回復した。澄男はどこだ。そんなに距離は離れていないはず。
「御玲。俺はここだ」
澄男の声音。御玲は呼ばれた方へ向かう。視力が完全に戻った。澄男の顔がよく見え―――。
「え。ええ!?」
視力が戻り、澄男の無事を確認できたのも束の間だった。百対以上いたはずの聖騎士紛いの魔生物が、一体残らずいなくなっていたのだ。
あるのは雑草と、緩やかな風のささやきのみ。
さっきまでの熱さと沸騰はなくなり、気温も元の状態に戻っているようだった。もはや、ただの草原である。
全能度1000の魔生物、それも百体以上いた大集団が、一瞬で消えた。まるで最初からそんなものはいなかったと言わんばかりに、忽然と姿が見えない。
あまりに不気味だ。確かに邪魔なものはいなくなったが、地図を書き換えるほどの破壊が行える化物が、一瞬で、一体残らず消滅するなんてあまりに清清しすぎて逆に気持ちが悪い。
夢でも見ているのか。頬を引っ張る。現実だ。
普通なら絶対ありえない。あれだけの化物を、あれだけの数、一体残らず全て消してしまうなんて。
「澄男さま……これは、一体……?」
「``破戒``だ」
「は、かい……?」
「破る戒め、とかいて``破戒``。既にある何かを、自分の意志だけで影も形もなく消してしまう技だ」
「魔法などで、ですか?」
「いーや違う。言葉のとおりだ。``消える``んだよ。なにもかも」
「き、消えるって……一体どうやって」
「知らん。とにかく俺が分かってるのはこれだけ。消えるったら消える。ただそれだけだ」
あー、すっきりした、と澄男は背伸びを呑気にする。
消えるって、一体どういうことなのか。それって物凄く大事だ。物理的に破戒するのでもなく、魔法で粉々にしてしまうわけでもない。
単純に``消滅``する。澄男が言った説明を要約すると、こうなる。だが言うだけなら簡単だ。そんなことが、実際にできるのか。
分からない。またわからない事が増えた。あまりの急展開に、頭が回っていないせいなのか、それすらも分からないが。
御玲はなんとかして、思考を復活させる。
一度頭の中をリセットしよう。今やるべき事は何か。ヴァルヴァリオンへ向かい、色々な謎を暴きにいくこと。
そのためにはどうすればいいか。また新しい魔生物が湧かないうちにこの場を去り、人工物があるとされる十五キロメト地点までひたすら歩く。
よし結論が出た。とりあえず澄男の破壊行為が何故可能なのかという論理は捨ておく。後々、ヴァルヴァリオンにあるという``新設大教会``に行けば分かることかもしれないのだから。
「澄男さま……行きましょうか」
「ああ。技能球よこせ。俺が持っとく」
さっきまでの苛立ちと刺々しい態度が嘘のように、澄男はとても穏やかになっていた。顔つきも、態度も。なにもかも。
やはりこれも、あの``竜位魔法``なるものの影響なのだろうか。
色々考えが尽きない中で、二人は今までの事を無かったことにするように、気を取り直してとぼとぼと野原を歩き続ける。一言も言葉を交わさず、人工物があるという十五キロメト地点まで、ただただ無心に。
あまりに単調で、あまりに抑揚の無い徒歩。
それは退屈で、退屈で堪らず、退屈が嫌いな者にとっては苦痛の時間でしかないが、いくらほど歩いただろう。太陽が既に西に大きく傾いた頃。
二人はようやく、人工物らしきものがある地点に到着したのだった。
「ここが……ヴァルヴァリオン? でしょうか……」
「寂れてんな」
到着した人工物らしき場所は、雑草と木々が無造作に生い茂る集落の入り口だった。
入口の囲いは、いつからあるのだろうか。木製であるため、シロアリや雨風の影響でほぼ朽ち果てており、いつ崩れてもおかしくない状態になっている。
それに、入口だというのに整備された形跡がまるでない。何十年も放置されていたかのような寂れ具合である。
エスパーダの話からは、一応、今でも国として存在している風に聞いていた。そして実際、入口らしき建築物の前に立っている。
だが、入口から感じられる廃墟感は払拭しようがない。国というより、廃墟への入口というべき雰囲気である。
「エスパーダの野郎、嘘つきやがったのか」
「それは分かりませんが、囲いがあるということは、何者かが住んでいる証拠でしょうね」
「仮にそうだとしてよ、もう全滅してんじゃねぇの? あっても正味、廃屋がちらほらある程度だろこれ」
「しかし手がかりはエスパーダとあくのだいまおうの情報だけですし、行くしかないでしょう。それとも転移で帰還しますか。もう日も落ちてきてますし」
「いや分かってるよ。行くに決まってんだろ。ここまで来て今更引き返せるか」
今にも朽ち果てる寸前の囲いをくぐる。
「しっかしどこもかしこも草と木しかねぇな。道もほぼ獣道みたいな感じだし」
「入口からここまで一本道で続いているということは、この道は舗装されていたのでしょう。しかしいつからか誰も整備しなくなって……」
「獣道みたいに成り果てたと。うん。廃墟になってる説が更に濃厚になったな」
思索を巡らせる。
仮に廃墟になっておらず、人がいたとしても国というより精々限界集落が関の山だろう。
エスパーダの話では、ヒューマノリア大陸全土を支配するほど強大な宗教国家だと聞いていた。
だが、それは遥か昔の話。
今となっては竜人の存在を知る者などいないし、自分だってエスパーダやあくのだいまおう、弥平から聞くまでは、存在を信じようともしなかった。
盛者必衰。たけき者も遂には滅びぬ。
どれだけ栄えようとも、いずれは衰えるときがくる。
ヴァルヴァリオンも昔は強力無比な国だったのだろうが、時の流れには敵わず、ほとんど力を失ってしまったということだろう。
エスパーダの聞く話だとまだ生き残りがいるのかもしれないが、もはやただの村人に落ちぶれた竜人のみの集落に、天災竜王や竜位魔法の詳しい事が分かるのか、ただひたすらに胸底から不安が湧いてくるばかりだ。
「もうすぐ獣道抜けるぜ」
「草陰に隠れて様子を見ましょう」
「またかよ……」
「私達は余所者なんです。もし集落の村人として生き残っているとしたら、警戒して敵対されるかもしれません」
「そういや追い剥ぎが普通に跋扈してるとかエスパーダが言ってたっけ。チッ……面倒くせぇ」
「技能球の状態は、どうなっています?」
「あぁ? フツーだよ、今もギンギラギンだ」
そうですか、と怪訝な表情で澄男の手に握られている技能球を一瞥する。
草陰に身を隠しながら獣道を抜けると、不自然に拓かれた空間に近づいた。
そこには寂れ果て、壊れかけの家屋と、凹凸だらけの地面、ツタだらけのコンクリートのような残骸と、でこぼこの道を無理矢理切り拓いて作った田畑らしき場所があった。
「人いねぇな……」
澄男は草陰から身を起こし、切り開かれた異様な空間に足を踏み入れる。
辺りを見渡すが、竜人らしき生物は一人もいない。ただ単に閑散とした木造の廃墟と、ものすごい量の、ほぼほぼ砂になりかけているコンクリートみたいな残骸だけが残り、あとは雑草と木がひたすら生い茂っている。
ほぼほぼ自然と同化しつつある荒地を進んでいくと、草木のツタに巻かれ、孤独に立つ一枚の石碑が目に入った。
「んだこりゃ……」
身長の三倍以上はあるほどの大きい石。本来はちゃんと磨かれていたのだろうが、雨風にさらされてたせいか、角が完全に丸くなり、草木のツタや枝でぐちゃぐちゃになっている。
石の表面には、ほぼほぼ掠れている上に、知らない文字で書かれているせいで、何を言わんとしているのかは皆目見当がつかない。
だが、その石碑を見るやいなや、突然胸を締めつけられるような、不快感が襲う。思わず顔で、その不快感を噴出させた。
「なんか……気持ち悪いな。この石」
「……そうですね。悲しげといいますか。恨み言のようにも見えるといいますか。掠れているので分かりづらいですが、書き殴って書かれているようにも思えます」
「御玲、お前ならなんて書いてあるか、分かったりしないか」
「お戯れを」
「だろうな。分かったら逆に怖いわ」
両手をポケットに入れながら、青空の下、草木や雨風にさらされながらも、孤高に立つ石碑をぼうっと眺める。
書き殴ったかのような、意味不明な文章。依然としてなんて書いてあるのか分からないけれど、ただ分かることは、いいことは絶対書いていないということ。
むしろ意味が分からないのは幸運だったかもしれない。分かっていたなら、もっと憂鬱な気分に苛まれていただろう。
なんとなく。なんとなくだが、この石碑に書かれている内容は知りたくない。知ったら脳裏に焼きついて離れなくなって、後々困る羽目になるような気がするのだ。
この石碑を作った奴も、誰かに同情して欲しくて、なにかを必死に伝えたくて、この石碑を作ったのだろうけれど、これ以上抱え込んで悩んで苦しむなんて、悪いがゴメンだ。
「行くぞ。御玲」
「はい……ん?」
足早に石碑から立ち去ろうとした矢先。御玲は石碑から出たであろう残骸の一つを手に取り、息を吹きかけて、煤を手で払う。
「これは……!」
驚いたようにコンクリートの破片をまじまじと見つめた。それに気づいた澄男も近づく。
「ただのコンクリの破片じゃねぇか……驚かすな」
「いえ澄男さま。おかしいと思いませんか。石造の住宅が全く無いというのに、この石碑だけぽつりと立っているのを」
「んあ……? 言われてみりゃあ、そうだな……周囲に建物とか全く無いのにコイツだけ……最近作られたとかじゃねぇの?」
「このコンクリートの破片、私達の時代に使われているものと全く同じものです。霊力で硬化する、霊力硬化型コンクリート」
「つまり誰かが最近ここに作ったってことじゃないのか。俺達のいる国から取ってきて」
「全能度1000以上の魔生物が跋扈している山脈を越えて、わざわざこんな石碑を作るために……ですか? 正気とは思えませんね……」
あ、と思い立ったように呟く。
普通に考えて、石碑作るためだけに魑魅魍魎が跋扈する山脈や平原を越えるメリットなど、雀の涙一滴にも満たない。
むしろそれこそただの自殺行為だ。石碑を彫るよりも、木の板でも作ってそれに文字彫った方が手間も少ないし安全なのは考えるまでもない。
だが、この石碑は何者かによって彫られたもの。
石碑自体も作った奴は彫った奴と同じだろうし、ならばどうやって霊力硬化型コンクリートなる現代の文明利器を手にできたのだろうか。
ここら一帯に文明利器を売ったり作ったりしている所は無さそうだし、まず竜人は作り方を知っているのだろうかという疑問もある。
もはや自然と同化しつつあり、農耕すらまともにできないような爬虫類族に、コンクリートを作る技術があるとは、到底思えない。
だとすると、やはりどこかから盗み取ったと考えるしか、入手手段が無いが―――。
「おそらく……ですが、ずっとずっと昔。私達と同等、もしくはそれ以上の文明がこの一帯にあった、という証拠なのでは? 眉唾物ですけれど……」
「ンな馬鹿な……。あ……」
何かを思い立ったように空を見上げる。
そういえばエスパーダは言っていた。竜人国ヴァルヴァリオン。それは圧倒的軍事力、科学力、技術力、魔法力を持ち、ヒューマノリア大陸全土を統一せしめた、古の大国だと。
はっきり言ってそれは、ただの誇張だと思っていた。アイツも竜人の国の最盛期は言い伝えでしか知らないと言っていたから。
自分の国の最盛期なんだ、言い伝え書いた奴だって、デカブツだって、自慢気に語りたくなるはずだ。
もし自分が言い伝えを広めた張本人だったら、絶対大げさに伝える。自慢の意味も込めて。
だから表現自体は誇張にすぎず、昔の国ならではの、原始的な感じの国ってイメージしかなかった。
文明がハイテクじゃなくたって、勢力が強大なら天下統一はできるわけで、その時代ならではの最高水準だと、頑なに信じていた。
でも実際は違う。
竜人の国は本当にオーバーテクノロジーを有していたのだ。科学でも魔法でも、全てにおいて。まるで今の流川みたいに。
「なぁ。ここ、文明が滅んでどれだけ経ってるか、そのバイザーで分かるか?」
「そうですね……もうほとんど砂みたいなものですから、調べようにも」
「霊力硬化型コンクリってどれくらい保つっけ」
「適切な整備をしていれば、半永久的に使えます。整備してなければ、そうですね……時間経過とともにコンクリート内の霊力は空気中に散るので……」
「分からん、か……」
「ただ、この場所はまだ現代人類が知りえない場所であり、どの歴史書にも記載が無いので、もしかしたら……短く見積もっても一億年以上前か……」
「い、一億年!? 俺たちが歴史学者とかだったら、歴史的大発見すぎんぞそれ……」
冷静に現況を分析する御玲に気おされつつ、弥平が言っていた話を思い出す。
旅に行く前、弥平が言っていた。現代人類が知っている最古の歴史は、精々数千年前にあったとされる古代文明、``カンブリア``という時代までだと。
一億、ということは、そのカンブリアという文明よりも更に前にあった文明ってことになる。
冗談もへったくれも通じないくらい昔に、現代と同等以上の文明があったなんて信じられない話だが、あのコンクリの残骸が、言い逃れしようのない物的証拠だ。
昔、ここには今と同等の都市、人、技術、組織が存在していた。そして今は、それらがただの残滓として、無残にもずっと残り続けてきたわけだ。
「つーことは、ここにもう人がいねぇってことでいいのかねぇ」
「それはどうでしょう。もしそうなら、エスパーダの台詞に矛盾が出ます」
「矛盾?」
「彼は``立場上、ヴァルヴァリオンにはいけない``と言ってましたし、更に澄男さまが吹雪を止めろと仰ったとき、``吹雪を止めれば蛮族どもが入ってくる``とも言ってました」
「そういや言ってたな。でもそれ、正味魔生物かなんかだろ」
「エヴェラスタなんて広大な山脈地帯を治めている怪物が、魔生物を警戒しますかね。むしろ共存を選ぶと思いますが」
「そうかなぁ。俺ならあんなわけわからん奴ぶっ倒してドロップ品掻っ攫うけど」
「それは人間の中での話です。彼は明らかに人ではありませんよ。人でも魔生物でもない何かです。物の怪、化物、未確認生物、みたいな」
澄男は訝しげな表情で唸る。
エスパーダ、確かにアイツは見るからに人じゃない。
インフラもクソもない、あるとしたら雪と氷ぐらいしかない所に住んでる時点で、完全に未確認生物だ。
それに、俺たちは人間ではない奴らも匿ってる。
あくのだいまおうとぬいぐるみみたいな奴ら。アイツらがどこからきて、どこに住んでるのか想像もつかないが、明らかに人外なのは考えるまでもない事実だ。
人から外れてる、と書いて人外。常識だって人間の自分らとは異なるのかもしれない。
「となると、エスパーダは明らかに竜人国の生き残りを警戒しているとしか思えません。文明こそ滅べど、末裔は今も尚、この荒れ果てた大地のどこかにいるということなのでしょう」
「ふーん……なら今頃、農耕民族でもやってんのかね」
「田畑を作ろうとして、地面を耕地にしようとした形跡がありますし、おそらくそうでしょうね」
「でもこんな痩せこけた大地じゃな。地面に見え隠れしてるアスファルトの残骸っぽいのは道路の成れの果てだろうし、無理だろこれじゃ」
「霊力硬化型アスファルトは地面に埋もれると無くなりませんからね。龍脈の影響で」
「便利なのか不便なのか、よくわからんモンだな」
痩せこけ、ひび割れた地面を蹴り上げながら歩く。蹴り上げるとほんの少し砂が舞い上がり、砂埃は風に乗って空気中に虚しく溶け去った。
「俺らが探してんのってアレだよな。確か教会……」
「ええ」
「そのバイザーでさ、生命反応とか探れないか。そもそもこんな荒れようじゃ教会自体あんのかって話だが」
「人外の彼が、今も竜人の国を警戒するということは教会だけは維持されているんでしょう。そこにおそらく竜人が密集しているでしょうし」
「んじゃ探れ」
「距離が遠すぎると分かりませんが、とりあえずやってみます」
御玲はスリープモードになっていた拡張視覚野を起こす。
拡張視覚野の探索範囲は、装備者の霊力量に比例する。
霊力が多ければ多いほど、探知系魔術を長時間かつ広範囲にわたって使用可能なため、探索範囲もまた増大するのである。
魔法使いではないが、御玲は相当な霊力量を持つ魔術師でもあるため、その探索可能範囲は極めて広い。
「二十五キロメト先、無機的建築物。構造不明だが、生命反応あり」
「数は?」
「二つ」
「しっかし、二十五キロメトぉ……まぁた歩くのかよ……」
「到着する頃には日付が変わる目前になりますね」
「チッ……流石に夜道歩くのは無謀か。しゃあねぇ。ちと癪だが一旦帰るか」
「ではこの地点の座標を拡張視覚野に記録しておきます。澄男さまは転移の準備を」
「ほいさっさ」
澄男は肩掛け魔導鞄から別の技能球を取り出し、拡張視覚野に地図情報を追加する御玲の作業が終わるのを待った。
何が起こったのだろうか。気がつけば反射的に地面に伏せていた。ゆっくりと起き上がり、御玲は状況把握に専念する。
あまりに眩しいものを見ていたせいか、視力が中々戻らない。まずい。近くに敵がいるかもしれないというのに、まだぼやけたままだ。
徐々に、徐々に視力が戻っていく。ようやく個体を認識できるまで回復した。澄男はどこだ。そんなに距離は離れていないはず。
「御玲。俺はここだ」
澄男の声音。御玲は呼ばれた方へ向かう。視力が完全に戻った。澄男の顔がよく見え―――。
「え。ええ!?」
視力が戻り、澄男の無事を確認できたのも束の間だった。百対以上いたはずの聖騎士紛いの魔生物が、一体残らずいなくなっていたのだ。
あるのは雑草と、緩やかな風のささやきのみ。
さっきまでの熱さと沸騰はなくなり、気温も元の状態に戻っているようだった。もはや、ただの草原である。
全能度1000の魔生物、それも百体以上いた大集団が、一瞬で消えた。まるで最初からそんなものはいなかったと言わんばかりに、忽然と姿が見えない。
あまりに不気味だ。確かに邪魔なものはいなくなったが、地図を書き換えるほどの破壊が行える化物が、一瞬で、一体残らず消滅するなんてあまりに清清しすぎて逆に気持ちが悪い。
夢でも見ているのか。頬を引っ張る。現実だ。
普通なら絶対ありえない。あれだけの化物を、あれだけの数、一体残らず全て消してしまうなんて。
「澄男さま……これは、一体……?」
「``破戒``だ」
「は、かい……?」
「破る戒め、とかいて``破戒``。既にある何かを、自分の意志だけで影も形もなく消してしまう技だ」
「魔法などで、ですか?」
「いーや違う。言葉のとおりだ。``消える``んだよ。なにもかも」
「き、消えるって……一体どうやって」
「知らん。とにかく俺が分かってるのはこれだけ。消えるったら消える。ただそれだけだ」
あー、すっきりした、と澄男は背伸びを呑気にする。
消えるって、一体どういうことなのか。それって物凄く大事だ。物理的に破戒するのでもなく、魔法で粉々にしてしまうわけでもない。
単純に``消滅``する。澄男が言った説明を要約すると、こうなる。だが言うだけなら簡単だ。そんなことが、実際にできるのか。
分からない。またわからない事が増えた。あまりの急展開に、頭が回っていないせいなのか、それすらも分からないが。
御玲はなんとかして、思考を復活させる。
一度頭の中をリセットしよう。今やるべき事は何か。ヴァルヴァリオンへ向かい、色々な謎を暴きにいくこと。
そのためにはどうすればいいか。また新しい魔生物が湧かないうちにこの場を去り、人工物があるとされる十五キロメト地点までひたすら歩く。
よし結論が出た。とりあえず澄男の破壊行為が何故可能なのかという論理は捨ておく。後々、ヴァルヴァリオンにあるという``新設大教会``に行けば分かることかもしれないのだから。
「澄男さま……行きましょうか」
「ああ。技能球よこせ。俺が持っとく」
さっきまでの苛立ちと刺々しい態度が嘘のように、澄男はとても穏やかになっていた。顔つきも、態度も。なにもかも。
やはりこれも、あの``竜位魔法``なるものの影響なのだろうか。
色々考えが尽きない中で、二人は今までの事を無かったことにするように、気を取り直してとぼとぼと野原を歩き続ける。一言も言葉を交わさず、人工物があるという十五キロメト地点まで、ただただ無心に。
あまりに単調で、あまりに抑揚の無い徒歩。
それは退屈で、退屈で堪らず、退屈が嫌いな者にとっては苦痛の時間でしかないが、いくらほど歩いただろう。太陽が既に西に大きく傾いた頃。
二人はようやく、人工物らしきものがある地点に到着したのだった。
「ここが……ヴァルヴァリオン? でしょうか……」
「寂れてんな」
到着した人工物らしき場所は、雑草と木々が無造作に生い茂る集落の入り口だった。
入口の囲いは、いつからあるのだろうか。木製であるため、シロアリや雨風の影響でほぼ朽ち果てており、いつ崩れてもおかしくない状態になっている。
それに、入口だというのに整備された形跡がまるでない。何十年も放置されていたかのような寂れ具合である。
エスパーダの話からは、一応、今でも国として存在している風に聞いていた。そして実際、入口らしき建築物の前に立っている。
だが、入口から感じられる廃墟感は払拭しようがない。国というより、廃墟への入口というべき雰囲気である。
「エスパーダの野郎、嘘つきやがったのか」
「それは分かりませんが、囲いがあるということは、何者かが住んでいる証拠でしょうね」
「仮にそうだとしてよ、もう全滅してんじゃねぇの? あっても正味、廃屋がちらほらある程度だろこれ」
「しかし手がかりはエスパーダとあくのだいまおうの情報だけですし、行くしかないでしょう。それとも転移で帰還しますか。もう日も落ちてきてますし」
「いや分かってるよ。行くに決まってんだろ。ここまで来て今更引き返せるか」
今にも朽ち果てる寸前の囲いをくぐる。
「しっかしどこもかしこも草と木しかねぇな。道もほぼ獣道みたいな感じだし」
「入口からここまで一本道で続いているということは、この道は舗装されていたのでしょう。しかしいつからか誰も整備しなくなって……」
「獣道みたいに成り果てたと。うん。廃墟になってる説が更に濃厚になったな」
思索を巡らせる。
仮に廃墟になっておらず、人がいたとしても国というより精々限界集落が関の山だろう。
エスパーダの話では、ヒューマノリア大陸全土を支配するほど強大な宗教国家だと聞いていた。
だが、それは遥か昔の話。
今となっては竜人の存在を知る者などいないし、自分だってエスパーダやあくのだいまおう、弥平から聞くまでは、存在を信じようともしなかった。
盛者必衰。たけき者も遂には滅びぬ。
どれだけ栄えようとも、いずれは衰えるときがくる。
ヴァルヴァリオンも昔は強力無比な国だったのだろうが、時の流れには敵わず、ほとんど力を失ってしまったということだろう。
エスパーダの聞く話だとまだ生き残りがいるのかもしれないが、もはやただの村人に落ちぶれた竜人のみの集落に、天災竜王や竜位魔法の詳しい事が分かるのか、ただひたすらに胸底から不安が湧いてくるばかりだ。
「もうすぐ獣道抜けるぜ」
「草陰に隠れて様子を見ましょう」
「またかよ……」
「私達は余所者なんです。もし集落の村人として生き残っているとしたら、警戒して敵対されるかもしれません」
「そういや追い剥ぎが普通に跋扈してるとかエスパーダが言ってたっけ。チッ……面倒くせぇ」
「技能球の状態は、どうなっています?」
「あぁ? フツーだよ、今もギンギラギンだ」
そうですか、と怪訝な表情で澄男の手に握られている技能球を一瞥する。
草陰に身を隠しながら獣道を抜けると、不自然に拓かれた空間に近づいた。
そこには寂れ果て、壊れかけの家屋と、凹凸だらけの地面、ツタだらけのコンクリートのような残骸と、でこぼこの道を無理矢理切り拓いて作った田畑らしき場所があった。
「人いねぇな……」
澄男は草陰から身を起こし、切り開かれた異様な空間に足を踏み入れる。
辺りを見渡すが、竜人らしき生物は一人もいない。ただ単に閑散とした木造の廃墟と、ものすごい量の、ほぼほぼ砂になりかけているコンクリートみたいな残骸だけが残り、あとは雑草と木がひたすら生い茂っている。
ほぼほぼ自然と同化しつつある荒地を進んでいくと、草木のツタに巻かれ、孤独に立つ一枚の石碑が目に入った。
「んだこりゃ……」
身長の三倍以上はあるほどの大きい石。本来はちゃんと磨かれていたのだろうが、雨風にさらされてたせいか、角が完全に丸くなり、草木のツタや枝でぐちゃぐちゃになっている。
石の表面には、ほぼほぼ掠れている上に、知らない文字で書かれているせいで、何を言わんとしているのかは皆目見当がつかない。
だが、その石碑を見るやいなや、突然胸を締めつけられるような、不快感が襲う。思わず顔で、その不快感を噴出させた。
「なんか……気持ち悪いな。この石」
「……そうですね。悲しげといいますか。恨み言のようにも見えるといいますか。掠れているので分かりづらいですが、書き殴って書かれているようにも思えます」
「御玲、お前ならなんて書いてあるか、分かったりしないか」
「お戯れを」
「だろうな。分かったら逆に怖いわ」
両手をポケットに入れながら、青空の下、草木や雨風にさらされながらも、孤高に立つ石碑をぼうっと眺める。
書き殴ったかのような、意味不明な文章。依然としてなんて書いてあるのか分からないけれど、ただ分かることは、いいことは絶対書いていないということ。
むしろ意味が分からないのは幸運だったかもしれない。分かっていたなら、もっと憂鬱な気分に苛まれていただろう。
なんとなく。なんとなくだが、この石碑に書かれている内容は知りたくない。知ったら脳裏に焼きついて離れなくなって、後々困る羽目になるような気がするのだ。
この石碑を作った奴も、誰かに同情して欲しくて、なにかを必死に伝えたくて、この石碑を作ったのだろうけれど、これ以上抱え込んで悩んで苦しむなんて、悪いがゴメンだ。
「行くぞ。御玲」
「はい……ん?」
足早に石碑から立ち去ろうとした矢先。御玲は石碑から出たであろう残骸の一つを手に取り、息を吹きかけて、煤を手で払う。
「これは……!」
驚いたようにコンクリートの破片をまじまじと見つめた。それに気づいた澄男も近づく。
「ただのコンクリの破片じゃねぇか……驚かすな」
「いえ澄男さま。おかしいと思いませんか。石造の住宅が全く無いというのに、この石碑だけぽつりと立っているのを」
「んあ……? 言われてみりゃあ、そうだな……周囲に建物とか全く無いのにコイツだけ……最近作られたとかじゃねぇの?」
「このコンクリートの破片、私達の時代に使われているものと全く同じものです。霊力で硬化する、霊力硬化型コンクリート」
「つまり誰かが最近ここに作ったってことじゃないのか。俺達のいる国から取ってきて」
「全能度1000以上の魔生物が跋扈している山脈を越えて、わざわざこんな石碑を作るために……ですか? 正気とは思えませんね……」
あ、と思い立ったように呟く。
普通に考えて、石碑作るためだけに魑魅魍魎が跋扈する山脈や平原を越えるメリットなど、雀の涙一滴にも満たない。
むしろそれこそただの自殺行為だ。石碑を彫るよりも、木の板でも作ってそれに文字彫った方が手間も少ないし安全なのは考えるまでもない。
だが、この石碑は何者かによって彫られたもの。
石碑自体も作った奴は彫った奴と同じだろうし、ならばどうやって霊力硬化型コンクリートなる現代の文明利器を手にできたのだろうか。
ここら一帯に文明利器を売ったり作ったりしている所は無さそうだし、まず竜人は作り方を知っているのだろうかという疑問もある。
もはや自然と同化しつつあり、農耕すらまともにできないような爬虫類族に、コンクリートを作る技術があるとは、到底思えない。
だとすると、やはりどこかから盗み取ったと考えるしか、入手手段が無いが―――。
「おそらく……ですが、ずっとずっと昔。私達と同等、もしくはそれ以上の文明がこの一帯にあった、という証拠なのでは? 眉唾物ですけれど……」
「ンな馬鹿な……。あ……」
何かを思い立ったように空を見上げる。
そういえばエスパーダは言っていた。竜人国ヴァルヴァリオン。それは圧倒的軍事力、科学力、技術力、魔法力を持ち、ヒューマノリア大陸全土を統一せしめた、古の大国だと。
はっきり言ってそれは、ただの誇張だと思っていた。アイツも竜人の国の最盛期は言い伝えでしか知らないと言っていたから。
自分の国の最盛期なんだ、言い伝え書いた奴だって、デカブツだって、自慢気に語りたくなるはずだ。
もし自分が言い伝えを広めた張本人だったら、絶対大げさに伝える。自慢の意味も込めて。
だから表現自体は誇張にすぎず、昔の国ならではの、原始的な感じの国ってイメージしかなかった。
文明がハイテクじゃなくたって、勢力が強大なら天下統一はできるわけで、その時代ならではの最高水準だと、頑なに信じていた。
でも実際は違う。
竜人の国は本当にオーバーテクノロジーを有していたのだ。科学でも魔法でも、全てにおいて。まるで今の流川みたいに。
「なぁ。ここ、文明が滅んでどれだけ経ってるか、そのバイザーで分かるか?」
「そうですね……もうほとんど砂みたいなものですから、調べようにも」
「霊力硬化型コンクリってどれくらい保つっけ」
「適切な整備をしていれば、半永久的に使えます。整備してなければ、そうですね……時間経過とともにコンクリート内の霊力は空気中に散るので……」
「分からん、か……」
「ただ、この場所はまだ現代人類が知りえない場所であり、どの歴史書にも記載が無いので、もしかしたら……短く見積もっても一億年以上前か……」
「い、一億年!? 俺たちが歴史学者とかだったら、歴史的大発見すぎんぞそれ……」
冷静に現況を分析する御玲に気おされつつ、弥平が言っていた話を思い出す。
旅に行く前、弥平が言っていた。現代人類が知っている最古の歴史は、精々数千年前にあったとされる古代文明、``カンブリア``という時代までだと。
一億、ということは、そのカンブリアという文明よりも更に前にあった文明ってことになる。
冗談もへったくれも通じないくらい昔に、現代と同等以上の文明があったなんて信じられない話だが、あのコンクリの残骸が、言い逃れしようのない物的証拠だ。
昔、ここには今と同等の都市、人、技術、組織が存在していた。そして今は、それらがただの残滓として、無残にもずっと残り続けてきたわけだ。
「つーことは、ここにもう人がいねぇってことでいいのかねぇ」
「それはどうでしょう。もしそうなら、エスパーダの台詞に矛盾が出ます」
「矛盾?」
「彼は``立場上、ヴァルヴァリオンにはいけない``と言ってましたし、更に澄男さまが吹雪を止めろと仰ったとき、``吹雪を止めれば蛮族どもが入ってくる``とも言ってました」
「そういや言ってたな。でもそれ、正味魔生物かなんかだろ」
「エヴェラスタなんて広大な山脈地帯を治めている怪物が、魔生物を警戒しますかね。むしろ共存を選ぶと思いますが」
「そうかなぁ。俺ならあんなわけわからん奴ぶっ倒してドロップ品掻っ攫うけど」
「それは人間の中での話です。彼は明らかに人ではありませんよ。人でも魔生物でもない何かです。物の怪、化物、未確認生物、みたいな」
澄男は訝しげな表情で唸る。
エスパーダ、確かにアイツは見るからに人じゃない。
インフラもクソもない、あるとしたら雪と氷ぐらいしかない所に住んでる時点で、完全に未確認生物だ。
それに、俺たちは人間ではない奴らも匿ってる。
あくのだいまおうとぬいぐるみみたいな奴ら。アイツらがどこからきて、どこに住んでるのか想像もつかないが、明らかに人外なのは考えるまでもない事実だ。
人から外れてる、と書いて人外。常識だって人間の自分らとは異なるのかもしれない。
「となると、エスパーダは明らかに竜人国の生き残りを警戒しているとしか思えません。文明こそ滅べど、末裔は今も尚、この荒れ果てた大地のどこかにいるということなのでしょう」
「ふーん……なら今頃、農耕民族でもやってんのかね」
「田畑を作ろうとして、地面を耕地にしようとした形跡がありますし、おそらくそうでしょうね」
「でもこんな痩せこけた大地じゃな。地面に見え隠れしてるアスファルトの残骸っぽいのは道路の成れの果てだろうし、無理だろこれじゃ」
「霊力硬化型アスファルトは地面に埋もれると無くなりませんからね。龍脈の影響で」
「便利なのか不便なのか、よくわからんモンだな」
痩せこけ、ひび割れた地面を蹴り上げながら歩く。蹴り上げるとほんの少し砂が舞い上がり、砂埃は風に乗って空気中に虚しく溶け去った。
「俺らが探してんのってアレだよな。確か教会……」
「ええ」
「そのバイザーでさ、生命反応とか探れないか。そもそもこんな荒れようじゃ教会自体あんのかって話だが」
「人外の彼が、今も竜人の国を警戒するということは教会だけは維持されているんでしょう。そこにおそらく竜人が密集しているでしょうし」
「んじゃ探れ」
「距離が遠すぎると分かりませんが、とりあえずやってみます」
御玲はスリープモードになっていた拡張視覚野を起こす。
拡張視覚野の探索範囲は、装備者の霊力量に比例する。
霊力が多ければ多いほど、探知系魔術を長時間かつ広範囲にわたって使用可能なため、探索範囲もまた増大するのである。
魔法使いではないが、御玲は相当な霊力量を持つ魔術師でもあるため、その探索可能範囲は極めて広い。
「二十五キロメト先、無機的建築物。構造不明だが、生命反応あり」
「数は?」
「二つ」
「しっかし、二十五キロメトぉ……まぁた歩くのかよ……」
「到着する頃には日付が変わる目前になりますね」
「チッ……流石に夜道歩くのは無謀か。しゃあねぇ。ちと癪だが一旦帰るか」
「ではこの地点の座標を拡張視覚野に記録しておきます。澄男さまは転移の準備を」
「ほいさっさ」
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