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裏ノ鏡編

プロローグ:異界からの使者

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 今年に入ってようやく、実地訓練のスケジュールが掃けた。


 全てを偽り、異なる社会に身をやつして一年。所属から脱退までの流れを自己評価として振り返るなら、百点中六十点と言ったところか。


 完璧とは言い難い潜入だった。不覚にも周囲に溶け込みすぎたせいで、かなり厄介な人物に明確な印象を残してしまった。


 しばらく関わらないとはいえ、何らかの理由で関わる事になった際は、充分な注意を払わねばならない。


 そうなった場合、騙せる事に越した事はないが、一番の得策は、彼女の目の届く所で存在が露見するような真似をしない、であろう。


 しかし、今回の一件さえなければまだ良かった。最後の最後で、こんな邪魔が入るとは誰が予想できただろうか。



 服装や顔は煤で汚しながらも、執事服を着こなすオールバックの少年は、電灯と車のライトのみが灯る過密都市の路地裏を疾走する。


 荘厳と聳え立つ鋼鉄のビル群の影に隠れ、周りの気配を伺う。ずっと走り続けていたせいか、息が上がっている。


 この私、流川弥平るせんみつひらが何故物陰に隠れながら移動しているのかと問われれば、発端は三時間前に遡る。


 今日は父上から言い渡された実地訓練最終日。本来ならば、潜入先である巫市かんなぎしの政府機関から円満退去する予定であった。


 しかし、その予定だった今日。


 正体不明の何者かによる襲撃を受け、政府関連施設から命からがら逃亡しなければならない羽目になった、というわけである。



 相手は、かなりの猛者。


 的確な襲撃。執拗な追跡。此方に一切の情報を与えず、撤退を選択させる手際。


 流川弥平るせんみつひらの事をほとんど知り尽くした上で、全てが意図された戦術。


 どれを取っても今までの人生で、一番の猛者である。未だ襲撃者の姿すら目にしていないのが、なによりの証拠だ。


 相手からも同じであるはずなのに、どういう事か。自分の位置と退路を的確に把握し、攻撃を仕掛けてきている。


 誘い込まれているのか。ならば魔法による撹乱処置を行いつつ、見えない敵から距離をおく。


 気取られていない筈。だが相手の練度を考慮し、最悪の想定をしておくに事欠かない。


 ありったけの集中力を気配察知に割り振り、首筋に一筋の雫を垂らす。


 違和感のある気配はない。撒いたか。流石にかなりの距離がひらいている。


 撹乱の為の手段も、可能な限り施した。それでも追ってこられたなら、猛者程度の次元ではなくなってくるが―――。


「無駄だ」


 全ての思索を停止させる敵意が、首筋を掠めた。


 冷たく、どこまでも平坦な声音。透き通った音色が鼓膜を滑らかに揺らすが、音源から放たれる存在感は、声に反して強大であった。


 ただ音量が大きいのではない。明確な戦意が盛り込まれている。


 冷気に満ちて淡白だが、一言で述べるなら絶大な無個性。


 声質から感情が読み取れない、思考が先読みできない恐怖が、無謬むびゅうの存在感と敵意を駆り立てる。


「俺の``カガミ``からは、逃れられない」


 淡白だと思わせつつ、無個性の恐怖が声音にコクを引き立て、首筋に宿る冷覚が色濃く神経を辿る。


 敵の刃は明確に頸動脈を撫でている。ナイフで反撃しようとしても、敵が頸動脈を裂く方が速い。


 魔法で反撃する。いや、詠唱を察知されれば結果は同じ。魔術も然り。


 しかし背後は壁。冷静に考えれば、相手は壁から王手をかけている。


 どういう事だ。壁を透過している。魔法の類で、あらゆる物体を透過できる魔法があったが。


 いや、違う。


 ``魔法探知マジア・デプレエンシオ``を発動させている。魔法の類を使用しているなら、察知できない筈がない。


 しかし``魔法探知マジア・デプレエンシオ``には何の反応も無い。つまり、敵は魔法の類を一切使用していない。


 魔法を使わず壁を透過し、此方の位置を的確に察知して王手をかけている事になる。


 ありえない。理に適っていない芸当だ。行える筈がない。


 分析しようにも、あまりに情報不足。どうする、何か打つ手は―――。


「``攬災らんさい``、俺と戦え」


 焦燥と思索など蹴破り、振り向く事すら許さない敵は、尚も透き通った敵意を振りかざす。


 何故戦わなければならない。戦う理由がない。暴名ぼうみょうを知っているという事は暴閥ぼうばつの関係者だが、声音に覚えはない。


 振り向けば分かるかもしれないが、右耳から伝わる並々ならない戦意に許しを請えるなら、請願の意を示したいところである。


「まず、名を名乗るべきではないですかね」


 心底から湧き上がる焦燥を隠し、虚勢を演じる。


 まず誰かを聞く必要がある。全ては名乗りから始まると言っても、過言ではない。


 敵ではないなら示談で済ませるべきであるし、お互い無意味な傷つけ合いは避けるが道理。避けられないなら、不本意ながら致し方ないが。


 弥平みつひらの虚勢に呼応するように、平坦で、淡白で、冷徹で、熱血的な存在感とコクを声音のみで表す、その正体不明は答えたのだった。


「お前達暴閥ぼうばつから、``皙仙せきせん``と呼ばれている者だ」
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