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防衛西支部編

双剣使いの猛威

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 時はジークフリートと別れた直後にまで遡る。

 先手を打たれた今、おそらく何人かは死んでいるだろう。この世は弱肉強食であり、武市もののふしにおいてその思想は根強い。

 地下二階のシェルター室が見えてきた。戦いが始まる前はきっちりと閉められていたはずの強化魔導装甲の扉は、見るも無惨に破壊されてしまっている。さっき私たちに助けを求めたモヒカン頭は、破壊された扉から逃げ延び、私たちに助けを乞うたのだろう。

「くっ……!」

 レク・ホーランの歯噛みする声が鼓膜を揺らす。ハイゼンベルクは無言だが、全身から湧き立つ殺気が濃くなるのを背中が捉えた。

 予想通りというべきか、シェルター内は中々に惨劇が披露されていた。刃物の類で切り刻まれたであろうモヒカン頭とスキンヘッドが数十人、恐れ慄いてシェルター室内の隅に縮こまっている者たちが数十人、割合にして縮こまっている方が多いと思われるが、切り刻まれて血みどろの中に倒れている者もそれなりに多い。

 壁や床についている血の量からして、全員が生きているかどうかは五分五分といったところか。

「チッ……マジかよ。こりゃあやべぇぞ」

 レク・ホーランが顔を最大限にしかめ、腰に携えていた剣を抜いた。

 何気に彼が剣を構えるところを見るのは初めてだ。今まで素手で戦ったところしか見たことがなかっただけに、いま目の前にしている敵の力量が大雑把にだが測れてしまった。

 灰色のフード付きコートを身に纏った正体不明の何者か。袖から垣間見える武器は同じ長さの刀身を持つ短剣、いわゆる双剣というべき代物か。フードのせいで人相が全く分からないが、血の沼と化したその場所で、靴を血で濡らしながら石のように動かないその者は、私たちを見て恐縮して動けないというわけでは決してなく、むしろそれなりに場数を踏んでいるからこそ、私たちを確実に殺せる``間``を常にうかがっている。

 厄介なことになった。これは、隙を見せた方が死ぬ。

 数ではこちらが有利だが、だからといって突撃などありえない。下手に間合に入ってしまえば、そのときには首と胴が離れ離れになる未来が透けて見える。澄男すみおがいればタンク兼ダメージリソースとして突撃も視野に入れられたのだが、この場にいない者を勘定に入れたところで無意味な思考だ。

 改めて戦場を俯瞰する。シェルター内はそれなりに広く、戦略級魔法以外ならシェルター内部で使っても、ある程度は耐えてくれるだろう。

 幸いというべきか、足手纏いになるような輩は室内の隅で縮こまって動く気配はないし、四隅で存在感を消してくれさえすれば無視で問題ない。

 相手の獲物は双剣。全身フード付きの灰色のコートを着ているため装備の全貌は分からず、フードのせいで顔も分からない。男が女かも分からないので骨格や肉付きも正しく推し測れないが、細身なのは確実。

 その程度分かったところであまり意味はないのだが、こちらには相手の肉体能力を測定できる任務請負証がある。下手に動けないのなら、その状況を逆に利用するのみ。

「なっ……!?」

 任務請負証には対象の肉体能力を概算的に数値化する機能がある。あくまで概算な上に肉体能力を数値化するだけのため、決してそれだけで勝敗が決するわけではないのだが、参考資料の一つにはなりうるのである。

 実際、私たちの肉体能力はレク・ホーランによって知られてしまっており、隠し立てはもはや通じないほどだ。

 敵を知る上で最も身近な情報と言ってもいい``肉体能力``だが、今回、私の任務請負証は驚くべき数値を叩き出していた。

「……気づいたかよ。信じらんねぇぜ、今年は厄年か何かか」

 レク・ホーランは皮肉を漏らすが、その表情には全く余裕がない。顔は既に汗で濡れており、顎の先から滴っている。

 彼が汗を噴き出させるほど緊張するのも無理はない。視界に表示された目の前の敵の肉体能力は、私とほぼ同等―――人類の種族限界に達していたのだ。

 それはつまり、相手の技量次第では、こちらの勝率が大きく下がることを意味していた。

「どうするべ……!?」

 どうするべきか、そう問いかけようとした瞬間。足場が何かに囚われた感覚に襲われた。まるで底なし沼に足を突っ込んでしまったかのような、ぬかるみに足を取られたかのようなぬるくベタついた不快な感覚は、冷静な理性によって裏付けられた思考を全て振り払い、焦燥が身体中を駆け巡る。

 クソが、と思わず胸中で舌を打つ。ほんの僅かな隙を見せただけでも勝敗が九割決まってしまうこの状況で、私もレク・ホーランも意識が足下に刈り取られてしまった。そしてそれは、やはりというべきか―――最悪な結果として現実となる。

「消え!?」

「違、これは……縮!?」

 私とレク・ホーランはほぼ反射神経で双剣を受け止める。レク・ホーランは自前の剣、そして私は自前の槍だ。

 双剣を携えた灰色のフード付きコートを着た敵は、レク・ホーランの言った通り視界から霞のように消えてみせた。だが実際に消えたわけではない。そしてこの現象は転移魔法の類でもない。単純な技量、相手と自分との距離を一瞬で縮める歩法―――縮地である。

 ごく僅かだが、彼女が消えるほんの僅か前、足元から霊力が漏れ出たのを感じた。瞬発的に体内霊力を脚に集中させることで、脚力を強化。重力すらも味方につけて、瞬間的に私たちの動体視力を超える速度で間合へと入り込んだのだ。

 下手をすれば霊力を込めすぎて体内霊力のほとんどを使い切ってしまったり、場所によっては脚力を強化しすぎて足が地面に陥没し、そのまま身動きが取れなくなる可能性がある技だが、敵の縮地は地面を蹴る音すらしなかった。私も似たような真似はできるが地を蹴る音は隠せないし、怠慢だが地面にヒビが入るのはどうしようもないと割り切ってしまっている。

 つまり敵の縮地は、完璧に仕上げられている。一体どれほどの鍛錬を積んだのか。ただ肉体能力を高めるだけの修練のみならず、戦いの才覚も潤沢でなければ、これほどの完成度にまで洗練させることは到底できたものではないだろう。

 とはいえ自分たちも人類の種族限界に至っていたことは、幸運といえる。

 肉体能力は何も肉体の強度や力だけではない。反射神経から認識能力まで、その全てが種族限界に至っている。常人にとって視認することすらできないほんの僅かな時間でさえも、私たちならば辛うじて認識することができる。

 だからこそ、その人間離れした動体視力が殺意の矛先を明確に捉えたとき、背筋に冷たい汗が大量に滲み出し、シャツを濡らした。

 フードを被った双剣使いは私の槍とレク・ホーランの剣を土台に、斬撃が受け止められた状態から一瞬だけ逆立ちの状態で静止。靴の踵の部分から、霊力を帯びた刃物が飛び出したのを見逃さない。

 真正面からの縮地に対応するため、私たちは無意識に武器を持っている側の手の腕力に力を注いでしまっている。本来ならあえて力を抜いて双剣使いを突き放し、体勢を整えるべきだったが、無意識運用とはときに見えない敵として牙を剥くのだ。

「くっ、避けられない……!」

 腕から伝わる膂力からしてその力は私たちと素で同じくらい、身体強化で更に上がっているところをみるに、踵から飛び出た刃が背中に刺さるのを防ぐ術はない。

 まさに私とレク・ホーランを確実に無力化できる、必殺の攻撃。体内霊力を最大限に効率運用し、僅かな消費で私たちを刈り取る意志を持った刃。もしも致命傷を負ったとき、澄男すみおが見たらどう思うだろうか、考えるまでもない。

「まったく、ヒト族は本当に弱いのね」

 日を見るより明らかな未来を走馬灯のように想像していると、聞き覚えのある幼女の声が鼓膜を揺らす。

 私たちの足元が一瞬、白く輝いたと思うと、私たちの背中を切り裂かんとしたフード付きコートの双剣使いは、縮地で私たちの間合に入る前の位置にまで戻される。

『……なるほど。``接敵阻止アディタム・プラベンティオ``か』

 霊子通信からの呟き。双剣使いからの圧に解放されたレク・ホーランは、一瞬だけ顎に手を触れ、滴る汗を拭い去る。それらはシェルター内を照らす霊灯の光に触れ、星の軌跡を描いた。

 ``接敵阻止アディタム・プラベンティオ``、自分の間合に侵入したすべての存在を初期位置に戻す無系魔法。

 ``顕現トランシートル``には遠く及ばないものの空間に干渉する魔法のため消費霊力は割高、それだけでも使い所がかなり限られる上に、今のように瞬発的な判断力の要求される魔法でもあり、実用するには困難を極める魔法の一つである。

 ``接敵阻止アディタム・プラベンティオ``は無系魔法、発動の際に足元が白く光っただけで魔法陣が見えなかったのが気になるが、今はそんなことを考えているときではない。

『支援は任せるぜ、ハイゼンベルク』

『ふん。精々踏ん張るのね』

 同じく霊子通信にログインしてくるハイゼンベルク。

 ``接敵阻止アディタム・プラベンティオ``は中々に消費霊力の高い魔法だ。仮に私が普通に使った場合、この魔法一発で体内霊力の六割が持っていかれてしまうのだが、彼女からは霊力を消費した素振りが全く感じられない。

 この程度は消費のうちに入らないのか、それとも我慢しているだけなのか。いずれにしても霊子通信からはノイズが見受けられないので問題なくサポートしてくれそうだ。

 さて、どう組み立てたものか。

 相手は双剣を装備、縮地を使うことができ、肉体能力も私たちと大差ない。

 肉体能力面では私とレク・ホーランの二人に対し、相手は一人。数の利があるからどうとでもなるとして、問題は技量だ。

 さっきの立ち合いで分かったが、技量は私よりも上。膂力ではレク・ホーランに劣るものの、敏捷性では彼を上回る。レク・ホーランとの技量比は、彼の剣閃を見たことがないので推測は不確定になるが、少なくとも同等以上とみて間違いないだろう。

 自分の肉体能力を、殺すために最適化している者と戦うときは、とにかく隙を作らないことだ。僅かでも隙を作れば、そこを付け込まれ、死ぬ。おそらく即死させられるだろう。あの手合いが手を抜くとは到底思えないからだ。

 幸い私たちには武器の利もある。相手は双剣でリーチが短いが、レク・ホーランはレイピア状の細剣、私は槍。攻撃範囲では私たちが優位に立てる。

『……私が突撃します』

 霊子通信に一瞬ざわついた思念が送り込まれてくる。特にレク・ホーランから送られてくる思念は、疑念に満ちていた。

『要は相手が回避できない状況を作り出せばいいんです、私が派手に陽動を仕掛けます、レクさんは本命の攻撃を叩きこんでください』

 霊子通信に満ちる疑念が薄れた。

 別に死に急ぐつもりもなければ、ただの突撃如きで仕留められるとは思っていない。私の槍術そうじゅつに``水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう``があるが、あれは一度発動すると方向転換が一切不可能になるため、回避された時点で不発になってしまう。

 だが、あの技は派手なのだ。

 ``水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう``は、槍の先から氷点下の氷膜を展開し、その状態で敵に突っ込む技。氷膜の展開時に気温差で大量のダイアモンドダストが発生するので、敵の視覚を潰すことができる。私の技を回避、そして視覚不良への対応に意識を向いた瞬間に、レク・ホーランが不意打ちで叩き込めば、一撃で落とすことも難しくないだろう。

『悪くねぇ。悪くねぇが、派手ってことは俺らの視界も潰れるぜ? そこんとこは考えてんのか?』

『そこでハイゼンベルクさんの出番です。ハイゼンベルクさんは魔法でレクさんを支援し、確実に攻撃を当てられるようにしてください。できますか?』

『ふん、お前たちみたいな百年も生きてない若輩者に心配される筋合いはないのね』

 頬を膨らませ、不満の念をこれでもかと送り込んでくる。とりあえず、全員からの許可と確認はとれた。後は私が突っ込むのみ。

『では早速……行きます!』

 グダグダしている暇はない。霊子通信を盗聴されていないか心配になったが、相手が慎重なのもあり、睨み合いが続いたのが功を奏した。

 ``水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう``。この技は愚直すぎる上に派手すぎる。技量に長けた今回の敵には確実に回避されるだろう。

 だが、それでいい。双剣は攻撃速度と手数に秀でてこそいるが、防御には不向きだ。相手が回避するのが分かっているのなら、回避するようにあえて誘導し、そして回避できない状況に追い込めばいい。

 では回避できない状況をどうやって作り出すか。ハイゼンベルクが魔法を使えば解決だ。``接敵阻止アディタム・プラベンティオ``といった無系魔法が使えるのなら、他の無系も使えるはず。無系魔法に詳しくないので何を使うのかは予測できないが、彼女なら上手くやってくれるだろう。

 氷膜が自身を覆う。氷膜が現れたことによって大気が局所的に冷やされ、気温差によって結露が生じる。その結露が、霊灯から放たれる光に照らされ、まるでダイアモンドの欠片が舞っているかのような幻想空間が出来上がった。

 既に視界は両者とも死んだ。私も前がもはや見えない。今思えばこの技、自分の視界も潰れるのだから欠陥だと思ってしまったが、改良するかどうかはまた今度考えればいい。

 体感距離的にもうすぐだろうか。相手はどこかしらの方角に回避するはず。回避されたらレク・ホーランたちに任せ、私は次の行動に備えて―――。

「っ!?」

 両腕に凄まじい衝撃が走った。

 双剣使いが装備している双剣が、いかなる業物かは分からない。それでも人類の種族限界に達している私ならば、仮に双剣使いが防御の構えに入れたとしても、刀身ごと砕いて決定打を入れられるはずだし、避けられたとしても次のコンボに繋げられるはずだった。

 双剣は両手が武器で埋まるため攻撃の手数こそ上がる分、防御は手薄になる。ゆえに攻撃こそが最大の防御であり、``水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう``を打ち破るには、先手を打つ必要がある。

 しかし反応はほぼ同時。武器の差で私に軍配があがると考えて差し支えないはずなのだ。

「コイツ……!! どっから大盾を……!?」

 レク・ホーランの困惑と驚愕が鼓膜を撫でる。

 ヒビはおろか、かすり傷一つついていない白銀の大盾。シェルター内の霊灯の光を反射し、綺麗に光り輝いていた。

 防御する間もないまま、大盾に振り払われ壁に背を叩きつけられる。衝撃が内臓を縦貫し、乾いた呻き声を思わず漏らす。

「……盾術もお手の物ってか」

 驚愕と困惑に揉まれながらも、レク・ホーランは双剣使いを見定める。

 双剣使いが大盾を使う。そんなもの、誰にも想定できるわけがない。双剣と大盾では、そもそも前提とするバトルスタイルが真反対だからだ。

 敏捷性を活かし、手数と攻撃速度で防御も兼ねる双剣術と、基本は防御に徹し、ついで程度に攻撃する盾術では相性が最悪であり、本来なら誰もそんな装備構成は選択しない。

 そもそも双剣使いはいつ全身を覆い尽くすほどの大盾を、一瞬にして装備できたのか。私やレク・ホーランのみならず、この場にいる全ての者たちが装備した瞬間を見切れなかったのだ。対処のしようがない。

 それに私を突き飛ばした盾術は、盾術の中でもメジャーな技―――シールドバッシュである。

 盾術の中でも基礎とも言える技だが、両者の膂力は人類の種族限界を超えている。ただのシールドバッシュといえども、その威力は計り知れないものである。 

 作戦は失敗した。少々体にダメージが残ってしまったが、敵の力量を少しでも推し量るためだ。

 いつまでも呆気にとられている暇はない。シールドバッシュで弾き飛ばされたため双剣使いと距離がある程度離れてしまったが、まだ私にとっては攻撃範囲内ではある。しかし``水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう``を真正面から受け止めて無傷となると、遠距離用槍術そうじゅつ``水守すもり槍術そうじゅつ氷槍投擲ひょうそうとうてき``でもあの大盾は打ち破れない。

 相手は瞬時に武装を変えることができる。双剣から大盾にできるのなら、その逆もできて不思議ではない。私が槍を持つ以上、相手が双剣に持ち変えることはないはずだ。そして双剣使いが大盾を装備し続ける限り、レク・ホーランの剣戟も実質無効と言っていい。

 防御に偏重するため相手も攻撃力や手数も大幅に下がってはいるが、シールドバッシュで弾き飛ばされまくったり、そうでなくとも単純に盾で殴りつけられては、少しずつだがダメージが蓄積してしまう。持久戦に持ち込まれたらジリ貧だ。

『お前ら、よく聞くのね』

 手詰まり感が漂い始めた中、重苦しい淀んだ雰囲気を食い破り、ヴェルナー・ハイゼンベルクが霊子通信内で仁王立つ。

『私が``無効アリクアム``を使ってやるのね。発動に少し時間がかかるから、お前らは奴の気を引くのね』

 疑惑に満ちた思念が精神世界に滲み出す。かくいう私も同意見だったりする。

 ``無効アリクアム``、人類が知る無系魔法の中でも扱える者がほとんど存在しない高位魔法の一種。魔法効果は至ってシンプルで、文字通りありとあらゆる事象を一つだけ無効化する強力な魔法だ。

『お前らヒト族と一緒にされるのは心外なのね。発動するくらいならどうってことないのね』

 横柄な態度が薄れる気配はない。

 問題なく発動できるなど人間の感覚では到底理解しがたいものだが、納得するだけの説明や時間を取っている暇はない。使えるというなら使えることを前提に戦術を組んだ方が良いだろう。

『つまり、あの武器高速換装をできなくするってわけか。まあありゃあ魔法か何かでもない限り説明できないしな』

 レク・ホーランが一人で勝手に納得してしまう。

 相手に悟る暇も与えないほどに速く武器を装備し直す。それも双剣から大盾、全く真逆のコンセプトの装備に一瞬で変えるなど、物理的には難しい。特に私は槍で突撃していたのだ。私の槍が双剣使いを貫くまで距離の目算的に数秒もないはず。視界不良のため確証は持てないものの、私の攻撃に間に合わせながら自分の身体を守れるくらいの大盾に換装―――はできたものではない。

 その不可能を可能にするには、魔法で無理矢理装備を変えているとする方が自然なのだ。

『さて、武器の換装の方はハイゼンベルクに無効化してもらうとして……俺たちは大盾だな』

『破棄させるのは難しいですよ』

『盾の死角を狙うしかないな』

 シェルターの霊灯に照らされ、銀白色に輝く大盾を睨む。

 私とレク・ホーラン、そして双剣使いの膂力は拮抗しており、貫通力に秀でた槍での突貫攻撃をも防いだ大盾は、私たちの力では剥がすことができない。となると盾の防御範囲外を攻撃する必要がある。

 大盾といっても体全体をカバーできるわけではない。基本的には前面だけだ。横か背後を狙えば、傷を負わせることは難しくない。

『威力で攻めるのはやめるか。速さで勝負をかける』

『というと?』

『お前は突っ込んで背後を取れ。俺は自前の魔術を使う』

 霊子通信から流れるレク・ホーランの思念に、大体の意図を察する。

 足にありったけの力を込め、床を蹴り砕く。こっそり接敵する必要はもうない。負傷覚悟での突撃である。水守すもり槍術そうじゅつで派手に気を引ければ不安要素はないのだが、今回はヴェルナー・ハイゼンベルクが魔法の詠唱に集中するため、援護が期待できない。私の攻撃でレク・ホーランの視界不良になるのは避けなければならない。

 双剣使いは狙い通り、私へ目標を定める。警戒しているのか、定めたままその場を動かないが、フードの奥に底光りする殺意は、針千本飲まされている錯覚を覚える。

 しかし大盾はレク・ホーランの方を向いたままだ。もっと気を引かなくては。

 懐へ無造作に手を突っ込む。本来ならば先の読めない状況で使いたくなかったが、やむおえまい。

『``凍結ジェリダ``!!』

 双剣使いの足元に青白い魔法陣が描かれる。双剣使いの身体が僅かに震え、バックステップで離れようとするが、状況が変わる方が流石に速かった。

 目にも留まらぬ速さで双剣使いの身体に霜が降り、体の可動域が小さくなっていく。まるで極低温液体をもろに浴び、急速冷凍された生き物のように、一瞬にして氷像と化した。

 私は常に有事に備え、移動用に使う転移の技能球スキルボールの他、緊急用の技能球スキルボールを複数個所持している。

 魔法はとにかく消費霊力が多い。各系譜の最下級の魔法でさえ、一発分で私の霊力の半分以上を消費するのだから連発できたものではない。技能球に封入できる霊力には限りがあるため使用回数に制限はあるものの、いざというときの切り札として有用な手段である。

 今使った魔法は氷属性系攻撃系魔法の中でも最下位に位置する初等魔法``凍結ジェリダ``。単体の物体を瞬間冷凍する魔法だ。

 もしも体内霊力で発動していた場合、この魔法一発で七割五分は消費していた。それだけの消費をしてしまうと次につなげることなど当然できたものではないが、常人ならば問答無用で即死する。

 体の芯まで一瞬で凍りつく魔法なのだ、何も対策していなければ凍死は免れないし、むしろ凍死したことに気づくことなく死ぬだろう。

 何も、対策していなければ―――の話だが。

「くっ……ですよね」

 戦いは駆け引きだ。内に秘めたることを表に出してしまうのは、自分の余裕のなさを敵に教えてしまう愚かな行為だが、できれば無策に凍死してほしかったのが本音だった。

 一瞬は凍結した双剣使いだったが、体から湯気が出たと思いきや全身に降りた霜は融けて水となり、床を濡らした。

 戦いの技量からして、``凍結ジェリダ``如きで殺せるとは毛程も思っていなかった。そもそも武器を一瞬で換装することのできる相手、魔法戦闘だって慣れていないはずがない。

 耐性強化魔法によるものなのか。私は全く使ったことがないため、知識でしか持ち合わせがない。

 数ある無系魔法の系譜の中で、耐性強化系に属する魔法。効果は単純で、対象となる属性耐性を強化し、ダメージや影響を軽減する。

 強化限界があるものの効果を重複させることができ、単純に重ねがけするだけでも、その分影響を大幅にカットすることも可能だ。

 当然その場合の消費霊力は計るべくもない量になってしまうが、一回かけるだけでもかなりの軽減効果が見込める。一回あたりの軽減度合は術者がどれだけ緻密な魔法陣を描けるかどうかが重要になってくるが、氷属性系最下位魔法とはいえ``凍結ジェリダ``は強力だ。相手が人間なら、一瞬で凍死させることができる殺傷能力を誇っている。並の相手ならば、耐性強化魔法などを使われたところでそれをも貫通できる自信があった。

 流石は人類種族限界に達しているというべきか。当たり前のように属性攻撃魔法を打ち破ったのは戦慄を禁じ得ないが、問題はない。元より最下位魔法で殺せれば重畳程度のもの、本命は別にある。

『ナイスだ御玲みれい、``凍結ジェリダ``の技能球スキルボールなんざ持ってることに驚きだが、そのお陰で奴の意識が完全に逸れたぜ。``光速化ルナ・アルテ``!!』

 刹那、レク・ホーランの身体が一瞬だけ白く輝いたと思ったら、残像を描いて姿が掻き消えた。思わず目を丸くする。

 魔法陣が見えなかったので``顕現トランシートル``ではないのは見て分かるが、彼の挙動は明らかに縮地そのものだ。レク・ホーランは双剣使いの縮地に驚いていたし、持ち合わせがないと思っていたのだが、相手を油断させるための演出だったのだろうか。

『詠唱できたのね、``無効アリクアム``!!』

 ヴェルナー・ハイゼンベルクの身体もまた、淡く仄かな白い光に包まれる。彼女の周りに白い鱗粉のような粒子が集まる姿は自然の神秘そのものを感じさせるが、行使している魔法のことを考えれば、神秘というものとは無縁なものと再認識させられる。

 レク・ホーランが姿を現した。双剣使いのほぼ背後、おそらく大盾の死角を狙った横薙ぎ一閃、もろにくらえば下半身と上半身が容易く分かたれる一撃、常人の動体視力では決して見切れるものではないだろう。

 彼が剣士として振る舞う姿を見るのは今回が初めてだが、腰に剣を提げているだけはある。一瞬とはいえ私の動体視力をもってして追えない接敵速度から、即座に横薙ぎで一閃する予備動作の無さ。喧嘩殺法上等の輩が一朝一夕で身につけた付け焼刃の剣術ではない。

 ``凍結ジェリダ``による拘束、``無効アリクアム``による魔法効果無効、そして不可視範囲からの絶対攻撃。もしも私が双剣使いの立場だったならば、回避も防御もできる自信はない。

 流石に決まった。勝ちを確信した、そのときだった。

「何!?」

 レク・ホーランが背をほんの少しのけぞらせながら、思わず叫ぶ。私も目の前に起こった光景に目を丸くした。

 双剣使いは確かに大盾を装備していた。私やレク・ホーランの全力攻撃をも耐えうる白銀の大盾。縮地に見間違える光属性魔術を使い、大盾と双剣使いどちらの死角を的確についた一閃で回避も防御も不可能な攻撃を加えたはずだ。

 大盾は見た目からして重い。仮にレク・ホーランから放たれる横薙ぎの絶対攻撃を悟れたとして、死角を突かれている以上、大盾で凌ぐこともできないはずなのだ。それなのに双剣使いがとった行動は、武器の換装だった。

 大盾は気がつけば稲妻をほとばしらせる、青白く光る刀身の長剣に様変わりしており、確実に双剣使いの腹部を捉えていたレク・ホーランの細剣は、逆に刀身を切断され事切れる。

 青白く光る刀身の長剣、正式名称は``霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイド``だったか。

 切断力に特化した剣で、極限まで霊力を圧縮流動させて形成される刀身は、ありとあらゆるものを融解させて切り裂く。剣の霊力出力によるが、切ろうと思えば霊力のバリアや魔法そのものを切り裂くことさえ可能で、物質体ならば切れないものは存在しないとさえ言われる、剣というジャンルの中では現状最上位の武具である。

 レク・ホーランの剣が容易く両断されたのは、切られたというより高密度に圧縮された霊力の流れによって刀身が融かされたという表現が正しいだろう。

 その単体威力から、まったくと言っていいほど一般的ではない武器だが、それも当然と言える。この武器の製造にはかなりの高等技術を要し、生半可な者では手に負えない代物なのだ。製造できるところなど上威区かみのいくの上位暴閥ぼうばつか、それこそ流川るせんぐらいなもの。武器単体の秘めたる力は非常に強いが、それに見合う費用や必要な人材は想像を絶するというものだ。それなら使い勝手のいい身近な武器を使いこなせるようになった方が割に合うのである。

 額に汗を滲ませながらも、そこは流石ベテランというべきか。冷静さを失うことはない。バックステップで距離をとる。

「ぐぁ……!?」

 本当、相手はどれだけの武器を持っているのだろう。双剣、大盾、霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイド。これだけでもふざけた武器構成だが、これは流石にふざけているを通り越している。

 レク・ホーランの右肩からほんの少し血が噴き出す。左手で傷を抑えながら、恨めし気に双剣使いを睨んだ。

 彼に向かって物珍しいソレは向いていた。私たちでは装備として使う者などほとんどいない武器が、口を開いて。

「ま、魔導銃マジアガンだと……!?」

 現時点で既に三種類の武器が出てきた。個人的には弓かボウガンあたりは出してきそうだと思っていたが、箱を開けるたびに私たちの予想斜め上をいくものばかり飛び出してくる。その中でも流石に銃は予想外だ。

 火薬を使った普通の銃ではなく霊力で特殊加工された専用弾を使う``魔導銃マジアガン``は、これまた霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイドに匹敵するマイナー装備で、実際に常用装備として採用している者は私ですら、流川るせん分家派の直系暴閥ぼうばつである白鳥しらとり家の当代―――``淵猟えんりょう``白鳥是空しらとりぜくうを除いて見たことがなかったくらいだ。

 魔導銃マジアガンはさっきも言及したとおり霊力で特殊加工した専用弾を装填して初めて使える銃なのだが、最大の強みは銃そのものではなく、その専用弾の種類が無数に存在することである。

 専用弾に施す魔法陣の種類によって、様々な効果の弾丸が作り出せる。その種類は私でも全て把握できていないほど膨大で、わかりやすいもので各種属性霊力の有するパラベラム弾や、無系魔法の効果で戦場を撹乱させる妨害弾など、魔導銃マジアガン一丁だけで手数の多さを無限に増やせてしまう。

 弱点といえば手数が多すぎて扱うための技量がなければ豚に真珠でしかないこと、ある程度の狙撃精度エイムが要求されることぐらいだが、大盾と双剣を同時に装備しておいて私たちに隙を与えない相手が、手持ちの専用弾の手数を把握できていないわけがなく、私とレク・ホーラン、そしてヴェルナー・ハイゼンベルクの立ち位置と距離感を把握した上で、死角を突いたばかりの彼の右肩を的確に射抜いたあたり、狙撃精度エイムも中々であると思われた。

 なにより装備してから射撃するまでが凄まじく速く、私の動体視力をもってしても装備してから撃つまでの瞬間が全く見切れなかった。肉体が人類の種族限界に達した自負がある私が見切れなかったとなると、双剣使いの早撃ちは、この場にいる誰にも見切れないことになる。双剣使いの肉体能力特性も相まって、霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイドすら遥かに凌ぐ、厄介な装備へと化けている。

『そもそも……どうして``無効アリクアム``が効いてないのね……!?』

 ヴェルナー・ハイゼンベルグから戦々恐々といった思念が霊子通信回線からなだれ込んでくる。その思念に私もレク・ホーランも首肯の意志を示すしかない。

 霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイド魔導銃マジアガンといった玄人向けマイナー武器に気を取られすぎて、正直現実の変化に脳の理解が追いつかないのだ。

 言われてみれば``無効アリクアム``は、ありとあらゆる事象を一度だけ無効化する強力無比な魔法であり、超能力による効果でもない限りは、純粋にすべての事象を無効化する。使いようによっては、死すら無効化できる本当に強力な魔法なのだ。

 それなのに相手の武器換装を防げなかった。むしろ更に厄介な武器を装備させる好機を与えてしまったのである。

『……考えられる可能性は、``挑発プロヴォカティオ``による相殺なのね』

 ヴェルナー・ハイゼンベルクは苦虫を噛みしめながら、絞り出すように思念を飛ばす。

 ``挑発プロヴォカティオ``は、文字通り敵のヘイトを術者に集める魔法。無系魔法の中でも精神系に属する魔法であり、相手の感情制御に干渉する。

『でもそりゃあ……陽動向けの……魔法だろ……あのフード野郎が使う理由が……ねぇ……』

『通常はね。でも``無効アリクアム``対策には、恰好の魔法なのね』

 ヴェルナー・ハイゼンベルク曰く。

 ``挑発プロヴォカティオ``は一度発動すると解呪されるか、術者が戦闘不能になるか、術者自らの意志で解除するか、体内霊力が切れるなどしない限り、常に効果を発揮する。

 そして``無効アリクアム``は一度だけあらゆる事象を無効化する魔法。つまり、解除される状況に陥らない限り常時発動する``挑発プロヴォカティオ``の無効化にヴェルナー・ハイゼンベルクが発動した``無効アリクアム``が消費されてしまい、肝心の武器換装の魔法を無効化するに至らなかった―――というわけである。

 私たちからすれば、敵は双剣使い一人。誰もが敵と認識している以上、魔法の影響を受けているかどうかなんて自力では判断できない。まんまとしてやられたわけだ。

『ごめんなさいなのね……ヒト族だからと慢心していたのね……``魔法探知マジア・デプレエンシオ``さえ使っていれば、この程度の小細工すぐに気づけたのね……』

 悔し紛れの感情から一変、強い後悔と懺悔の念が霊子通信回線を染み込む。

 ``魔法探知マジア・デプレエンシオ``は文字通り、魔法を探知する魔法。どんな魔法が使用されているかを探る探知系の無系魔法だ。

 確かに今回の出来事は、魔法の下準備を行っていれば防げたものだった。もしパオングであったなら、このような凡ミスは犯さなかったであろう。彼ならば相手の力量を的確に分析し、必要十分な魔法を瞬時に使用して対処する。自在に魔法を使う彼の隙を突くのは人の身に余る所業である。

 しかし、そんなたらればで仲間割れをする方が尚更無意味というもの。レク・ホーランもそれを理解しているのか、彼女のミスを責める気はないようだった。

『さて……レクさん、大丈夫ですか?』

 ``無効アリクアム``が無意味になった理由を考察し終えたところで、ようやくレク・ホーランの安否を確かめる。本来なら真っ先に気遣うべきなのだが、私を含め相手の状況が目まぐるしく変化するせいで、状況把握が追いつくのに時間がかかる。

 どちらも無視するわけにはいかないゆえに、自然とレク・ホーランの安否が後回しにされてしまっていた。

『大丈夫……じゃねぇな。右肩を撃たれただけだから目に見える傷としちゃあ大したことねぇんだが、ブチこまれた弾丸が結構厄介でよ』

『……もしかして』

『誤魔化したところで何の意味もねぇからはっきり言うわ。俺は魔術が一切使えなくなった。正直状況を精査し直さなきゃならんし、俺は敵の分析に徹するから、そっちはそっちでなんとか突破口をブチ抜いてくれ』

 くっ、と思わず逼迫した声音を漏らしてしまう。次の魔法をどう使うかを考えていたヴェルナー・ハイゼンベルグも額に汗を浮かべてレク・ホーランの傷を眺めていた。

 レク・ホーランは、この場において貴重な前衛戦力。敏捷性や回避能力はともかく、物理面の肉体能力は私や澄男すみおを凌ぎ、ある程度習熟した剣術も扱えて、光属性系魔術での援護も可能なオールラウンダーである。

 正直双剣使いと対等にやり合えていたのも、同じ肉体能力と力量を持った前衛が二人、そして後衛からの支援が一人いたからこそギリギリのバランスが保たれていただけで、一人減るとなれば大きな損失だ。戦線が保てるかどうかの死活問題になってくる。

 魔術が使えなくなったと言っていたので、おそらく霊力の一切が操作不可能になる弾丸をその身に受けてしまったのだろう。いわゆる不活の魔法毒を付与する弾丸、仮称だが``不活弾``というべきものだろうか。

 魔導銃マジアガンには詳しくないが、その弾丸を摘出しない限り、おそらく魔法や魔術はおろか体内霊力の使用は一切不可能。今ここで摘出できたものではないし、痛手にも程があるが彼は戦いが終わるまで捨ておくしかない。

御玲みれいよ、阿呆な事を聞くが……一瞬で相手の間合に詰められるような、都合の良い技とか使えんか?』

『縮地ですね? 己の修行不足を責めるばかりです』

『だろうな畜生……縮地前提の戦術とか今まで組んだことねぇし、参ったなこりゃあ……』

 完全に困り果てたレク・ホーラン。彼の心情を察するには余りあり、実際私たち側は詰んでいるに等しかった。

 肉体能力でゴリ押せば、私も似たような真似はできなくもない。しかし、それは縮地などではなく、ただ脚力に物を言わせて地面を蹴り砕き、一気に間合へ突貫するだけの技と呼びようのないものだ。

 相手は魔導銃マジアガンによる早撃ちができる。地面の蹴り砕く音で接敵に気づかれてしまい、間合に入る前に撃たれてしまうだろう。

 それに魔導銃マジアガンから放たれる弾丸は、撃つ本人にしか分からない。レク・ホーランが受けた``不活弾``を筆頭とする魔法毒系の専用弾をその身に受けてしまえば、その時点で私たちの敗北は決定する。数の利で未だ優っている私たちが数で同数になってしまえば、後は相手の技量で片付けられてしまう。

 どうしたものか、と魔導鞄に手を突っ込んだそのとき。私の手にコツンと硬いガラス玉が手に当たる。ほんの少しの躊躇いが胸中を横たわるが、溜息でその躊躇いを拭い去った。

『……致し方ありません。私の技能球スキルボールを使いましょう』

『お前まさか……』

『この魔法を使い、縮地を代用します。ただし回数に制限があるので、そう何度も使えませんが』

 私の手が掴んだ物は、常日頃から何食わぬ顔で使っている転移魔法の技能球スキルボールである。

 私と澄男すみおが持っている技能球スキルボールには、転移魔法``顕現トランシートル``が霊力ごと封入されている。

 私や澄男すみおが持つ技能球スキルボール流川るせん分家派で製造された軍事用の技能球スキルボールであり、封入できる魔法の種類の幅や霊力量、技能球スキルボールそのものの強度しかり、全てが破格の性能を誇っている。

 本来、緻密な魔法陣演算が要求される転移魔法``顕現トランシートル``は通常の技能球スキルボールでは魔法そのものが高度すぎて、封入すら不可能だろう。できるとすれば前時代の遺跡から発見されたオーパーツ級の技能球スキルボールでもない限り難しく、それ以前の問題として``顕現トランシートル``を詠唱できる大魔導師は、流川るせん家の先代以外に存在しない。詠唱ができなければ封入など夢のまた夢なのだ。

 さて、そんな破格の技能球スキルボールを持っているのは現状この場において私のみ。必然的に私が間合に突撃する形になる。

『上手くやれよ御玲みれい。なんとか長時間持たせてくれ』

 どこまで持たせられるか分からないが、後続の澄男すみおたちに少しでも多くを託すべく奮闘する必要がある。澄男すみおの暴走のこともあり死ぬわけにはいかないが、無傷とはいかずとも、生き残りはしたいところだ。

「さて……いきますか」

 魔導鞄に入れていた技能球スキルボールにイメージを送り込む。

 転移地点は目と鼻の先、双剣使いの目の前だ。いくら強者といえど、転移からの奇襲には流石に初手で反応できないはず。あまり私の得意とする戦術ではないが、この奇襲の一撃に全てを賭ける。

 技能球スキルボールが熱を持った。それを合図に、私の視野はものの見事に暗転した。


 御玲みれいと元双剣使いの肉弾戦を見守るレク・ホーランは、より多くの情報を集めるため、戦いの観察に徹していた。

 本来ならむーさんに任せるべき役目なのだが、いない者に思いを馳せても仕方がない。今いる自軍の中で、戦闘経験、肉体能力ともに安定した成果を得られると予測されるのは御玲みれいのみであり、彼女の戦いぶりに任せる他ないのが現状だ。

 彼女の肉弾戦を観察していて、彼女の活躍が想定を軽く上回っていることに驚いている自分がいた。

 御玲みれいたちが新人請負人として北支部に所属してからというもの、人類の存亡を脅かすような強敵との戦いが相次いでいた。思い返せば新人や御玲みれいが請負人でなければ、本部の上層が出張るレベルの任務だったものばかりで、それが未然に防がれていたのは、澄男すみおたちが支部の請負人に不釣り合いな実力を有していたからに他ならない。

 その中で良くも悪くも目立っていたのは彼女たちのリーダーである新人であり、御玲みれいは新人の陰に隠れる印象が常にあった。

 それは今までの敵があまりに人智を超えていたこと、澄男すみお澄男すみおが連れている使い魔もまた人外の強さを持っているせいなのではと薄々考えていたのだが、今回の戦いぶりでその疑惑は確信へと変わったと言ってもいいだろう。

「……強ぇ」

 御玲みれい、北支部始まって以来の暴君―――澄男すみおの専属メイドにして、肉体能力だけなら綺麗に全ての値が人類の種族限界に達していた少女。彼女が表立って戦う姿を見るのは何気に初めてだが、相手が人間だったなら、無類の強さを誇っていると言えた。

 瞬時にさまざまな武装に切り替えることのできる難敵を相手に、彼女は転移魔法による不意打ちを皮切りに、一切の隙を見せない打撃を絶え間なく与えていた。目と鼻の先まで一瞬で間合に入り、真っ先に魔導銃マジアガンを双剣使いの手から弾き飛ばせたのは我ながら最善手だと素直に褒め称えたい。

 殺傷能力ともかく、無数の専用弾で相手を翻弄できる魔導銃マジアガンの手数の多さは厄介だ。手数の予測がほぼ不可能、更に早撃ちまで得意となれば転移魔法なしでは詰んだも同然だったが、今は装備を変更する隙を与えないことで、ギリギリの戦線を維持している。

 改めて戦いを振り返りつつも観察を続ける。

 今回の敵の恐ろしいところは、本来なら相容れない武器を不規則に装備していながら、それら全てを完璧に使いこなしている点だ。

 基本的に皆使い慣れた武器を使う。御玲みれいなら槍、自分ならば剣といった風に、一種類に絞るのが定石だ。

 複数の武器が扱えたとて、それら全てを使いこなせるほどに熟達するのは困難を極める。並外れた才能がなければ決して辿りつけない天賦の境地である。

 長らく北支部監督官をやってきたが、器用な請負人でも精々二種類が限度。それも主武器メイン副武器サブで二種類というだけであって、結局のところ主武器メイン一種類しか使わない事例しか見たことがない。

 四種類の武器を、まるで主武器メインとして扱うなど狂気的な腕前だ。

 とはいえ、相手の技量を賞賛ばかりしていては千日手。敵の分析に徹すると決めた以上、なにかしら引き出して突破口に導かなければ勝算はない。まず今ある戦力をもう一度整理し直そう。

 双剣使いに優っているところは数。相手は単騎に対してこちらは前衛が一人、後衛が一人、戦力外が自分。

 前衛である御玲みれいは物理面における肉体能力は百に達している。ならばハイゼンベルクに魔法で支援させてすり潰すのが一番シンプルだが、それだけで勝てたなら、すでに勝負は決しているだろう。

 そもそもこの戦い、戦い始めてからずっと違和感が肩にもたれかかっていた。

『何故だ。何故奴は……?』

『どうしたんのね?』

『アイツが魔法を使ったのは明らかなんだが……戦う前の状態から奴の霊的エネルギーがちっとも変わってねぇんだよ。ありえるか? そんなこと』

 前衛を御玲みれいに任せたレク・ホーランは、今まで戦況を脳内でリプレイし、状況を整理していた。

 御玲みれいとの連携で分かったことがある。相手が魔法を使っていることだ。武具の瞬間換装も当然のことだが、最も分かりやすいのは氷属性への耐性である。

 御玲みれいが相手を瞬間冷凍した魔法、あれは氷属性系魔法の中でも一番下と言われている``凍結ジェリダ``。自分の霊力量では使えたものじゃないし、そもそも属性適性的に相性もクソもないから無縁の魔法だが、対人間に使う魔法の中では特に殺傷能力の高い魔法として、請負機関内では悪名高く知られている。

 双剣使いの野郎はその魔法を真正面から受けて死ななかった。一時的とはいえ全身が凍りついていたのだから、魔法の効果は受けているはず。それで致命傷に至らなかったということは、氷属性耐性を元から持っているか、耐性強化魔法を使ったかの二択。

 氷属性耐性を元から持っているなら、相手は氷属性適性を持っているはず。だとしたら最低一回は多少氷属性系の魔術や魔法を使ってきたはずだ。となると残された可能性、耐性強化の魔法のみになる。

 魔法を使っているのは明白だ。武具の高速換装といい、``凍結ジェリダ``に耐える氷属性耐性といい、これだけのことを実現するには、魔法を行使していなければ説明できないことばかりなのだが、ここで一つ問題にブチあたる。

 戦いが始まってから今まで、双剣使いの体内霊力量は微塵も変化していないことだ。

 魔法を使用しても、体内霊力の総量に変化がない。普通に考えて、そんなことはありえない。

 魔法を使えば、その魔法に見合った霊力を必ず消費する。それはもはや世界の摂理で決まっているようなもので、双剣使いはなんらかの形で霊力を消費しているはずなのだ。

 抗おうものならそれこそ超能力といった反則が必要になってくる。それくらいのレベルの話である。

 超能力なしでそんな真似ができるはずがないので、体内ではないとしたら、体外の霊力を使ったことになる。ただし、それができるとしたら以前トト・タートが言っていた霊力操作なる技が使えることになり、そうなると双剣使いの技量はもはや推し量れる領域にない―――という結論に辿り着いてしまう。

 流石にそれはないと思いたいが、否定できる材料がない今、希望的観測で戦術を組み立てるのは愚かな行いだ。

『体内の霊力を消費せず、魔法や魔術を使う方法なんてあると思うか?』

『……あるにはあるのね。たとえば、霊力吸収能力を持っている場合なのね』

『そりゃ分かりやすいが、それはねぇ。だろ?』

『霊力吸収能力を持っているなら、相手の強度にもよるけれど至近距離で戦っていたお前らには少なからず影響があるはずなのね』

『霊力吸われるわけだしな。御玲みれいならともかく、俺はとっくの昔にぶっ倒れててもおかしくねぇわ』

 苦笑いをこぼしながら、頭を掻いてため息を気だるげに吐き散らす。

 御玲みれいの体内霊力量は人類の種族限界値に達しており、魔術を連発する程度なら尽きることがない一方で、自分の体内霊力量はストックを加味しなければ微々たるものだ。霊力吸収などされたら、一瞬で動けなくなってしまう。

 だが、実際にそうはなっていない。ということは、相手に霊力吸収能力の類は持っていないことになる。

『他に何か……』

 ふと前線で戦う御玲みれいを注視する。

 そういえば御玲みれいが双剣使いと辛うじてやりあえているのは、転移魔法が封じられているという技能球スキルボールを使い、縮地を代用しているからだ。御玲みれいが転移魔法を使ったとき、魔法陣は出現していない。技能球スキルボールの中に封じられた魔法は技能球スキルボールの中で発動するため、見かけ上ほんのり光る程度にしか変化がないのだ。

 封入された魔法は霊力が尽きない限り、反復して使用可能。耐性強化系の魔法を封入した技能球スキルボールを使っているとなれば、辻褄が合う。

 つまり、双剣使いは実質無詠唱で魔法が使っている―――ということだ。

 とはいえ技能球スキルボールに封入された魔法陣は記述内容が固定なため、逐次変化する状況に応じて魔法を使う場面にはなんら役に立たなくなるのだが、耐性強化系魔法は単純に使うだけであれば、対象は自分自身。自分自身の状態は魔法毒や固有能力などの特殊な力場が作用しない限り変化しないので、技能球スキルボールで反復使用しても問題は起こらない。更に言うなら、自軍側から見て体が一瞬淡く光ったりする程度なので、どんな魔法が使われるか全く予想できないおまけつきである。

 装備を一瞬で換装できるのも技能球スキルボールと似た機構のものだと考えると、自分らだけで挽回するには戦力的に非常に厳しい。むーさんか新人のどっちかいるだけでも勝ち筋が見えてくるのだが、そのどちらも正門前の対処に回してしまっていた。シェルター周りの守りを必要最低限にしたのが裏目に出たというべきか。

「つっても、やるしかねぇよな……」

 気だるげに、しかし胸焼けを少しでも和らげるように息を吐く。

 はっきり言って、応援は期待できない。西支部ビルに向けて平均全能度五百の軍勢が小隊規模、一人あたりの戦力にして前回のギャングスター連合軍十三万を一方的に蹂躙できる人間が小隊で襲ってくるとなれば、とてもじゃないが放置できたものではない。

 双剣使いは、おそらく新人たちが相手にしている軍隊を単騎で凌ぐ戦闘力を持っているが、だからと彼らとポジションを変更するなど今更できないし、平均全能度五百の敵は自分らにとって無害な部類に入るとはいっても、支部ビル内に侵入させるなんぞ論外だ。

 糸口が見つからない場合、援護に来るのを前提に戦線をギリギリの状態で維持し続けて持久戦に持ち込むしかないが、それはあくまで最終手段。持てる力をフル活用して目の前の敵を打破する方策を練る必要がある。

「しかし……なんで積極的に攻めない?」

 誰にも聞こえないくらいの小声で、薄っすらと呟く。

 現状四種類の武器を、まるで主武器メインのように扱えるほどの卓越した技量を持っているのなら、積極的に攻めの姿勢でさっさと御玲みれいを落としてしまえば、勝率は極めて高くなるはずだ。

 そもそも複数の武器を扱えるだけで相手の動きを完全に牽制してしまえるほどなのだから、言ってしまえば先制し放題な戦局なわけで、いつでも自分のペースに呑み込んで潰すことができたはず。

 しかし実際はほとんど迎撃しか行わず、強いて行った先制攻撃は自分への銃撃のみ。まるで自ら不利な戦局に持ち込んでいるようなバカげた錯覚すら覚えるほどに、相手の行動は意図が読めない。

 自分ら全員を相手取り、完璧に牽制して動きを止められるほどの相手が、戦局を有利に持ち込む流れを作る術を知らないはずもなし、一体何が狙いなのか。

 逆に自分が双剣使いの立場ならどうする。武器を四種類も使いこなせる自分。その気になれば、複数人相手だろうと自分のペースに陥れて一気に決めるか。

 しかしそれをしない、できない、できないとしたらなにかしらの不確定要素がある。この場における不確定要素は何だ。畳み掛ける上で、その障害となりうる不確定要素。それは一体―――。

『……もう、こうなったらアレを使うしか……』

 思考の渦に乱入してくる、幼女の刺々しい声音。意識が現実へと戻り、まだ霊子通信回線をチャンネルしたままだったことを思いだす。

 チャンネルしたままなのを忘れているのか、思わず漏れ出た呟きだったのだろう。アレとはいったい何なのか分からないが、そういえばハイゼンベルクは高位の精霊だとか言っていた。ぱっと見ただの幼女にしか見えないが、様々な魔法をまるで魔術のように使えるのだから、精霊なんて眉唾物の存在もあながちいるんじゃないかと信じたくなるほどだが、ふとそこまで考えて、想像してしまった。

 もしも自分が双剣使いと同じ立場に立ったとき、慎重になるとしたら誰に対してか。最終的に潰して戦線を崩壊に導くための道筋を作るとしたら、誰を最終点にするか。前衛戦力として優秀な御玲みれいか。それとも―――。

「くっ……!」

 もっと早く気づくべきだった。今更言っても言い訳にしかならないが、戦況を致命的な状態にしてしまうのは避けられたはずだった。

 突如、網膜が焼き尽くされるんじゃないかと思うくらいの閃光が迸り、視界が一瞬潰される。しまった、と声を荒げる暇すらなく、左隣からか細い悲鳴が聞こえた。ジークフリート曰く高位の精霊と謳われる彼女―――ハイゼンベルクがプラズマ球のようなバルーンに閉じ込められ、拘束されてしまったのだ。

 気がつけば、双剣使いは何故か魔導銃マジアガンを持っていた。御玲みれいが弾き飛ばしたはずだが、御玲みれいと位置が若干離れていることから、彼女の隙をついてなんとか拾い上げてからの射撃だったのだとすぐに結論を出す。

 射撃音は二回聞こえた。一発目はおそらくハイゼンベルグを捕らえるために放った特殊拘束弾。そして二発目は並の防具を粉砕・貫通する霊力徹甲弾の銃撃―――。

「くそ、ハイゼンベルク!!」

 虚しい叫びが鼓膜を引き裂く。シェルターの床をフルスイングでぶっ叩いた。

「考えろ、考えろ……!!」

 意志とは裏腹に懺悔ばかりが先に出てくる自分に、腹立たしさが増してくる。

 双剣使いは最初からハイゼンベルク以外眼中になかった。対峙したその瞬間からおおよその力量差を見抜き、自分の勝利が覆されうる不確定要素であったハイゼンベルクのみを警戒するため、あえて``相手の出方を観察するために警戒している``と誤認させるように動いていただけだったのだ。

 とはいえ、結局のところどうするべきなのかは何も浮かばない。

 長く請負人をやってきて、詰んだと思った経験は何度もしてきたが、それは単純に相手の肉体能力が軽く上回っていて、攻撃がほとんど通らないといった能力差による詰みばかりだった。その能力差を長年培ってきた知識と経験、そして死の間際を何度も乗り越えることで得た技量で確実に埋め合わせてきたのだ。

 しかし今回の敵は地力が違う。肉体能力も拮抗しているだけでなく、戦いの技量も上回っている。技量で上回る相手など、かつて``嘲り``の名で恐れられた母親を除いて出会ったことがない。遭おうと思っても、そう簡単に遭えるようなものではないからだ。どうせなら味方として出会いたかったと思わずにはいられないが、毎度のことながら、現実はクソッタレだ。

「……俺もヤキが回ったな」

 ハイゼンベルクが戦闘不能となった今、技量で劣る御玲みれいは遅かれ早かれ倒される。今は肉体能力と数の力で拮抗しているが、呼吸一つ、所作一つ乱れる様子のない双剣使いは、決死の表情で絶え間ない猛攻をかける御玲みれいを、巧みな身のこなしと要所要所で瞬時に切り替える霊力高密集束型霊子超振動剣マナリオンブレイド魔導銃マジアガンによる応酬、白銀の大盾による防御で軽く捌いてみせている。

 戦線は長く持たない。この場に決定打を出せる者はおらず、この戦いはジリ貧だ。打破するには、正門前に回してしまった戦力をシェルター内に呼び戻す以外方法はない。

「……一か八か、か……!!」

 迷いはなかった。

 正門前にも倒すべき敵はいる。平均全能度五百の大軍を西支部ビルに入れるわけにはいかない。それが分からないほど馬鹿ではないし、本来ならありえない采配を下そうしている自覚はある。

 だが、やらねば全滅する。やるしかないのだ。

「頼む……!! 誰か来てくれ……!!」

 正門前に戦っているであろう新人たち全てに、霊子通信回線を解放する。

 純粋に助けを求めたのはいつぶりだろうか。遥か昔のことだから記憶にない。任務をこなしていく上で、死線を越える上で助けてくれるような者はいなかった。母親は飄々としているし、本部の連中だって自分たちの仕事がある。誰かが助けに来てくれる、それ自体が甘えだと無意識下で思うようになってしまっていた。今まで生き残れてきたのは、ただ単に運が良かっただけだというのに―――。

「その願い、届いたぞ!」

 声がした。した気がした。ハッと顔を上げる。甲高い金切り音とともに、双剣使いが弾き飛ばされる様が見えた。誰がそんな真似をしたのか。どこからともなく、気配すら悟らせず現れた、その少女。彼女が着込むは一切の乱れや汚れのない、紅と白の布地で編まれた巫女装束。

 御玲みれいを庇うように佇む。その者の名は百代ももよ。南支部合同任務の際、スケルトン・アークと暴走した澄男すみおを同時に相手取って圧倒的勝利を収め、荒野と化した山々に彩を戻すという離れ業もやってのけた、北支部史上最強の新人だった。

百代ももよ……さん……? 持ち場は……?」

 息を整えながら、突然訳のわからない言葉を発して割り込んできた百代ももよ御玲みれいが詰め寄る。

 百代ももよの役目は正門前まで侵攻してくる敵軍の制圧だったはずだが、ここに来たということは、その役目を終えたか、投げ出してきたかのいずれかになる。流石に投げ出してきたとは思えないが、新人ほどではないにせよ、堪忍袋の耐久力に自信がある自分を怒らせるくらいには自由人である。そこはかとない不安がよぎる。

「問題あるまい。表の敵はそなたの主たちに任せてきた」

 一瞬だが、背中を寒気が走った。

 任せてきた。ということは今、正門前を担当しているのは新人とその使い魔、ブルーにむーさん、そしてギガレックスだけってことになるわけだが、纏め役が誰一人としていないのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。事実上、持ち場放棄のようなものではないか。

「おいおい、ギガレックスの奴を放置かよ……」

 唯一のストッパー役だった百代ももよがここに来てしまった今、正門前は血の惨劇が起こっている気がする。そこはかとない不安は、明確な焦燥へと変貌して押し寄せる。

「しかしじゃの、澄男すみおやわっちの間合をすり抜けて瞬間移動した輩を放置する方が危険じゃろうて。現に、そなたらでは勝てぬのではあるまいか?」 

 その言葉に、吐き出そうとした言葉は全て喉奥に押し込まれる。御玲みれいも同様に渋い顔を浮かべていた。

 確かに正直なところ勝算はなかった。ハイゼンベルクと自分が戦力外に追いやられ、後方からの支援もない中、ジリ貧の戦いを強いられ続ければ、いずれ戦線は崩壊していただろう。

 持ち場を離れた以上、新人が何をしでかしているか気になるが、現状彼を気にかけている余裕などないのが本音だった。

「彼奴はわっちが相手をする。そなたらは回復に努めよ」

 周囲を流し見て、態勢を立て直した双剣使いに視線を戻す。

 今は状況を飲み込むしかない。回復する猶予ができたのなら、それ利用しない手はないのだ。

「アレは数多の武具を使いこなし、技能球スキルボールのような魔道具で、魔法を無詠唱で使用します。ご武運を」

 御玲みれいが軽く情報共有してくれる。

 この場において最も高い実力を持つ百代ももよにとって、自分達は足手纏いだ。とりあえず言葉に甘えて、治療と体力回復、戦況の共有に専念するとしよう。

 うむ、と一瞥もせず頷くと御玲みれいはさっさと百代ももよたちから離れ、こっちに駆け寄ってきた。

「回復……の前に弾丸の摘出ですね」

「ああ、ちょっと待ってろ」

 右肩にできた銃創に左手の指を無造作に突っ込む。傷口を抉り、中に入っていた弾丸を取り出した。

回復系薬剤ポーションです」

 毎度のことだが傷口を無造作に抉ったわけで、その痛みは尋常じゃない。無言で回復系薬剤ポーションを掠め取ると、蓋を開けて瓶の中の薬液を傷口にブチまける。痛みで顔を歪めつつも、抉られた銃創は瞬く間に元通りの肌へ戻っていった。

「余裕がねぇから言っちまうが、来てくれたのが百代ももよで僥倖だったな」

 御玲みれいが無言で頷いてくれる。

 百代ももよ以外の者でも戦えただろうが、自軍の半数が壊滅させられた現状で、制御不能な味方が来ていた場合は更に戦場が混乱していた可能性があり、危険だった。

 真正面から対峙したからこそ分かることだが、双剣使いは御玲みれいが転移の技能球スキルボールを併用して戦っている間でも、ずっと隙をうかがっていた。ミリ単位の隙も許されない戦いの中で、新人やギガレックスあたりが来ていたら取り逃していた可能性が高い。双剣使いのような存在は、勝てない戦いをわざわざしたりしないからだ。

 そう考えると御玲みれいと自分を二人同時に相手取って逃げに入らなかったあたり、双剣使いは前衛戦力を崩せると判断していたことになる。癪に触るが、現実は受け止めねば先に進まない。

「しかし……何故あの者は、彼女を狙ったのでしょうか」

「そりゃあ……」

「そのことについては、私から話してやるのね」

 会話に割り込んできたのは百代ももよによって拘束から解放されたハイゼンベルクである。

 どうやってハイゼンベルグの拘束弾を解呪したのか気になるが、それよりもハイゼンベルクの重要性だ。

「霊子通信回線で話した方が良いな。部屋を作るからちょいと待ってろ」

 百代ももよを一瞥する。気がつけば、百代ももよと元双剣使いを覆い囲む立方体の結界が張られていた。いつ張ったのかすら気づけなかったが、結界で隔絶されているなら、悠長に霊子通信回線内で作成できる疑似精神世界で会話しても問題はないだろう。

「それで、話すことってのは?」

 無駄な時間を過ごしたくないので、さっさと話題を振る。

 本来なら戦場の真っ只中で暢気に疑似精神世界で話すなどふざけているのかと思われても文句言えない状況だが、百代ももよがいるせいなのか、大丈夫だろうという謎の安心感に満たされている。

 かくいう御玲みれいもあまり気にしていない様子だった。

「ややこしいから結論から言うのね。私は一日に一回だけ、あり得たであろう現実に全てを置き換える``不確定性``っていう超能力が使えるのね」

 不気味なほどの静寂が、精神世界を包みこんだ。それはただの静けさではなく、驚愕からくる茫然自失に近いものだ。 

「な、なんだと? 現実を置き換える……?」

 何からツッコむべきなのか、百代ももよが戦っているのをいいことに、いっそのこと一から十まで全て列挙してしまおうか。

 一蹴する気が起きないのは、新人や百代ももよという破格の新人に出会ってしまって耐性がついてしまったせいなのかもしれない。あの二人を見ていると、本来ならありえないことも実はありきたりなことなんじゃないかと思えてならないからだ。

「それは破格の力ですね……どれほどの現実でも書き換えが可能なんですか?」

「可能なの。やろうと思えば蘇生だって可能だし、異変そのものを無かったことにすることもできるの」

「な、なんだそりゃ……!? そりゃあもう、なんでもありじゃねぇか……」

 驚き呆れるを通り越し、もはや諦観の念すら湧いてくる。

 超能力。その力は現実を容易く粉砕し、自分の都合で捻じ曲げられる破格の権能。魔法や魔術では対抗できない絶対的な暴力であり、まさしく最後の切り札に相応しい力だ。

 一日一回しか使えないようだが、それでも強大すぎる。一日一度だけ、ありとあらゆる因果律を書き換えることができるのだから、抗いようがない。下手すれば戦いすら成立しなくなるだろう。隠していたのも納得の手札だった。

「でもね、お前たちが思うほど便利な力ではないのね」

「そりゃあ異変そのものをなかったことにしたら、報酬なくなるな」

「それもあるけれど……そもそも望んだ現実に書き換えられるわけじゃないのね。あくまで``あり得た仮想の現実``に置き換えられる力だから」

「……ん? んー……あぁ、要は複数の世界線……ってーのか? そのうちの一つに現実を交換……って感じか」

「それもランダム。私たちに選択肢はないのね」

「そりゃ危険な手札だな。下手すりゃ今より悪い状況になる可能性もあるわけだろ?」

 ハイゼンベルクが無言で頷く。一気に陰鬱な空気がのしかかった。

 いわば諸刃の剣。強大な反面、運が悪ければ最悪の現実に置き換えられかねない。一日に一度しか使えないし、最悪な現実に置き換えられたら二十四時間は置換が効かない事を意味する。そうなっては絶望だ。

 その切り札を切らなくてよかったと思うべきなのか、一か八か切った方が事態は好転したと思うべきなのか。話を聞くとかなり微妙なラインだが、今は百代ももよがいるので切らなくてもよくなったと割り切ることにしよう。

「となると問題は、相手がハイゼンベルクの事をどうやって悟れたかだよな……」 

 神妙な面差しで思考の海に身を投じる。

 背中に天使の羽をデフォルメ化したかのような翼を生やし、空を浮く幼女。霊力の気配はなく、背中に白い羽が生えている以外は特段変わったところはない。体内霊力量で力を押し計れないのならば、人の目では彼女の力を押し計ることができないはず。超能力ならば尚更だ。

「悟っていたわけではなくて、後衛は誰だろうと潰すつもりだったのでは? 実際、ハイゼンベルクさんは魔法が使えますし」 

 御玲みれいの言葉に誰もが首肯した。

 確かに言われてみれば自分も銃撃で倒され、ハイゼンベルクも拘束されて無力化されていた。相手からすれば陽動からの本命の攻撃は都合悪いし、魔法で味方を強化したり妨害行為をしてくる後衛だって邪魔くさい存在でしかないのだから、潰してしまおうと考えるのが自然だ。

 実際、御玲みれいだけで双剣使いは倒せない。後衛の支援があるだけでも飛躍的に御玲みれいの脅威度が上がることを考えれば、阻止したくなるのも道理だと思えた。

「となると、だ。俺を先に潰して、ハイゼンベルクを後にしたのが気になるな……」

「それはハイゼンベルクさんが得体の知れない存在だと思われたからでは?」

「確かにそうだが、だからこそ先に潰すと思うんよな……コイツの得体の知れなさに比べれば、俺なんてまだ一般人みてぇなもんだし」

「お前、藪から棒に失礼なのね……」

 頬を膨らませ、こちらを睨んでくる。

 ハイゼンベルクからはほとんど霊力を感じない。基本的に体内霊力量が少ないと、戦闘でできることは限られる。それこそ肉弾戦に特別長けているような武術の達人でもない限り、脅威にはなり得ないだろう。仮にそうだったとしても、遠距離から弓や銃器による射撃、魔法や魔術で袋叩きにしてしまえば、どうにかできる相手ではある。

 霊力がないとは、それだけで弱いのだ。見下されるのは自然なことで、見た目が子供なら、武市もののふし一般の価値観で図るならジークフリートの愛玩奴隷と見られても必然だったはずである。

 だがしかし、おかしなことにハイゼンベルクは体内霊力がほとんど感じられないにもかかわらず、自分や御玲みれいが使えないような無系魔法を行使した。それは自分ら人間の常識を覆す行為であり、双剣使いにとっても、体内霊力がまるで感じられない奴から高度な無系魔法がポンポン飛び出す様は脅威を通り越して天災に思えたはずだ。

 なのに、対処を後回しにした。俺たちを容易にすり潰せる周到さを持ち合わせていながら、真っ先にその判断を下さなかったのは不可解だ。らしくない、双剣使いの人物像からは推し量れない行動だと思わざる得ない。

「確かに不可解ではありますが、推測しようにも情報がありません。不確定要素を捨ておくのは正直危険ではありますが、ここは保留するしかないでしょう」

 御玲みれいの淡々とした言葉に、自分もハイゼンベルクも押し黙る。

 確かに御玲みれいの言う通り、推測するにも情報がない。後回しにした理由は絶対にあるのは明白だが、真実は双剣使いのみぞ知る、だ。分からないことを分からないまま放っておくのは、こと戦いにおいて危険な行為だが、考えても結論が出ない議題に時間はかけられない。百代ももよが来た以上、長く話せなくもないが、考えても答えが出ない議題をずっと話しているわけにはいかないからだ。

「思っていたのだけれど、あの百代ももよという小娘、危ないのではないのね? 一人で戦っているのでしょ?」 

 話題を切り替えんとばかりに、ハイゼンベルクの心配そうな声音が虚しく精神世界に響く。

 お互い苦笑い浮かべながら一瞬だけ見合う。その声は本気で彼女のことを心配しているのだろう。なんら不思議なことではない。むしろ普通の感覚だ。しかし彼女の力を知る者たちにとって、彼女の抱く心配はただただ杞憂であった。

「な、なんだかあんまり心配してなさそうなのね……」

「ま、まあなぁ……」

「ですねぇ……あの方はスケルトン・アークを単騎で仕留められる方ですし……」

「はは、冗談も休み休み言うのね」

 軽い感じで受け流すハイゼンベルク。だが変わらない自分たちの表情に、彼女の顔色はどんどん青白くなっていく。

「す……スケルトン・アークね……? ヒト族が勝てる生き物じゃないはずなのね!?」

「俺だってそう思ってたさ。でも俺らの目の前で倒してみせたからな……正直疑いようがねぇんだ」

「本当にヒト族で倒せるのね?」

「普通は無理だな。普通は」

「確か本部の請負官数千人単位で討伐隊組んで初めて勝てるかどうかだったはずなのね」

「ああ、そうだ。よく勉強してんじゃねぇか感心するぜお嬢ちゃん」

「ふん! これでも私は精霊なの……って誰がお嬢ちゃんなのね!!」

 精神世界に置いてある円卓をぶっ叩き、椅子を後方に弾き飛ばす勢いで立ち上がったハイゼンベルクは横柄にも無礼にも、短く小さい人差し指で俺の眉間を貫いてくる。

 人類の存亡すら脅かす暴威―――スケルトン・アーク。パワー馬鹿の新人や全力を出していたであろうトト・タートを同時に相手取り、互角以上に渡り合った化け物。人里に降りれば人類が滅ぶというのはあながち嘘ではないと、実物を目の前にして悟った。身体から滲み出る大量の闇の瘴気は、並の魔法防御力では抵抗できず、身体に大きな不調をきたしたほどだ。

 闇に汚染されたあの場所で、戦える者はその時点で人を超えていると言っても差し支えない。

百代ももよが参戦した以上、正直負けはない……が、そもそも奴はどうやって、俺たちが守っていたシェルターの中に入れたんだろうな……」

「それは転移魔法を使ったということで、決着がついているのでは?」

「確かに結論づけはしたし、俺もそれで納得はしてるんだがな……要は転移魔法を使った後、あんなに動けるようなもんなのかなって」

 信じたくはないが、双剣使いが閉ざされたシェルターに入った手段は転移魔法``顕現トランシートル``によるもので間違いない。シェルターの出入り口は自分たちが塞いでいたし、穴を掘って壁を突き破るといった原始的なやり方を使えば音や気配ですぐに分かる。閉鎖された空間内に何の兆候もなく侵入を果たすには、転移魔法を槍玉にしなければ説明がつけられない。

 となると問題は、転移魔法の消費霊力となる。

「転移魔法は本来、今の世じゃあ失われた大魔法……遥か太古の昔に使い手がいたぐらいしか知られてない伝説の魔法だ。正直消費霊力がどの程度か全く判断つかねぇが、空間を飛び越える規格外の魔法を使って、ピンピンしていられるとはとてもじゃねぇが思えない」

 思考の海を泳ぐ傍ら、銛で串刺しにした魚を順次御玲みれいやハイゼンベルクたちに投げていく。

 転移魔法の消費霊力は想像できるものではない。空間を飛び越える魔法なのだ、人智を超えた量が必要なのではないかとしか考えられないのである。

 むーさんに聞けば分かるかもしれないが、残念ながらこの場にいない奴を槍玉に挙げたところで袋小路にぶちあたるだけである。

「誰か知ってるなら良いんだけどなー……」

 と、わざとらしく呟きながらハイゼンベルクに熱い熱い視線を突き刺す。御玲みれいも自分の視線に気づくや否や、ハイゼンベルクへ視線を移した。 

「……な、なんなのね?」

「いや、お前なら知ってそうだなぁ……と」

「凄まじい偏見なのね!?」

「いや、ぶっちゃけ知ってるだろ? 魔法の一つや二つ」

「今度は馬鹿にしすぎなのね!」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべながらハイゼンベルクの頬をつつく。嫌がりながら自分の指を振り解くと、さっきまでの緩んだ雰囲気をかなぐり捨てて、場の雰囲気を引き締め直した。

「そうね……この大陸で用いられている転移魔法``顕現トランシートル``は、遙か太古の昔、``魔人``と呼ばれる偉大な大魔導師様方が編み出した技術の一つなのね」

「魔人か……そういやむーさんが大陸の北方に住んでるとかなんとか言ってたな……」

「知らないのも無理ないのね。彼らは私たち精霊族にとっても神のような存在……お前たちヒト族が及ぶ存在ではないのね」

「なるほどな……で、俺たちが戦ってる奴は、そんな神様が創った大魔法を使えてピンピンしてられる神様の使いみてぇな奴なのか?」

 冗談っぽく問いかけてみたが、それはあくまで皆が絶望に押し潰されないよう、少しでも場を緩ませようとの気遣いにすぎない。

 転移魔法を創造した神の如き大魔導師。そんな人智を超えた存在が創った魔法を使って尚、自分たち以上に戦える。そうなれば双剣使いの脅威度は一気に跳ね上がることとなる。

 ただでさえ技量面で敵わないのに肉体能力でも負けているならば、手に届く次元じゃない。それこそ戦いがまだ成立しそうなのは百代ももよくらいなものだが、流石に神代かみよの世界から存在する身使いに、人の巫女でしかない彼女が敵うものなのだろうか。

 いくら百代ももよでも本当の意味で人智を超えた存在に敵うはずもなし、百代ももよ安全神話は一気に崩れ去ることになるのだが―――。

「おそらく、それはないのね」

 きっぱりとハイゼンベルクは払い退けてくれた。その答えに、場にいる誰もが静かに胸を撫で下ろす。

「私の見立てでは、あの双剣使いはただただ戦闘に特化してるだけの人間なのね。霊力量も支部請負人どもとは比較にならないほど高いけど、それでも転移魔法を使って縦横無尽に戦えるほどのポテンシャルは感じられないのね」

「なるほどなるほど……人外が人に化けてる可能性は?」

「もしそうならお前たちは既に死んでいるのね」

 答えの分かりきった疑問を自分の中で再確認するかのように頷いた。

 仮に双剣使いが人に化けた人外だったとしたら、隠していた力をさっさと解放して百代ももよなりが応援に来る前に全員始末すればいいだけの話で、やろうと思えば証拠を一切残さずといった離れ業も可能だろう。それをしなかったということは、双剣使いにはそれだけのことができないということであり、その戦闘力はあくまで人智を越えるものではないと暫定できる。

「となるとどうやって転移魔法を使ってからすぐ戦うなんて状況を作り出せたか、だよな」

 いずれ澄男すみおたちも来るだろうし、時間経過で双剣使いの脅威度は下がると見て間違いはない。だが自力で転移魔法を使っていないとするならば、如何にして転移魔法を使ったのか。思いつく手段は、たった一つだけだ。

技能球スキルボール……しかないんだが、転移の技能球スキルボールなんて普通どこにもないんよな」

 思いつく手段が一つだけなのだが、やはり問題はある。

 転移魔法の技能球スキルボール。あれば確かに便利なことこの上ない。巷に存在すれば、それこそ公共交通機関に革命を起きている。

 いわば今の時代にとって``神器``に等しい代物。武市もののふし民全員が喉から手を出し合って醜く殺し合ってもおかしくないほどに、その価値は未知数レベルで高い。

「``顕現トランシートル``の技能球スキルボールなんて、作れるヒト族が存在するのね?」

「いるとしたら……流川るせんぐらいだろうな」

「ジークが言っていたのね、確かヒト族最強の戦闘民族……だったのね?」

「俺ら請負人には一生縁のない奴らだな」

 言ってみた手前、脳味噌の片隅に置いてあるゴミ箱に放り投げる。

 流川るせん家。大陸八暴閥ぼうばつ一柱ひとりにして、武市もののふしに存在する全ての暴閥ぼうばつの頂点。武市もののふしの建国者でもあり、二千年にわたって続いた``武力統一大戦時代``の覇者。

 暴閥ぼうばつにとっては畏敬の念を持つ者もいれば嫌悪する者もいる、良心的な意味でも悪心的な意味でも暴閥ぼうばつ界隈では常にトレンド入りしている勢力だが、こと請負人には生涯無縁の存在と言っていい。

 まず関わることがない。流川るせんは武力統一大戦時代を境に人類社会との交流を断絶しており、終戦後三十年間は流川るせんの血縁者を目撃したという者は皆無である。

 それにたかが請負人と暴閥ぼうばつ界の王では、格が違いすぎる。任務請負機関最強と謳われる``三大魔女``様でさえ会うことが叶わないのだ。少なくとも北支部暮らしが板についてしまっているような者たちには、風に噂に聞く程度でその一生を終えることになるだろう。かくいう自分だって、例外じゃない。

「まあ可能性の話だ。先祖代々の秘宝を現代まで隠し持ってる暴閥ぼうばつとかの線もあるだろうし、個人的にはそっから盗んできた線が色濃いと思う」

 自分の考えが虚しく精神世界に響く。

 なくはない話ではある。むしろ流川るせん云々よりまだ現実的な話だ。

 自分だって暴閥ぼうばつ界隈の全てを知っているわけじゃない。転移魔法は失われた魔法ではあるが、技能球スキルボールを家宝として隠し持っている暴閥ぼうばつだって探せば存在するだろう。

 転移魔法は失われた大魔法であり、流川るせん家を除いて使える魔導師は現代文明に存在しない。現代の魔導師が使えないとなれば、転移魔法の技能球スキルボールの価値は計り知れないものだ。少なくとも一個人が正攻法で入手することは不可能に等しい。

 国一つ丸ごと買えるほどの大富豪なんてそうそう存在するものではないし、技能球スキルボール一つのためにそれだけの大金を出す人間はごく僅かだろう。

「そういや新人が、その転移魔法の技能球スキルボールを持ってたんだよなあ……家宝だとかなんだとか言って……」

 御玲みれいに視線を向ける。御玲みれいはそれを感じ取るが、咳払いで視線をいなした。

「確かに私の主人は、その技能球スキルボールを持っておりますね。つまりレクさんは、澄男すみおさまの懐から盗んだのではないかと考えておられるので?」

「確定……とまでは言えねぇが、もしブルーたちがあの双剣使いモドキと一戦交えていたとしたら、可能性は濃厚だぜ? あの血の気の多い奴がやりあってねぇなんてことねぇだろうし」

 御玲みれいは無言で賛同の意を示してきた。

 新人は喧嘩っ早く極めて短気な性格だ。喧嘩を売られていながら冷静に対応するなんてことはない。売られた喧嘩は必ず買う。それが奴の信条であり、本能だ。

「だとすると何故澄男すみおさまはここに来られないのでしょう。敵の侵入を許したとなれば、難癖つけて持ち場を離れそうなものですが」

 新人は喧嘩っ早い。奴ほど堪忍袋の弱い男はそうそういないだろうし、明文化された秩序が存在しない武市もののふしといえど、暴閥ぼうばつ界隈に限るならば、理性的に動く人間の方がまだ割合として多いと思う。

 仲間のこととなれば一気に血気盛んになる新人が、乱入して配置もクソもなくさないなんて世界線が果たして。

「あー……だから百代ももよがきたのか」

 胸中に横たわる疑問に答えることなく、一人完結してしまう。御玲みれいが若干身を乗り出していることに気づき、足を組んで得意げに唇を釣り上げた。

百代ももよが来たってことは、奴は新人たちと一戦交えたんだ。そのとき新人の懐から技能球スキルボールをスッた」

「そして正門から瞬間移動してシェルターに入った……というわけですか」

「あの技量だ。できても不思議じゃねぇだろ」

 朧げながら新人たち正門前防衛班の状況が読めてくる。

 双剣使いは全能度五百だかの手駒を引き連れて正門から攻めてきた。本来なら圧倒的な質で正門の守りをブチ抜くつもりが、想定していたよりも正門に配置されていた戦力は高く、正攻法では西支部を落とせないと悟る。代替案として手駒たちを囮にして新人の懐に入り込み、技能球スキルボールを盗んだ。

 おそらくだが転移魔法の技能球スキルボールを盗めたのは、双剣使いにとっては幸運だったのだろう。新人たちの虚を突ければいい程度のものを期待していたら、期待以上の代物が盗めてしまった。百代ももよ、新人、ブルー、むーさん、使い魔たちという超高火力パーティの包囲網から脱するためにも、迷わず使った結果が今の状況だということだ。

 百代ももよが支援に来たのは、おそらく双剣使いを追いかけようとした新人の代わりに、双剣使いを止めると言い張って新人を言いくるめた結果と思えば、何もおかしな話ではない。

 現状、正門前を陣取っているパーティのうち、怒りに燃える新人に真正面から向き合えるのは百代ももよだけ。新人も口に出しはしないが、百代ももよとの実力差は本能で理解している。ますます納得のいく展開に思えてきた。

「とにかく俺たちじゃ、あの双剣使いは止められねぇ。ここは百代ももよに任せて……ん?」

 サポートに徹する。その結論に至ろうとした最中、再び思考の海にダイブする。そしてすぐに岸へと上がり、戦慄した視線を御玲みれいに投げかけた。

「そういや、転移魔法の技能球スキルボールを持ってるのってアイツだけなのか?」

「……いえ、私も持ってま……」

 すが、と言おうとしたであろうその口は、凍りつく精神世界の空気とともに閉ざされる。

 転移魔法の技能球スキルボールを持っているのは新人と御玲みれいの二人だけ。つまり技能球スキルボールは二個常備していることになる。今更ながら家宝を二つ平気な顔をして持ち歩いているのは不自然極まりない話だが、思い返してみれば御玲みれいは双剣使いとバリバリ肉弾戦を敢行してしまっている。

 御玲みれいも同じ考えに至っているとすれば、奴の懐には―――。

 御玲みれいが急いで懐をまさぐる。女らしさを捨てた舌打ちをかまし、自分らへ向かって顔を上げた。

「どうするのね。お前らじゃ、小娘二人の戦いに割り込めないのね」

 第一声で沈黙を食い破ったのはハイゼンベルクだ。

 現実世界に全員が戻ってきた今でも、二人は攻防を続けていた。下手をすれば請負官すら遥かに凌ぐ技量を持っている実力者だろうと関係なく、戦いに並行して結界の維持も百代ももよがやっていると考えると、実力差は判然としている。

 ただし百代ももよは知らないのだ。相手が御玲みれい技能球スキルボールを隠し持っていることを。

「とりあえず公式回線が繋がるか試してみるか……」

 冷静を装うが、額に滲む汗は隠しようがない。

 この場において最も請負人として経験を積んでいるのは自分だ。正気を失っては此方側の指揮系統は潰れてしまう。

 苦労を背負い込んでしまう体質が恨めしく思ってしまったが、今は双剣使いを逃がさないのが先決だ。

 目を瞑る。自分の意識がどこに行ったのかは、言うまでもない。
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