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抗争東支部編
兄の見舞い
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時間は昨日の夕刻頃に遡る。
南支部から転移で本家邸に帰ってきた俺は、服も武器もリビングの大広間にかなぐり捨てて、ため息をつきながら畳敷の床に盛大に寝そべる。
今日は散々だった。俺の主張は通らなかったし、御玲は守れなかったし、花筏百代に出会えたのに五分の盃断られるし、本当に散々だった。
結局後の処理を御玲に押しつける形になっちまったし、今日の事はさっさと忘れて寝るとしよう。
「パァオング。お疲れのようだな」
どこからかコクのあるオッサンの声が鼓膜を揺らす。首だけを向けて、眠そうな視線でソイツに答えた。
ご立派な金冠を頭に載せ、てくてくと歩いてくる象のぬいぐるみ。澄男連合軍の中でも屈指の魔導師―――自称・我欲の神パオングが、畳敷きのリビングで盛大に横たわる俺の顔を覗き込む。
「久三男殿の治療は終えた。気絶したようだが、大事ない」
「あ……そうか……そうだったな……」
とりあえず象のぬいぐるみの顔面ドアップがキツイのでどかしつつ、ここに帰ってくる前、花筏百代の野郎がやらかしたことを思い出す。
奴はどういうカラクリかは分からんが、久三男が俺たちの周辺を監視していることに勘づき、成敗という名の反撃を繰り出した。
俺や御玲は何をしたのか皆目見当もつかなかったのだが、そういえば百代本人が気絶させた程度に留めたとかそんなことを言っていた気がする。あまりにも非現実がすぎるのでハッタリかとも思ったが、やっぱ本当だったらしい。
「んじゃ見舞いに行くわ……」
正直今すぐにでも不貞寝ブチかましたい気分だが、弟の安否をさしおいて眠りにつくなど兄としての矜持が許さない。精神的ダメージのせいか身体が凄く怠いが、そこは鞭で身体を叩き起こす。
パオングに連れられて、大広間の隅にあるエレベータを使って地下一階に降りる。
この前掃除した影響か、地下一階はクソ綺麗になっていた。そもそも俺は滅多なことでは地下に降りなかったため、実を言うと地下に降りたのは澄連の部屋を拵えるために御玲とともに掃除をしたのが初めてって言ってもいいくらいだが、我ながら自分と御玲が綺麗にしただけに、埃一つ、壁にも汚れ一つなくその白さを保っている。
久三男の部屋は地下一階の一番奥。俺が部屋の中に入るのは、確か二ヶ月ぶりくらいになるだろうか。
「うぇーい、邪魔するぜ」
鋼鉄の自動扉が開かれると同時、パオングとともに横柄に部屋へ入る。
部屋には相変わらず漫画やゲーム機、ラノベから目がおかしくなりそうな物量のクリアポスターまで、いわゆるオタクグッズと呼ばれる物たちが散乱していたが、その隙間を縫うようにあくのだいまおうが呑気に読書をしており、パオングもすばやく空いたスペースにちょこんと座った。
「どんな感じだ」
邪魔な本やグッズを押しのけて、ベッドに横たわっていた久三男に声をかけた。
「痛かった……」
「だろうな」
「寝ないの?」
「お前から事情を聞いたら寝るさ」
「そっか、じゃあ手短に話すね」
ゆっくりと身を起こして何が起こったかを手短に、と言いつつ結構詳しく話してくれた。
久三男はいつも通り俺たちを中心とする周辺の監視をしていたのだが、百代に監視していたことがバレたことには、すぐに悟ることはできなかった。これに関しては本人もかなり不満を隠しきれない様子だ。
まあ気持ちはわからなくもない。人工霊子衛星で監視していただけで、普通それで監視しているのがバレるなんていくら久三男が頭のおかしい天才だからといって予想つけられるはずもない。というかフツーにホラーだ。
そして、どうやって久三男に攻撃できたかだが―――あんまりにあんまりにも現実離れがすぎて、一度聞いただけでは理解できなかったので何度も聞き返したが、俺の理解力を軽く凌ぐ離れ業だったため、完全に表現することはできそうにない。
一段落分の文章に要約すると、適当な人工霊子衛星から霊子通信回線をハッキングして流川第二航宙基地とかいう超高高度を公転している軍事基地を逆探知。そこから大元の霊子通信回線を瞬時に探り当てて霊子コンピュータに侵入し、ラボターミナルの空間座標を割り出したのだ。
当時久三男は霊子通信回線には顔を出していなかったものの、霊子コンピュータと意識は繋いでいたため、突然無地の精神世界に巫女装束を着た少女が現れたのは心底驚いたらしい。
とりあえず理性で感情を打ちのめして冷静を装うも、反論や疑問を投げかける余地もないまま「女子を覗き見とは何事ぞ、成敗!」と一方的に吐き捨てられ、直後全身に落雷でも落ちたような凄まじい感覚に襲われるや否や、意識を失ってしまった。
目覚めるとパオングとあくのだいまおうに囲まれ、自分の部屋のベッドに横たわっており、丁度そのときに俺が転移の技能球で帰ってきたというわけだ。
「なんつーか……頭空っぽにして聞いてる分にはそうなのかって感じだけど、冷静になって考えると色々疑問点が尽きない話だな……現実離れがすぎるっつーか」
床に落ちた漫画をテキトーに手に取り、それを読みながら問いかける。
ラボターミナルってのは、簡単に言うと流川本家が持っている大規模研究施設のこと。
本来は流川の軍事技術の中枢なのだが、いかんせん設備をマトモに扱えるのは久三男しかいないため、現在は久三男の根城となっており、ほぼ私的利用施設と化していた。
本当は俺か弥平がきちんと管理しないといけないのだろうが、コイツの研究開発はどんなものでも流川の役に立っているので、こうして私物化が許されているのである。
さて、久三男がただ一人管理している流川家直属軍事研究施設ラボターミナルだが、行くにはまず久三男の部屋に入る必要がある。
俺やあくのだいまおう、パオングの背後にある、壁に埋め込まれた人一人入れるくらいのカプセル状の機械。その機械こそがラボターミナルへ繋がっている唯一のワープポータルであり、そのポータル以外からはラボターミナルへ行くことはできない。
そのせいもあって、実のところ俺ですらラボターミナルがどんな風景の施設なのかは知らない。もう家長として本格的に動いているし、そろそろどんな所なのか拝見ぐらいはしておくべきだろうが、今はそのときじゃない。
「そういう離れ業をやってのけたっていう事実は分かってるんだ。でもその離れ業の原理というかなんというか、色々ツッコミどころ満載なんだよ。単純に空間座標を突き止めただけじゃ、攻撃は当たらないはずなのに……」
久三男がまた専門用語を駆使してベラベラと話してくれたが、途中から気づいて俺にも分かるように説明し直してくれた。
ラボターミナルの空間座標を割り出す。ただそれだけでも人の成せる業じゃないのはさっき言った通りだが、ラボターミナルにはもう一つ人智を超えた戦略級対策が施されている。
それはラボターミナルという施設が、現実世界の空間に存在しないということだ。
座標は同じらしいのだが位相とかいうのがズレた空間に存在しているため、さっき言った離れ業で現実世界におけるラボターミナルの空間座標にピンポイントで攻撃できたとしても、物理攻撃だろうが魔法攻撃だろうが、本来ならばラボターミナルにはなんら影響は与えられない。
いわば``空間座標だけ同一の別世界``に存在しているのだから、当たり前っちゃ当たり前の話である。
となると本気でラボターミナルに攻撃をしかけるには、ラボターミナルが存在する空間の位相を検索し、その上で座標を入力して攻撃するとかいう離れ業の中の離れ業をやってのけないと絶対無理ってわけだ。
「うーん……正直『成敗!』の一言しか言ってなかったし、俺から見ても何してのけたのかさっぱり分からないんだよな……」
「そもそもどうやって僕の監視に気づけたんだって話なんだよ……人工霊子衛星で覗いてたのは確かだけど、肉眼じゃ分からないくらいの高高度にあるんだよ? さっき言った離れ業もそうだけど、なにもかもが人間技じゃないんだけど……」
疑問に疑問を重ねられ、久三男とともに俺も頭をこねくり回す羽目になる。
正直久三男に分からんことが俺に分かるはずもないのだが、確かにそもそもの話をするなら、肉眼で見られないくらい高い空の上にある物を、どうやって悟れたのだって話である。
気配に敏いとか、直感が優れているとか、そんな次元の話じゃない。事前に探知系の魔法を使っていたとしても、そんな高い空の上にあるものを探知できるのか。魔法の知識に疎い俺には皆目見当もつけられなかった。
「絶対ありえない……と思いたいけど……人工霊子衛星とラボターミナルは航宙基地を経由して霊子通信回線で繋がってる。超高高度にある霊子通信回線を観測・干渉できて、なおかつ僕の暗号化防壁を突破できるなら……まあ……全ての離れ業が実行可能なわけだけど……」
人間技じゃあないんだよなぁ、それをするには例えば―――などとごちゃごちゃ言い始めた矢先、俺は任務のときの会話をふと思い出して、その話を投げかけてみる。
いつもは何一つ頼りにならない俺の記憶力が最近仕事してくれているのはありがたい限りだが、思い出した会話ってのは、スカルサモナーを倒すってなったとき、骸骨の軍勢が乱入してきて方針転換を余儀なくされた頃の事だ。
「ああ、そういえばしてたね会話。会話というか作戦会議だけど、それがどうかしたの」
「お前あの後ログアウトしたから知らんと思うけど、南支部の最強格いたろ? アイツ、お前が作った霊子通信回線が見えたとかなんとか言い始めて、あの後ちとトラブったんだわ」
「え!? 何それ」
「言った通りだよ、霊子通信回線が見えたらしい。会話の内容までは分かんなかったとかなんとか言ってたけど」
それを聞いて、久三男の額に汗が滲み始めた。そしてそのまま何も言わず思考の海に身を投じる。
気持ちはものすごく分かる。霊子通信回線が見える。肉眼でそんなものを見たことがない俺や久三男にとって、とてもじゃないが信じがたい話だからだ。
ぶっちゃけ俺でさえ冗談で場を和ませているんだろうと本気で思ったくらいだったし、信じろという方が酷なのは重々承知の上である。
でも残念ながら、奴はマジで言っていた。嘘をついていたわけじゃなかったのだ。
「パァオング。我から一つよろしいかな?」
さっきまで黙って話を聞いていたパオングが、短い腕で挙手をする。俺と久三男は構わんぞと無言で意志表示すると、パオングは横柄に頭に乗っかっている金冠を輝かせた。
「例えばだが……その者、霊力に属性を付与したり、自在に霊力を別の属性に変化させたりするようなことをできたりせんか?」
「あ。ああ、ああ! そうだよ、そんなことしてたぜ!」
その問いに、パオングに飛びかかる勢いで顔を近づける。側から見れば象のぬいぐるみに飛びつくガキに見えるかもしれないが、そんなことは関係ない。今の俺に、そんな些細なことはどうでもよかった。
「な、なんで分かったんだ……?」
「否。ただの憶測である。霊力を可視化しているとするならば、おそらく……とな」
「そういや猫耳パーカーの奴、属性変換だとか言ってたな……それができると霊子通信回線が見れるのか?」
「厳密には霊子通信回線が見えるのではなく、霊力の筋―――``霊脈``を視ることができる」
その言葉を皮切りに、パオングの魔法講義が幕を開けた。久三男と違い、馬鹿な俺でも分かりやすい解説をしてくれて、理解するのが容易かった。
一般に、人類世界に広まっているのは``魔法``と、体内霊力量が少ない奴向けに人類の魔導師が創った``魔術``の二体系だが、人類のみんなが知らない三種類目の体系が存在する。それが``霊力操作``である。
``霊力操作``は文字通り、霊力というエネルギーを魔法陣なしで操作する体術で、制御や習得に必要な魔法陣を使わない点で習得難易度は``魔法``をも凌ぐ、``魔導``の概念の中で最難関の技術らしい。
猫耳パーカーが使っていた謎の技は、奴の言っていた通り``属性変換``という技で、``霊力操作``の基礎体術に相当する技術だそうだ。
「だが属性変換以前に、魔法陣なくして``霊力を操作する``には、霊脈を視ることができる必要がある」
だからこそ、属性変換を意のままに扱えていた猫耳パーカーは、霊脈とかいう霊力の筋が見えたのだろうと結論づけられた。
霊子通信回線も言ってしまえば霊力の筋だ。だからスカルサモナーを倒すってなったときに、猫耳パーカーは俺につっかかってきたのだ。
「そんで、猫耳パーカーの姉が花筏百代こと``終夜``だった。つーこたぁ、``終夜``も霊脈とかいうのが見えるってことか」
俺以外の全員が頷く。
さっき久三男は人工霊子衛星と俺ン家が、航宙基地とかいう空の上にある基地を経由して霊子通信回線で繋がっていると言っていた。大概の人間には見えないから監視されていることには気づけないが、``終夜``は霊力の筋を見ることができる。
クソ現実離れしている話だが、人工霊子衛星と航宙基地を繋げている霊子通信回線を肉眼で見たからこそ、人工霊子衛星の位置や目的を瞬時に把握できたのだ。
「そういえば、俺と御玲の霊子通信に割り込んできやがったし、その推測で間違いはないな」
「え。待って? 兄さんそれマジ?」
「マジ。秘匿回線にひょっこり顔出してきやがってよ、俺も御玲もビックリしたのなんの……」
「嘘だ! 僕が組んだ暗号化回線なのに!」
「嘘もへったくれもあるか。事実、割り込まれたんだよ。それだけの能があるってこったろ」
顔を青ざめて頭を抱え、布団に突っ伏してしまう。
霊子通信回線を作った張本人としては、プライドズタズタだろう。正直、久三男が抱える絶望は想像したくもない。俺なら耐えられないかもしれん。
「あー……待って、ほんと待って? じゃあ花筏百代は霊子通信回線を肉眼で見れて、干渉も可能、暗号化も意味がないって、こと……?」
「お、おう? そうだよ?」
「じゃあ今まで僕が提唱した離れ業も全部可能……」
「お、お、おう?」
「……ってことはだよ、僕のシステムが一瞬とはいえ花筏百代に乗っ取られてたってこと!? やばい! データとか色々吹き飛んでるかもしれない上に、僕たちの居場所もバレてるじゃん!」
「お……ん? どゆこと?」
「あまりにも非現実的すぎて失念してたけど、ラボターミナルを攻撃するだけの能力を持っているなら、この家の座標もきっと知ってるよ! こんな山奥に家建てられるのなんて流川家ぐらいしかいないのは馬鹿でも分かることだし……兄さん……もしかしなくても素性、バレたんじゃない?」
「……はっはあ……さっすが久三男。お前って奴ぁ、マジで頭回るよなぁ……俺が認める中で最高の天才だぜ。ホント……マジどうしよう!!」
久三男に縋るように、布団に顔を埋める。
実際、``終夜``には気取られてもいないのに素性がバレてしまっている。あのときは意味不明すぎて思考停止しちまったが、いま久三男たちとともに原因を考えれば納得だが、正直友達でもなんでもない奴に、住所知られているのはものすごく気持ち悪い。
カチコミかけられる理由はないにせよ、相手側からすればいつでもカチコミかけられるわけだし、本家の家長として、もしものための備えはしておくべきだろうか。
「兄さん……もし``終夜``と戦うことになったとして……勝算はある?」
久三男が恐る恐る、そんなことを聞いてくる。
別に花筏百代と事を構えるってわけじゃあない。最終的には友誼を結ぶつもりの相手だし、敵対なんてもってのほかな相手だが、俺たちは戦闘民族だ。最悪の状態ってのは常に念頭に置いておく必要がある。
戦闘民族にとって最悪の状態―――それはやはり、敵対からの戦争だ。
敵は殺す。その方針を変える気は一切ないし、相手が誰だろうと仲間に危害を加えうる存在なら早めにその芽を摘んでおくことに越したことはない。
だが今日の俺は足が重い。まるで足枷でも嵌められているかのように、敵意が湧いてこない自分がいた。理由ははっきりしている。
「アレは……次元が違う」
脚だけじゃない。言葉を奏でる唇も重く、思ったように言葉を紡げなかった。
「俺の母さんや弥平の親父、そんであの裏鏡水月と同じ……別格の存在だ。仮に流川家全軍を率いたとしても……敗戦は確実だな」
それが花筏百代という人物の霊圧を間近で受けた俺の、正直な感想だった。
あのときはまだ虫の居所が悪くて売り言葉に買い言葉で挑発してしまったが、冷静になった今だからこそ分かる。喧嘩ふっかけたとしても勝てる相手じゃないと。
直接タイマン張ったわけじゃないが、霊圧を浴びせられたとき、直感が、本能が悟ったのだ。``勝てない``、あのまま矛を収めず殴りかかっていたなら、確実に``負けていた``と。
竜人化したら勝てるとか、力を合わせたらなんとかなるとか、そんな次元の強さじゃない。おそらく``終夜``―――花筏百代は裏鏡水月などと同じ、別次元の強さを持つ``圧倒的強者``なのだ。
戦えば何故敗北したのかも分からないまま、勝負が決してしまうだろう。戦争にすらなりはしない。親父への復讐の後に無理やり行われた、裏鏡水月との再戦のときのように―――。
「ふむ、思うのですがね」
陰鬱な空気が流れる中、さっきまで能天気に読書を堪能し、一人呑気に紅茶を静かに啜っていたあくのだいまおうが挙手をしながら俺たちを見つめてきた。俺らは訝し気に奴を見つめ返す。
「澄男さんから敵対行動をとっていないのならば、特に何もしなくてもよろしいのでは」
こちとら真剣に悩んでるときになにアホぬかしてんだ潰すぞと言おうとしたが、相手があくのだいまおうだったことを思い直し、喉から出かかった台詞を唾ごと飲み込む。
確かに、俺からは特に敵対行動はとっていない。喧嘩売られたと思っていつも通り買い言葉で挑発こそしたが、はっきり言って相手にされなかった。むしろ久三男に攻撃したから向こうが敵対行動をとっているとも捉えられるのだが、だからといって俺としては``終夜``を咎める気にはなれなかった。
「……久三男、お前は……」
「皆まで言わなくてもいいよ兄さん。僕は気にしてない」
言い淀みながら久三男に問いかけた。それの意味するところは、如何なる理由にせよウチの弟を気絶させたオトシマエをつけさせるかどうか、である。
母さんは言っていた。勝てば官軍、負ければ賊軍なのだと。
意地を張るのもいい、意固地になるのも構わない。だが喧嘩ふっかけたんなら、必ず勝て―――それが小さい頃、母さんから耳にタコができるほど言われて続けてきた言葉だった。
この場合、オトシマエをつけさせるために百代に喧嘩をふっかけても、家長の俺が負ければ逆に喧嘩をふっかけたオトシマエを俺がつけなきゃならなくなる。
それじゃあ意味がない。結局泣き寝入りになるのがオチなら、ここで下すべき決断は``終夜``には敵対しないということだ。
そもそも友誼を結ぶ予定の相手に敵対とかもってのほかなんだが、もし久三男が今回の事で悲しい思いをしたというなら、たとえ負けるとしても俺は立たなきゃならない。仲間は死んでも守り切る。これは俺の、木萩澪華を亡くし親父に復讐を果たした絶対的なルールだから。
「……良いのか?」
「まあバレてた以上、僕が攻撃されるのは仕方ないよ。今回は僕が一本取られた。次は気取られないさ」
「へぇ、珍しく男気あるじゃねぇか。相手は別格だぜ? 立ち回れんのか?」
「愚問だね。できるかできないかじゃない、やるかやらないか。でしょ?」
「上等!」
意外にも久三男が男を見せた。正直家長として、弟に男を見せさせてしまったのは恥ずかしい限りだが、同時に兄として嬉しくもあった。
幼少の頃から女々しさを絵に描いたような奴だったが、親父への復讐以降、久三男の男らしさが増した気がする。思えば、今までの異変でコイツから能動的に動くことが多かったし、二週間くらい前にあったアンドロイド戦なんか、自分から進言して戦いの流れを変えてみせたくらいだ。ちょっと前の久三男からは想像できない成長である。
昔は俺の背をてくてくついてくるか、裏でコソコソ研究するかしかできなかった奴が成長していく姿を見ると、兄として誇らしい反面、もう背をついてくるばかりじゃないんだなと思うと、ちょっと寂しさを感じなくもないのだった。
「とりあえず、 ``終夜``とは出会えたし、ツラも拝めたんだ。俺の方もなんとかノリで乗り切ってみせるか」
弟が男を見せている以上、兄貴が弱腰じゃあ示しがつかない。ここは兄として、流川本家の家長として、なんとか五分の盃まで持ち込んでやる。できないなんてことはない、今までなんだかんだやれてきたんだ。きっとなんとかなる。
「よし。なんかちょっとスッキリしたわ。不貞寝ブチかますところだったが、これなら気持ち良く寝れそうだ」
「良かったね兄さん。僕は今から徹夜だけど」
「おいおい無理すんなよ、ただでさえ弱っちいのに」
「心配してくれてるところ悪いけど、ラボターミナルを早く復旧させないと……多分、結構やられてると思うし」
色々言いたくはなったが、不甲斐ないことにラボターミナルのことは俺にはどうにもできない。
本当はもう少し休んで明日からでもってのが本音だが、本人がその気になっている上に直せるのが久三男しかおらん以上は、コイツに任せるほかない。きっと久三男ならどんな故障もなんとかしてくれるだろう。俺は俺のやるべきことに集中するだけだ。
「んじゃ、もう寝るわ。おやすみ」
「おやすー」
「……無理だけはすんなよ?」
「分かってるって」
とりあえず不安が拭えないので最後の一言とばかりに添えておく。
久三男は軽く頷いていたが、やはりコイツの体力には微塵も期待できない。ぶっ倒れない程度に休んで欲しい。
そこはかとない心配を胸に抱きながらも、久三男の部屋を後にする。その後はテキトーにシャワーを浴びて身体を洗い、寝巻きに着替えてさっさと眠りについた。
予想通り、不貞寝ではなく気持ちよく夢の世界に没入できたのは、言うまでもない。
南支部から転移で本家邸に帰ってきた俺は、服も武器もリビングの大広間にかなぐり捨てて、ため息をつきながら畳敷の床に盛大に寝そべる。
今日は散々だった。俺の主張は通らなかったし、御玲は守れなかったし、花筏百代に出会えたのに五分の盃断られるし、本当に散々だった。
結局後の処理を御玲に押しつける形になっちまったし、今日の事はさっさと忘れて寝るとしよう。
「パァオング。お疲れのようだな」
どこからかコクのあるオッサンの声が鼓膜を揺らす。首だけを向けて、眠そうな視線でソイツに答えた。
ご立派な金冠を頭に載せ、てくてくと歩いてくる象のぬいぐるみ。澄男連合軍の中でも屈指の魔導師―――自称・我欲の神パオングが、畳敷きのリビングで盛大に横たわる俺の顔を覗き込む。
「久三男殿の治療は終えた。気絶したようだが、大事ない」
「あ……そうか……そうだったな……」
とりあえず象のぬいぐるみの顔面ドアップがキツイのでどかしつつ、ここに帰ってくる前、花筏百代の野郎がやらかしたことを思い出す。
奴はどういうカラクリかは分からんが、久三男が俺たちの周辺を監視していることに勘づき、成敗という名の反撃を繰り出した。
俺や御玲は何をしたのか皆目見当もつかなかったのだが、そういえば百代本人が気絶させた程度に留めたとかそんなことを言っていた気がする。あまりにも非現実がすぎるのでハッタリかとも思ったが、やっぱ本当だったらしい。
「んじゃ見舞いに行くわ……」
正直今すぐにでも不貞寝ブチかましたい気分だが、弟の安否をさしおいて眠りにつくなど兄としての矜持が許さない。精神的ダメージのせいか身体が凄く怠いが、そこは鞭で身体を叩き起こす。
パオングに連れられて、大広間の隅にあるエレベータを使って地下一階に降りる。
この前掃除した影響か、地下一階はクソ綺麗になっていた。そもそも俺は滅多なことでは地下に降りなかったため、実を言うと地下に降りたのは澄連の部屋を拵えるために御玲とともに掃除をしたのが初めてって言ってもいいくらいだが、我ながら自分と御玲が綺麗にしただけに、埃一つ、壁にも汚れ一つなくその白さを保っている。
久三男の部屋は地下一階の一番奥。俺が部屋の中に入るのは、確か二ヶ月ぶりくらいになるだろうか。
「うぇーい、邪魔するぜ」
鋼鉄の自動扉が開かれると同時、パオングとともに横柄に部屋へ入る。
部屋には相変わらず漫画やゲーム機、ラノベから目がおかしくなりそうな物量のクリアポスターまで、いわゆるオタクグッズと呼ばれる物たちが散乱していたが、その隙間を縫うようにあくのだいまおうが呑気に読書をしており、パオングもすばやく空いたスペースにちょこんと座った。
「どんな感じだ」
邪魔な本やグッズを押しのけて、ベッドに横たわっていた久三男に声をかけた。
「痛かった……」
「だろうな」
「寝ないの?」
「お前から事情を聞いたら寝るさ」
「そっか、じゃあ手短に話すね」
ゆっくりと身を起こして何が起こったかを手短に、と言いつつ結構詳しく話してくれた。
久三男はいつも通り俺たちを中心とする周辺の監視をしていたのだが、百代に監視していたことがバレたことには、すぐに悟ることはできなかった。これに関しては本人もかなり不満を隠しきれない様子だ。
まあ気持ちはわからなくもない。人工霊子衛星で監視していただけで、普通それで監視しているのがバレるなんていくら久三男が頭のおかしい天才だからといって予想つけられるはずもない。というかフツーにホラーだ。
そして、どうやって久三男に攻撃できたかだが―――あんまりにあんまりにも現実離れがすぎて、一度聞いただけでは理解できなかったので何度も聞き返したが、俺の理解力を軽く凌ぐ離れ業だったため、完全に表現することはできそうにない。
一段落分の文章に要約すると、適当な人工霊子衛星から霊子通信回線をハッキングして流川第二航宙基地とかいう超高高度を公転している軍事基地を逆探知。そこから大元の霊子通信回線を瞬時に探り当てて霊子コンピュータに侵入し、ラボターミナルの空間座標を割り出したのだ。
当時久三男は霊子通信回線には顔を出していなかったものの、霊子コンピュータと意識は繋いでいたため、突然無地の精神世界に巫女装束を着た少女が現れたのは心底驚いたらしい。
とりあえず理性で感情を打ちのめして冷静を装うも、反論や疑問を投げかける余地もないまま「女子を覗き見とは何事ぞ、成敗!」と一方的に吐き捨てられ、直後全身に落雷でも落ちたような凄まじい感覚に襲われるや否や、意識を失ってしまった。
目覚めるとパオングとあくのだいまおうに囲まれ、自分の部屋のベッドに横たわっており、丁度そのときに俺が転移の技能球で帰ってきたというわけだ。
「なんつーか……頭空っぽにして聞いてる分にはそうなのかって感じだけど、冷静になって考えると色々疑問点が尽きない話だな……現実離れがすぎるっつーか」
床に落ちた漫画をテキトーに手に取り、それを読みながら問いかける。
ラボターミナルってのは、簡単に言うと流川本家が持っている大規模研究施設のこと。
本来は流川の軍事技術の中枢なのだが、いかんせん設備をマトモに扱えるのは久三男しかいないため、現在は久三男の根城となっており、ほぼ私的利用施設と化していた。
本当は俺か弥平がきちんと管理しないといけないのだろうが、コイツの研究開発はどんなものでも流川の役に立っているので、こうして私物化が許されているのである。
さて、久三男がただ一人管理している流川家直属軍事研究施設ラボターミナルだが、行くにはまず久三男の部屋に入る必要がある。
俺やあくのだいまおう、パオングの背後にある、壁に埋め込まれた人一人入れるくらいのカプセル状の機械。その機械こそがラボターミナルへ繋がっている唯一のワープポータルであり、そのポータル以外からはラボターミナルへ行くことはできない。
そのせいもあって、実のところ俺ですらラボターミナルがどんな風景の施設なのかは知らない。もう家長として本格的に動いているし、そろそろどんな所なのか拝見ぐらいはしておくべきだろうが、今はそのときじゃない。
「そういう離れ業をやってのけたっていう事実は分かってるんだ。でもその離れ業の原理というかなんというか、色々ツッコミどころ満載なんだよ。単純に空間座標を突き止めただけじゃ、攻撃は当たらないはずなのに……」
久三男がまた専門用語を駆使してベラベラと話してくれたが、途中から気づいて俺にも分かるように説明し直してくれた。
ラボターミナルの空間座標を割り出す。ただそれだけでも人の成せる業じゃないのはさっき言った通りだが、ラボターミナルにはもう一つ人智を超えた戦略級対策が施されている。
それはラボターミナルという施設が、現実世界の空間に存在しないということだ。
座標は同じらしいのだが位相とかいうのがズレた空間に存在しているため、さっき言った離れ業で現実世界におけるラボターミナルの空間座標にピンポイントで攻撃できたとしても、物理攻撃だろうが魔法攻撃だろうが、本来ならばラボターミナルにはなんら影響は与えられない。
いわば``空間座標だけ同一の別世界``に存在しているのだから、当たり前っちゃ当たり前の話である。
となると本気でラボターミナルに攻撃をしかけるには、ラボターミナルが存在する空間の位相を検索し、その上で座標を入力して攻撃するとかいう離れ業の中の離れ業をやってのけないと絶対無理ってわけだ。
「うーん……正直『成敗!』の一言しか言ってなかったし、俺から見ても何してのけたのかさっぱり分からないんだよな……」
「そもそもどうやって僕の監視に気づけたんだって話なんだよ……人工霊子衛星で覗いてたのは確かだけど、肉眼じゃ分からないくらいの高高度にあるんだよ? さっき言った離れ業もそうだけど、なにもかもが人間技じゃないんだけど……」
疑問に疑問を重ねられ、久三男とともに俺も頭をこねくり回す羽目になる。
正直久三男に分からんことが俺に分かるはずもないのだが、確かにそもそもの話をするなら、肉眼で見られないくらい高い空の上にある物を、どうやって悟れたのだって話である。
気配に敏いとか、直感が優れているとか、そんな次元の話じゃない。事前に探知系の魔法を使っていたとしても、そんな高い空の上にあるものを探知できるのか。魔法の知識に疎い俺には皆目見当もつけられなかった。
「絶対ありえない……と思いたいけど……人工霊子衛星とラボターミナルは航宙基地を経由して霊子通信回線で繋がってる。超高高度にある霊子通信回線を観測・干渉できて、なおかつ僕の暗号化防壁を突破できるなら……まあ……全ての離れ業が実行可能なわけだけど……」
人間技じゃあないんだよなぁ、それをするには例えば―――などとごちゃごちゃ言い始めた矢先、俺は任務のときの会話をふと思い出して、その話を投げかけてみる。
いつもは何一つ頼りにならない俺の記憶力が最近仕事してくれているのはありがたい限りだが、思い出した会話ってのは、スカルサモナーを倒すってなったとき、骸骨の軍勢が乱入してきて方針転換を余儀なくされた頃の事だ。
「ああ、そういえばしてたね会話。会話というか作戦会議だけど、それがどうかしたの」
「お前あの後ログアウトしたから知らんと思うけど、南支部の最強格いたろ? アイツ、お前が作った霊子通信回線が見えたとかなんとか言い始めて、あの後ちとトラブったんだわ」
「え!? 何それ」
「言った通りだよ、霊子通信回線が見えたらしい。会話の内容までは分かんなかったとかなんとか言ってたけど」
それを聞いて、久三男の額に汗が滲み始めた。そしてそのまま何も言わず思考の海に身を投じる。
気持ちはものすごく分かる。霊子通信回線が見える。肉眼でそんなものを見たことがない俺や久三男にとって、とてもじゃないが信じがたい話だからだ。
ぶっちゃけ俺でさえ冗談で場を和ませているんだろうと本気で思ったくらいだったし、信じろという方が酷なのは重々承知の上である。
でも残念ながら、奴はマジで言っていた。嘘をついていたわけじゃなかったのだ。
「パァオング。我から一つよろしいかな?」
さっきまで黙って話を聞いていたパオングが、短い腕で挙手をする。俺と久三男は構わんぞと無言で意志表示すると、パオングは横柄に頭に乗っかっている金冠を輝かせた。
「例えばだが……その者、霊力に属性を付与したり、自在に霊力を別の属性に変化させたりするようなことをできたりせんか?」
「あ。ああ、ああ! そうだよ、そんなことしてたぜ!」
その問いに、パオングに飛びかかる勢いで顔を近づける。側から見れば象のぬいぐるみに飛びつくガキに見えるかもしれないが、そんなことは関係ない。今の俺に、そんな些細なことはどうでもよかった。
「な、なんで分かったんだ……?」
「否。ただの憶測である。霊力を可視化しているとするならば、おそらく……とな」
「そういや猫耳パーカーの奴、属性変換だとか言ってたな……それができると霊子通信回線が見れるのか?」
「厳密には霊子通信回線が見えるのではなく、霊力の筋―――``霊脈``を視ることができる」
その言葉を皮切りに、パオングの魔法講義が幕を開けた。久三男と違い、馬鹿な俺でも分かりやすい解説をしてくれて、理解するのが容易かった。
一般に、人類世界に広まっているのは``魔法``と、体内霊力量が少ない奴向けに人類の魔導師が創った``魔術``の二体系だが、人類のみんなが知らない三種類目の体系が存在する。それが``霊力操作``である。
``霊力操作``は文字通り、霊力というエネルギーを魔法陣なしで操作する体術で、制御や習得に必要な魔法陣を使わない点で習得難易度は``魔法``をも凌ぐ、``魔導``の概念の中で最難関の技術らしい。
猫耳パーカーが使っていた謎の技は、奴の言っていた通り``属性変換``という技で、``霊力操作``の基礎体術に相当する技術だそうだ。
「だが属性変換以前に、魔法陣なくして``霊力を操作する``には、霊脈を視ることができる必要がある」
だからこそ、属性変換を意のままに扱えていた猫耳パーカーは、霊脈とかいう霊力の筋が見えたのだろうと結論づけられた。
霊子通信回線も言ってしまえば霊力の筋だ。だからスカルサモナーを倒すってなったときに、猫耳パーカーは俺につっかかってきたのだ。
「そんで、猫耳パーカーの姉が花筏百代こと``終夜``だった。つーこたぁ、``終夜``も霊脈とかいうのが見えるってことか」
俺以外の全員が頷く。
さっき久三男は人工霊子衛星と俺ン家が、航宙基地とかいう空の上にある基地を経由して霊子通信回線で繋がっていると言っていた。大概の人間には見えないから監視されていることには気づけないが、``終夜``は霊力の筋を見ることができる。
クソ現実離れしている話だが、人工霊子衛星と航宙基地を繋げている霊子通信回線を肉眼で見たからこそ、人工霊子衛星の位置や目的を瞬時に把握できたのだ。
「そういえば、俺と御玲の霊子通信に割り込んできやがったし、その推測で間違いはないな」
「え。待って? 兄さんそれマジ?」
「マジ。秘匿回線にひょっこり顔出してきやがってよ、俺も御玲もビックリしたのなんの……」
「嘘だ! 僕が組んだ暗号化回線なのに!」
「嘘もへったくれもあるか。事実、割り込まれたんだよ。それだけの能があるってこったろ」
顔を青ざめて頭を抱え、布団に突っ伏してしまう。
霊子通信回線を作った張本人としては、プライドズタズタだろう。正直、久三男が抱える絶望は想像したくもない。俺なら耐えられないかもしれん。
「あー……待って、ほんと待って? じゃあ花筏百代は霊子通信回線を肉眼で見れて、干渉も可能、暗号化も意味がないって、こと……?」
「お、おう? そうだよ?」
「じゃあ今まで僕が提唱した離れ業も全部可能……」
「お、お、おう?」
「……ってことはだよ、僕のシステムが一瞬とはいえ花筏百代に乗っ取られてたってこと!? やばい! データとか色々吹き飛んでるかもしれない上に、僕たちの居場所もバレてるじゃん!」
「お……ん? どゆこと?」
「あまりにも非現実的すぎて失念してたけど、ラボターミナルを攻撃するだけの能力を持っているなら、この家の座標もきっと知ってるよ! こんな山奥に家建てられるのなんて流川家ぐらいしかいないのは馬鹿でも分かることだし……兄さん……もしかしなくても素性、バレたんじゃない?」
「……はっはあ……さっすが久三男。お前って奴ぁ、マジで頭回るよなぁ……俺が認める中で最高の天才だぜ。ホント……マジどうしよう!!」
久三男に縋るように、布団に顔を埋める。
実際、``終夜``には気取られてもいないのに素性がバレてしまっている。あのときは意味不明すぎて思考停止しちまったが、いま久三男たちとともに原因を考えれば納得だが、正直友達でもなんでもない奴に、住所知られているのはものすごく気持ち悪い。
カチコミかけられる理由はないにせよ、相手側からすればいつでもカチコミかけられるわけだし、本家の家長として、もしものための備えはしておくべきだろうか。
「兄さん……もし``終夜``と戦うことになったとして……勝算はある?」
久三男が恐る恐る、そんなことを聞いてくる。
別に花筏百代と事を構えるってわけじゃあない。最終的には友誼を結ぶつもりの相手だし、敵対なんてもってのほかな相手だが、俺たちは戦闘民族だ。最悪の状態ってのは常に念頭に置いておく必要がある。
戦闘民族にとって最悪の状態―――それはやはり、敵対からの戦争だ。
敵は殺す。その方針を変える気は一切ないし、相手が誰だろうと仲間に危害を加えうる存在なら早めにその芽を摘んでおくことに越したことはない。
だが今日の俺は足が重い。まるで足枷でも嵌められているかのように、敵意が湧いてこない自分がいた。理由ははっきりしている。
「アレは……次元が違う」
脚だけじゃない。言葉を奏でる唇も重く、思ったように言葉を紡げなかった。
「俺の母さんや弥平の親父、そんであの裏鏡水月と同じ……別格の存在だ。仮に流川家全軍を率いたとしても……敗戦は確実だな」
それが花筏百代という人物の霊圧を間近で受けた俺の、正直な感想だった。
あのときはまだ虫の居所が悪くて売り言葉に買い言葉で挑発してしまったが、冷静になった今だからこそ分かる。喧嘩ふっかけたとしても勝てる相手じゃないと。
直接タイマン張ったわけじゃないが、霊圧を浴びせられたとき、直感が、本能が悟ったのだ。``勝てない``、あのまま矛を収めず殴りかかっていたなら、確実に``負けていた``と。
竜人化したら勝てるとか、力を合わせたらなんとかなるとか、そんな次元の強さじゃない。おそらく``終夜``―――花筏百代は裏鏡水月などと同じ、別次元の強さを持つ``圧倒的強者``なのだ。
戦えば何故敗北したのかも分からないまま、勝負が決してしまうだろう。戦争にすらなりはしない。親父への復讐の後に無理やり行われた、裏鏡水月との再戦のときのように―――。
「ふむ、思うのですがね」
陰鬱な空気が流れる中、さっきまで能天気に読書を堪能し、一人呑気に紅茶を静かに啜っていたあくのだいまおうが挙手をしながら俺たちを見つめてきた。俺らは訝し気に奴を見つめ返す。
「澄男さんから敵対行動をとっていないのならば、特に何もしなくてもよろしいのでは」
こちとら真剣に悩んでるときになにアホぬかしてんだ潰すぞと言おうとしたが、相手があくのだいまおうだったことを思い直し、喉から出かかった台詞を唾ごと飲み込む。
確かに、俺からは特に敵対行動はとっていない。喧嘩売られたと思っていつも通り買い言葉で挑発こそしたが、はっきり言って相手にされなかった。むしろ久三男に攻撃したから向こうが敵対行動をとっているとも捉えられるのだが、だからといって俺としては``終夜``を咎める気にはなれなかった。
「……久三男、お前は……」
「皆まで言わなくてもいいよ兄さん。僕は気にしてない」
言い淀みながら久三男に問いかけた。それの意味するところは、如何なる理由にせよウチの弟を気絶させたオトシマエをつけさせるかどうか、である。
母さんは言っていた。勝てば官軍、負ければ賊軍なのだと。
意地を張るのもいい、意固地になるのも構わない。だが喧嘩ふっかけたんなら、必ず勝て―――それが小さい頃、母さんから耳にタコができるほど言われて続けてきた言葉だった。
この場合、オトシマエをつけさせるために百代に喧嘩をふっかけても、家長の俺が負ければ逆に喧嘩をふっかけたオトシマエを俺がつけなきゃならなくなる。
それじゃあ意味がない。結局泣き寝入りになるのがオチなら、ここで下すべき決断は``終夜``には敵対しないということだ。
そもそも友誼を結ぶ予定の相手に敵対とかもってのほかなんだが、もし久三男が今回の事で悲しい思いをしたというなら、たとえ負けるとしても俺は立たなきゃならない。仲間は死んでも守り切る。これは俺の、木萩澪華を亡くし親父に復讐を果たした絶対的なルールだから。
「……良いのか?」
「まあバレてた以上、僕が攻撃されるのは仕方ないよ。今回は僕が一本取られた。次は気取られないさ」
「へぇ、珍しく男気あるじゃねぇか。相手は別格だぜ? 立ち回れんのか?」
「愚問だね。できるかできないかじゃない、やるかやらないか。でしょ?」
「上等!」
意外にも久三男が男を見せた。正直家長として、弟に男を見せさせてしまったのは恥ずかしい限りだが、同時に兄として嬉しくもあった。
幼少の頃から女々しさを絵に描いたような奴だったが、親父への復讐以降、久三男の男らしさが増した気がする。思えば、今までの異変でコイツから能動的に動くことが多かったし、二週間くらい前にあったアンドロイド戦なんか、自分から進言して戦いの流れを変えてみせたくらいだ。ちょっと前の久三男からは想像できない成長である。
昔は俺の背をてくてくついてくるか、裏でコソコソ研究するかしかできなかった奴が成長していく姿を見ると、兄として誇らしい反面、もう背をついてくるばかりじゃないんだなと思うと、ちょっと寂しさを感じなくもないのだった。
「とりあえず、 ``終夜``とは出会えたし、ツラも拝めたんだ。俺の方もなんとかノリで乗り切ってみせるか」
弟が男を見せている以上、兄貴が弱腰じゃあ示しがつかない。ここは兄として、流川本家の家長として、なんとか五分の盃まで持ち込んでやる。できないなんてことはない、今までなんだかんだやれてきたんだ。きっとなんとかなる。
「よし。なんかちょっとスッキリしたわ。不貞寝ブチかますところだったが、これなら気持ち良く寝れそうだ」
「良かったね兄さん。僕は今から徹夜だけど」
「おいおい無理すんなよ、ただでさえ弱っちいのに」
「心配してくれてるところ悪いけど、ラボターミナルを早く復旧させないと……多分、結構やられてると思うし」
色々言いたくはなったが、不甲斐ないことにラボターミナルのことは俺にはどうにもできない。
本当はもう少し休んで明日からでもってのが本音だが、本人がその気になっている上に直せるのが久三男しかおらん以上は、コイツに任せるほかない。きっと久三男ならどんな故障もなんとかしてくれるだろう。俺は俺のやるべきことに集中するだけだ。
「んじゃ、もう寝るわ。おやすみ」
「おやすー」
「……無理だけはすんなよ?」
「分かってるって」
とりあえず不安が拭えないので最後の一言とばかりに添えておく。
久三男は軽く頷いていたが、やはりコイツの体力には微塵も期待できない。ぶっ倒れない程度に休んで欲しい。
そこはかとない心配を胸に抱きながらも、久三男の部屋を後にする。その後はテキトーにシャワーを浴びて身体を洗い、寝巻きに着替えてさっさと眠りについた。
予想通り、不貞寝ではなく気持ちよく夢の世界に没入できたのは、言うまでもない。
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