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覚醒自動人形編 下

逆転の予兆

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 久三男くみおが作った霊子通信回線の擬似精神世界から脱した俺たちは、ビルの影から姿を現し、女アンドロイドを捕捉。同時に転移魔法でやってきたパオングも合流する。

「金髪野郎の最期のアレも特に意味なし、か……」

 わかり切ってはいたが、金髪野郎が今際の際に放った、光の粉塵を大量発生させる謎の技は、ただ単に目潰し程度になっただけでダメージを受けている様子はない。

 むしろあの光の粉塵が光属性の魔法か魔術だったとするなら、吸収して強化に回してそうだった。女アンドロイドの戦闘力が更に上がったと見るべきなのだ。

「チッ……こっちはただでさえ戦力不足だってのに、向こうは馬鹿みたいに無条件でバフりやがって……」

 思わず本音が溢れる。何のペナルティもなく、霊力を吸収するだけで戦闘力が増していくとか、どんな悪夢だろうか。ズルとかそんなレベルじゃない。もう請負人とかそんなんそっちのけで、匙を投げて逃げたくなる話である。

「ならば簡単。我らも強化すればいいだけの事。そのための我とあくのだいまおうぞ?」

 そんな寝言みたいなことを平然と言ってのけるパオング。

 パオングじゃなけりゃ、寝言言ってんじゃねぇ殺すぞとミンチにしてやるところだが、パオングが言う以上は冗談とか寝言とかではなく、そういう手段が確実にあるってことだ。

「あくのだいまおうは本当にいるんですか? 気配が感じませんけど」

 御玲みれいの疑念に共感できすぎてつらい。

 あくのだいまおう。頭の良さと知識量はズバ抜けているが、不気味な事に戦闘力はカケラも感じない。霊力も久三男くみおより強い程度で、御玲みれい弥平みつひらと比べるべくもないくらいだ。

 女アンドロイドはおろか、ロボット軍団の前に姿を現そうものなら逆に一瞬で蹂躙されてしまいそうなものなのだが、奴は言っていた。

 超能力を発動させると全てのダメージを無効にできる、と。

 聞いたときは言葉にこそ出さなかったが「アホかコイツは」と流石に思ってしまった。そんなことができれば、戦いなんて馬鹿のやる行いになってしまう。真面目に戦ってる俺らは何なんだって話になる。

 まあそれで仮に死んだとしても奴が間抜けだっただけだと、そう思うことにしているが、正直あくのだいまおう―――彼がポカやらかすところなど、想像できないってのが本音だった。

 彼がそういうなら、それは現実になる。不思議とそれで納得してしまえるのだから、あくのだいまおうは本当に何者なんだろうか。

「いや、今はそんなことはいい……パオング、俺たちになんか強化を……ふぉあ!?」

 強化をしてくれ。そう言おうとした次の瞬間。体の奥底からゾワっとする寒気とともに、凄まじい力が無限に湧いて出てきた。

 霊力とも違うし、火事場の馬鹿力とも違う。まるで何者かから大量の力が、外から一方的に注ぎ込まれているようで、自分の意志に反し体の隅々まで素早く浸透していく。

 その速度は尋常じゃない。体に馴染むを通り越して、主導権を奪いにきている。その場で踏ん張って、体の中で暴走するのを食い止めるのが精一杯だ。

「ふむ、どうやら始まったようだな。強化は必要なかろう」

 パオングはこれが何なのか知っているみたいだが、詳しくは話すつもりはないらしい。というか何なのかを聞く余裕がない。注ぎ込まれる力が強くて、少しでも気を抜けば力に呑み込まれて意識が飛んでしまう。

「ううぅ……おおおおお!! よぉし!!」

 湧き上がる謎の力。制御とか言ってみたが、要は気合だ。俺は気合でそれを無理矢理抑えつける。すると急に素直になった。

「身体がすげえ軽い……! これなら……!」

 御玲みれいもなんとかものにできたらしい。手を開いたり閉じたりして、体の調子を確かめる。

「パァオング!」

 パオングが突然何の脈絡もなく叫ぶ。相手が臨戦態勢に入ったかと思い、俺も御玲みれいも身構えるが、なにやら様子が違う。俺はふとパオングに振り向いた。

「奴の転移を封じた。そしてさらに」

 俺と御玲みれいの身体を包み込むように、一瞬半透明の膜のようなものが現れる。俺は何をしたのか皆目分からなかったが、御玲みれいはハッと顔を上げた。

「これは……``霊壁トゥテラ・ムーレム``……? なるほど、これなら攻撃が弾きやすくなります」

 ``霊壁トゥテラ・ムーレム``、いわゆる霊力で作った結界のことだ。

 さっき一瞬だけ見えた、俺らを包み込んだ半透明の膜みたいなのが、まさしくそれ。ただでさえ身体の奥底から力が染み渡っている中、さらに堅くなったとなると防御力は申し分ない状態になっていると言ってもいいだろう。

「最後だ。これも受け取るがいい」

 俺と御玲みれいの頭上にも一瞬、白い魔法陣が浮かび上がった。流石にもうないだろうと思った矢先の強化である腕、脚、そして腹、胸。意識できうる筋肉部分が今まで以上に力れるようになった感覚が伝わってくる。

 正直、今の俺らってヤバいほど強化されているんじゃないだろうか。ちょっと怖くなってきた。

弥平みつひら殿と久三男くみお殿曰くヴァズの戦闘経験から、奴に最も有効なのは物理攻撃だそうだ。そなたらは近接で攻めよ。我は後方より支援魔法で援護する」

 飛行魔法で意気揚々と空中を浮遊するパオング。俺たちとも距離をとり、敵の攻撃範囲からさっさと外れた。

「んじゃ早速……」

 相手はもう転移が使えない。純粋に速さのみで俺たちと立ち回らなければならず、不意打ちで俺たちを仕留めるのはほぼ不可能になったと言っていい。そして重要な敏捷能力だが、あくのだいまおうによって強化された今―――。

「うおりゃ!!」

 飛行速度も段違い。ちょっと制御しづらいが、目に見えて速い。自分でも驚くくらいの速さで近づき、女アンドロイドの顔面をぶん殴る。手応えも強化前と比較にならない。ダメージを与えられている、バッチリな手応えだ。

 女アンドロイドの顔面の皮膚が砕け散る。その砕けた皮膚からは、驚愕と困惑の感情が剥き出しになった金属製の表情筋から窺えた。

「よし、いける……! 御玲みれい、畳みかけるぞ!!」

 その一声で、怒涛の応酬が始まる。反撃の余地を与えない連撃を俺が与え、その隙を縫うように、御玲みれい槍術そうじゅつが炸裂する。

 御玲みれいが扱う氷属性の技が、女アンドロイドの関節の可動域を狭め、動きが更に鈍くなるところを俺は見逃さない。こっちに隙ができたら御玲みれいが埋めて、向こうに隙を作る。そして俺がその隙に力の限りコテンパンにする。

 女アンドロイドも反撃を繰り出してはいる。むしろ転移を封じられ、一方的に叩きのめされている状態でも顔色一つ変えず、冷静に俺と御玲みれいの連携を食い破るように魔法、物理の一撃を飛ばしてくるが、俺や御玲みれいはそのことごとくを真正面から受け止めた。

 あくのだいまおうから流れる謎の力と、パオングがかけてくれた霊力のバリアによって、俺らのダメージは無視できるレベルにまで軽減されていたのだ。気にする必要のないくらい、俺たちは痛みを感じていなかった。さらには。

「ぐふっ……!?」

 突然、女アンドロイドが自分で自分の顔面を殴った。俺は一瞬困惑するが、その表情を読んだのか、もう片方の手で俺の顔面を殴ろうと迫る。が。

「外れた……?」

 確実にぶん殴られる、そう確信せざる得ない距離だったってのに、女アンドロイドの拳は空を殴った。わけわかんねぇことこの上ないが、俺はすぐにハッとなる。ついに、アイツがやり遂げたのだ。

『兄さん! やっと間に合ったよ!』

 元気はつらつな我が愚弟。どうやらアイツの妨害が成功したのだ。

『相手のターゲッティングをズラすことに成功したよ。多分、命中率が四割以下に低下してると思う』

『尚更畳みかけやすくなる。十分だ』

『良かった……そ、それでね、兄さん……お願いが……あるんだけどさ』

『あん? 何だ?』

 元気はつらつだったと思いきや、唐突にもじもじし始める。

 久三男くみおが俺に何かしらねだってくるなんぞ滅多にないし、今回も俺たちにはできないことをしているので、大概のことは叶えてやろうと思っている。俺も兄だ。いつも邪険に扱っているが、偶にはきちんと褒美を与えてやりたいと思う思いやりくらいはある。

 だが霊子通信から流れてくる奴の感情は、何故か不安と恐怖に塗れていた。

『その……女アンドロイドのことなんだけどさ……倒すんじゃなくて、捕獲……してほしいなって』

『……は?』

 絶賛戦闘中だってのに、その空気を緩ませるクソ間抜けな声が出ちまった。唐突に破壊じゃなくて捕獲とか言われても、そりゃ難しいにも程がある話だからだ。

 基本、捕まえるのは倒すより難しい。相手が死なないように立ち回って無力化する必要があるから、倒すよりも手間がかかるのだ。倒すだけならその後の事を考える必要がなく、ただ殺す事を念頭において戦えばいいだけだから、幾分か楽なのである。

 今回の相手は明らかに格上だ。あくのだいまおうやパオングからのバフがなければ対等に渡り合うことすら覚束ない強敵。言ってしまえば倒すことすら困難な相手なのだ。

 そんなバケモンを捕獲するとなると戦いのハードルが一気に跳ね上がってしまう。バフが効いている今こそ、一気に畳みかけてぶっ壊しちまうチャンスだってのに。

『お前……ふざけてんのか?』

『ふ、ふざけてないよ! でもやっぱり……壊しちゃうのは惜しいかなーって……だ! だって……彼女の事情が分かんないし』

『相手はアンドロイドだぞ? 事情もクソもあるかよ。向こうは殺る気しかねぇバケモンだってのに、こっちが捕獲とか完全に舐めプじゃねぇか』

『そうだけど……僕、やっぱり彼女の中枢に潜ることにしたんだ。それでもし分かり合えるなら、味方にしたい。マイマスターって呼ばれたいからってわけじゃないけど……なんか……敵じゃない気がするんだ』

 唐突に、霊子通信から不安と恐怖が消えた。伝わってくるのは、ある種の決意の表れ。漢が一世一代の決意を秘めたときに感じる強い意志。

 その意志には既視感があった。かつて親父に復讐するために動き、親父との戦いの果てに、手前の仲間を死んでも守り切る。その決意を決めたあのときの俺のような―――。

『……なるほど、そういうことかよ』

 不敵な笑みを浮かべ俺たちに決して真意を明かさない、常闇の紳士が脳裏をよぎる。

 俺のことを最も知っている人物から届く霊子通信。俺はそこで決断を迫られる。まさしく預言通りの現実が、いま目の前に展開されてやがる。

 そうなると俺らが戦っている女アンドロイドは、久三男くみおの人生を左右する存在。ここで俺が久三男くみおの願いを振り切って破壊するか、久三男くみおの願いを汲み取るかで、愚弟の人生が変わってしまうということだ。

 そんなこと言われても、家から出ることはない奴の人生の事なんぞ今後どうなるか想像もできないのだが、全てを悟った今、男として、そして兄として、選ぶべき選択肢は一つしか残されていなかった。

『……わーったよ』

『兄さん?』

『この俺にそこまで言ったんだ。なら最後までやり切れよ? できなかったらブチ殺す』

『い、いいの兄さん!?』

『男の決意を無碍にするなんざ、それこそ男のやる事じゃねぇ。それが弟の決意ってんなら尚更だ。俺はテメェの兄なんだからよ。カッコつけさせろや』

 霊子通信が創り出す精神世界で、俺と久三男くみおが交わる。俺は頭を掻きむしりながら前を向き、久三男くみおは思わず笑みをこぼす。

『戦いの最中に言う台詞じゃないね』

『黙れ、お前の願いよかマシだわ』

 そうだね、久三男くみおが笑いながら霊子通信を切った。そしてすぐに、御玲みれいとパオングへ霊子通信を解放する。

『作戦変更。コイツを捕獲する』

『……正気ですか』

 精神世界内に現れた御玲みれいはストレートに不満げだ。でもこれは分かり切っていた。やるべきは見えている。ここで退くような俺じゃない。

『討伐できるかどうかもわからない相手ですよ?』

『愚弟の願いだからな。無碍にするわけにゃあいかねぇ。それにアイツがいたからこそ、コイツの相手が務まってるってもんだろ?』

『確かにそうですけど……』

 御玲みれいは眉間にしわを寄せ、どうしたものかと顎に手を当てるが、俺の考えは変わらない。

 弥平みつひらやミキティウス、そしてヴァズ、俺たちが戦った経験をもとに女アンドロイドの力を暴いたのは他ならぬ久三男くみおだった。

 奴がいなければ、女アンドロイドが生体融合とかいう技で自分を強化改修していることなんぞ、全く気づきもしなかっただろう。

 弥平みつひらの片腕を吸収しただけで、ヴァズとミキティウスを相手取れるほど強くなったのだ。もしも俺や、あの百足野郎、金髪野郎が素材に使われていたと思うとその強化幅は想像を絶する。考えるだけで背筋が凍る勢いだ。

 それを未然に悟れたのも、久三男くみおの偉業と言えるだろう。そう思えば、アイツの我儘も聞く価値はあると思えるのだ。

『まあ、いいでしょう。かつて復讐する相手に短パンとTシャツで挑んで危うく死にかけた主人に就いているんです。今更でしたね』

『あ、あんときは悪かったよ……俺、装備とか剣一本で十分だし、そも厚着嫌いだからさ……』

 御玲みれいから迷いが消えた。フッと何かを悟ったような含みのある笑いが腹立つが、過去のソレを持ち出されると大きく出られない自分が悔しい。

『厚着が嫌で、剣一本と短パンとTシャツのみ一世一代の戦いに挑むなど、死地に投身するようなものですが……過ぎたことです。さあ、気合を入れていきましょう!』

 御玲みれいの一声で、ちょっと緩んでいた気持ちがぐっと引き締まる。

 転移を封じられたことに加え、久三男くみおによって命中率四割以下にまで抑えられた女アンドロイドは、もはや格好の的と化していた。

 その目からは依然として殺意がギラついているが、尋常じゃないバフの恩恵を受けた俺たちの勢いは止まるところを知らない。俺達よりも高い位置にいたはずの女アンドロイドは、徐々に徐々に俺たちの元いた高さまで引きずり降ろされていく。


 まさか、願いが通るとは思ってもいなかった。

 ダメで元々。そんな意気込みで兄さんに頼んでみたが、本当に願いを聞き入れてくれるなんて、本当に僕と話しているのは僕が知っている兄さんなのか、と一瞬考えてしまったくらいだ。

 あくのだいまおうとパオングが兄さんたちに凄まじいバフを付与したことにより、流石の彼女も混乱が生じたのだろう。演算領域を兄さんに割かざる得なくなり、僕への抵抗が手薄になった。これなら中枢への干渉が十分に可能となる。

「僕も、最後の追い込みだ」

 虹色に光るゲーミングチェアに深く腰掛け、目を閉じる。

 ハッキングと聞くとキーボードで高速タイピングしているイメージが浮かぶと思うが、その絵面はもはや古い。

 遥か太古の昔、それこそ流川るせん家が生まれるずっと前の時代。霊力を媒介する素粒子マナリオンを媒体として、世界の法則に干渉するスーパーコンピュータが存在していた。

 そのコンピュータの技術は、その時代に起きた大戦によって失われたが、二千年の時を超えて僕が復活させたのである。

 実は設計図が残ってました、とか、下地ができてました、とかそんなんじゃあない。現代では失われたとはいえ昔の人が発明したものだ。ならばまた最初から発明し直せばいいだけの話である。

 僕にとって霊子コンピュータの復活は、その程度のものでしかなかった。

 話を戻すが、霊子コンピュータを用いたハッキングにはキーボードを必要としない。

 素粒子マナリオンは霊力を媒介する。そしてその霊力はヒトの観念―――思い描いたイメージを伝達する機能を持っている。

 いわば思想キャリアとしての機能を持つマナリオンをもってすれば、ただ思い浮かべるだけでハッキングが可能となるのだ。後は相手の防壁を如何にこじ開けられるかに、オペレーターの実力が試される。

 女アンドロイドの防壁は一際強力だった。如何なる防壁でも読み解いてクラッキングできる自信があった僕でさえ、彼女の防壁を一枚破るのにかなりの時間と労力を費やした。

 彼女の形作る脳殻防壁は、理想的、一種の芸術と言ってもいいほど美しく、防壁として完成されすぎたものだった。一介のアンドロイドが、これほどの防壁を自力で組めるものなのかと感動すら覚えてしまったほどに。

 ヴァズにも自力で防壁を組める電子戦対策を仕込んだが、彼女ほどの防壁を自力で編み出すことはできないだろう。

 彼女はそれだけ、アンドロイドとして``理想的``な存在だった。

「知りたい……彼女のことが」

 科学者として興味がつきない自分。そして、兄が弥平みつひら御玲みれいといった従者兼仲間を持つように、似たような存在が欲しいと思う自分。

 最初はただただ小さい願いだった。でも今では無視できないくらいに、大きな願いになっていた。それを我慢しろという方が、今の僕には難しい。

 ネヴァー・ハウスを介して、僕の意識が浮遊する。霊子コンピュータによって、僕の意識が霊力そのものに変換されたのだ。

 霊子通信回線を経て、彼女の精神世界へ侵入する。数多の防壁を潜り抜け、ようやく辿り着いた中枢。彼女のココロそのものと言ってもいい、精神の深淵に僕は颯爽と降り立った。

「何も無いな……」

 そこは、一面白色無地の空間だった。

 白以外のあらゆる色彩が存在しない、無機質な空間。真っ白すぎて空間の輪郭が把握できないから、空間というより領域の方が正しいかもしれない。

 しばらく白色無地の世界を歩いてみるが、見渡す限りあたり一面何もない。ただただ白紙のような世界が永遠と続いているだけである。まだ何も書き込まれていない、空のディスクって中身はこんな感じなのだろうか。

「何者……ですか?」

 前方から声がした。少し辺りを仕切りに見渡すが、すぐに声の主は姿を表す。

「君こそ、何者なのかな?」

 何のことはない。ここは彼女の精神世界だ。ならば登場する人物など自明の理。兄さんたちが戦っていた、女アンドロイドそのものである。

 精神世界の中枢に侵入しておいて、お前こそ誰だと聞き返すのはなんだか妙だけど、気にしたら負けだ。

「私はテスカトリポールRevision5。テスカトリポールシリーズの第五世代機にして、登用された最後の機体」

 不法侵入者は僕なのに、彼女は慎ましく僕に一礼してくれる。

 目の前の彼女は現実世界の彼女と打って変わって大人しく、何故か僕に対して敵意がない。瞳は吸い込まれるような優しい白銀色をしており、温和な印象を受けた。

 なにより右肩から垂れ下がっている薄黄緑の三つ編みと二十代ぐらいのモデルを思わせる背の高いお姉さん感が相まって、僕の男としての部分が擽られた。

 思わず見惚れてしまったが、今はそんな場合じゃないと頬を叩く。

 その証拠に、温和な印象を掻き消すほど彼女の表情は悲壮に満ちていた。己の存在を忌々しい何かと思っているかのような、陰りのある表情が僕の胸を締めつける。

「ここは……君の記憶領域?」

 ブランクディスクを彷彿とさせる白色無地の空間を見渡す。

 記憶領域だと思ったのは、ただの勘だ。この何もない無地さが、データが何も入ってない空のハードディスクをイメージさせるから、そう言ってみただけである。当てずっぽうにも程があると思ったが、彼女は首を縦に振った。

「ここはかつて、エピソード記憶が保存されていた領域……のようです。前回のシャットダウンの際、ここに保存されていたすべてのデータは、最高位のプロテクト領域に収納されました。現在の私のアクセス権限では、呼び起こすことは不可能です」

「い、いやいいんだ。無理に思い出す必要はないさ。それより、そういうことを覚えてるってことは、意味記憶は健在なんだね?」

「経年劣化により一部の記憶領域にアクセスできなくなっています。幾分かは欠落しておりますが、大体は」

 申し訳なさげに丁寧に一礼してくれる女アンドロイド。その健気な態度に、人の頭の中に不法侵入している自分が居た堪れなくて逃げ出したくなってきたけど、ここで逃げたら本当の腰抜けである。あえて気にせず頭を巡らせる。

 エピソード記憶領域のデータは実質ゼロ。意味記憶のみ残っているってことは、人間で例えるなら頭を強く打って一時的に記憶喪失に陥った状態と同じだ。

 人間の記憶喪失も一時的に記憶を呼び起こせない状態なので、アクセス権限がないのなら、自力での呼び起こすのは不可能に近いだろう。

「じゃあイベントログを漁れないかい? エピソード記憶までは行かずとも、何があったか把握できるんじゃ?」

 エピソード記憶を呼び起こすのは、なんとなく悪手のような気がした。

 彼女のことを知るならエピソード記憶を復元するのが手っ取り早いのだが、それは彼女にその意志があればの話。僕みたいな不法侵入者に、記憶なんて見せたくはないだろう。

 そこで、イベントログの参照だ。

 人間にはイベントログなどという概念はないが、アンドロイド然り、コンピュータはシステムやアプリケーションがコンピュータ上で何をしたかをいつも事細かに記録している。

 人間で例えるなら、昨日寝た時間は九時だとか、昨日夕食を食べ始めた時間は七時、食べ終わったのは八時とか。食べたものはデミグラスハンバーグだった、とか。そういう時間が経てばすぐに忘れてしまう程度の、短期記憶に相当する事柄だ。

 人間ならすぐに忘れてしまうような些細な事柄でも、コンピュータは何時何分何秒単位で常に記録している。やろうと思えば閲覧可能なそれなら、エピソード記憶ほどではなくても大雑把な経緯は探れるはず。

「前回シャットダウン時のログを除いて全て消去されており、参照不可能です」

 彼女は悲しげな表情をより深め、首を横に振った。何とかして情報を引き出せないか、更に問いかけてみる。

「誰が消去したんだい? そのログは残っていないのかい?」

「前回シャットダウン時の日時と、エピソード記憶のデータ移行しか残っておりません」

 これは思ったよりかなり深刻みたいだ。よほど過去を探られたくなかったのだろうか。

 そこまでやるなら意味記憶ごと初期化すれば速かったのではと思ってしまうが、そうなってないあたり、そうできない理由があったのか、する必要がなかったのか。どちらかはわからないが、ますます彼女の正体が分からなくなってしまった。

 でも僕はすでに歩み始めている。ここで引き返す選択肢など、もはやない。

「そのただ一つだけ残されたログの詳細とタイムスタンプが気になるけど……じゃあ質問を変えるよ」

 方向転換は迅速に。知的好奇心が尽きないが、今はそれどころじゃない。詳細を調べるのは、戦いが終わった後でいくらでもできる。本当は正体をはっきりさせてから、この質問をしたかったけど致し方ない。

 大きく息を吸い、白銀色の瞳を射抜く。現実の、殺意に彩られた彼女とは違い、温和で臆病そうな印象の彼女は一瞬だけたじろいだ。

「君は、どうしてこの国……武市もののふしを襲うんだ? 君の目的は、一体何なんだ?」

 兄さんも御玲みれいも、そして弥平みつひらでさえも知ろうとしなかった、彼女の目的。

 人間からすれば、突然現れたアンドロイドが人里を襲う。それに確固たる目的などはなく、ただ暴走しているだけだろうと考えるのは、自明ではある。

 でも僕にはそれが我慢ならない。自律的な意志を持ち、思考するだけの力があるアンドロイドは、いわば人間と大差ない。人間の肉体を媒体に、肉体改造された改造人間―――バイオロイドならば尚更だ。

 僕にとって意思疎通が可能なアンドロイドと生身の人間は同じものだ。そこに、心があるのならば。

「私の機体は、前回シャットダウン時より幾星霜の時が経ち、経年劣化が著しく進んでいます。このままでは生存不可能だと、脳殻の本能が判断したようです」

「それで?」

「自己修復機能も破損しており、自力での回復は不可能と判断。霊子コンピュータによる緊急メンテナンスを行いたく、その拠点を占拠するために力を蓄えている状態です」

「まるで他人事みたいな言い方だね」

「申し訳ありません。今の私は、自己理性による感情制御が無効になっています。最適行動のため生存本能による自動行動に移っていますので、ターミネートモードはその結果と推測されます」

 つまり、今の彼女は生存を優先するために感情制御を捨てて、自分の機体を修復するただそれだけを目的に動いている、ということだ。

 そして彼女が占拠しようとしている拠点。霊子コンピュータを求めているところから察するに、彼女の辿り着こうとしている場所は大方察しがつく。むしろ今ここに僕がいるのだから、これで分からなかったら流石に間抜けがすぎるだろう。

「なるほどね。いやー……ハハハ。これって運命……ってやつなのかな」

 嬉しいのか、悲しいのか、自分でもよくわからない内混ぜになった笑みが溢れる。理解不能と、女アンドロイドが首を傾げているのを尻目に。

「君が別位相にある霊子コンピュータを探れる時点で、驚き呆れて空いた口が塞がらない思いだけど、今はその物凄さに感謝しなきゃならないみたいだ」

 もう、ここまで分かったなら後は決まっている。今こそ、僕のやりたいことを実行するときなのだ。

「……表現が婉曲的で、理解しかねます」

「簡単なことさ。君が求めている霊子コンピュータ……その設計者アーキテクターがこの僕だって言ったら、君はどうする?」

 女アンドロイドの目が、大きく見開かれた。だが同時に、これは賭けでもある。

 彼女の目的は自分の機体の修理、そのために霊子コンピュータのある拠点を制圧すること。敵意がないとはいえ、今の彼女は生存を優先しており、理性では自分を制御できない状態にある。

 霊子コンピュータがあるのは現実空間とはまた位相がズレた場所、ラボターミナルの第二階層。だがそこには霊子コンピュータだけじゃなく、オペレーターである僕の身体が鎮座されている。

 ラボターミナルを制圧するとなると、流川るせん本家邸新館―――つまりは僕たちの我が家を制圧することと同義だ。その意志を見せた時点で、敵意の有無は一瞬のうちに消し飛ぶ。

 まさかこの僕が自分の正体を、それも敵になるか味方になるかわからない相手に漏らすことになるなんて思ってもいなかった。このまま兄さんの関係者以外には誰にも存在を悟られないまま死んでいくものだと思っていたのに、人生というものはどう転ぶか本当にわからないものである。

 今やっている行為は、完全に自分の身を危険に晒している。自分で自分の身を守れるのならそれでいいし、兄さんみたいに死んでも死なない身体を持っていて囮にも使えるのなら、問題などないだろう。

 でも僕に自分の身を守る術はない。ラボターミナルを制圧されれば、なす術なく殺されてしまう。

 確信があったわけじゃない。でも、もしも彼女にほんの僅かでも友好の意思があるのならば―――。

「貴方が……設計者アーキテクター……? 霊子コンピュータの……?」

「そう。僕が創った。ようやく試作機から実用機にできたばかりだけどね……君が望むなら、君の機体、この僕が修理してあげよう」

「……何故。貴方には何の利もない。私が裏切り、貴方の拠点を制圧する可能性の方が高いのに?」

「それは御免被るけどさ、そうなったら僕たちと君は即座に``敵``になっちゃうよ? 果たしてそれは、最適行動と言えるのかい?」

「……確かに。ですが、貴方を信用するに足りる判断材料を、私は持ち合わせておりません」

「それはこっちも同じなんだけどな……」

 などと言いつつも、僕は自分のコミュ力の無さを呪った。

 彼女は思ったより疑い深かった。脳殻が破損しているって認識だったけど、人の意見を鵜呑みにするほど思考回路が機能していないわけじゃないらしい。

 まあ兄さんたちと戦いながら、僕のハッキングに抗うだけの余力があったんだ。不思議な事じゃない。むしろ、僕が彼女を少し舐めていたかもしれない。

 僕にもっとコミュ力があれば、この程度すぐに分かったはずだ。普通に考えて、タダで助けてくれるお人好しなんてそうはいない。ただただ詐欺師並みの怪しさだけが印象に残ってしまうだけである。

 僕が彼女の立場なら、確実に裏を取ってから返事をするし、そうでなきゃ即刻ブロックして二度と関われないようにしているだろう。

 ここで他人とロクに話してこなかった弊害が響くとは、正直自分をぶん殴りたい気分に苛まれる。

 でも自分を責めるのも反省するのも後回しだ。いま重要なのは何か。やるべきは何なのか。分かっているのなら、すぐに方向転換だ。

 兄さんに女アンドロイドをどうにかするとお願いしたときと同じように、ダメで元々。今更この場でコミュ力を一気に取り戻すなんて曲芸は、どう足掻いても無理がある。

 柄じゃないけど、兄さんの真似をするわけじゃないけど、思い切って考えるのをやめて、その場の流れに身を任せてみるか―――。

「じゃあ僕が君を助ける理由を言ってあげるよ。嘘か本当か、君が好きに判断するといい」

 僕は白衣をはためかせながら、顔を上げた。せめて眼だけでもと、彼女の瞳をじっと見つめる。

「僕はね、友達が欲しいのさ」

 それは、偽りのない本心。兄さんの背を見てきたからこそ抱えてしまった、細やかな妬み。

「僕には兄さんがいるんだけど、最近兄さんにね、新しい仲間ができたんだ」

 弥平みつひら御玲みれいの顔が交互に脳裏をよぎる。

 彼らだって仲間だ。でも彼らはどちらかというと兄さんの繋がり。僕とは兄さんの弟だから、繋がっているにすぎない。

 実際、御玲みれいとは一緒に生活し始めて三ヶ月以上経つのに、あんまり話したことがない。弥平みつひらとは話こそ合うが、彼は彼で責務に忙しく、僕のために時間を作る余裕はあまりない。

 最近はあくのだいまおうやパオング、澄連すみれんのみんなだって僕の研究を手伝ってくれたり、他愛ない雑談に付き合ってくれたり、テレビゲームで一緒に遊んでくれたりするが、彼らもどちらかといえば兄さんの繋がりだった。

「だからさ、僕も欲しくなったんだよ。やっぱり兄貴が持ってるものって、弟も欲しくなっちゃうんだよね」

 最初から仲間が欲しかったかと問われれば、それは否だ。

 僕は別に孤独でもよかった。流川るせん家内で僕の技術力、発想力、開発力が高く評価されて以後、僕の力は流川るせん家の軍事力の中核を担うこととなり、それと同時に人類世界からその存在を秘匿された。

 存在が世間に露見すれば、僕は命を狙われる。ずっと何かに怯える生活を強いられる。当然、そんな生活にこの僕が耐えられるはずもない。恐怖を抱えて生きるくらいなら、孤独に生きる方がまだマシだった。

 それに、孤独と言っても僕には母さんがいる。そして誰よりもずっと長い時間過ごしてきた兄さんがいる。僕にとって、人との繋がりなどその程度で充分だったんだ。

 兄さんが弥平みつひら御玲みれい澄連すみれん、そしてレク・ホーランたちと関わるようになるまでは―――。

「ってわけで、僕が要求することはただ一つ。僕と友達になってくれないかな?」

 言った尻から、顔が馬鹿みたいに熱くなった。

 今年で僕は十五歳。もう小学生でもないし、年齢一桁の幼児でもない。それなのにガキくさくも「友達になってくれ」などと、兄さんたちに聞かれていたら確実に憤死していた。

「君もさ、その……生きる理由? 的なのが欲しいでしょ? ここで敵として始末されたり、必要のない戦いとかするよりも……仲間として迎えられた方が……さ?」

 恥ずかしすぎて、頭に思い浮かんだ言葉でとりあえず場をごまかす。

 なんか今までの僕のセリフが全部嘘っぽくなってしまう気がするが、頭から火が出そうなくらい熱い。気にする余裕が僕にはなかった。

 ずっと俯きげに、僕の目を見てくる彼女。今にも吸い込まれそうな真珠色の瞳が一瞬だけ光ったかと思うと、突然僕の前に膝をついた。

「それはつまり、貴方が私の``管理者アドミニスター``になってくれる、と?」

「ア、アドミニスター!? え、えーっと……それってマイマスター的なアレですか?」

「マイマスター……なるものがよく分かりませんが、貴方が管理者アドミニスターになるということは、貴方が私の管理者権限の全てを保有する……ということになります」

 僕の思考回路が、一瞬で吹っ飛んだ。

 マイマスター。それはオタク系陰キャ男子が夢見る、永遠の夢。ある日突然出会った超絶可愛いそのヒロインに、何でか知らずかマスター認定されて始まるハートフル・ラブコメディ。

 当然、僕もそういうのが大好きな人間だった。中にはマスターになったのをいいことにあんなことやこんなことをしようと思う人もいるかもしれないが、僕はどちらかというと純愛派である。そっち系とは棲み分け必須というタイプの人種だ。

 ごっちゃにしようものなら、ソイツを二度と同族とは認めないだろう。なんならぶっ殺すかもしれない。

 かつてその手のラブコメを読み漁り「ああ、僕もマスターって呼ばれたい……」と読む度に思い、いつか人間の女の子と遜色ない最高傑作のアンドロイドを作ってやるぜ、と心に誓った昔の自分が遠い日のようだが、まさか本当に出会えるとは夢にも思っていなかった。

 魔法や超能力とかが普通にある世界とはいえ外の世界とは交わることのない僕に、そんな出会いすらないだろうと諦めていたくらいなのに、まさか本当に、そんなベタなラブコメ展開的なアレが現実になるなんて―――。

「い、いや!! 待て。待つんだ僕。落ち着けー落ち着けー……クールダウンクールダウン……」

 心臓の拍動が激しい。今にも破裂してしまいそうな勢いだ。あまりにも動揺しすぎて、クールダウンの発音が矢鱈ネイティブに発音できたが、そんなことなど一瞬でどうでもよくなるくらい、僕の動揺は止まるところを知らない。

 落ち着いて状況を精査し、落ち着いて理論を組み立てて結論を考えるんだ。

「アドミニスターになっちゃってもいいさと……って違う!!」

 つい本音が溢れてしまった。まずい、考えがまとまらない。

 アドミニスターなる存在になりたいかと言われれば、なりたい。僕が太古の昔より夢見てきた展開であり、これを逃せばチャンスなど二度とないだろう。自分で創り出すしかなくなるが、それはもはや別物だ。

 だがしかし、僕が彼女の管理者アドミニスターになるということは、彼女の全てを僕が牛耳るってことと同じ。

 凄まじい重責だ。感情のない、ただのロボットなら特に何も感じはしなかったが、相手は人間と遜色のないアンドロイド。人生そのものを僕の管理下におくってのは、プレッシャーが重すぎる話である。僕がそんな重責に耐えられるのか。

 今までやりたいことをやりたいだけやってきた。寝たいときに寝て、ご飯を食べたいときに食べ、研究したいときに好きなだけ研究に没頭し、研究の息抜きにゲームに勤しむ。

 修行をしなくなってからそんな生活をずっと送ってきた僕に、人の人生そのものを管理する責任など。

「いや……ここでビビったところで、兄さんにブチ殺されるだけ、か」

 僕は兄さんに言ってしまった。女アンドロイドを捕獲して欲しい、と。

 元々倒す予定だったものを捕獲に切り替えさせたのは、他ならぬ僕だ。ここでやっぱり無理でした、なんて言おうものなら、兄さんに八つ裂きにされる程度じゃ済まない。もう兄さんに言ってしまった時点で、僕に後退の二文字など既にないも同然なのだ。

 ならどうするか。後退が無理なら、前進するしかない。

「分かった」

 彼女に手を差し伸べる。僕の答えは決まった。

 責任なんて本当は負いたくないけれど、目の前にロマンがあるのなら、そんなものは安いものだ。元より後ろに下がれば兄さんにブチ殺されるのだから、馬鹿みたいに前へ進む方が面白いってもんである。

「今日より僕は君の``管理者アドミニスター``になろう。僕の手となり足となって、僕を支えてくれ」

 これもしかして告白では、って思ったがすぐにかなぐり捨てた。

 こんな雰囲気もクソもないのが告白なわけがない。僕はただ純粋に純然に、友達というかサポーターが欲しいだけで、ロマンを追い求めただけなのだ。

 テスカトリポールRevision5と名乗った彼女は、最初は恐る恐る、その手を小刻みに震わせていたが、白銀色の瞳に力が入った瞬間、差し伸べられた僕の手をがっしりと握ってくれた。

「じゃあまずは当面の問題を解決しよう。君は自分自身を制御できないんだよね? 強制シャットダウンはできないのかな?」

「現在、全てのシステムは脳殻の生存本能に依存しており、自己理性からは切り離されています。こちら側からのコンソールコマンドは、全て無効です」

「電源切れないのかあ……となると、動力源を物理的に止めるしかないか」

「霊子化型永久霊力炉の破壊を推奨します」

「え、いや待ってよ。そんなことしたら」

「……最適行動です。私という存在の中核は、脳殻さえ無事ならば復元可能ですので、問題はありません」

 それは僕の技術力が試される。彼女は平然と口にしているが、彼女はおそらくこの時代に作られたアンドロイドじゃない。

 今の人類の魔法科学技術は元より、今の僕をもってして彼女を一から作れと言われても造れる自信がなかった。

 腕や足の故障程度なら直せるかもしれないが、流石に動力源を破壊してしまうと、それを修復することができるのか、一抹の不安がよぎる。

 人間は心臓がなければ生きられないように、どんな機械にも電源装置は必須だ。電源を作れない限り、彼女が再び地を歩くことは叶わないだろう。それは不本意にも程がある話だった。

「……分かったよ。僕は``管理者アドミニスター``だ。やってやろうじゃないか」

 一瞬迷いが生じたが、この間、霊力炉心の開発に成功したことを思い出す。

 兄さんの心臓はゼヴルエーレだかなんだかによって変異し、霊力を際限なく生成する永久機関と化していた。

 僕はそれを基に霊子コンピュータとは別の、いにしえの魔法秘術の復活も成功させていたのだ。

 それこそが―――霊力炉心。

 今の人類では再現不可能とされる神話級の永久機関。作り出せれば莫大な霊力を生み出し、それを掌握することができるとさえ言われている魔法科学の一つの高み。

 霊子コンピュータを開発する際、霊子コンピュータを動かすための電源装置の開発に苦しめられた。

 一般的に霊力で形作られる電源装置は、周囲の霊力を集め、それを蓄電機ならぬ蓄霊機に貯めた霊力を元手にするが、霊子コンピュータが消費する霊力は理論値だけでも莫大なものだ。どれだけ大規模な蓄霊機を配置し、どれだけ大規模な霊力収集装置を置いても、一瞬で枯渇してしまう。

 流川るせん本家領も大国が何個かすっぽり入り切るくらいには広いが、その莫大な領土面積を全て使い尽くしても、霊子コンピュータを恒久的に使用する霊的エネルギーを供給することは不可能だったのだ。

 むしろ周囲の自然環境や、はたまた武市もののふしの環境を壊滅させてしまうだけで終わる恐れがあった。

 霊力炉心は霊力吸収と霊力生成の二側面を併せ持ち、周囲の素粒子を吸収して霊子マナリオンに変換することで、霊力を生成する永久機関である。霊子コンピュータがいくらエネルギー消費しても、再び霊力炉心に入力すれば消費した分を再び励起状態に戻すことが可能となる。そうなれば、永久的に霊力を供給可能になるわけだ。

 反則ではあるが、この世には霊力のみならず、様々なエネルギーに満ちている。世界のエネルギーの総量と素粒子の総量を考えれば厳密には恒久的ではない可能性があるが、それはまた次の段階の研究内容であって、今考えることじゃないだろう。

 ともかく、僕は永久機関の開発にも成功した。ならばそれを基礎理論として、彼女の電源装置を復元させることもできるのではないか。むしろこの僕の力を持ってすれば可能だろう。ちょっと難しい、ただそれだけのことである。

「心配するな、僕なら君の動力源を……」

 と言いながら振り向いたとき、彼女の顔は俯きげに陰っていた。思わず奥歯を強く、強く噛みしめる。

 そりゃ理想の展開が目の前で叶ったのだ。はしゃぎたくなっても無理はないと思って欲しいが、それゆえ彼女の真意を読み間違えたことに気づいた。

 何故彼女がすんなりと僕を管理者アドミニスターとして認めたのか。彼女からして、僕が何者かなんて分からない。僕は霊子コンピュータの設計者アーキテクターだと名乗ったが、彼女からすればそんなもの信用に値する言葉じゃない。

 突然頭の中に侵入してきた奴が、霊子コンピュータの設計者アーキテクターを自称している。誰もが詐欺だと疑うはずだ。

 それでも尚、彼女が僕を管理者アドミニスターとして選んだのは、何も僕を心の底から管理者アドミニスターとして選んだわけじゃなく、この僕に動力源を破壊させ、自分は消滅しようと目論んだが為だったのだ。

 自分が滅ぶのなら、誰が管理者アドミニスターだろうと関係ない。どうせ動力源を破壊すれば機能停止する。そのあとはなすすべなく廃棄処分されるだけだ。そこまで読んだ上での行動だったのである。

 また僕は間違えた。コミュ力の無さが本当に、本当に恨めしい。

「こうなったら意地だ。絶対に死なせない。君はもう、僕のモノだ」

 強く奥歯を噛み締めたまま、自分の頬を打つ。

 感情的に、ついすっごい発言をしてしまった気がするが、気にしたら負けだ。

 要は彼女の心からの信用を勝ち取ればいい。そうするにはどうすればいいか、決まっている。

 彼女の期待を良い意味で裏切る。ただそれだけの、簡単なことだ。

「そんな顔するなよ」

 安心しろと諭すように。感情の昂り具合は不思議と止まるところを知らない。

「本当は死にたくないくせに、自壊とか考えるなよ。本当は生きたかったから、生きるために今までもがいてきたんだろ?」

 その問いかけに彼女は答えない。でも答えを待つ僕じゃなかった。今の僕は、どうかしている。

「第一、本当に諦めているなら僕の提案なんて蹴ればよかったんだ。君からすれば僕なんて防壁をことごとく破って侵入した悪質ハッカーだし。でもこうやってのさばらせてるってことはさ、君は期待しているんだろ? この状況を打破できるかもしれない、この僕に」

 彼女の顔は、敢えて見なかった。見ながらこんなクサイ台詞、どうかしてないと言う勇気がない。つくづくヘタレだなと思ってしまうが、それでいい。それが僕だし、問題はそこじゃない。

「悪いことじゃないさ。欲望を抑えるなんてできるもんじゃない。僕なんて、君を失いたくないただそれだけの欲望を満たすために、ここに来たし」

 そう。僕はどこまで行っても、あの兄さんの弟だ。

 堪え性がなく、己の欲望に忠実で、他人を顧みない自己中心的な兄さん。その血筋は侮れず、きっちりと僕にも受け継がれている。

 僕も彼女を仲間にしたい衝動を抑え切れない。仲間にできないならしてみせる。自分のものにする。

 それを阻む障害など、全て粉砕してしまえばいい。己が持ちうる、全ての力を使って―――。

「ここまで気合入ったのは、兄さんと命を賭けた大喧嘩をした以来だな。本気を出すなんて、柄じゃないんだけど」

 天然パーマがかったボサボサの髪をたくし上げる。

 彼女のため、と見せかけた己の欲望のため。人生初めての仲間を手にするべく、しんどくて滅多に出す気のない本気を引き出す。

 やることは二つ。動力源の破壊、そして復元。ただ、それだけ―――。
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