8 / 51
市原麻衣と秘密の部屋
しおりを挟む
そうしてその数日後、件の、デート予定な土曜日の朝。
常務が例の部屋から出てこないことに気がついて、私はちょっと焦っていた。
「じょ、常務ー? 常務、ご無事ですかぁ?」
『……大丈夫だ』
部屋の中から、くぐもった声。同時にひどく、咳き込んで。
「風邪ですか!?」
『すこし……熱があるみたいだ。伝染すと悪いから』
「……! と、とりあえず何か買ってきます!」
私は駅前まで走って、スポーツドリンクやらゼリー飲料やら、とにかく風邪に良さげなやつを買い漁る。あと、あるか分からなかったから体温計も。
マンションに戻り、ドアの前に置く。
「常務、私はいまからリビング行きますから……」
そっとドアから離れた。
この部屋は見られたくないらしいから、離れておいたほうが良いんだろう。
しばらくしてリビングから様子をうかがうと、ドリンク類は回収されている。ホッとした。
お粥を作って、それも同じようにドア前に置く。小一時間すれば空になったお碗が置かれていて、食欲はあるようだ、とまた安堵する。
『……市原』
「はい?」
『美味かった。ありがとう』
「良かった、です」
ドア越しに私は微笑みかける。伝わらないだろうけれど。
このまま良くなってくれれば──と思っていた私が再び焦ったのは、その日の夕方だった。またお粥を持って、声をかけてドア前に置いて──でも、返事はなくて。
(常務……?)
寝てる?
大丈夫?
不安になって、電話をかけてみる。部屋の中から音はするけれど、常務は出てくれない。
「……っ」
心配。心配だ。
もしかして、意識ない? 熱はどれくらいあるの? 胸が痛い。このドアを開けてしまいたい。けれど──開けては、いけないって。
(でも!)
私はふ、と息を吐く。ルール違反だ、けど。
これでこの「お試し婚」が終わりになったとしても──仕方ない。
そんなことより、常務の無事を確かめるほうが大事だ。何かあってからでは遅い。
こん、とドアを叩く。
「常務。入ります」
返事はない。私はドアを引き開けた。そうして──ちょっとだけ、びっくりした。
そこには三角木馬も蝋燭も鞭もなかった。
ただ、──電車の模型だけが、所狭しと並んでいたのだった。
「電車……?」
一瞬呆気にとられたけれど、すぐに部屋の中央にあるベッドで横になっている常務に駆け寄る。
「常務、常務」
ふ、ふ、と荒い息。
熱は何度くらいあるのだろう? とりあえずは生きていて安心したけれど。
さっき買ってきた体温計が転がっていたので、悪いとは思ったけれど勝手に測る。
「38.7」
呟いた。高熱だ。
「どうしよう……」
熱に浮かされる常務の額に、そっと手を押し当てる。ふと、気持ちよさそうに眉間が緩んだ。
「冷やしたほうが、気持ちいいですか?」
冷やしタオルでも持ってこよう、と手を離すと服をがっと掴まれた。離れて欲しくないと言っているかのように。
「……仕方ないですね」
なんかキュンとして、常務のベッドに腰掛けた。そうして左右の手を入れ替えつつ、彼のおでこを冷やし続ける。本当に冷えてるかは分からないけれど、離れると嫌そうだから仕方ない。
どれくらい、そうしていただろう。
薄く、常務は目を開いて──小さく笑う。
「あ、起きました? 大丈夫ですか? 何か飲みま──」
「っ、市原!?」
慌てたようにがばり! と常務は上半身を起こした。それから頭を抱える。
「っ、いたた」
「じ、常務。お身体が悪いんですから」
「そ、そうじゃない。本物? 夢じゃなくて、──っ」
常務は蒼白だ。
「ほ、本物、ですが……」
「……!」
めちゃくちゃ困った顔をしている。困った、っていうか悲壮的というか……。
私はそこでハッと気がつく。そうだ、この部屋には入っちゃいけなかったんだ……。
「ごめん、なさい……」
「……なぜ君が謝る?」
「この部屋、入ったらダメだって……約束も、守れなくて……その、もう私のこと嫌なのでしたら、常務の風邪が治り次第マンションを出て」
「嫌だ!」
常務は子供が泣く寸前、のような顔をして──私は年上の男性がそんな顔してることに驚いて、ただ彼を見つめた。
そんな、宝物を──取り上げられるような、顔して。
「君は悪くない。俺が風邪をひいて、というか、変に隠し立てしたから──」
私に触れようとして、でも触れなかったその手は宙を彷徨ってシーツに落ちる。ぽすん。
常務が例の部屋から出てこないことに気がついて、私はちょっと焦っていた。
「じょ、常務ー? 常務、ご無事ですかぁ?」
『……大丈夫だ』
部屋の中から、くぐもった声。同時にひどく、咳き込んで。
「風邪ですか!?」
『すこし……熱があるみたいだ。伝染すと悪いから』
「……! と、とりあえず何か買ってきます!」
私は駅前まで走って、スポーツドリンクやらゼリー飲料やら、とにかく風邪に良さげなやつを買い漁る。あと、あるか分からなかったから体温計も。
マンションに戻り、ドアの前に置く。
「常務、私はいまからリビング行きますから……」
そっとドアから離れた。
この部屋は見られたくないらしいから、離れておいたほうが良いんだろう。
しばらくしてリビングから様子をうかがうと、ドリンク類は回収されている。ホッとした。
お粥を作って、それも同じようにドア前に置く。小一時間すれば空になったお碗が置かれていて、食欲はあるようだ、とまた安堵する。
『……市原』
「はい?」
『美味かった。ありがとう』
「良かった、です」
ドア越しに私は微笑みかける。伝わらないだろうけれど。
このまま良くなってくれれば──と思っていた私が再び焦ったのは、その日の夕方だった。またお粥を持って、声をかけてドア前に置いて──でも、返事はなくて。
(常務……?)
寝てる?
大丈夫?
不安になって、電話をかけてみる。部屋の中から音はするけれど、常務は出てくれない。
「……っ」
心配。心配だ。
もしかして、意識ない? 熱はどれくらいあるの? 胸が痛い。このドアを開けてしまいたい。けれど──開けては、いけないって。
(でも!)
私はふ、と息を吐く。ルール違反だ、けど。
これでこの「お試し婚」が終わりになったとしても──仕方ない。
そんなことより、常務の無事を確かめるほうが大事だ。何かあってからでは遅い。
こん、とドアを叩く。
「常務。入ります」
返事はない。私はドアを引き開けた。そうして──ちょっとだけ、びっくりした。
そこには三角木馬も蝋燭も鞭もなかった。
ただ、──電車の模型だけが、所狭しと並んでいたのだった。
「電車……?」
一瞬呆気にとられたけれど、すぐに部屋の中央にあるベッドで横になっている常務に駆け寄る。
「常務、常務」
ふ、ふ、と荒い息。
熱は何度くらいあるのだろう? とりあえずは生きていて安心したけれど。
さっき買ってきた体温計が転がっていたので、悪いとは思ったけれど勝手に測る。
「38.7」
呟いた。高熱だ。
「どうしよう……」
熱に浮かされる常務の額に、そっと手を押し当てる。ふと、気持ちよさそうに眉間が緩んだ。
「冷やしたほうが、気持ちいいですか?」
冷やしタオルでも持ってこよう、と手を離すと服をがっと掴まれた。離れて欲しくないと言っているかのように。
「……仕方ないですね」
なんかキュンとして、常務のベッドに腰掛けた。そうして左右の手を入れ替えつつ、彼のおでこを冷やし続ける。本当に冷えてるかは分からないけれど、離れると嫌そうだから仕方ない。
どれくらい、そうしていただろう。
薄く、常務は目を開いて──小さく笑う。
「あ、起きました? 大丈夫ですか? 何か飲みま──」
「っ、市原!?」
慌てたようにがばり! と常務は上半身を起こした。それから頭を抱える。
「っ、いたた」
「じ、常務。お身体が悪いんですから」
「そ、そうじゃない。本物? 夢じゃなくて、──っ」
常務は蒼白だ。
「ほ、本物、ですが……」
「……!」
めちゃくちゃ困った顔をしている。困った、っていうか悲壮的というか……。
私はそこでハッと気がつく。そうだ、この部屋には入っちゃいけなかったんだ……。
「ごめん、なさい……」
「……なぜ君が謝る?」
「この部屋、入ったらダメだって……約束も、守れなくて……その、もう私のこと嫌なのでしたら、常務の風邪が治り次第マンションを出て」
「嫌だ!」
常務は子供が泣く寸前、のような顔をして──私は年上の男性がそんな顔してることに驚いて、ただ彼を見つめた。
そんな、宝物を──取り上げられるような、顔して。
「君は悪くない。俺が風邪をひいて、というか、変に隠し立てしたから──」
私に触れようとして、でも触れなかったその手は宙を彷徨ってシーツに落ちる。ぽすん。
1
お気に入りに追加
2,602
あなたにおすすめの小説
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
【R18】根暗な私と、愛が重すぎる彼
夕日(夕日凪)
恋愛
私、乙川美咲は冴えない見た目と中身の女だ。
だけど王子様のような見た目の誠也は、私を『可愛い、好きだと』言って追い回す。
何年も、何年も、何年も。
私は、貴方のお姫様になんてなれないのに。
――それはまるで『呪い』のようだと私は思う。
王子様系ヤンデレ男子×ぽっちゃり根暗な病んでる女子の、
ちょっぴりシリアス、最後はハッピーエンドなお話。
3話完結。番外編をたまに追加します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる