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浴衣

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「ダメじゃない茉白」

 唐突に言われて、ばっと振り向く。
 デパートの夏の特設会場、そこで浴衣を選んでいた私の背後にいつの間にか立っていたのは、大好きなおばあちゃんだった。

「わ、おばあちゃん」

 びっくりした。
 桔梗が描かれた白い浴衣、紫の帯。きっちり抜かれた襟に、ぴんと張った背中。
 祖母と孫ではなくて、時折母娘に間違われる若々しいひと。

「……なんでこんなところに?」

 多分、おばあちゃんはこんなところ……って言ったらすごく失礼なんだろうけれど、量販品の浴衣を見にきたりはしない。
 私には分相応。じゅうぶんに素敵な浴衣がたくさんある。

「お散歩よ」
「ふうん?」

 切れ長の綺麗な目を細めて、おばあちゃんは艶やかに笑う。

「そういえば、あの、ダメって?」

 そう言われたのだった──と聞き返すと、おばあちゃんはニッコリと笑う。

「あなたの婚約者よ」
「こっ、こん!?」

 私は頬が熱くなって、両手で押さえる。た、たしかに結婚しようとも言ってくれているけれど、まだ、そんな、全然……っ!

「あら? ちがうの? 違うのに、一緒に暮らしているの?」

 柳眉を寄せて、おばあちゃん。
 わ、わ、そうじゃなくって──!

「そ、そうだよ、そう言ってくれてるけどっ」
「まぁ、おいおいと言ったところかしら──ねぇ、ところで。ダメよ、茉白。あんなところに婚約者殿をぼけっとお待たせしては」
「……え、っと?」
「お暇そうにされていたから、お声がけしたの」
「え? あれ、顔、知って……?」

 付き合ってる人がいる、というのも、ちょっとトラブルがありそうだからしばらくマンションを離れて彼のところにいます、とは伝えてあったけれど。

「ええ」

 おばあちゃんは余裕たっぷりの顔で笑う。

「実は、あたしの歯の主治医なの」
「わ! そうだったの?」
「──そう。だからね」

 おばあちゃんはニコリと笑う。

「六角通に、あたしが貸しているお店があるでしょう」
「……ああ、居酒屋さん?」

 創作料理の居酒屋さん。古い町屋をリフォームしたところだけれど、オーナーはおばあちゃんだ。

「あのお店にご招待したの。あなたも浴衣を選び次第、合流なさい」

 私は頷く。

「気を使わせてしまって……」

 ていうか、理人くんにも謝らなきゃだ。暇だったろうな。でもどの浴衣にしようか、って悩み過ぎてしまった。

「候補はあるの?」
「あ、というか、これにしようかと」

 私が選んだのは、たまたまだけれど──おばあちゃんと同じ白の浴衣。全体に、淡い色の紫陽花模様。

「いいじゃない」
「あとは、帯と……」

 肌着もないから、買わないとだ。
 全部買えば、諭吉さん2人か3人か、にはなってしまう。
 ……結構な出費になるけれど、でも……。

(ちゃんとやり直したい!)

 理人くんと離れ離れになった、あのお祭りを、もう一度!

「買ってあげる」
「え、いいよ! 社会人だもの」

 そう? って言うおばあちゃんにウンウンって頷いて(あんまり甘えてもらんない!)パステル系な紫の帯と、セット売りしてある肌着を選ぶ。

「レジでお預かりしましょうか?」

 大荷物になりつつあった私に、お店の人が声をかけてくれる。
 はい、と頷いたところで、後ろで浴衣を選んでいた女の子たちがすこし騒ぐ。

「あれ、スマホ圏外なんだけど……」
「え? ほんとだ」

 私はぱちくりと目を瞠って、自分のスマホを見てみる。たしかに圏外だけれど──まぁ、理人くんはお店にいてくれるらしいので問題はないだろう。

(着いたら、待たせてごめんなさいって謝らないと……)

 ふ、とキラキラしく飾られた和風の小物が気になる。
 髪飾り。帯留めに、ピアス──。
 小物も気になるけれど──ここは仕方ないです。世の中には予算というものが……。
 社会に出て、私は自分がいかに「実家のお金」というものに甘えていたか、分かった。
 大学で、アルバイトだってしたことはあった。けれどあれは生活費なんかじゃない。
 実家暮らしで、帰ったらお母さんかお手伝いさんの作ったご飯が待ってて、お風呂も沸いてて、旅行にだって……。

(あんなに甘えさせてくれたのに)

 最後の最後、私は両親が決めたお見合いをすっぽかした。
 振袖のまま、新幹線に飛び乗っておばあちゃんに泣きついて──そうやって、いまここにいる。
 結局はまわりの「おとな」に甘えっぱなしの、そんな人生なんだけれど……。
 浴衣を買った私は、おばあちゃんとタクシーに乗る。

「すこし待っていて」

 おばあちゃんが出発直前にそう言って、またデパートに戻っていった。
 不思議に思いつつまっていると、しばらくしてニコリとおばあちゃんは笑いながら戻ってきた。手には紙袋。

「なにか買ったの?」
「ええ、すこしね」

 おばあちゃんがそう言って、タクシーは出発した。
 お店の前について、私は目を瞬いた。

「え、貸切?」

 町屋風のそのお店の格子のガラス戸には、そのひとことが書いてあった。

「そう。今日はね、お友達を集めているの、あたし」

 ニコリとおばあちゃんが笑って、お店に入る。私は荷物を抱えてその後ろに続いた。
 お店の方にご挨拶をしながら、私はおばあちゃんに二階の小部屋に通される。
 畳敷きの、小さな部屋。黒光りする座卓には、お茶の用意があった。
 開け放たれた窓からは、祇園囃子が舞い込んできている。りぃん、と風鈴が鳴った。

「手伝いましょうか?」
「あ、大丈夫……」

 浴衣を開いていく。おばあちゃんは障子を閉めて、クーラーをつけてくれた。
 浴衣くらいなら、なんとかまだ覚えてる。
 どうにか着付けて姿見を見ると、おばあちゃんが手早く直してくれた。

「まぁ、合格ね」
「ふふ」

 姿見の中の私──は、悪くないんじゃないかなぁと思う。
 そこに、すうっとおばあちゃんの指が伸びて──髪に紫陽花の髪飾りをつけてくれた。

「わ、おばあちゃん?」
「それくらいは、プレゼントさせてちょうだいな」

 澄まし顔でおばあちゃんは言う。
 私は小さく頷いて、やっぱり小さく「ありがとう」となんとか言った。さっき戻ったの、これだったんだあ……。

「あ、ね。おばあちゃん、理人くんは?」
「さっきまでいたみたいよ。買い物かしら?」
「ふうん?」

 私はぼうっと、障子を開いて六角通を見下ろす。人混みの中に、理人くんを探した。
 すでに開き出した夜店へ、焼き鳥でも買いに行ったのかなあと思いながら。
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