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誘拐!?(理人視点)

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 鍋島は音もせずに立ち上がり、俺の正面に座り直す。

「だいいちね、僕の奥さんはFカップあるんだ」
「……」

 何が言いたいんだ。茉白の控えめバストは感度がよくて(いやそれでかなり苦労してるんだけれども)可愛いんだぞ!

「こうなってくると娘が大きくなったときが心配だよ」
「え、子供までいんの」
「ふふ」

 鍋島はちう、とアイスコーヒーを飲む。透明なストロー、そこを黒い液体が上がっていく。こいつがやると、やたらと艶かしくて目線を外した。

「……で? なんの用事だ」
「なにもないよ? たまたま僕がここでコーヒーをブレイクしちゃってたら、君が恋人とイッチャイッチャイッチャイッチャしながら来ただけじゃないか」
「……そんなにはいちゃついてないぞ」
「いいや、いちゃついてたね。乳繰り合ってたね」
「あってない!」

 ふ、と鍋島は実に優雅に目を細めた。

「あれでイチャついてない、なんて判定するのは無理があるよ」
「……」

 ちょっと自重しよう、と思った。そんなつもりはなかったのだけれど……。

「ま、いいんじゃない? 子供ができたらいちゃつきようがなくなるからね。まぁ僕は遠慮なくいくけどね」
「想像がつかん」
「ふふん」

 なぜか自慢げに笑い、鍋島は立ち上がる。

「じゃあね名探偵くん」
「……なんだそれ?」
「なんでもないさ」

 そう言って後ろ手に手を振って(嫌味なほどに似合っていた)さっさと人混みに姿を消す。
 俺はどっと疲れて、ソファに身を預けた。
 それからしばらく、ぼうっとする。

(あいつと話すと疲れる……)

 しかし意外だった。まさか結婚していたとは……と、ふとスマホに目をやる。
 案外と時間が経っていた。

「茉白」

 遅いな、とフロアに目を散らす。
 見える範囲には姿がない。
 ふと──心配になり、立ち上がった。歩き出し、目線で茉白を探しながら電話をかける。

『ただいま電話にでることができません──』

 無機質なアナウンス。

(茉白!)

 嫌な予感がどんどんと大きくなって、フロア中を歩き回る。

(大丈夫だ)

 単にトイレにでも行っているだけ。
 試着室で、ああでもないこうでもないと悩んでいるだけ──茉白!
 そのとき、だった。
 ごった返す人混みのむこうに、明らかに異質な存在を認知する。

「……っ、な」

 大仏と、馬。
 そのゴム面を被った二人組が、フロアの隅、京都の街を一望できる大きなはめ殺しの窓の前に立っていた。
 大仏のおとこはすこし小肥りのようで、馬の方は細身の男だった。

「……!」

 全身がざわつく。まさか、まさか……!
 人混みをかきわけてそちらに駆け出すと、そいつらはパッと二手に別れて走り出す。

「待てっ!」

 どちらを追いかけようか──と悩んで、大仏にした。馬は速そう、とどこかで思ったのかもしれない。細かったし。
 ふたりがいたのは、左手にエレベーター、右手に階段がある、ベンチがあり休憩スペースになっていた大きな窓の前。
 馬は階段を駆け下り、大仏は駆け上がった。
 大仏をおいかける。けれど、案外というか、なんというか──大仏は機関車のようにどんどんどん、と階段を進んでいく。

(……あれ、脂肪じゃないな!?)

 小肥りのように見えたのは、ずんぐりむっくりした体型だったからだ。けれど、どうやら──筋肉のようだ。アメフトかなにかしているかのような、太い首がゴム面の隙間から見え隠れする。

「っ、待て……っ!」

 足を階段でしたたかに打ち付ける。
 ……っ、もっとこまめに運動しておけば良かった……!
 大仏が、行き止まりのドアを簡単に押し開ける。どうやら屋上のようだった。すぐに閉まってしまう。
 青色吐息で続いてドアを押し開けると──そこは、空中庭園のようになっていて、家族連れやカップルが、祇園祭直前の街を楽しそうに見下ろしている。
 傾きかけた夏の陽を金色に反射する、京都の街並み。
 風に乗って、祇園囃子があたりを漂う。
 そろそろ、車通行止めの規制が始まるのか──笛の音も聞こえていた。じきに歩行者専用となった大通りで、宵山が始まる。
 屋台も出て、──茉白はそれを楽しみにしていて……!
 肩で息をしながら、あたりを見回す。
 男の姿はどこにもない。
 代わりに、大仏のゴム面が落ちていた。

「……茉白」

 呆然と呟いたそのとき、可愛らしい声がした。

「ねえお兄ちゃん」

 幼稚園の年長か、小学校一年生くらいの、赤い浴衣を着た女の子だった。ニコニコと俺を見上げている。思わず息を飲むくらいに、綺麗な女の子。

「──あ、済まない、いま忙しくて」
「これ、頼まれたの」

 女の子は封筒を俺に押し付けてくる。怪訝な顔をしていると、ぱっと袂を翻して去っていった。彼女の母親らしき、綺麗な女性が不思議そうに女の子に話しかけている。
 ふと心がざわついて、その封筒を開いた。

『神山茉白は預かった』

 手紙の最初の一文に、息を飲む。──茉白!

『警察に連絡するのはおすすめしない。20時までに茉白さんを見つけ出さなければ、君はもう茉白さんに会うことはできない』

 どくん、と嫌な鼓動が心臓から聞こえた。

『がんばりたまえ、名探偵くん』

 けれど最後の一文で──どっと気が抜けた。……すくなくとも、茉白が傷つけられたりはないんだろう。

「……鍋島」

 なにを考えてる?
 けれど……「茉白に会うことはできない?」。
 ぐっと唇をかみしめた。
 なにを考えているか知らないが──と、ぽん、と肩を叩かれた。
 反射的に振り向くと、そこにいたのは、茉白のおばあさん、だった。
 白い浴衣の襟を抜いて、やたらとアダな格好が似合う。紫の帯が上品だった。

「こんばんは……には、まだ早いかしら」
「……っ、あの」

 どう挨拶すればいいか、口ごもる俺におばあさんはやたらと艶やかに微笑んだ。

「頑張ってちょうだいね」
「……は」
「あなた歯医者さんじゃなくて、探偵さんだったのね?」

 固まる。
 ええと、これは、要は……これって。
 茉白のおばあさんは、団扇を俺に押し付ける。

「期待してるわ」

 そう言って、白い浴衣を翻して、エレベーター方面にぴんとした背中で歩いていく。
 頭がごちゃごちゃだ。
 茉白のおばあさんは──何か知っている。何か知っている、というよりはもう噛んでいる、とみて間違いないんだろう。
 鍋島との関係は?

(茉白は?)

 茉白はおそらく、何も知らない──嘘をついたり、演技をしたりはいちばん苦手なはずだ。

(ということは、……ことは?)

 これはもしかして、アレなんだろうか。
 茉白のおばあさんから与えられた──課題、のようなものなんだろうか?
 要は──これをクリアしなければ。

「……茉白ともう会えない?」

 ぽたり、と落ちた汗が、空中庭園の芝生に染み込んでいった。
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