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あまのじゃく。

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「あなたは本当に天邪鬼あまのじゃくねえ」

 小さい頃から母によく言われた言葉。
 天邪鬼──ってほどではないと思う。
 けれど時々、私は妙に意地を張ってしまうことがある。
 でも──誰だってそういうところ、あると思う。
 特に、なんか、好きな人には。

 びっくりするくらい常に無表情な男、楢村昴成と出会ったのは、大学一回生の春のことだった。
 満開のソメイヨシノの桜色の花弁と花弁の間から差し込む柔らかな陽光──の下で、楢村くんは本を読んでいた。
 入学してすぐの、サークル勧誘。
 気がついたら先輩たちにつれられてきた、大学構内のベンチ──何個かそれが並んだ桜の木の下のスペースに、いつもこのお遊びサークルの面々はいるみたいだった。

「飲みサーとかやなくて、ほんまに遊んでるだけ」

 関西弁の女性の先輩の説明に、安心して頷いた。もらったチラシをまじまじと眺める。体育館を借りてバレーやフットサルしたり、夏は釣りしたりキャンプしたり、……とまあ暇な人が集まって遊ぼうぜ! みたいなゆるいサークル。参加も不参加も自由。

「あの子も一回やって。飲みもん買ってくるから一緒に待ってて」

 関西の大学生は「何年生」じゃなくて「何回生」。その呼称に戸惑いつつ、言われた先にいたのが──楢村くんで。
 楢村くんは周りには何の興味もなさそうに、ただ桜の下のベンチに座って本を読んでいた。

「──なに読んでるの?」

 楢村くんはちらりと私を見上げた。
 彼の整った眉目に、私は一瞬目を瞬いて──楢村くんから返事はない。ただ本の表紙を見せられた。

「黒猫」

 タイトルを読み上げる。作者はエドガー・アラン・ポー。

「面白い?」
「ん」

 返ってきたのはそのひとこと。
 私は彼の横に座って、ただ桜を見上げた。花びらの隙間から春の空が見えた。やけにキラキラして見えて、ひどく戸惑ったのを未だに覚えている。

 楢村くんとはそのまま同じサークルの、時々話すだけの関係が続いた。

「なんで楢村くん、このサークル入ったの?」

 そう彼を見上げて質問したのは、一回生の夏。
 合宿(何のだろう)という名の皆での伊勢旅行。夜の海を眺めながら、私は楢村くんにそう聞いた。
 ざあと潮騒の音がする。
 泊まっている旅館の裏、防波堤の上の道。
 なんとなく寝付けなくて散歩に出たら、なぜだか楢村くんが追いかけてきたのだった。
 テトラポットの間を潮波がちゃぷちゃぷ揺れる。
 月はない。
 背の高い彼の向こうに、名前も知らない星座が瞬いた。

「誘われるんが面倒やったから」
「え?」
「勧誘。もうサークル入ってますって断れるやろ」

 ぶっきらぼうに答えるその回答に、思わず笑った。なるほど。

「ここやったら参加も自由やから、めんどかったら来んでいいし」
「その割には出席率高くない?」
「……」

 楢村くんは少しだけ眉間のシワを深くした。揶揄われて気を悪くしたんだろうか?
 私は視線を海に戻す。夜の闇を溶かしこんだ墨汁みたいな海水が、たぷたぷと揺れていた。
 じっと見ていると、ふと手首を掴まれる。

「な、なに?」
「──なんでもない」

 楢村くんはそう言って、手を離した。
 そのまま無言で宿に戻る。
 みんなが遊び疲れて眠る部屋、自分の布団に潜り込んで、古びた常夜灯を見つめた。
 ざあ、ざあと──潮騒の音がやけに耳につく。
 掴まれた右手首が、じんじんと熱くて眠れなかった。

(なんで──)

 私は思う。
 なんで私は、そんな会話を未だに──10年近く前の会話を──覚えているんだろう。

 一回生の、冬に差し掛かった頃。
 サークルの買い出しに楢村くんとふたり、出かけた。

「クルマ回してくるから、ここおって」

 大学と同じ市内の、ショッピングモールとデパートが一緒になったような複合施設。
 楢村くんはお母さんのお下がりらしい、古い外国車を持っていて。それに乗せてもらっていたんだけれど──
 買い出し(クリスマスパーティーだったと思う)の荷物は結構な量で。

「クルマまで運ぶんキツいし、ここで載せよ」

 そんなわけで、私は駐車場に続く出口のところで、楢村くんが車を付けてくれるのを待っていた。
 ぼうっと自動販売機の近くに立っていると、どん、と背中に誰かがぶつかる。

「わ、す、すみません!」

 反射的に謝って、相手の顔を見る。
 どうということもない、平凡な──自分のお父さんと同年代くらいの、男の人だった。
 その人は舌打ちをして、私をジロジロと眺める。

「あの……?」
「学生か?」
「あ、はい……」

 はーあ、とおじさんは大仰にため息をつく。

「こんなとこに立っとったら邪魔やろ」
「え、あ、すみません……」

 口ではそう言いながら、違和感を抱く。
 私が待っていたのは、大きな荷物の下げ下ろしができるようなできるようなスペース。ショッピングモールには家具屋さんも入っているから、そういう買い物の人も使えるようにという配慮だろう。
 自動販売機を使うにしても、特に邪魔にはならないようなところだった。

「ほんまに今の若いやつらはあかんわ。少しはモノを考えや」
「あの、すみません。邪魔なら移動しますので……」
「そういうんちゃうやん」
「……あ、の」
「ヘラヘラヘラヘラしやがって、ほんまに」

 おじさんは小さく私の肩を押す。よろめきながら、私は混乱して目をキョロキョロと動かした。

(だ、誰か)

 ガラス扉にの先には駐車場の精算機──そのむこうには、人が行き交うショッピングモールの通路。
 けれど、誰も駐車場になんか気を向けていないし(そりゃそうだ!)叫んでもガラス戸があるから気づかれないだろう。

「あ? なんやその顔、オレがなんかしたか?」
「あの、いえ、そんなんじゃ」
「悪いのはそっちやろうが」
「はい、ご、ごめんなさい」

 俯いて、スカートを握り締めた。
 この頃には、やっと理解が追いついていて──この人は、難癖をつけたいだけの人だ。

(ど、どうしよう)

 どうやり過ごそう──と半泣きで考える。

「なんやその態度は」

 おじさんがネチネチと私の顔を覗き込む。
 私は恐怖で、ひゅっと息を吸った。
 逃げる? でも荷物は? 私のじゃない。おじさんに盗られるかもしれない──でも、このままだったら殴られたりする? どうしよう、どうしよう……

(誰か……)

 誰か、助けて。
 私は恐怖でいっぱいになっていく頭で考える。誰か──誰か。

(楢村くん……)

 頭に浮かんだのは、楢村くんその人で。

(早く戻ってきて──!)

 祈るように、そう思う。
 ぎゅっと目を閉じた。
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