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"遺書"

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「自殺? なんでや」
「なぜなら、雑餉隈さんを殺した犯人は大橋さん以外に有り得ないからです。ヒトを殺した良心の呵責に耐えかねて、というところでしょうか」

 僕はちらりとを視界にいれた。少し茫然としている気もするし、こうなることを期待していたような表情にも見える。
 どうなんだろう。
 ヒトの心なんて、僕には分からないーー。

「吉田さんも仰ってましたね。防犯カメラの記録を書き換えることができるのは、大橋さんだけだ、と」
「それは、たしかに……だけど、言い出しておいて何だけど、本当にできたかどうか」
「できたかどうか、それはここでは問題ではありません。それができる人間が、ここには大橋さんしかいなかった、という事実のみのお話です」

 僕は全員を見回す。薄ぼんやりとした朝日に照らされた、訝しげな表情。構わない。

「もっとも、実際に自殺で、遺書でも見つかれば」

 僕はわざと勿体つけて言う。

「推理も告発もクソもありません。論より証拠、です。実際にそんなものがあるかどうかは分かりませんが、調べてみる価値はあるのでは?」

 ゆっくりと全員を見回した。特に、牟田さんに向けて言う。

「少なくとも、まだ少し波が高いようですし天候も安定していません。ここで警察が到着するまでの、ほんの2、3時間だとは思いますが、もし遺書が見つかれば心安く過ごせるのではないですか?」
「……そうね。確認だけでも」

 牟田さんは期待通りのことを言ってくれた。

「聞いた話だと、自殺か他殺か、事故か分からないし、……もし自殺なら」

 牟田さんはふと押し黙った。

「よっしゃ、そこまで言うんなら行こうや」

 山ノ内さんが立ち上がる。

「善は急げ、や」
「全員で行きましょう」

 僕は言った。

「僕の考えが外れていて、外に犯人がーー考えづらいですがーー潜伏していたとしたら、人数が多い方がいいでしょうし」
「今更やけどな」

 山ノ内さんが苦笑した。

「ま、全員で行こうや。手分けしてチャチャっと探そ」
「……そうするか」

 何か考えていたそぶりの鹿王院さんも、立ち上がった。
 全員で事務室へ向かう。

「机にはないなー」

 華と日和は、事務机の上をがさがさと探してまわる。

「こっちにもないよ」

 翔は、大橋さんのカバンを健と見ている。健はなにか考えてる。やだなぁ。
 僕はローテーブルの脇に置いてあった書類入れの上、その上のスマホを手に取った。
 シニア向けスマホ。操作は簡単で、キーロックすらされていない。
 メールアプリを立ち上げる。目当てのものは、すぐに見つかった。

「あのう」

 僕は声を上げる。

「これは、違いますか」
「え、うそやん、あったん?」

 驚く山ノ内さんに、スマホを渡す。鹿王院さん、牟田さんが覗き込む。華も横から見ようとしていたから、腕をひっぱって引き離した。

「うっわ、ほんまや。これ、遺書や」
「……本物だろうか?」
「モノホンもクソもないやろ」

 山ノ内さんはため息をついた。

「ほんで、ほんまに大橋さんが犯人やったとはな……」
「なんて書いてあったんですか」

 翔が聞いて、山ノ内さんが読み上げた。

「これな、メールの下書きにあったみたいや……。いくで? "皆さま、お騒がせして申し訳ありません。この度の事件を起こしたのは、わたくし本人に間違いございません。申し訳ありませんでした  大橋孝三郎"」

 読み上げられたあと、誰もが言葉を失った。

「じゃああれは、どういう状態やったんや?」
「山ノ内さん、大橋さんは寝る前に"グレープフルーツジュース"を持っていった、と仰ってましたよね?」
「ん? うん、そうや。グレープフルーツやった」
「警察の解剖があれば、すぐに分かると思うのですが」

 僕は、大橋さんのカバンに目をやる。白い紙袋に入った、高血圧の薬。

「おそらく、ですが……薬を飲んで意識を朦朧とさせたあとに、バスタブに水を張ったんだと思います」
「薬?」

 僕は頷いた。

「グレープフルーツに含まれるフラノクマリン類という成分があります。これは、チトクロームP450という、薬を代謝する酵素の働きを抑えるんです」
「へー」

 華が感心したように言う。いや、これ僕何回も説明してるから!
 怒りたい気持ちはぐっと抑えて、僕は話を続けた。

「そのため、血液の中の薬の濃度が上がるんです」
「となると、どうなるんかいな」
「副作用として、めまいなどが強く出るかとーー。プラスして、オーバードーズ……この薬を大量に飲めば」

 僕はカバンの中の紙袋を取り上げた。

「おそらく、意識が飛びます」
「その上で、水を張ったのね」

 牟田さんが柳眉をひそめて言った。

「僕の予想ですけどね」
「実際、遺書がある以上、似たようなことが起きてた、ってことよね」

 僕は頷いた。そう取ってもらって、構わない。
 ふと、彼女と目があった。やっぱり呆然としてるみたい。だよね、と思う。逆の立場だったら、僕だって混乱するし何が何だかわからなくなる。

「…….戻りましょうか」

 僕が言うと、皆が頷いた。再び、食堂へ戻る。

「あは、わたしお腹空いちゃった」

 牟田さんが苦笑いしてフォークを握った。やっぱり我慢してたのか。

「でも、これでちょっと安心だね、って言ったら大橋さんに悪いかな」

 華は少し困ったように言う。

「でも起こしたのは大橋さんだし、自殺は覚悟の上だろうし、仕方ないよ」
「かなぁ」

 日和の返しに、華は少し首を傾げた。

「あの、……一人で行動してもいいってことかな、今から」
「どうしたの? ヒカル」

 ヒカルが困ったように笑った。

「実は、……大したことじゃないっちゃけどね。地下の倉庫、あそこも片付け頼まれとったっちゃん」
「もういいんじゃない? その、雑餉隈さんもういないんだし」
「うん、分かっとるっちゃけど、でもなんか……最期の願いくらい、聞いといてやろうかなーって」
「っていうかさ、ヒカル」

 うぷぷ、と華は嬉しそうに言う。

「方言、出てるよー」
「え? ウソ」

 ヒカルは口に手を当てて、それから笑った。
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