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大橋の告発

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「そして、雑餉隈が後ろを向いた隙にでも、振り子……そう、例えば金槌でも、なんでも構わないのですが、紐にくくりつけた凶器を振り子のように振って、雑餉隈の頭部に。それなら、腕さえ入れば可能ですから」
「はあ? なにそれ、なんの冗談!? そんな成功率の低い殺し方、ある!?」
「これはあくまで想像、ですよ。他の方法かもしれませんが、……あなたが仰ったんじゃないですか、"この状況で嘘をついている人間がいることが怖い"と」
「だから、わたしは」

「あの」

 ヒカルが手を挙げた。

「ウチの母親、博多で元気に保険の外交員してますけど」

 ミチルも苦笑いしている。

「……実のお母様で?」

 大橋さんはまだ疑いの目線だ。

「はぁ、あのー」

 ミチルはスマホで写真を見せた。
 僕も一応、と思って覗き込む。

(わ、そっくり)

 ヒカルとミチルは"二卵性"らしくあまり似ていないけれど、それぞれは母親にそっくりだった。パーツパーツというか。

「信じられなければ、電話でも。心配していたし、そろそろまたかけようかなと思っていたところで。母子手帳の写真でも送ってもらいましょうか?」
「……いや、失礼しました」

 大橋さんは流石に丁寧に、牟田さんへ頭を下げた。

「ちょっと……あの、言い訳ですが、少し精神的に、その」
「……いいわよ。当初から信憑性ゼロの話だったし。誰も信じてなかったでしょ? しかし笑わせるわね、振り子って。ま、気持ちは分からなくもないわ」

 牟田さんは眉をひそめたままだったけど、ここで事を荒だてても、という判断なのか案外あっさりと大橋さんを許した。

「けど、まぁ、犯人扱いされてちょっと落ち着いて来た」

 牟田さんも、山ノ内さんと鹿王院さんに頭を下げた。

「そもそも、アナタたちには殺せないのよね、防犯カメラの映像があるんだから……」
「や、こっちこそ、すんません。なんか怖がらせたみたいで」

 なんとなく場が和んだところで、けれど次の瞬間にはまたシンとした静寂が場を包んだ。

(みんな探り探りってかんじだなー)

 僕は少し落ち着いていた。多分、僕と華は殺されない。
 というか、下手に指摘するほうが生存率下げるし(犯人刺激しちゃうのが怖いよね)、そもそも華は友達がヒト殺しなんて知ったらショック受けちゃうだろう。下手したらまたしばらく鬱入るかも……。

(それは困る)

 ふつうに、辛そうな華を見ていたくない。物を食べない、目が合わない、お風呂に入らない、トイレに行くので1日分のエネルギーを使い果たす。一日中ベッドから空を見てるだけ。通り過ぎる飛行機に涙を流すだけ。
 ちらりと華を見る。気楽そうにキョロキョロしていた。

「あの」

 ミチルが口を開いた。

「その、……もし、良ければなんですけど」
「なぁに?」

 自分の娘扱いされたからか、……まぁ関係ないか、牟田さんは心なしかミチルに優しい。

「あの、……展示室、見学されませんか?」
「絵を?」
「はい」

 ミチルは少し微笑んだ。

「こんな時ですけれど、少しは気がまぎれるのではないかと」
「……そうね」

 牟田さんは腕を組み直す。

「ここにいても、展示室にいても、結局外に犯人がいるならいる、この内部に犯人がいるならいる、で状況は変わらないんだものね」
「言い方はアレやけど……せやな、それ観にきたんやし、観とこ! まぁ観てもなんも分からんのやけど」
「……、我々もご一緒させてもらっても構わないでしょうか」

 大橋さんと吉田さんが言う。

「もちろんです。ご不安でしょう」

 鹿王院さんが返した。

「どうする? 観る?」

 日和が華に向かって言った。

「んー。圭くんどうするの」
「行こうかな」
「そ? じゃ、行く。ねー、そろそろ幽霊出てくるかな?」

 華の発言に、皆ぎょっと華を見る。

「え、ここ、葛飾北斎の幽霊が出るって」
「……そっちね」

 翔が気が抜けたように言った。

「ま、いたらいたで絵の描き方でもご教授願うとして……展示、行ってみるか」

 健の言葉に、翔も頷いた。
 全員で、二階の展示室に移動する。薄暗い展示室に、額に入って、もしくはガラスケース越しに作品が展示してある。

「わぁすごい」
「全部浮世絵? 葛飾北斎?」

 華と日和の感嘆に、ミチルが答えた。

「北斎だけじゃなくて、いろんな人の作品があるみたい。よく分からないんだけど」

 ふらふらと華は歩き回る。危ないなぁ、もう。

「あ、これ可愛い」

 華が目をつけたのは、擬人化された金魚が団扇を持ったりなぜか蛙の手を引いたりしている、どこかコミカルな作品。

「これは歌川国芳」
「えー、可愛いなー! 好きだな! 他にはないの?」
「あ、多分こっちに」

 ミチルと華はさっさと奥に進んでいく。他の作品は観ないの!? 追おうとすると、健に「観とけよ」と言われた。

「もうこうなったら、お前くらいじゃん。いまここで、この絵観てちゃんと色々分かんのって」
「……浮世絵は」

 僕はぽつりと言う。

「そんな風に高尚なものじゃなくて、普通に庶民が楽しんでたものだから。見て楽しめたら、それでいいと思う」
「ほーん? そんなもんかな」
「でも、観たい。華、よろしく」
「おう」

 健は僕の頭を撫でて、歩いて行った。

(いいやつなんだよなぁ)

 いいやつなんだけど、いいやつだからこそ譲りたくないって思ってしまう。華のこと。
 僕は目線を上げた。髑髏だ。

「河鍋暁斎まであるの」

 有名な下絵だ。思わず出たひとりごとに、返事があった。

「お茶、飲めるのかな」

 僕はヒカルを見上げた。ヒカルはいたずらっぽく笑う。

「骸骨なのに」
「あっは、まぁね」

 骸骨がお茶を点てようとしているところ。

「いやしかしーー凄いよね。さすが、描けぬもの無し、なんて言われるだけある」
「圭も絵を描くんだっけ?」

 ヒカルの目は優しく僕を見ていた。

「見てみたいな、君の絵」
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