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鹿王院の告発

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「そして犯人は、脱出する前に部屋を荒らした。カモフラージュのためにな。そして、椅子を足場に換気扇の穴から脱出。椅子を、例えばそれがバットのように長ければ、その凶器でも構わないし、外は山ーー森林だ。事前に太い枝でも見つけてあれば、外から身を乗り出して手を伸ばし、で椅子の背を押して、倒すことは可能だろう」

 鹿王院さんは続ける。

「そして、換気扇に結わえた糸、または紐を手繰り寄せ、元の位置にはめる。付けていた紐をその辺りに固定する。固定の方法はいくらでもあるので言及しない。ただ、こうすれば簡単には落ちない。蝶ネジはそのうち機会を見て戻すつもりではないだろうか、というのが俺の見解だ」
「はーん。せやけど三階にはどうやって戻るん?」
「バルコニーに、ヒモでもなんでも結んでおけばいいだろう。バルコニーを降りる時同様、足場にすれば、戻ることは可能だ」

 僕は黙っていた。恐らく、鹿王院さんの中でそれを実行できる人間はここにたった1人しかいない。

「凶器は何でも構わない。しかし金属製の何かだろう。バット、とまでは言わないが」

 鹿王院さんは淡々と続けた。

「例えば、バールのようなもの、とか」
「よくあるやつやー」

 山ノ内さんが笑う。

「茶化すな」
「ハイハイ」

 鹿王院さんは一息ついて、続けた。

「それほど大きいサイズのものでなければ、カバンにも十分入るはずだ、常盤華さん」
「はひ!?」

 説明に飽きて若干ぼーっとしていた華はびくりと鹿王院さんを見た。

「わ、私ですか!?」
「ちょっと待ってください、鹿王院さん。なんでコイツが犯人なんすか」

 健が庇うように前に立つ。自然にこういうことができるから、こいつはこいつなんだよなぁ。

「圭くんの実験を、君も見ただろう」
「いや、それは」
「ここにいる人間で、圭くんより小柄なのは華さんしかいない。そうだろう?」

 皆の視線が華に集まる。華は「いやぁ」なんて何故か照れてるけれど、そんな場合じゃないから。

(しまったな)

 あんな殺人は「男にしかできない」と皆思うだろうな、という推測があった。
 だって、成人男性相手なのだから。
 ゆえに、「男で一番小柄な僕が通れなければ誰にも通ることはできない」すなわち、換気扇は「何にも使われなかった」という証左にしたかったのだけれど。

(けど、荷物検査で薬が見つかってるから)

 華の、睡眠導入剤。あれが誤算だったか? 眠らせてしまえば、男性も女性も関係ない。もう、なんでも出しっ放しにするから!

「だから、君たちはで来たんだ」
「……どういうこと?」

 牟田さんが腕を組んで言う。

「この子達がどこから来たのか、俺は知らない。だが、仲間内で話していても明らかに特徴的な方言は出ていないことからして、恐らく首都圏から来たのではないかと推測できる」
「浜ッ子でーす」

 なぜか華は少し嬉しそう。……犯人扱い、嬉しいのか?

(非日常、だもんな)

 華の好きそうな。死体を見た時のショックは何処へやら、だ。

「カバンにバールであれなんであれ、凶器になりそうなものを入れていれば、航空機であれば、当然エックス線検査にひっかかる。『人に危害を与えたり他の物件を損傷する恐れがあるもの』は航空機輸送が禁止されており、預けることも持ち込みもできない」

 華はにこにこしている。まぁ、なるほど。自分で言い逃れできるとこを見つけてるんだろう、っていうか自分のことだからな。

(鹿王院さんのトリックは、華には絶対に無理だ)

 だからこそ、僕たちは新幹線で来たのだ。

「それから、君は不眠症、だったか。あの睡眠導入剤。あれで雑餉隈さんを眠らせておけば、殴り殺すのは容易だっただろう」
「せやけど、華はいつ換気扇外したんや」
「それは華さんではなくても構わない。あの時、……雑餉隈親子のケンカのあと、アトリエに残ったのは全員友達だろう?」
「華とヒカルたちは初対面ですよ」

 翔が言う。

「それは証明できないだろう? 君たちの試合の時に知り合っていない、とは断言できない」

 そう言われて、翔は「それはそうですけど」と黙った。

「華さんは、なぜ雑餉隈さんを?」

 牟田さんが聞く。

「知らん。興味がないのでな。単に消去法で華さんしかいない、とそう言っているだけだ」
「うーふふ」

 華はやっぱり楽しそうに言う。

「鹿王院さん、ごめんなさい。私には、それ、無理なんです」

 いたずらっぽく、華は微笑んだ。

「だって私、高所恐怖症なんだもの」
「……高所恐怖症?」

 健が少しホッとしたように「そうなんす」と続けた。

「華にはなんつう芸当は、到底無理です」
「……なにか、証明できるものは?」
「なんなら今主治医に電話しますけどー」

 華は微笑んだまま、上着の裾をたくし上げた。胸ギリギリまで。
 皆、ギョッとした顔をする。

「皆さん覚えてますかー? 随分前、10年くらい前ですけど、ユピテルエアラインの飛行機が落ちたこと」

 華は腹部から背中に残る、そのケロイド跡にそっと触れた。

「私、それに乗ってました。両親と。たった1人の生き残り、それが私です」

 健が何も言わず、服を戻す。

「わざわざ見せることはねー」
「一見は百聞にしかずなんじゃないかな」

 そしてスマホを取り出した。

「なんなら、ネットニュースに載ってますから。記事見せましょうか?」

 余裕ぶって笑うけれど、手は少し震えている。僕は立ち上がって、華の手を取った。華はちらりと僕を見る。
 鹿王院さんは無言で華に近づき、頭を下げた。

「済まなかった。……傷跡など、見せたくないものまで」
「いえいえ。嫌疑は晴れましたか」
「もちろんだ」
「ていうか鹿王院さん、華に運動能力というものはほとんど備わってないんですよ」

 僕は肩をすくめた。

「縄跳び、5回も跳べないんです」
「……二重飛びとかではなく?」
「いえ、普通に」

 鹿王院さんが少し驚いた顔をして、華はぷうっと頬を膨らませた。

「あれタイミングとか難しいんだよ!」
「こんな人ですから、高所恐怖症なんか無くても人殺すなんて無理ですよ。ましてや、バルコニーを登り降りするなんて」
「……その、今度教えようか」

 縄跳び、という鹿王院さんに、華は軽く蹴りを入れーーようとして、こけていた。

「大丈夫か」

 すんでのところで、鹿王院さんに抱きとめるように支えられて、……華は控えめに笑った。
 僕と健はムッとした顔をした。だって華がさっきまで犯人扱いされてたのを棚に上げたように、ほんの少し頬を赤く染めたから。

「華さんは犯人ではあり得ないということね?」

 牟田さんが口を開く。

「そうなりますね」
「なら、わたしからもいいかしら?」

 牟田さんはすっと表情を消した。

「正直、トリックなんて思いつかないーーただ、犯人だと思しき人はいるわ。明らかに嘘をついてる二人組がね」
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