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現場検証

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「もう一度、あの部屋を、いや、地下階全体を確認をするべきだと俺は思う」
「なんでや」
「犯人の遺留物があるかもしれないし、それに」

 鹿王院さんは厳しい目つきのまま、続ける。

「犯人が地下階のどこかに、潜伏している可能性だってある」
「あ」

 山ノ内さんが小さく言った。

「それもそうやな」
「その場合は"パーティお開き前"に防犯カメラに姿が映っているはずだ」
「それで、そのまま地下に?」

 牟田さんがぞっとした、といった表情で身体をかきいだく。

「言い出したのは俺だし、俺が見に行こうと思う」

 鹿王院さんは立ち上がった。

「わたしたちも行きます」

 大橋さんと吉田さんが手を挙げた。

「お客様にそんな危険なことをさせるわけには」
「ほな、俺も」
「山ノ内さんは残ってくれ」
「なんでや」
「ここが、女性と子供だけになる」
「まぁ」

 そうやけど、と山ノ内さんは言った。

「……僕も行きます」

 そっと手を挙げた。

「圭くん?」

 華が心配そうに言う。僕は少しだけ微笑んだ。

「少し……気になることがあるから」
「じゃあ俺も行くわ」
「え、健くん」

 健が付いてくると言って立ち上がり、翔は健を見上げた。

「万が一犯人がいたらお前、逃げらんねーじゃねぇか」
「……まぁね」

 僕はそう言うけれど、まぁ、心配はしていない。犯人はきっと、地下になんかいない。……確信はまだないけれど。

「まぁ、男手が増えるのは助かる」

 こんな状況だからな、と言う鹿王院さん。僕はともかく、健は成人男性と比べても遜色ない体格なので十分に戦力にカウントできるだろう。

「翔、お前は残れ。いざとなったら相手殺す気でやれよ」
「怖いこと言わないでよ……」

 翔が苦笑いをして、少し目を泳がせた。
 僕らは地下へ向かう。僕、健、鹿王院さんがエレベーターで、大橋さんと吉田さんは階段。いちおう二手に別れたのだ。
 しかし特に何に遭遇することもなく、地下階へ到着した。
 むせかえる血の香り……濃くなっている。

「暑いから」

 鹿王院さんは言う。

「空調をいれなくては、ご遺体が腐ると思うのですが」
「現場のものには、一切触らないでください、と警察の方から言われておりまして」

 大橋さんは眉をひそめた。

「しかしまぁ、……こんなことを言っては何ですが、たった1日のことですし、幸い、今から雨のようです。気温も下がるかと」

 鹿王院さんは頷いた。
 アトリエをのぞく。……相変わらず、少し耳鳴りがする。

(昨日の夜には、こんなことはなかった)

 なら、原因は何だ?
 視線の先には、脳漿を垂れ流す雑餉隈さん。壁には青い虎。濃い血の香りでかき消されてはいるけれど、たしかに香る油絵の具のかおり。

「あの絵は誰が描いたんだろうな」

 健が、ぽつりと言った。

「それは……雑餉隈本人では?」

 大橋さんが不思議そうに返す。いちおう、対お客様なので、雇い主だけど呼び捨てだ。
 健は少し考える目つきでその虎を見た。

「……あの換気扇は」
「はい?」

 鹿王院さんの言葉に、大橋さんが不思議そうに返事をした。

「何か通気ダクトのようなものに続いているのですか?」
「いえ、直接外です。ここは地下ですが、そうですね、高さ約5分の1ほどは地面に出ている計算になります」
「では、あの換気扇を外したら外に出られるのですね?」
「はぁ、それはそうですが」

 鹿王院さんはフム、という顔をした。

「それほど大きくはないので、出られるかどうか」
「試してみても?」
「いえ、あの、警察の方から」

 絶対に触るな、と言われているのだ。

「サイズを測るだけでもできないものでしょうか」
「はぁ……しかし」
「あ、大橋さん、鹿王院様」

 吉田さんか思いついたように言った。

「一階事務室に、全く同じ換気扇が設置されております」
「ああ、そうだった。鹿王院様、そちらを見ていただくことでご容赦願えませんでしょうか」
「……では便宜上、それで」

 鹿王院さんがそう言って、僕らは地下階の捜索に移った。
 地下にあるのは、アトリエ、パーティをしたホール、雑餉隈さんの自室、倉庫。倉庫と言っても、要は美術品の保管庫だ。
 保管庫で、こっそり収蔵品を覗き見る。"雑餉隈さんが描いた"っていう絵のシリーズも数点あった。

(あ)

 ちょっとテキトーな感じで仕舞われてる版木を発見した。例の、富嶽三十六景の版木だとかいうやつ。

(この保管の仕方は、やっぱニセモノかぁ)

 かな? そう思う。

(やっぱ、客寄せパンダにするつもりだったんだ)

 限られたお客様(審美眼のない)だけに公開します、とかいって。

「何かあったか?」
「ん? んーん、なにも」

 健に聞かれて、僕は首を振った。

 結局のところ、地下階には何もなかった。
 食堂に戻る前に、僕らは事務室へ向かう。鹿王院さんが、換気扇にこだわったからだ。

(んー、まずいかな)

 僕の仮説が正しいとするなら、彼女はこの換気扇を「使って」いる。

(いや、まだ仮説なんだけど)

 仮説も仮説。
 僕の思いなんか無視して、鹿王院さんは事務室の換気扇を見上げた。
 脚立に登り、ほんの数分でそれを外した。

「へぇ、換気扇てそんな簡単に外れるんすか」

 健が感心したように言う。

「蝶ネジで留まっているだけだな。こういうタイプの」

 鹿王院さんは換気扇本体を掲げて見せた。

「羽根が見えているタイプは」
「じゃあ」

 吉田さんがハッと気づいて言う。

「換気扇を外してしまえば、そこから出入り、できますね……?」

 鹿王院さんは静かに頷いた。
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