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【高校編】分岐・鍋島真

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「ええっと」

 戸惑うように私を見る真さんのお母さんに、私は「初めまして」と頭を下げた。

「妹さん、……かしら」
「いえ、その」
「妻です」

 真さんは淡々と言った。
 都内のホテルのレストラン、その個室で真さんとお母さんは再会していた。

(……色々あったんだろうし)

 私は目を伏せる。

(感動の再会、とはいかないよね)

 真さんはさっきからほぼ無言だし、なんなら不機嫌を隠そうとしていない。……というか、人前で不機嫌な自分を晒してる真さんってかなり珍しいんだけど、それはなんでだろう。

「……結婚してるの?」

 戸惑うお母さんに、真さんは何も返さなかった。お母さんと視線が合う。私はぺこりと頭を下げた。

「ええと、」

 お母さんの視線が遠慮がちに私のお腹あたりをウロウロと……。

(そりゃそーだ!)

 この年齢で結婚だもんね、そんな風に勘違いされちゃうのも仕方ない。

「あの、そのー、まだです」
「え、あ、そうなの? てっきり。ごめんなさい」
「リス男と違って」

 真さんは言う。

「結婚前に妊娠させるような真似しませんので僕は」
「り、リス……?」
「お父様のことらしいです」

 ふん、と真さんは視線を窓の外へ。……もう、話が進まないなぁ。ていうか、真さん、ドイツ行く前赤ちゃんがどうのとか言ってませんでしたっけ……。

「あの、華です。難しいほうのお花で」
「華、さん」

 お母さんは柔らかく微笑んだ。私もほほえみかえして、……しん、となる。
 私は横目で真さんを見た。真さんはただ窓の外を眺めている。

「あの」

 口を開いたのは、お母さんだった。

「お父様、のこと……大変でしたね」
「別に」

 真さんは視線一つ動かさず答えた。

「そ、そう? あの、真……さん、は今は大学生なのかしら」

 真さん、って呼び方に、私は少し胸が痛んだ。少し切ない響きだったから。

「だったらなに」
「あの、学費とか、生活費とかは大丈夫?」

 心配そうに、でも落ち着かず目線をウロウロさせながら、お母さんは続ける。

「その、これ」

 お母さんは、テーブルの上に通帳を2冊置いた。判子も一緒に。

「良ければ、何かの足しに」
「いらない」

 真さんはやっぱり、お母さんの方なんか見ずに返事をする。

「学生だけど働いてる。学費も生活費も問題ない」
「で、でも学生の稼ぎでは限界が」
「関係ない」

 真さんはやっと視線をお母さんに向けた。

「あんたには関係ない」
「……そ、うよね」

 お母さんはうなだれた。少し、声が震えている。

「でも、受け取って欲しいの」

 すっ、と顔を上げたお母さんは穏やかに微笑んでいた。

「両方とも、あなたのお金だし」
「どう言う意味」
「こっちは、あなたが生まれてから貯め始めたお金で」

 通帳をすっとこちらに滑らせる。

「こっちは、あなたのお父様とお別れするときに、わたしにくれたお金で」

 私は驚いて真さんを見つめた。だって、真さんは言っていた。「手切れ金で僕は捨てられた」んだって。
 でも真さんは眉ひとつ動かさなかった。

「いらない」
「そ、そんなこと言わずに」
「なにが目的?」

 真さんは目を細めた。

「残念だけど、僕は金ヅルにはならないよ」

 お母さんはぽかん、と真さんを見つめた。その表情がひどくひどく傷ついたもので、私は思わず真さんの腕をとる。

「真さん」
「華」

 真さんは私を見る。淡々とした表情だった。

「あのね、こういうのはハッキリさせておかなきゃダメ。僕はもう家庭を持っています、もう関わらないでください」

 お母さんは何度も瞬きをして、それが涙をこらえているように見えて、私は苦しくなった。

(……でも、私が口を挟める問題じゃない)

 真さんと、お母さんの、とてもセンシティブな問題で。なにより、真さんは……本人に自覚はないかもしれないけれど、とても傷ついているように思えた。

(でも、このひと、そんなヒトだと思えないよ)

 お金で我が子を手放すような人には。実際、その「手切れ金」には手をつけていないようだった。

「……あ、わたし、行きます」

 お母さんは立ち上がる。机のうえの通帳は、そのままだった。

「一応受け取って? 不要なら、弁護士さんに渡してもらえば、それでいい、から」

 涙声でつっかえながらそう言って、逃げるようにお母さんは部屋を出て行く。ぱたり、と扉が閉まってから、真さんは冷たい目で通帳を眺める。

「あのう、見てみてもいいですか」
「なんで? お金好き? 欲しいなら華貰っていいよ」
「いや、いらないですけど」

 なんか、なんとなく。確かめたいことがあった。
 ぱらり、と通帳を開く。

「3082円」
「なにその半端な額」

 私は真さんに、そのページを見せた。1件目の入金。

「これ多分、生まれた時の重さですよ」
「……へー」

 真さんは目を細めた。興味なさそうに。
 しばらくは毎月数万円ずつ積み立てられて、それからは一年に一度、まとまった額が入金されていた。毎年、真さんの誕生日にーーそして、20歳の誕生日まで、毎年。

「……誕生日、忘れてなかったんですね」
「……」

 真さんは黙って通帳を見ている。
 私はお父様からの手切れ金、って言われてたほうも開いて、思わず変な声で呟いた。

「い、一千万」
「ふーん」

 興味なさそうな真さん。
 記帳は1件目の入金だけ。それ以降はなんの記録もない。

「ねえ真さん」
「なに」
「これ、この手切れ金、びた一文使われてないですよ」
「……なにが言いたいの華」
「別に、…….ただ、真さんが思ってるような人じゃ」

 少し乱暴なくらいの勢いで、ものすごく唐突にキスされた。

「んー!?」
「華」

 至近距離に、真さんの整い過ぎたかんばせ。……未だに慣れない。

「な、なにするんですか」
「煩かったから口封じ」
「口封じって」

 なんですかそれは。

「簡単に切り替えられるような、そんな感情じゃないよ」

 真さんは静かに言う。

「……ごめんなさい」
「でも、そうだね」

 真さんは立ち上がり、通帳を手にしてまじまじと眺めた。

「弁護士経由じゃなくて返すくらいのことは、してもいいと思った」

 その表情は少し困っているようにも見えて、私はほんの少しだけ、微笑んだ。
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