206 / 702
分岐・相良仁
救出(side仁)
しおりを挟む
「教会で騒ぐのは神への冒涜です」
その時、涼やかな女の声がした。教会の隅、おそらくは地下へ続く階段から上がって来た女。
(……差し詰め聖母マリアってとこか)
白いヴェール、赤いワンピースのような服に大判の青いストールを羽織っている、同じ年くらいの作り物めいた美しい女。
鍋島がぴくり、と肩を揺らして低い声で言う。
「こいつが"教祖"よ。信者の男と、石宮さんを地下へ連れて行ったの」
へえ、と俺は半眼で眺めた。
「カトリック系じゃなかったでした?」
カトリックにおいて女性は聖職者にはなれない。
(まぁここはマガイモンだからな)
目の前の女も、聖母マリアを気取っているようだし。
「本来的に」
女は笑う。
「神のもとでは平等なはずの男女ですのに。醜い男たちのせいで、女をひとつ貶めてきた歴史がございます」
「そーですか」
女はじりじりと距離をつめてくる。俺は華たちの前に立つ。何するかわかんねーぞコイツ。
「教祖さんと」
鍋島兄がスタスタと歩きながら彼女に近寄っていく。まるで道端で知り合いに会ったかのような間の詰め方。
「僕、少しお話しがしたいんですけど?」
にこり、と鍋島兄は首を傾けた。さらりとキューティクルでコーティングされた髪が流れる。向き合うふたりは、まるで……そうだ、宗教画のようだった。
受胎告知、をほんの一瞬だけ思い浮かべる。マリアとガブリエル。
でもここの2人は骨の髄からニセモノだ。まがい物のマリアと、イミテーションのガブリエル。
扉の外からは、相変わらずの怒鳴り声。どんどん、と扉を叩く音。
女はちらり、とそちらにも目をやって「いいでしょう」と微笑んだ。
「君たちは地下室へ」
鍋島兄は微笑んで言う。
「あの子のことはほんとにどうでもいいんだけど、……千晶は嫌なんだよね? 殺されるの。あの子が」
「当たり前ですっ」
鍋島と華がしっかり手を繋いだまま、走り出す。俺と黒田も続いた。
階段を下りながら、背後に鍋島兄の声が聞こえる。
「ハルマゲドン、ねぇ」
くすくす、と笑う声。
「そんなものより怖いもの、見せてあげられるのに」
……本当に見せそうで怖い。横の黒田も苦い顔をしていた。
地下からは騒ぎ声が聞こえる。
地下礼拝堂では、石宮が金切り声を上げて逃げ回っていた。ちょっと耳に響く。
「きゃああ、や、うそ、うそですっ、る、瑠璃がここでっ、こんなところでっ、死ぬわけがありませんっ」
「死ではありませんよマードレ・ラピズラッズリ、あなたの聖母としての器を我らが教祖様へ移すだけ」
「乱暴してはいけませんよ、首を切る以外の傷はつけてはならぬのだそうです」
「く、く、首っ!? 切らせませんっ、やだっ、ふええっ」
石宮の腕が掴まれたのを見て、華は何かを放り投げた。ケータイだ。お子様ケータイ。防犯ベル付きーー華はピンを引き抜いていたので、地下全体にビービーと音が鳴り響く。男たちは一瞬、動きを止めてこちらを剣呑な目つきで眺める。
華たちの前に立つ。黒田は何も言わずに階段の上を警戒してくれていた。
「……邪魔をするな」
「じきに警察が来る。諦めろ」
「そんなわけにはいかない、教祖様が蒙昧な異教徒どもに連れていかれる前に、この乙女の血を捧げなくては」
なんの話だ。俺は近づく。男は石宮を連れたまま、じりじりと下がる……けど隙だらけだ。足払いしてついでに思い切り殴りつける。石宮ごとこけたけど、まぁ石宮には死ぬよりマシって思ってもらわないと。
「うぇえ、えぐっ、痛いですう」
「知るか、ほら立って」
無理やり腕を引く。ふにゃふにゃとして一向に立つ気概が見当たらなくて、俺はさすがに少しイラつく。男はほかの信者に助け起こされそうになっている。
「ふぇ、先生っ。助けに来てくれたのですかっ」
「成り行きでね」
俺は肩をすくめて石宮を立たせた。石宮はべっとりとしがみついて来る。
「うわ、なんだ」
「えぐっ、えぐっ、る、瑠璃、怖かったですぅぅうう」
お前の蒔いた種だろうが、と怒鳴りつけるのを我慢した俺はとてもエライ。
「せ、先生って、も、もしかしてっ、隠しキャラ? イケメンだもんっ。瑠璃の? それとも別のゲームの?」
イケメン、と褒められてこんなに嫌になることがあるとは思わなかった。多分すっごい嫌そうな顔をしているけど、石宮は気にもとめていない。キラキラと俺を見上げる。怖いよ。
つか、ゲームって、華と鍋島が言ってる、なんだっけ……シュミレーションゲームの話か?
俺は無視して、俺から石宮を引き離して(しぶしぶ)手を引いて俺の後ろに隠した。
ちらりと背後を窺うと、俺の背中にすっぽり隠れた石宮は、ちらりと華たちを見上げている。そしてとても嬉しそうに鼻の穴を広げた。……ものすごく自慢気なのはなぜだ。
華たちも困惑の表情を浮かべていた。
色々釈然としないが、とりあえずは目的達成、なのか?
あとは警察が来るまで耐えればそれでヨシ。
(敦子サンにはなんて説明しましょーね?)
でも壁よじ登って来たのは華のほうだし、でもなぁ、うーん、なんて考えていると鍋島が一歩、男たちの方に足を踏み出す。
「他の子たちはどこ!? 手を出してはいないでしょうね!?」
「手を出す、など。聖母が見つかった今、あの子たちはただの子羊。親元に返すとしましょう」
「本当に!? 無事なのよね!?」
必死に言いつのる鍋島。
(なぜ)
俺はほんの少し不思議に思う。
なぜそんなに必死なのだろうか、と。
「そう、無事です……だから、その方を離してはもらえませんか? マードレ・ラピズラッズリを」
「なぜこの子にこだわるの!?」
「なぜなら、教祖様はイエス様をお産みになられるからですよ」
「……は?」
「そのために、聖女であるその乙女の血がいるのです」
「だめよ、この子は渡さないっ、きゃっ」
千晶ちゃんの腕を、信者の男が強く引く。
「千晶ちゃん!」
追おうとした華を黒田が抱きとめるように止めた。
「そいつを離せ」
黒田の言葉をふん、と聞き流して、男は言った。
「ならばあなたでも、構うまい」
「だろう、この子も要件を満たしていれば」
俺に殴られた男が、壁に寄りかかりながらそう返事をする。まだちゃんと立てないみたいだけど、……もっと急所狙って良かったかな? 案外丈夫だなこの人。
「ひとつ聞かせてほしい、君はもう女かね?」
「……は?」
「月のものは来ているのか、と聞いているんだ」
「なんでそんなこと答えなきゃ、きゃっ」
「時間がない、とにかく飲ませよう」
「そうだ」
「千晶ちゃん!」
華は叫んで、黒田を振り切る。黒田もすぐに後を追った。
「離しなさいよっ」
「邪魔だ、時間がないのだっ」
華は大きく振り払われて、床に叩きつけられそうになる。俺は手を伸ばして、それを支えた。
「華っ」
びっくりしている顔をしていたが、すぐに「ありがと」と立ち上がった。黒田もホッとした顔をする。
「なんで……? なんで先生、瑠璃より、悪役令嬢優先したの……?」
背後では、石宮が呆然とした表情でぶつぶつ言っている。だから怖いよ。
「大丈夫、それより千晶ちゃんを」
「わかってる」
華を黒田に託して、鍋島を引きずろうとしていたその男の腕を取る。
「なにを、」
振りほどこうとするけど、その動きに合わせて力を加えた。ぼきり、とちょっと嫌な音。あーあ、痛そう。
「うわぁあっ」
「肩外しただけだよ、大げさだな、って、おいっ」
もう一人の男、立てなかったはずのそいつが石宮の腕を引いた。だけど、すぐにその男も腹を抱えてうずくまる。たまたまかもだけど、同じところ殴られたから……内臓逝ってないといいね。
「なにがなんだかわかんないっすけど、多分これ瑠璃のせいっすよね!?」
いつだか、カフェから石宮を「回収」して行ったーーええと、橋崎か。
「瑠璃。てめー、また人様にメーワクかけてんな? お前がなんかしでかすと、なんでか母ちゃんに俺が叱られるんだよっ」
「て、てっと、違うの」
「違わねーだろうがっ! ……怪我はないっすか」
鍋島に尋ねる橋崎。
「あ、うん」
鍋島は呆然と呟いた。
「良かったっス……巻き込んでしまって、すみません」
「ううん、……君のせいじゃないでしょ」
橋崎は笑った。健康的な、裏表のない笑顔。……鍋島の目がほんの少し潤んだのは、気のせいか?
「な、んで、てっと、そんな子、助けるの、その、その子、悪役令嬢なんだよっ」
「またその話かよ、……って、瑠璃っ」
「きゃ!?」
(しまった!)
もう1人いたのか、とそいつに目をやる。瑠璃の髪を掴み上げ、ナタを片手にぶるぶると震えていた。
「もう警察が門のところまできている! ここで首を落として、教祖様に!」
「や、いやぁっ、なんで、なんで瑠璃なのっ、選ばれたのに! 瑠璃は、神様に!」
叫ぶ石宮の体に、華がしがみつく。
「華!?」
俺と黒田が同時に走る。俺は黒田の肩を押した。刃物を持ったヤツ相手だ。怪我させるわけにはいかない。コイツだって、俺の生徒なんだから。教師業は、まぁ、片手間なんだけど、……嫌いじゃないから。
「さがらんっ」
俺は男に組みついて、でも2人を庇いながらだからうまく動けない。
なんとか2人を俺の後ろに隠すけど、暴れる男が持つそのナタが、鈍く光りながら迫る。まぁ全然避けられるけど、と後ろに下がろうとして、それができない。
「ふえぇっ、先生っ、怖かったよおお、た、助けてくれてありがとっ、る、瑠璃、せんせぇみたいなひと大好き~、強ぉい」
クソ女。
それしか感想がなかった。石宮は避けようとした俺の足にしがみついて来たから、避け方が中途半端になってーー脇腹が熱くなる。
(あ、やべ)
掠っただけだと思うけど、思いたいけど、結構ヤバイ感じに深い傷な予感が多少……。思わず座り込んだ。うん結構、これは、やばそう。失われていく血液。赤黒い血液、静脈だけっぽいけど、どうだろう……。
「じんっ」
華の悲鳴。
石宮は俺から飛びのいて離れたみたいだった。
「や、やだぁっ、先生が、瑠璃のためにっ」
テメーのためじゃねぇよ、テメーのせいだよクソ!
華がナタから庇うように、俺の上に覆いかぶさる。
「華、どけっ」
「やだっ」
俺はとにかく力を込めて血まみれの身体に華を抱き込んだ。
(殺すなら俺からにしてほしい)
こいつが先に死ぬとか、ほんともう俺無理だから!
(最期かも)
そう思って、腕の中の華の頭に口付けた。ピクリと、華が震えた。
(死なせてたまるか!)
俺が睨みつける先で、男の腕を蹴り上げたのは黒田だった。
「クソ野郎!」
蹴り上げられたナタは、空中でクルクルと弧を描いて飛んで、尻もちをつくような体勢で座り込んでいた石宮の足の間に落ちて床に刺さった。
「ひ、ひえええええ!?」
間抜けな石宮の声に、なんだか力がドッと抜けた。
なんだそりゃ。
黒田がトドメと言わんばかりの蹴りを男に入れていて、ほとんどそれと同時に「動くな!」と今更感溢れる警官隊のご到着。
結局黒田に助けられちゃったなぁ、なんて思っていると、一瞬意識が遠くなる。あっぶね。
「じ、ん」
いつのまにか、華が俺を上から覗き込んでいた。
(あれ、俺寝てる?)
ヤバイな、気がつかなかった。
「仁」
ぼたぼた、と華の涙が顔にかかる。暖かいような、冷たいような。
「死なないで」
ぐしゃぐしゃの顔で言うから、俺はなんとか笑ってやる。
死なねーよ、って言ったつもりだけど、どうだろう、ちゃんと言えていたのか、自信はあんまりない。
その時、涼やかな女の声がした。教会の隅、おそらくは地下へ続く階段から上がって来た女。
(……差し詰め聖母マリアってとこか)
白いヴェール、赤いワンピースのような服に大判の青いストールを羽織っている、同じ年くらいの作り物めいた美しい女。
鍋島がぴくり、と肩を揺らして低い声で言う。
「こいつが"教祖"よ。信者の男と、石宮さんを地下へ連れて行ったの」
へえ、と俺は半眼で眺めた。
「カトリック系じゃなかったでした?」
カトリックにおいて女性は聖職者にはなれない。
(まぁここはマガイモンだからな)
目の前の女も、聖母マリアを気取っているようだし。
「本来的に」
女は笑う。
「神のもとでは平等なはずの男女ですのに。醜い男たちのせいで、女をひとつ貶めてきた歴史がございます」
「そーですか」
女はじりじりと距離をつめてくる。俺は華たちの前に立つ。何するかわかんねーぞコイツ。
「教祖さんと」
鍋島兄がスタスタと歩きながら彼女に近寄っていく。まるで道端で知り合いに会ったかのような間の詰め方。
「僕、少しお話しがしたいんですけど?」
にこり、と鍋島兄は首を傾けた。さらりとキューティクルでコーティングされた髪が流れる。向き合うふたりは、まるで……そうだ、宗教画のようだった。
受胎告知、をほんの一瞬だけ思い浮かべる。マリアとガブリエル。
でもここの2人は骨の髄からニセモノだ。まがい物のマリアと、イミテーションのガブリエル。
扉の外からは、相変わらずの怒鳴り声。どんどん、と扉を叩く音。
女はちらり、とそちらにも目をやって「いいでしょう」と微笑んだ。
「君たちは地下室へ」
鍋島兄は微笑んで言う。
「あの子のことはほんとにどうでもいいんだけど、……千晶は嫌なんだよね? 殺されるの。あの子が」
「当たり前ですっ」
鍋島と華がしっかり手を繋いだまま、走り出す。俺と黒田も続いた。
階段を下りながら、背後に鍋島兄の声が聞こえる。
「ハルマゲドン、ねぇ」
くすくす、と笑う声。
「そんなものより怖いもの、見せてあげられるのに」
……本当に見せそうで怖い。横の黒田も苦い顔をしていた。
地下からは騒ぎ声が聞こえる。
地下礼拝堂では、石宮が金切り声を上げて逃げ回っていた。ちょっと耳に響く。
「きゃああ、や、うそ、うそですっ、る、瑠璃がここでっ、こんなところでっ、死ぬわけがありませんっ」
「死ではありませんよマードレ・ラピズラッズリ、あなたの聖母としての器を我らが教祖様へ移すだけ」
「乱暴してはいけませんよ、首を切る以外の傷はつけてはならぬのだそうです」
「く、く、首っ!? 切らせませんっ、やだっ、ふええっ」
石宮の腕が掴まれたのを見て、華は何かを放り投げた。ケータイだ。お子様ケータイ。防犯ベル付きーー華はピンを引き抜いていたので、地下全体にビービーと音が鳴り響く。男たちは一瞬、動きを止めてこちらを剣呑な目つきで眺める。
華たちの前に立つ。黒田は何も言わずに階段の上を警戒してくれていた。
「……邪魔をするな」
「じきに警察が来る。諦めろ」
「そんなわけにはいかない、教祖様が蒙昧な異教徒どもに連れていかれる前に、この乙女の血を捧げなくては」
なんの話だ。俺は近づく。男は石宮を連れたまま、じりじりと下がる……けど隙だらけだ。足払いしてついでに思い切り殴りつける。石宮ごとこけたけど、まぁ石宮には死ぬよりマシって思ってもらわないと。
「うぇえ、えぐっ、痛いですう」
「知るか、ほら立って」
無理やり腕を引く。ふにゃふにゃとして一向に立つ気概が見当たらなくて、俺はさすがに少しイラつく。男はほかの信者に助け起こされそうになっている。
「ふぇ、先生っ。助けに来てくれたのですかっ」
「成り行きでね」
俺は肩をすくめて石宮を立たせた。石宮はべっとりとしがみついて来る。
「うわ、なんだ」
「えぐっ、えぐっ、る、瑠璃、怖かったですぅぅうう」
お前の蒔いた種だろうが、と怒鳴りつけるのを我慢した俺はとてもエライ。
「せ、先生って、も、もしかしてっ、隠しキャラ? イケメンだもんっ。瑠璃の? それとも別のゲームの?」
イケメン、と褒められてこんなに嫌になることがあるとは思わなかった。多分すっごい嫌そうな顔をしているけど、石宮は気にもとめていない。キラキラと俺を見上げる。怖いよ。
つか、ゲームって、華と鍋島が言ってる、なんだっけ……シュミレーションゲームの話か?
俺は無視して、俺から石宮を引き離して(しぶしぶ)手を引いて俺の後ろに隠した。
ちらりと背後を窺うと、俺の背中にすっぽり隠れた石宮は、ちらりと華たちを見上げている。そしてとても嬉しそうに鼻の穴を広げた。……ものすごく自慢気なのはなぜだ。
華たちも困惑の表情を浮かべていた。
色々釈然としないが、とりあえずは目的達成、なのか?
あとは警察が来るまで耐えればそれでヨシ。
(敦子サンにはなんて説明しましょーね?)
でも壁よじ登って来たのは華のほうだし、でもなぁ、うーん、なんて考えていると鍋島が一歩、男たちの方に足を踏み出す。
「他の子たちはどこ!? 手を出してはいないでしょうね!?」
「手を出す、など。聖母が見つかった今、あの子たちはただの子羊。親元に返すとしましょう」
「本当に!? 無事なのよね!?」
必死に言いつのる鍋島。
(なぜ)
俺はほんの少し不思議に思う。
なぜそんなに必死なのだろうか、と。
「そう、無事です……だから、その方を離してはもらえませんか? マードレ・ラピズラッズリを」
「なぜこの子にこだわるの!?」
「なぜなら、教祖様はイエス様をお産みになられるからですよ」
「……は?」
「そのために、聖女であるその乙女の血がいるのです」
「だめよ、この子は渡さないっ、きゃっ」
千晶ちゃんの腕を、信者の男が強く引く。
「千晶ちゃん!」
追おうとした華を黒田が抱きとめるように止めた。
「そいつを離せ」
黒田の言葉をふん、と聞き流して、男は言った。
「ならばあなたでも、構うまい」
「だろう、この子も要件を満たしていれば」
俺に殴られた男が、壁に寄りかかりながらそう返事をする。まだちゃんと立てないみたいだけど、……もっと急所狙って良かったかな? 案外丈夫だなこの人。
「ひとつ聞かせてほしい、君はもう女かね?」
「……は?」
「月のものは来ているのか、と聞いているんだ」
「なんでそんなこと答えなきゃ、きゃっ」
「時間がない、とにかく飲ませよう」
「そうだ」
「千晶ちゃん!」
華は叫んで、黒田を振り切る。黒田もすぐに後を追った。
「離しなさいよっ」
「邪魔だ、時間がないのだっ」
華は大きく振り払われて、床に叩きつけられそうになる。俺は手を伸ばして、それを支えた。
「華っ」
びっくりしている顔をしていたが、すぐに「ありがと」と立ち上がった。黒田もホッとした顔をする。
「なんで……? なんで先生、瑠璃より、悪役令嬢優先したの……?」
背後では、石宮が呆然とした表情でぶつぶつ言っている。だから怖いよ。
「大丈夫、それより千晶ちゃんを」
「わかってる」
華を黒田に託して、鍋島を引きずろうとしていたその男の腕を取る。
「なにを、」
振りほどこうとするけど、その動きに合わせて力を加えた。ぼきり、とちょっと嫌な音。あーあ、痛そう。
「うわぁあっ」
「肩外しただけだよ、大げさだな、って、おいっ」
もう一人の男、立てなかったはずのそいつが石宮の腕を引いた。だけど、すぐにその男も腹を抱えてうずくまる。たまたまかもだけど、同じところ殴られたから……内臓逝ってないといいね。
「なにがなんだかわかんないっすけど、多分これ瑠璃のせいっすよね!?」
いつだか、カフェから石宮を「回収」して行ったーーええと、橋崎か。
「瑠璃。てめー、また人様にメーワクかけてんな? お前がなんかしでかすと、なんでか母ちゃんに俺が叱られるんだよっ」
「て、てっと、違うの」
「違わねーだろうがっ! ……怪我はないっすか」
鍋島に尋ねる橋崎。
「あ、うん」
鍋島は呆然と呟いた。
「良かったっス……巻き込んでしまって、すみません」
「ううん、……君のせいじゃないでしょ」
橋崎は笑った。健康的な、裏表のない笑顔。……鍋島の目がほんの少し潤んだのは、気のせいか?
「な、んで、てっと、そんな子、助けるの、その、その子、悪役令嬢なんだよっ」
「またその話かよ、……って、瑠璃っ」
「きゃ!?」
(しまった!)
もう1人いたのか、とそいつに目をやる。瑠璃の髪を掴み上げ、ナタを片手にぶるぶると震えていた。
「もう警察が門のところまできている! ここで首を落として、教祖様に!」
「や、いやぁっ、なんで、なんで瑠璃なのっ、選ばれたのに! 瑠璃は、神様に!」
叫ぶ石宮の体に、華がしがみつく。
「華!?」
俺と黒田が同時に走る。俺は黒田の肩を押した。刃物を持ったヤツ相手だ。怪我させるわけにはいかない。コイツだって、俺の生徒なんだから。教師業は、まぁ、片手間なんだけど、……嫌いじゃないから。
「さがらんっ」
俺は男に組みついて、でも2人を庇いながらだからうまく動けない。
なんとか2人を俺の後ろに隠すけど、暴れる男が持つそのナタが、鈍く光りながら迫る。まぁ全然避けられるけど、と後ろに下がろうとして、それができない。
「ふえぇっ、先生っ、怖かったよおお、た、助けてくれてありがとっ、る、瑠璃、せんせぇみたいなひと大好き~、強ぉい」
クソ女。
それしか感想がなかった。石宮は避けようとした俺の足にしがみついて来たから、避け方が中途半端になってーー脇腹が熱くなる。
(あ、やべ)
掠っただけだと思うけど、思いたいけど、結構ヤバイ感じに深い傷な予感が多少……。思わず座り込んだ。うん結構、これは、やばそう。失われていく血液。赤黒い血液、静脈だけっぽいけど、どうだろう……。
「じんっ」
華の悲鳴。
石宮は俺から飛びのいて離れたみたいだった。
「や、やだぁっ、先生が、瑠璃のためにっ」
テメーのためじゃねぇよ、テメーのせいだよクソ!
華がナタから庇うように、俺の上に覆いかぶさる。
「華、どけっ」
「やだっ」
俺はとにかく力を込めて血まみれの身体に華を抱き込んだ。
(殺すなら俺からにしてほしい)
こいつが先に死ぬとか、ほんともう俺無理だから!
(最期かも)
そう思って、腕の中の華の頭に口付けた。ピクリと、華が震えた。
(死なせてたまるか!)
俺が睨みつける先で、男の腕を蹴り上げたのは黒田だった。
「クソ野郎!」
蹴り上げられたナタは、空中でクルクルと弧を描いて飛んで、尻もちをつくような体勢で座り込んでいた石宮の足の間に落ちて床に刺さった。
「ひ、ひえええええ!?」
間抜けな石宮の声に、なんだか力がドッと抜けた。
なんだそりゃ。
黒田がトドメと言わんばかりの蹴りを男に入れていて、ほとんどそれと同時に「動くな!」と今更感溢れる警官隊のご到着。
結局黒田に助けられちゃったなぁ、なんて思っていると、一瞬意識が遠くなる。あっぶね。
「じ、ん」
いつのまにか、華が俺を上から覗き込んでいた。
(あれ、俺寝てる?)
ヤバイな、気がつかなかった。
「仁」
ぼたぼた、と華の涙が顔にかかる。暖かいような、冷たいような。
「死なないで」
ぐしゃぐしゃの顔で言うから、俺はなんとか笑ってやる。
死なねーよ、って言ったつもりだけど、どうだろう、ちゃんと言えていたのか、自信はあんまりない。
20
お気に入りに追加
3,077
あなたにおすすめの小説
転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~
ちゃんこ
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生した⁉
攻略対象である3人の王子は私の兄さまたちだ。
私は……名前も出てこないモブ王女だけど、兄さまたちを誑かすヒロインが嫌いなので色々回避したいと思います。
美味しいものをモグモグしながら(重要)兄さまたちも、お国の平和も、きっちりお守り致します。守ってみせます、守りたい、守れたらいいな。え~と……ひとりじゃ何もできない! 助けてMyファミリー、私の知識を形にして~!
【1章】飯テロ/スイーツテロ・局地戦争・飢饉回避
【2章】王国発展・vs.ヒロイン
【予定】全面戦争回避、婚約破棄、陰謀?、養い子の子育て、恋愛、ざまぁ、などなど。
※〈私〉=〈わたし〉と読んで頂きたいと存じます。
※恋愛相手とはまだ出会っていません(年の差)
ブログ https://tenseioujo.blogspot.com/
Pinterest https://www.pinterest.jp/chankoroom/
※作中のイラストは画像生成AIで作成したものです。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
乙女ゲームのヒロインに転生しました。でも、私男性恐怖症なんですけど…。
三木猫
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公の美鈴。どうせ転生するなら悪役令嬢とかライバルに転生したかったのにっ!!男性が怖い私に乙女ゲームの世界、しかもヒロインってどう言う事よっ!?
テンプレ設定から始まる美鈴のヒロイン人生。どうなることやら…?
※本編ストーリー、他キャラルート共に全て完結致しました。
本作を読むにあたり、まず本編をお読みの上で小話をお読み下さい。小話はあくまで日常話なので読まずとも支障はありません。お暇な時にどうぞ。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!
たぬきち25番
恋愛
気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡
※マルチエンディングです!!
コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m
完璧な姉とその親友より劣る私は、出来損ないだと蔑まれた世界に長居し過ぎたようです。運命の人との幸せは、来世に持ち越します
珠宮さくら
恋愛
エウフェシア・メルクーリは誰もが羨む世界で、もっとも人々が羨む国で公爵令嬢として生きていた。そこにいるのは完璧な令嬢と言われる姉とその親友と見知った人たちばかり。
そこでエウフェシアは、ずっと出来損ないと蔑まれながら生きていた。心優しい完璧な姉だけが、唯一の味方だと思っていたが、それも違っていたようだ。
それどころか。その世界が、そもそも現実とは違うことをエウフェシアはすっかり忘れてしまったまま、何度もやり直し続けることになった。
さらに人の歪んだ想いに巻き込まれて、疲れ切ってしまって、運命の人との幸せな人生を満喫するなんて考えられなくなってしまい、先送りにすることを選択する日が来るとは思いもしなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる