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分岐・相良仁

救出(side仁)

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「教会で騒ぐのは神への冒涜です」

 その時、涼やかな女の声がした。教会の隅、おそらくは地下へ続く階段から上がって来た女。

(……差し詰め聖母マリアってとこか)

 白いヴェール、赤いワンピースのような服に大判の青いストールを羽織っている、同じ年くらいの作り物めいた美しい女。
 鍋島がぴくり、と肩を揺らして低い声で言う。

「こいつが"教祖"よ。信者の男と、石宮さんを地下へ連れて行ったの」

 へえ、と俺は半眼で眺めた。

「カトリック系じゃなかったでした?」

 カトリックにおいて女性は聖職者にはなれない。

(まぁここはマガイモンだからな)

 目の前の女も、聖母マリアを気取っているようだし。

「本来的に」

 女は笑う。

「神のもとでは平等なはずの男女ですのに。醜い男たちのせいで、女をひとつ貶めてきた歴史がございます」
「そーですか」

 女はじりじりと距離をつめてくる。俺は華たちの前に立つ。何するかわかんねーぞコイツ。

「教祖さんと」

 鍋島兄がスタスタと歩きながら彼女に近寄っていく。まるで道端で知り合いに会ったかのような間の詰め方。

「僕、少しお話しがしたいんですけど?」

 にこり、と鍋島兄は首を傾けた。さらりとキューティクルでコーティングされた髪が流れる。向き合うふたりは、まるで……そうだ、宗教画のようだった。
 受胎告知、をほんの一瞬だけ思い浮かべる。マリアとガブリエル。
 でもここの2人は骨の髄からニセモノだ。まがい物のマリアと、イミテーションのガブリエル。
 扉の外からは、相変わらずの怒鳴り声。どんどん、と扉を叩く音。
 女はちらり、とそちらにも目をやって「いいでしょう」と微笑んだ。

「君たちは地下室へ」

 鍋島兄は微笑んで言う。

「あの子のことはほんとにどうでもいいんだけど、……千晶は嫌なんだよね? 殺されるの。あの子が」
「当たり前ですっ」

 鍋島と華がしっかり手を繋いだまま、走り出す。俺と黒田も続いた。
 階段を下りながら、背後に鍋島兄の声が聞こえる。

「ハルマゲドン、ねぇ」

 くすくす、と笑う声。

「そんなものより怖いもの、見せてあげられるのに」

 ……本当に見せそうで怖い。横の黒田も苦い顔をしていた。
 地下からは騒ぎ声が聞こえる。
 地下礼拝堂では、石宮が金切り声を上げて逃げ回っていた。ちょっと耳に響く。

「きゃああ、や、うそ、うそですっ、る、瑠璃がここでっ、こんなところでっ、死ぬわけがありませんっ」
「死ではありませんよマードレ・ラピズラッズリ、あなたの聖母としての器を我らが教祖様へ移すだけ」
「乱暴してはいけませんよ、首を切る以外の傷はつけてはならぬのだそうです」
「く、く、首っ!? 切らせませんっ、やだっ、ふええっ」

 石宮の腕が掴まれたのを見て、華は何かを放り投げた。ケータイだ。お子様ケータイ。防犯ベル付きーー華はピンを引き抜いていたので、地下全体にビービーと音が鳴り響く。男たちは一瞬、動きを止めてこちらを剣呑な目つきで眺める。
 華たちの前に立つ。黒田は何も言わずに階段の上を警戒してくれていた。

「……邪魔をするな」
「じきに警察が来る。諦めろ」
「そんなわけにはいかない、教祖様が蒙昧な異教徒どもに連れていかれる前に、この乙女の血を捧げなくては」

 なんの話だ。俺は近づく。男は石宮を連れたまま、じりじりと下がる……けど隙だらけだ。足払いしてついでに思い切り殴りつける。石宮ごとこけたけど、まぁ石宮には死ぬよりマシって思ってもらわないと。

「うぇえ、えぐっ、痛いですう」
「知るか、ほら立って」

 無理やり腕を引く。ふにゃふにゃとして一向に立つ気概が見当たらなくて、俺はさすがに少しイラつく。男はほかの信者に助け起こされそうになっている。

「ふぇ、先生っ。助けに来てくれたのですかっ」
「成り行きでね」

 俺は肩をすくめて石宮を立たせた。石宮はべっとりとしがみついて来る。

「うわ、なんだ」
「えぐっ、えぐっ、る、瑠璃、怖かったですぅぅうう」

 お前の蒔いた種だろうが、と怒鳴りつけるのを我慢した俺はとてもエライ。

「せ、先生って、も、もしかしてっ、隠しキャラ? イケメンだもんっ。瑠璃の? それとも別のゲームの?」

 イケメン、と褒められてこんなに嫌になることがあるとは思わなかった。多分すっごい嫌そうな顔をしているけど、石宮は気にもとめていない。キラキラと俺を見上げる。怖いよ。
 つか、ゲームって、華と鍋島が言ってる、なんだっけ……シュミレーションゲームの話か?
 俺は無視して、俺から石宮を引き離して(しぶしぶ)手を引いて俺の後ろに隠した。
 ちらりと背後を窺うと、俺の背中にすっぽり隠れた石宮は、ちらりと華たちを見上げている。そしてとても嬉しそうに鼻の穴を広げた。……ものすごく自慢気なのはなぜだ。
 華たちも困惑の表情を浮かべていた。
 色々釈然としないが、とりあえずは目的達成、なのか?
 あとは警察が来るまで耐えればそれでヨシ。

(敦子サンにはなんて説明しましょーね?)

 でも壁よじ登って来たのは華のほうだし、でもなぁ、うーん、なんて考えていると鍋島が一歩、男たちの方に足を踏み出す。

「他の子たちはどこ!? 手を出してはいないでしょうね!?」
「手を出す、など。聖母が見つかった今、あの子たちはただの子羊。親元に返すとしましょう」
「本当に!? 無事なのよね!?」

 必死に言いつのる鍋島。

(なぜ)

 俺はほんの少し不思議に思う。
 なぜそんなに必死なのだろうか、と。

「そう、無事です……だから、その方を離してはもらえませんか? マードレ・ラピズラッズリを」
「なぜこの子にこだわるの!?」
「なぜなら、教祖様はイエス様をお産みになられるからですよ」
「……は?」
「そのために、聖女であるその乙女の血がいるのです」
「だめよ、この子は渡さないっ、きゃっ」

 千晶ちゃんの腕を、信者の男が強く引く。

「千晶ちゃん!」

 追おうとした華を黒田が抱きとめるように止めた。

「そいつを離せ」

 黒田の言葉をふん、と聞き流して、男は言った。

「ならばあなたでも、構うまい」
「だろう、この子も要件を満たしていれば」

 俺に殴られた男が、壁に寄りかかりながらそう返事をする。まだちゃんと立てないみたいだけど、……もっと急所狙って良かったかな? 案外丈夫だなこの人。

「ひとつ聞かせてほしい、君はもう女かね?」
「……は?」
「月のものは来ているのか、と聞いているんだ」
「なんでそんなこと答えなきゃ、きゃっ」
「時間がない、とにかく飲ませよう」
「そうだ」
「千晶ちゃん!」

 華は叫んで、黒田を振り切る。黒田もすぐに後を追った。

「離しなさいよっ」
「邪魔だ、時間がないのだっ」

 華は大きく振り払われて、床に叩きつけられそうになる。俺は手を伸ばして、それを支えた。

「華っ」

 びっくりしている顔をしていたが、すぐに「ありがと」と立ち上がった。黒田もホッとした顔をする。

「なんで……? なんで先生、瑠璃より、悪役令嬢優先したの……?」

 背後では、石宮が呆然とした表情でぶつぶつ言っている。だから怖いよ。

「大丈夫、それより千晶ちゃんを」
「わかってる」

 華を黒田に託して、鍋島を引きずろうとしていたその男の腕を取る。

「なにを、」

 振りほどこうとするけど、その動きに合わせて力を加えた。ぼきり、とちょっと嫌な音。あーあ、痛そう。

「うわぁあっ」
「肩外しただけだよ、大げさだな、って、おいっ」

 もう一人の男、立てなかったはずのそいつが石宮の腕を引いた。だけど、すぐにその男も腹を抱えてうずくまる。たまたまかもだけど、同じところ殴られたから……内臓逝ってないといいね。

「なにがなんだかわかんないっすけど、多分これ瑠璃のせいっすよね!?」

 いつだか、カフェから石宮を「回収」して行ったーーええと、橋崎か。

「瑠璃。てめー、また人様にメーワクかけてんな? お前がなんかしでかすと、なんでか母ちゃんに俺が叱られるんだよっ」
「て、てっと、違うの」
「違わねーだろうがっ! ……怪我はないっすか」

 鍋島に尋ねる橋崎。

「あ、うん」

 鍋島は呆然と呟いた。

「良かったっス……巻き込んでしまって、すみません」
「ううん、……君のせいじゃないでしょ」

 橋崎は笑った。健康的な、裏表のない笑顔。……鍋島の目がほんの少し潤んだのは、気のせいか?

「な、んで、てっと、そんな子、助けるの、その、その子、悪役令嬢なんだよっ」
「またその話かよ、……って、瑠璃っ」
「きゃ!?」

(しまった!)

 もう1人いたのか、とそいつに目をやる。瑠璃の髪を掴み上げ、ナタを片手にぶるぶると震えていた。

「もう警察が門のところまできている! ここで首を落として、教祖様に!」
「や、いやぁっ、なんで、なんで瑠璃なのっ、選ばれたのに! 瑠璃は、神様に!」

 叫ぶ石宮の体に、華がしがみつく。

「華!?」

 俺と黒田が同時に走る。俺は黒田の肩を押した。刃物を持ったヤツ相手だ。怪我させるわけにはいかない。コイツだって、俺の生徒なんだから。教師業は、まぁ、片手間なんだけど、……嫌いじゃないから。

「さがらんっ」

 俺は男に組みついて、でも2人を庇いながらだからうまく動けない。
 なんとか2人を俺の後ろに隠すけど、暴れる男が持つそのナタが、鈍く光りながら迫る。まぁ全然避けられるけど、と後ろに下がろうとして、それができない。

「ふえぇっ、先生っ、怖かったよおお、た、助けてくれてありがとっ、る、瑠璃、せんせぇみたいなひと大好き~、強ぉい」

 クソ女。
 それしか感想がなかった。石宮は避けようとした俺の足にしがみついて来たから、避け方が中途半端になってーー脇腹が熱くなる。

(あ、やべ)

 掠っただけだと思うけど、思いたいけど、結構ヤバイ感じに深い傷な予感が多少……。思わず座り込んだ。うん結構、これは、やばそう。失われていく血液。赤黒い血液、静脈だけっぽいけど、どうだろう……。

「じんっ」

 華の悲鳴。
 石宮は俺から飛びのいて離れたみたいだった。

「や、やだぁっ、先生が、瑠璃のためにっ」

 テメーのためじゃねぇよ、テメーのせいだよクソ!
 華がナタから庇うように、俺の上に覆いかぶさる。

「華、どけっ」
「やだっ」

 俺はとにかく力を込めて血まみれの身体に華を抱き込んだ。

(殺すなら俺からにしてほしい)

 こいつが先に死ぬとか、ほんともう俺無理だから!

(最期かも)

 そう思って、腕の中の華の頭に口付けた。ピクリと、華が震えた。

(死なせてたまるか!)

 俺が睨みつける先で、男の腕を蹴り上げたのは黒田だった。

「クソ野郎!」

 蹴り上げられたナタは、空中でクルクルと弧を描いて飛んで、尻もちをつくような体勢で座り込んでいた石宮の足の間に落ちて床に刺さった。

「ひ、ひえええええ!?」

 間抜けな石宮の声に、なんだか力がドッと抜けた。
 なんだそりゃ。
 黒田がトドメと言わんばかりの蹴りを男に入れていて、ほとんどそれと同時に「動くな!」と今更感溢れる警官隊のご到着。
 結局黒田に助けられちゃったなぁ、なんて思っていると、一瞬意識が遠くなる。あっぶね。

「じ、ん」

 いつのまにか、華が俺を上から覗き込んでいた。

(あれ、俺寝てる?)

 ヤバイな、気がつかなかった。

「仁」

 ぼたぼた、と華の涙が顔にかかる。暖かいような、冷たいような。

「死なないで」

 ぐしゃぐしゃの顔で言うから、俺はなんとか笑ってやる。

 死なねーよ、って言ったつもりだけど、どうだろう、ちゃんと言えていたのか、自信はあんまりない。
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