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分岐・鹿王院樹

生きてるだけで

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「どういうこと?」

 質問する私に、千晶ちゃんは簡単に昨日起きたことを教えてくれた。縛られていた手が気になるのか、何度もぐーぱーして感覚を確かめている。

「その、わたし、気づいたことがあって」
「なに?」
「……最初はね、行方不明になってる子たちが出てる府県が、江戸期以前のキリシタンと関連がある府県だって気づいたの」
「え」

 私は答えながら思い出した。千晶ちゃんは、前世、日本史の先生だった。

「全部ではないんだけど、なんとなく近いものを感じて。もちろん偶然だと思ったよ。でもそのうちに、ここがマスコミで騒がれ始めたでしょ? で、その支部があるところと、さっきの府県が一致して」

 千晶ちゃんは目を伏せた。

「偶然だ、とは思ったんたけど。確証はないから、ひとりでここを見に来たの。そしたら石宮さんがいて」

 ふう、と千晶ちゃんは一息ついた。

「華ちゃんから存在は聞いてたけど、いざ目にすると冷静では、いられなくて。つい声をかけて……」

 それから小さく、私だけに聞こえるように言った。

「前世の記憶がわたしにもあるの、って言ったの」

 私はまじまじと千晶ちゃんを見た。千晶ちゃんは悲しそうに笑って「でもダメだった」と首を振った。

「かえって逆上しちゃって。瑠璃だけのはずなのに、選ばれたのは瑠璃だけのはずなのに、って」
「瑠璃だけの、はず……?」

 私は首をひねる。どういう意味だろう?

「で、この施設の中に走り込んで行ったから、わたし追いかけたの。危ないところだと思っていたし、っていうか、実際危ないところなんだけど」
「うん」
「で、捕まって、ここに連れてこられて……石宮さんと色々話した。なにも通じなかったけど」
「……石宮に言葉は通じんだろう」

 樹くんはスマホから耳を離しながら言った。県警に連絡をとってくれていたのだ。

(じきに、警察が来る)

 下手にここを出て見つかるより、警察の到着を待とうということになったのだ。

「同じ日本語を話してはいるのだが……石宮には、石宮の、なんというか文脈、だろうか。独自の文法のようなものがある、気がする」
「うん、それは思った。同じ言葉を使っているのに、通じない。まるで外国語みたい」

 はぁ、と千晶ちゃんは小さく息を吐く。

「それで、さっきまた石宮さん、ここに来て。また話してたんだけど、急に"教祖様"が来て、連れていかれたの」
「教祖様?」

 仁が訝しげな声で返す。

「ニセモノとはいえ、仮にもキリスト教を標榜している団体だろ? まさか、そんな名称の人物がいるとは思えねーけど」
「……いるんです。信じられないことに。それで、ここは地下にも礼拝堂があるの。そこで、今日、石宮さんは"羊"にされるって」
「ひつじ?」
「生け贄」

 私は息を飲んだ。生け贄!?

「樹クンそれも県警に連絡して」
「はい」

 真さんが眉をほんの少ししかめてそう言って、樹くんは厳しい顔で教会の出入り口を見ながら返事をした。物音がしたから。
 ぎいいい、と音がして、冷たい石の教会内に、女性のクスクスという笑い声。

「あらあら、どうやら火元はここだったようね」

 透明感さえ感じる、綺麗な女性の声に振り向くと、そこにはシスター(だと思う)のような服装をした女性が、数人の男の人を従えて立っていた。

「……あの女が、教祖よ」

 千晶ちゃんは、きっ、とその女性を睨みつけながら言う。

「諦めなさい! じきに警察が来ます!」
「そうね」

 教祖様、とやらは薄く笑った。

「では早く生贄を」
「はい」

 数人の男性が地下室への階段と思われるところを下っていく。

「むだよ!」
「ムダではないわ」

 女は笑った。

「警察が来る前に、羊を神に捧げなくては。どうせ捕まるのなら、せめて生贄を」
「……は!?」
「あの子の血さえ飲めればいい!」

 あはははは、と女は笑った。

「そうすれば、たとえ監獄の中にいようと、わたしは、わたしは」

 ゾクリと肌が粟立って、私と千晶ちゃんは身を寄せ合った。

「……千晶たちは地下室へ行けるかな? 個人的には別にあの子、殺されようとどぉぉうでもいいんだけど、それで千晶の心がこれ以上傷ついても困るからね」
「……お兄様?」
「大丈夫だよ千晶、お兄ちゃんはこの人とほんのすこおおおしお話するだけだし」

 優雅に微笑む真さん。

「ボディーガード二人もいるし、ちゃんと千晶も守ってね」
「……行こう、華ちゃん! 石宮さん、助けよう」

 決心したような千晶ちゃんの声に頷いて、私たちも階段を駆け下りる。

「ハルマゲドン、ねぇ」

 背後から、"教祖様"と対峙する真さんの声が聞こえてきた。

「そんなものより怖いもの、見せてあげられるのに」

(ひゃああ)

 ざわりと鳥肌が立つ。
 これマジのトーンだ、真さん。

世界の破滅ハルマゲドンより怖いものって、なに)

「……あの人、本気で見せそうだからな」

 樹くんがぽつりと言った。うん、私もそう思う……。

 地下礼拝堂では、石宮さんがキャアキャアと逃げ回っていた。

「や、うそ、うそですっ、る、瑠璃がここでっ、こんなところでっ、死ぬわけがありませんっ」
「死ではありませんよマードレ・ラピズラッズリ、あなたの聖母としての器を我らが教祖様へ移すだけ」
「乱暴してはいけませんよ、首を切る以外の傷はつけてはならぬのだそうです」
「く、く、首っ!? 切らせませんっ、やだっ……あ!」

 石宮さんは階段を駆け下りてきた私たちに気づいて、というよりは樹くんに気がついて「ろ、鹿王院くんっ」と叫んだ。

「た、助けにきてくれたのですねっ」
「いや、まぁ、……仕方ないか」

 渋面を作って樹くんは石宮さんに手を伸ばした。そして自分の後ろに隠す。

「じきに警察が来る。諦めろ」
「そんなわけにはいかない、教祖様が蒙昧な異教徒どもに連れていかれる前に、この乙女の血を捧げなくては」
「なんの話かさっぱり分からん」

 樹くんの背中にすっぽり隠れた石宮さんは、ちらりと私を見上げてきた。そしてとても嬉しそうに鼻の穴を広げた。ものすごく自慢気……。

(な、なんか勝ち誇られてる)

 釈然としないけれど、とりあえずは目的を達成した。あとは警察が来るまで耐えればそれで……、と思った時、千晶ちゃんが一歩踏み出す。

「他の子たちはどこ!? 手を出してはいないでしょうね!?」
「手を出す、など。聖母が見つかった今、あの子たちはただの子羊。親元に返すとしましょう」
「本当に!? 無事なのよね!?」

 必死に言い募る千晶ちゃんを見て、私はハタと気がついた。

(そっか、先生だったんだもんね)

 かつての教え子たちと同じ年頃の子たちが捕まっているかもと思えばこそ、千晶ちゃんは無鉄砲とも思える行動をとったのだ。ただ、助けたい一心で。

「そう、無事です……だから、その方を離してはもらえませんか? マードレ・ラピズラッズリを」
「なぜこの子にこだわるの!?」
「なぜなら、教祖様はイエス様をお産みになられるからですよ」
「……は?」
「そのために、聖女であるその乙女の血がいるのです」
「だめよ、この子は渡さないっ、きゃっ」

 千晶ちゃんの腕を、信者の男が強く引く。

「ならばあなたでも、構うまい」
「だろう、この子も要件を満たしていれば」
「ひとつ聞かせてほしい、君はもう女かね?」
「……は?」
「月のものは来ているのか、と聞いているんだ」
「なんでそんなこと答えなきゃ、きゃっ」
「時間がない、とにかく飲ませよう」
「そうだ」
「千晶ちゃん!」

 私は千晶ちゃんを連れて行こうとしている男にしがみつく。

「離しなさいよっ」
「邪魔だ、時間がないのだっ」

 大きく振り払われて、床に叩きつけられそうになったところを樹くんに支えられる。

「華っ」

 ぎゅっ、と支えられて、その背後に瑠璃が見えた。

「なんで……? なんで瑠璃より、悪役令嬢なの……?」

 呆然とした表情でぶつぶつ言っている、石宮さん。だけど、構っている暇はない!

「大丈夫、それより千晶ちゃんを」
「わかってる」

 そう答えたのは仁で、言うが早いかその男を羽交い締めにしてーーそれからぼきり、と嫌な音がした。

「うわぁあっ」
「肩外しただけだよ、大げさだな、って、おいっ」

 もう一人の男が千晶ちゃんの腕を引いた。だけど、すぐにその男もお腹を抱えてうずくまる。

「なにがなんだかわかんないっすけど、多分これ瑠璃のせいっすよね!?」

(あ)

 いつだか、表参道で石宮さんを「回収」していった男の子。
 千晶ちゃんは呆然と彼を見上げて「ハシサキテツト」と呟いた。

「あれ、ごめんなさいっす、知ってる人っすか」

 きょとん、と千晶ちゃんを見つめるハシサキくん。

「いえ、あの、その……なんでも」

 目をそらす千晶ちゃん。

「瑠璃。てめー、また人様にメーワクかけてんな? お前がなんかしでかすと、なんでか母ちゃんに俺が叱られるんだよっ」
「て、てっと、違うの」
「違わねーだろうがっ! ……怪我はないっすか」

 千晶ちゃんに尋ねるハシサキくん。

「あ、うん」

 千晶ちゃんは呆然と呟いた。

「良かったっス……巻き込んでしまって、すみません」
「ううん、……君のせいじゃないでしょ」

 ハシサキくんは、にかり! と笑った。裏表のない笑顔。千晶ちゃんの頬が、ほんの少し紅潮する。あれれ?

「な、んで、てっと、そんな子、助けるの、その、その子、悪役令嬢なんだよっ」
「またその話かよ、……って、瑠璃っ」
「きゃ!?」

 突然背後から現れた男が、石宮さんの腕を掴み上げる。その反対の手には、大きなナタが握られていた。

「もう警察が門のところまできている! ここで首を落として、教祖様に!」
「や、いやぁっ、なんで、なんで瑠璃なのっ、選ばれたのに! 瑠璃は、神様に!」

 イヤイヤ、と首を振る石宮さんの身体に、反射的に私は覆いかぶさっていた。

(死なせたくない)

 なんでか思い浮かぶのは、松影ルナのその顔で、私は訳が分からなくなる。

「華っ」

 誰の声だったんだろう。
 男は気がついたら卒倒していて、仁が仁王立ちになっていて、私は樹くんに庇われるように抱きしめられていた。
 階上が騒がしくなる。どたどた、と大きな足音がして、紺色の制服の警察官がなだれ込んできてーー私からどっと力が抜けた。

「華」
「い、樹くん」

 樹くんの目元が赤くなっている。

「目の前で、華が、殺されるかと」
「ご、めん」

 私の目からも、ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。
 その涙に、樹くんは唇を寄せた。

「華が生きている」
「うん」
「もうそれだけでいい」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめ合う。
 他の人の視線なんか気にならない……と言いつつ、こちらを凝視している石宮さんに気づく。
 警察官に寄り添われ、ぽけーっとしているが、怪我なんかは無さそうだった。

「よ、良かった」

 私はフラフラと石宮さんに近づいてわ、それからぎゅうっと抱きしめた。

(今度は)

 ぽろり、と更に涙がこぼれた。

(今度は、助けられた)

 ぽろりぽろり、と溢れて止まらない。

(だって私)

 だって私、本当は、ルナのことだって……死んでほしくなかった。
 あの子は、怖かったし、憎かったけれど、でも、それでもーーなぜか、嫌いでは、なかったのだ。

「良かった、助かって、良かった」

 それだけを繰り返す私に、石宮さんは不思議そうに首を傾げた。

「悪役令嬢のあなたが、なんで瑠璃が助かったことを喜んでるの?」
「バカねぇ」

 私は瑠璃のほっぺたをうにょん、とつねった。

「嫌いになれないからよ、あなたのことが」
「……あなた達って、お人好しなのねぇ」

 石宮さんはぱちぱち、と何度も瞬きをしながらぽつりと言って、それから笑った。
 憑き物の取れたような笑顔だった。
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