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分岐・黒田健

許婚と恋人

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 しばらく事件について話して、それからお手洗いお借りします、と立ち上がると当然のように黒田くんも立ち上がった。

「1人にできるか」
「トイレまではいいよう……」
「前までだ」

 警察署なのに、めちゃくちゃ警戒してるっぽい。

「健、パパの職場を信用して」
「だーれがパパだ、このクソ親父」

 黒田くんは眉を思いっきりしかめて言う。
 お手洗いから出て、応接室に並んで歩く。古い建物らしく、人気のないリノリウムの廊下がきゅっ、きゅ、と鳴った。

「設楽」
「な、」

 なに、と言おうとして言えなかった。抱きしめられたから。

「黒田くん?」
「……無事で、良かった」

 黒田くんの声が、ほんの少し震えた。

「え、どうしたの」
「設楽、連れて行かれるかと」
「だいじょぶだったよ、ほら」

 先生も来てくれたし、と言うと、黒田くんの腕に更に力がこもった。

「弱くてごめん」
「よ、弱い!?」

 私は驚いて、黒田くんの顔を無理やり見上げた。

「そんなことないよ、2人も倒してたじゃん! ばーんって! 歯が飛んでたよ、歯が」
「それでもお前守れなかったら一緒だ」

 ふう、と黒田くんは身体を離す。

「修行がたりねー」
「……そういえば、橋崎くんには山にこもれって言われてたね」
「熊な。検討するか」
「えっ!? や、やめたほうが」
「ジョーダンだよ、さすがに」

 黒田くんはいつものように笑ってくれて、私は安心する。

「でもまぁ、お前くらいは守れるようになんねぇとな」
「十分守られてる気がするけど」

 私がそう言うと、黒田くんは片頬で笑って、それから私の頬に手を当てた。

「キスしたい」
「どーぞ?」

 触れるだけのキスをされて、それからおでこをコツン、とされた。

「設楽」
「なぁに?」
「なんでもねー」

 黒田くんはおでこを離して、それから、ふ、と笑って、私の頭を撫でた。
 応接室に戻ると、婦警さんが来ていた。

「さっきの事件について聞いていいかな」

 そう言われて、私たちはバス停での一件について説明をする。
 そうしていると、ふと応接室の扉が開いた。

(誰だろ)

 目をやると、私服の刑事さん(多分)に連れられた、真さんだった。

「来ちゃった」

 片手を上げて、にこりと微笑む。語尾に星が見えた、気がする。お茶目ぶってもこのヒト、全然お茶目じゃない。

(……てか、私服だ)

 学校には行っていないんだろう。

「あれ、樹くんも?」

 続いて、樹くんも入ってきた。青百合の白いブレザー。
 私の顔を見て、樹くんはほっとした顔をする。

「……ケガはないか、華」
「うん、だいじょーぶ」

 ガッツポーズをしてみせると、樹くんは笑った。
 それと同時に、バタバタと大きな足音。ばあんとドアが開いて、男の人が飛び込んできた。まだ30代行くか行かないか、くらいの雰囲気。

「鍋島様、鹿王院様、わざわざどうもこんなむさ苦しいところへっ」

 誰だろ、と思っていると、黒田くんのお父さんが耳打ちしてくれた。

「ここの署長」
「え、若い」

 イメージだと、結構なおじさんなんだけど。署長さんって。

「キャリアだからね。警察庁から来てるの。えらーい人、っていうか、えらーくなる人、っていうか」
「へぇ~」

 そんなもんかぁ、と思いながら署長さんを見る。署長さんは真さんと樹くんにものすごく低姿勢にご挨拶していた。

(そんなえらーい人に、こんなペコペコされる2人って、ほんとに家柄スゴイんだなぁ)

 家柄だけで人に傅かれるのって、どうかなと思うけど。少なくとも樹くんは、そうされて喜ぶタイプではない。
 案の定、少し不快そうにしていた。真さんはそうされて当たり前ですけどって顔をしているけど……。

「ええと、なぜこちらにっ!?」
「妹の件で、この子たちが新情報を掴んだって聞いてね」

 真さんは私たちを見遣る。

「警察の方では、なにか」
「鋭意捜査中であります!」
「はーやーくーしーてーねー」

 真さんは笑った。

「ウチのおじーさまが圧力かけないうちに」
「はいっ、それはもちろんっ……あ、キミ! そこの、ええと」

 真さんと樹くんを案内してきた刑事さんに、署長さんは泡を飛ばした。

「は、白井です」
「白井クンね! お茶! お茶淹れて! 玉露ね! 僕の部屋のやつ! 嬉野の!」
「ハイ」

 白井さんはすぐに部屋を飛び出す。

「……黒田、か。会うのは2回目だな」

 樹くんは黒田くんに向き合って、頭を下げた。

「"許婚"を守ってくれて、ありがとう。礼を言う」
「……"カノジョ"守るのトーゼンなんで」

 黒田くんは低く言った。
 目線をウロウロさせる。樹くんはそんなつもりなくても、黒田くんは微妙な気持ちになっちゃうだろう……な……。

(申し訳ない……)

 こっそり黒田くんの制服の裾を掴む。見上げると、少し力を抜いてくれた。

「まーまー、樹クン、この人らが結婚する可能性なんかスリーナインないから肩の力抜きなよ~」

 真さんが手をヒラヒラさせながら言って、当然のように向かいのソファに座り込む。担当してくれていた婦警さんが、思わず、といった表情で横に座る真さんの顔を見つめた。
 真さんは足を組みながら、にっこり、と婦警さんに向かって微笑む。女性を見た条件反射的なものなのだろうか……。婦警さんは赤くなって目線をそらした。うわぁ。

「で? 僕の可愛い千晶は、やっぱりそのクソ女といたって?」
「目撃情報があるだけっす」

 黒田くんが返す。

「でも多分クロです」
「何にしようかな?」

 真さんは目を細めた。

「千晶に嫌な思いをさせた代償は」

 真さんは笑う。寝ていなかったのだろう、少し赤くなった目が細くなって、それすら美しい。その凄惨な笑みは、おそらくその場にいた全員の目を奪っていた、と思う。

 全員で情報を共有して(もちろん警察側からは出せない情報もあったはずだけど)警察署を出る。ご丁寧な署長さんからのお見送りもあった。

「……警察は期待しないことにしたよ」

 真さんは淡々と言った。

「え?」
「あのシャチョーさんね、噂では聞いてたんだよね~、事なかれ主義だって。会って確信した。よほどの証拠が上がらない限り、警察があそこに踏み込むとは思えない」
「……どうする」

 黒田くんの問いに、私は答える。

「とりあえず、その施設を見に行こう。外から見るだけになるだろうけど」

 とにかく、見てみないことには。……というより、何もしないのは落ち着かないのだ。
 相良先生は「帰るっていう選択肢はないの?」と腕を組んで言ってきた。

「ないです」

 きっぱりとそう宣言すると、相良先生は眉間にシワを思いっきり寄せて「……僕も行くよ」と肩をすくめる。

「君たちだけじゃ危なっかしいったら」
「いいの、先生?」

 授業とかは? と首をかしげると「これも仕事なんだって」と相変わらず意味深なことを言って笑った。

「俺も行く」

 樹くんもはっきりと言った。

「許婚を危ない目にあわせたくはない、が……どうしても行くのだろう」
「うん」
「ならば俺も巻き込んでくれ」

 樹くんは真っ直ぐに言う。

「それに、俺も鍋島とは既知だ。放ってはおけん」
「樹くん」

 私が樹くんを見上げると、樹くんは少し笑った。

「俺は華のためならなんだってしよう」

 そしてほんの少し間を開けて、こう続けた。

「……俺たちは、許婚なのだから」
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