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分岐・鹿王院樹

黒猫は遊ぶ(side真)

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「ねぇ千晶、嘘をついたことがないって嘘、どう思う?」
「そんなの信じる人いるんですか」

 呆れたように千晶は言って、僕は心の中で「君の友達はすっかり信じてるけど」と返事をする。
 まぁ今回に限っては、僕は"嘘"は言っていない、"嘘"は。意図的に言わなかったことはあるけれど。

(だって、樹クン言ってたもんね。"華が"他の誰かを選んだら、許婚続けるのは地獄だって)

 知らず、ふふふ、と笑いが出てしまい、千晶に不審そうな目で見られる。まったく疑い深い妹だなぁ。そこが可愛らしいところなんだけどね。

(いやぁ、しかし拍子抜けしちゃうくらいだったなぁ)

 あの子に見せた「証拠」とは、とても簡単なものだった。
 今日の夕方のことだ。あの子に引っ越し祝いを渡して、すぐ僕は学園にとんぼ返り。中等部のサッカー部の練習場まで行って、樹クンが通るのをフェンス越しに待つ。

「何をしているんです」

 やっぱり不機嫌そうにしかめられた眉。僕は笑う。まったく、夏と変わらないじゃないか。
 僕がポケットからスマホを取り出してぽちぼちと操作しているのを樹クンは訝しげに見つつ「誰かに用事ですか」と抑えた声で聞いてきた。

「キミ以外にいると思う?」
「いいえ」
「あっは。まぁいいや、しかし陽が落ちるの早くなったねぇ」

 練習場は照明に煌々と照らされている。

「……」

 返事もなく、無言で僕を見下ろす、ほんの少し高いところにあるその目。
 やだやだ、僕だって背が低いほうじゃないのに、この中学生また背が伸びちゃって、腹立つなぁ。

(ほんと、)

 僕は薄く笑う。

(こいつは僕が持ってないもの、みんな持ってるなぁ)

 きっと、だから、こんな風にまっすぐに育ったんだ。

(ずるいよな)

 ひとつくらい、僕にくれたってバチは当たらないと思うけどなぁ。

「確認しようと思って。ねぇ、キミ、言ってたよね」
「何をです?」
「前、夏にさ、こんな風に僕がキミを訪ねた時。高等部のカフェでお話ししたでしょ。好きな人できたらどうするのぅシュビドゥバー? って」
「……はぁ」

 呆れたような表情。ひどいなぁ、場を和ませようとしただけなのに。

「地獄ですって答えたね?」
「……それがどうかしたんですか」
「答えは変わらない?」
「何がいいたいんです?」
「キミの答えが知りたいだけさ。ねえ、変わらない? もしそうなったら、地獄なのは。ねぇ」
「……そうですね、変わりませんが」
「それだけ知りたかったんだぁ」

 僕はにんまりと笑う。

「じゃあねん」

 がしゃん! とフェンスを掴む音。

「華に何かしたら許さない」
「何かってなにさ」
「華を傷つけるすべてのこと」
「そうかぁ覚えておくよ」

 なるほど、キミに許されたくなかったら、あの子を傷つけたらいいわけだ。なるほどなるほど。

(じゃあ僕、もう許してもらえないだろうなぁ)

 少し前に切れている通話画面、発信先は設楽華ちゃんでした。ふふ。

「んーと、たぶん、夏にどうのこうのあたりから、フェンスの音くらいまでは聞いてくれてたかな?」

 僕は上機嫌でスマホをしまう。
 それから、華ちゃんの指定したカフェまで向かう。
 窓側の席で、まぁ呆れるくらい泣きじゃくってくれていた。あっは。そんなに泣かなくたって。勘違いしてるにしても、まだ仮定の話じゃん。好きな人できたら、っていう。

「泣いてるねー?」
「ないてません」

 盛大に鼻をすする。

「嘘つきだなぁ」

 僕は向かいの席に座って、華ちゃんの泣き顔を眺める。かわいいなぁ。千晶とはまた違う可愛さだから、僕はとってもとってもいじめたくなる。

「どう? 破棄する気になった? 僕のお嫁さんになってくれる?」
「お、断り、ですっ」
「そーなのー?」

 ニヤニヤとその泣き顔を覗き込むけど、案外と目は生きていてビックリした。

「あれー?」
「いい、んですっ、樹くんっ、樹くんに、ほかに好きな人、できるまでの間だけでもっ」

 華ちゃんは涙をぬぐって、まっすぐに僕を見る。

「あの人のそばにいたいから」
「……あーそーう?」

 僕はすっかり嬉しくなる。まだ折れてない。まだこの子と遊べるんだなぁ。嬉しい。さすが僕の未来のお嫁さん、にしたい候補ナンバーワン。てか、この子しかいないんだけど。

「い、樹くんに、好きな人、できたっぽかったら、すぐ身を引きます」
「そー? ふーん?」
「それまでっ、それまでだけ、私、あの人のそばに、いようと思います」

 ぽろぽろぽろ、と涙が溢れて。
 僕はそっとそれを指で拭って、とても温かいなと少しだけ、そう思ったのだった。

(しかし警戒心が無い子だなぁ)

 はらはらはら、と落ちる涙を僕は興味津々に拭うけど、この子はされるがままだ。

「大丈夫だよ」

 僕が笑うと、華ちゃんは潤んだ瞳で僕を見上げる。やばい、これ、クる。いいなぁ。

「樹クン、きっと地獄を耐え抜いてくれるよ。キミのこと大事みたいだから。友達としてか、家族的な存在としてか、それは分からないけれど」

 華ちゃんはまた目を見開く。きらきらと涙で彩られた瞳は本当に綺麗で、僕はうっとりとそれを眺めた。
 しばらくすると落ち着いて、華ちゃんは何度も息を整えた。それからふう、と大きく息をついて「帰ります」とだけ言う。

「送るよ」
「いいです、車、来てもらいます」
「いいから乗りなよ、泣いてる女の子ほって帰れないからさ」

 困ったように目線をうろうろさせる華ちゃん。

「大丈夫大丈夫、僕、泣いてる子に手を出すほど女性に困ってないから」

 そう言うと、華ちゃんは少しその綺麗な眉をしかめて「相変わらずですね」といつも通りに言った。
 泣いてるのもいいけど、こういう反抗的なとこもいいね。僕はにっこり笑う。

(うん)

 僕は確信する。やっぱりこの子が欲しい。
 車内では、華ちゃんは無言だった。ずっと。何考えてるんだろうなぁ、と僕はその横顔を眺める。
 樹クンの家について、玄関まで送ろうと(この子は暗闇が怖いんだって、なんでだろう)すると、僕と華ちゃんの間に大きな影が割り込んでくる。

「手を出したら許さないと言いました、俺は」

 周りが暗くても、はっきり分かる樹クンの目に浮かんだ怒り。あは。怒らせちゃった。

「たまたま会ったから、送ってきただけだよ。それにほら、体調悪そう」

 華ちゃんは少し息が上がっている。

「ご、ごめん、暗いとこ、ダメで」
「華」

 慌てたように樹クンは迷わず華ちゃんを抱き上げて、さっさと門をくぐる。こちらを一顧だにしない。

「ねぇ、それ、ちょうだい?」

 その後ろ姿に、僕は薄く笑って、小さく問いかける。
 聞こえていないだろうその声は、秋の濃いぬばたま色の空に、ふわりと消えた。
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