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分岐・鹿王院樹

水槽

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(てか、なんで私、ここにいるのかな)

 うーん、と首をかしげる。
 相変わらずの豪華な門構えの、まるで旅館か高級料亭のようないでたちの、樹くんのお家。
 ツクツクホーシが鳴いていて、ヒグラシも鳴き始めている。まだ日も高いし、夕方までもう少しあるけど、夕方になりかけの、ほんの少し涼しい風の感じがする、そんな刻限。

(……優勝のお祝いは、昨日したのに)

 昨日、樹くんが家にきてくれた日、八重子さんがお夕飯を焼肉にしてくれた。お赤飯は炊くのは固辞して、白いご飯でたくさんお肉をいただいた。肉といえば白米なのです。
 だから、別に今日ここに来る必要はなかったはずだ。なかったはず、なのに。

(塾の帰りに、なんとなく? 魚をみたくて? 的な?)

 頭の中で理由を色々思いつくけれど、結局つまり、私は樹くんに会いたいだけなのだ。

(これじゃまるで、恋してるみたい)

 そう思うと頬が熱くなる。両頬に手を押し当てて熱を取っていると、肩をぽん、と叩かれた。

「わぁ!?」
「あ、や、すまん華、そんなに驚くとは」

 Tシャツにジャージ姿の樹くん。肩にはエナメルバッグ。練習帰りだろう。

(……やたらとかっこよく見える)

 樹くんが整ってる顔立ちなのは昔からだし、別に急に何か変わったとか、そんなことはない。

(変わっちゃったのは、私)

 ひとりでアタフタしてる。バカみたいだ!

「どうした? 何か忘れものでもしていただろうか、昨日」
「えっと、いや、違って」

 何か用事がなきゃ来ちゃいけない?
 そんな風にかみつきたくなる。

(変だなー……)

 私、中身は大人なはずなのに。
 首をかしげると、樹くんも不思議そうな顔をした。

「……さかな、見に」
「ああなんだ、そうか」

 嬉しそうに笑う樹くん。

「急だったかな?」
「華ならいつでも歓迎だ」

 ふっと笑って私の髪を梳いた。
 いつも通りなのに、私はドキドキしてしまう。きっとひとりでドキドキしてる。

「……さかな、増えた?」

 門をくぐり、お庭を歩きながら、私はドキドキをごまかすようにそう言う。

「いや、昨日も祖母とそれで喧嘩になった」

 樹くんは納得いかない、というような顔をして言う。

「床が抜けるから止めろと言うんだ」

 水はけっこう重いからな、と樹くんは言う。

「ウチは古いから、絶対にもう無理だと言うんだが、俺としてはだな、もう一つ水槽が置きたい」
「……ちなみに何センチ水槽?」

 いま樹くんの持ってる水槽で一番大きいのはアンフィビウスの120センチ水槽。これで水と器材合わせて300キロはあるらしいので……どうだろう、他の水槽もあるし、本棚も重そうだし。

「180」
「やめとこう」

 さすがに即答。

「華まで!」

 樹くんは少し拗ねたように言う。

「なんやかんやと、あの人たちの仕事を手伝わされているので、その正当な対価でちょっとした日々の癒しを買うだけだ」
「180センチ水槽はちょっとした癒しじゃないよ……」

 水だけで700キロ前後ありますよ、樹くん。これに水槽自体の重さと器材でどれくらいになるんだろう?
 ちらりと樹くんを見上げると、悲しそうな目をしていた。ちょっと胸が痛む。

「いや、現実的でないことは分かっているんだ……おそらく床の補強工事を入れなくてはいけない」
「ちなみに何キロくらいになるの?」
「キロじゃないな。トンだ」
「わぁ」

 それは静子さんも大反対するって……。

「やめとこう、ね?」

 樹くんを覗き込むと、「なら」と樹くんは言った。

「毎日会いに来てくれるか?」
「毎日? 私?」
「うむ」

 樹くんはそう言って少し目線をうろうろさせた。

「華に会うと癒されるから」
「え」

 ちょっと怖い顔になってるので、照れながら言ってるんだと思う。

(癒される、かぁ)

 どういう意味かな。期待、しちゃっていいのかな。でも家族に会う感じの癒し? わかんない。

(聞いてみる?)

 でもハッキリとした答えが怖い。

(せっかく、そばに、いられるのに)

 周りが決めたとはいえ、許婚として……あとどれくらい一緒にいられるのか分からないけれど、でも多分、もう少しだけは、一番近くにいられるのに。

(自分から気まずくしちゃうのも、なぁ)

 すごく臆病になってる。
 普通の、14歳の女の子の初恋みたいに。

(図らずもって感じだけど、千晶ちゃんの言う通りになってきちゃったな)

 私は微笑んで、首をかしげた。
 ……結局臆病な私は、話を変えてしまう。少しおどけるように肩をすくめて。

「マイナスイオンでもでてる? 私」
「? 負イオンがどうして癒しに繋がるんだ」
「えー」

 なんでだろ?
 そう言われれば、確かに。マイナスイオンってなに。

「えっと、木とかから出てるって言わない?」
「負の電荷を帯びた原子が?」
「うーん、それのことかなぁ」
「なぜ華から出ている」

 お互い首を捻っていると、玄関がガラリと開いて静子さんが出てきた。

「あのね、あなたたちね、なぁんかズレてんのよね」

 私たちは首をひねったまま、目を見合わせて、それから各々挨拶をした。

「ただいま戻りました」
「あ、静子さん、お邪魔します」

 静子さんは呆れたように「はいはいどーぞ、華ちゃんお夕飯食べて行きなさい」と言って笑うのだった。
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