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大人は笑う(side敦子)

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「寝言は寝て言えクソジジイ」

 お見事なサムズダウン。あたしは爆笑しながら拍手した。
 他の人は動きを止めていた。兄も含めて。ぽかんとしている。

(まぁ、そんなこと言われたの初めてでしょうしね)

 かしずかれて、機嫌を取られて、自分の思う通りに生きてきた馬鹿な男。

(あっは、マヌケ顔!)

 こんなの、半世紀くらい前に腹立ち紛れに兄の鞄に女郎蜘蛛突っ込んでやってた時以来だわ。
 クスクスと笑いが止まらない。

「あっははは、いいわよ華、その子弟にして! 圭、よろしくね」

 あたしが微笑みかけると、圭は少し怯えたようにうなずいた。華よりもずっと小柄で、年齢より幼く見えるこの男の子に、今まで誰も手を差し伸べてやらなかったのか?

(どんな扱いされてたのかしら)

 胸が痛む。
 その痛む胸さえ持っていないクソ共がほとんど、みたいだけど。

(華が圭を連れてきてくれて良かった)

 あたしもクソ共と同じになるところだった。

「部屋に戻ってなさい、華、圭」

 華は不思議そうにあたしを見た。自分が怒られる気でいたのだろう。少なくとも、あたしが華を叱りつけたら、この場は収まるだろうから、そのつもりだったのだと思う。まだまだあたしが読めてないわね。
 華の言葉がやっとのことで理解できたのか、少しずつ怒りに顔を朱に染め始めた兄に、あたしは笑いかけた。

「ねえ、お兄様。あたくしのお兄様、常盤コンツェルンの総帥たるお兄様。そんな大物のお兄様が、コドモのほんの少しの、ほおんの少しのオイタにですよ、わざわざ怒ったりなさいませんよねぇ? お兄様は鴻鵠でございますでしょ、雀にその尊い感情を動かされるなんてあり得ませんものねぇ?」

 兄はあたしを見ながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「……いちいち煩い女だな、ああ、いいだろう、ここはお前を立ててやる。厄介者を引き取ってくれるというのだからな」
「うふふ、寛大な御処置に感謝いたしますわ。ほら華」

 華はあたしを見た。

「広告?」

 首をかしげる。

「鴻鵠よ、いいから行きなさい」
「あ、ごはん」
「部屋に運ぶよう頼んでおくから大丈夫」

 華はものすごく安心した顔で、笑って圭の手を引いて歩いて行く。
 妙なところを気にする子だ、相変わらず。マイペースというか。歩く食欲少女というか。成長期だからよね。
 2人が会場を出て行くと、朱音がきいきいと喚いた。

「あ、あなた、あんな失礼なことを、そうよ、敦子さん、あなた責任を」
「なんの」
「ですから、貴女の孫が」
「ねーえ、朱音さん?」

 あたしは笑った。

「この場はこれで収める、とあたしの兄が決めたのよ? 兄が。あなたはそのお言葉を覆させる気なの? 兄に逆らう気なの?」
「そ、んな、訳では」
「朱音。それ以上騒ぐな、酒が不味くなるだろう。小娘の言ったようなことにいちいちつっかかるな」
「……かしこまりました」

 朱音は悔しそうに沈黙した。
 しばらくして、朱里が真っ青な顔をして帰ってきた。
 あたしは首を傾げた。お手洗いにでも行ったのかと思っていたが。
 朱里は、自分の席から助けを求めるように、ちらちらと朱音ーー自分の母親を見ている。が、朱音は先ほどのことが余程腹に据えかねているのか、兄の機嫌を取るので必死なのか、娘を気にかける様子はない。

(朱里も可愛そうではあるのよね)

 朱音はただの、こう言ってはなんだが、水商売上がりのヒトだ。どうしても、誰も口に出さずとも、そんな目で見られることが日常。だからこそ朱里を鹿王院に嫁がせて、自分の権勢を保ちたかったんでしょうけれど。

(けれど、それで娘を犠牲にしては)

 あの子は、少なくともあたしが見ている限り、……樹くんに恋なんかしていない。あれだけ激情的に華に当たったくせに、その根底にある感情は嫉妬でも恋慕でもない。ただ「母親に言われたから」。それだけ、なのだ。

 ……でもそんなこと、あたしに言えることではないのかもしれない。無理やりに、華の将来の伴侶を決めてしまって。

(それは、あの子を守るためだけど)

 "守る"なんてエゴは、朱音のやっていることと、大して変わらないのかもしれない。
 そう自嘲して、あとは淡々と日本酒をひとり、呑むことにした。
 相変わらず兄は機嫌をとられていて、周りの人間はそれを保つのに必死で、子供達は空虚な目でそれを見ていて、あたしはあまりにバカらしくて、思わず生きているのをやめたくなる。

(こいつらと同じ血が流れているなんて)

 この身体に。
 せめてもの救いは、ここにいる歳若い人間のうち幾人かは、このバカげた茶番に冷たい目を向けていること。

(いつか変わるわ)

 あたしが変えられなかった、このバカげた常盤の掟もシキタリも、きっと。

(そのために)

 できるだけこの色ボケクソジジイから力を削ぎ落とさなくてはならない、と思う。
 兄と、ふと目が合う。あたしはにっこり笑ってみせて、兄は呆れたように目をそらした。

(とりあえずは、華のサムズダウンを宣戦布告代わり、ということにしておきましょうか)

 あたしはそう考えながらお猪口から日本酒を飲み干した。
 窓の外にはしんしんと雪が降り積もっている。あたしはそれをぼんやり眺めながら、部屋に帰って雪見酒でもしようかしら、なんて思うのだった。
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