上 下
1 / 13
第1章

1話:隻眼のカリスマ

しおりを挟む

 虎太郎が扉を開けると、壁全面に魔法陣が書きこまれていた。

 机が無造作に集められた教室には西日が射し、人影がのびやかに自己主張している。

 既に取壊しが決まった旧校舎が無法地帯と化しているのは、この最上階教室に限ったことではない。しかし虎太郎は、壁はおろか床にまで魔法陣が書かれていることに、荒廃した建物以上の道徳的な危うさと禍々しさがあるように感じていた。

「なんだこれ……?」

 次に虎太郎が思ったのはその空気感だった。これまで彼の人生で味わったことのない不気味な雰囲気が、この部屋にはあそびなく張り詰めている。そこにいたすべての人物が虎太郎の熱意を冷然と受け流しているのが、彼の不安を更に駆り立てた。

 教室ではその魔法陣をいまもなお壁へ床へと書き続けている長髪の男に、虎太郎を含め五人の視線が向いている。しかし視線の中央にいる男は特段ひるむことなく、その奇怪な記述を続けていた。

「遅い」

 目線を床から離すことなく、男は虎太郎へ向けて放つ。
 虎太郎にとっては見覚えのある顔だった。

「遅いじゃねぇよ。訳わかんねぇよ説明しろ」

「お前を此処に呼び出したのは俺だ。そこに突っ立ってる四人を呼び出したのも俺だ。俺はいま此処で魔法陣を書いている。お前は、あとの四人に比べて十五分も来るのが遅かった」

「いや……そうじゃねぇだろ」

 この奇怪な振る舞いの男、日向ひゅうがそうにはすごみがあった。虎太郎が感じるそれは、この聡と言う男が全国高校学力テストで満点を取得し、陸上記録会では新記録を乱発、球技大会で全打席ホームランを放ち、その実績に裏付けられてか、高校二年生だと言うのに生徒会長に鎮座していることから感じるものもあるだろうが、それだけではない。

「お前、どこで知ったんだよ」

 虎太郎が感じるなによりのすごみは、彼の葛藤が聡に握られていたことから来るものが大きかった。

 数時間前に虎太郎のスマートフォンに着た匿名からの通知は、彼をこの部屋に呼び出すと同時に、赤裸々と言うほど遠慮なく彼の抱える葛藤を言い当てていた。

「髪も伸び放題で、眼帯なんかしやがって、気持ち悪いんだよお前。なにが言いたいんだよ」

「お前の彼女、明日葉あしたば希來きくが行方不明になっているのを俺が解き明かそうとしていると言うことだ。もっとも、それをお前以上に望んでいるのはそこにいる明日葉希来の妹だがな」

「……っ」

 明日葉希來と見附虎太郎は、付き合い始めてまだ数週間だった。まだ手も繋いだことのない、始まったばかりの関係性。虎太郎は自分に初めて彼女ができたことが嬉しかった。

 ただ虎太郎は、おちょくられてはたまらないと言う気持ちで、誰にもその関係性を打ち明けてはいなかった。

「明日葉希來が行方不明になって今日でちょうど半年だ。金髪頭にピアスまでして、とっかえひっかえ違う女に手を出すかと思いきや、案外モテないんだな」

 とは言え虎太郎は、それをこの一匹狼に言われるなどと夢にも思いはしなかった。日向聡はこの藤原西高校ではカリスマ的な存在だが、誰もこの男の笑顔を見たことがない。

 交友関係が狭く、校内では聡がどのような人物と知り合いなのかすらあまり知られていない。それほど無口とも言える。

「日向、お前……」

「虎太郎くん、やめて。日向くんの話を聞いて」

 虎太郎の視線は希来の妹、明日葉みるへと動いた。足が悪く車椅子の彼女は、この素行の悪そうな男に全くひるまない。みるの姉を探したい気持ちは強い。

「みる、お前がコイツに教えたのか」

「違う。いいから聞いて」

 虎太郎の逆上がちっぽけなものに見えるほど、いつもの彼女の丸く澄んだ瞳がいまは信念に染まっている。それを見た虎太郎は自分の無神経さを鼻をならして汲み取り、大人しく聡の話を聞くことにした。

「フン……クソ野郎。早く話せ」

「人の所為にするな。お前が早く来い」

 散々な言いようだが、これ以上場を荒らしたくないと言う理由で、虎太郎は反発しなかった。

 聡は立ち上がり、強い口調で言う。

「此処に呼びつけた全員の葛藤を俺は知っている。明日葉希來が行方不明になったこともそうだが、到底このままでは報われないような連中だ。顔なじみの奴もいるな」

「特段、明日葉希來が行方不明になっていることについては各自知っての通りだが、それも踏まえて俺からお前らにひとつ提案させて貰えればと思う」

 左目に眼帯をした聡は、なにかを見透かしているような口ぶりだった。
 そして、その次に放たれる言葉には、最早悪魔の囁きのような含みがあった。

「もし、お前たちがいま抱えている葛藤を俺が解消できるなら」

「仮にそこに危険が伴うとしても、命を掛けることでその原因を解き明かすことができるなら」

「お前たちはどうしたい」

 雰囲気が更に悪くなってもなお、聡は怯むどころか更に突き付けて来た。

「一分待ってやる」

「もし俺の言っていることが信用出来ない奴、危険を伴うことが怖い奴は」

「一分以内にこの部屋を出ていけ」

 聡の開き切った隻眼は威圧的ですらあったものの、判断力を削ぐほどのものではなかった。
 つまり、それはあくまで提案であって、強制するものではなかった。



 この瞬間各自が聡を咎めようとすれば、そのようにも出来ただろう。虎太郎を含めこの場に呼び出された全員が、聡に自らの葛藤を、悩みを、ジレンマを握られている。何のために? どうやって? 各自この教室に来るまでに考えてきたことだ。不満など、あって然るべきものとも言える。

「五十、四十九、四十八、四十七」

 しかし、この空気はひりついたまま。聡を咎めるようにはならなかった。

「三十五、三十四、三十三」

 また、この部屋を出ようとする者も誰もいなかった。

「十三、十二、十一」

 聡の予想通りと言うべきか、それとも各人の鬱屈とした感情があまりに大き過ぎたと言うべきか、五人それぞれがいまはなにが起きているかわかっていなくとも、自分に掛かった脆い橋を臆さず渡り切る気概を見せていた。

 それは彼らを待ち受ける、異世界戦争の幕開けでもあった。

「零」

 カウントダウンを終えた聡は、良いだろう、と床に書き上げた魔法陣へ右手を着いた。

「お前たちの活路だ、お前たちが掴み取れ」

 あぁ、魔法を使うのか、などと思えたものではない。魔法などと言うものが実際にあるかどうか、少なくとも現実の理として知られてはいない。

 とは言え聡がその魔法陣の中心にいると言うことは、なにかしらの魔法を使おうとしていると各自が推察し得るところである。

 また、特に聡に魔法を説明しろと言う者もいない。そもそもこの男に説明を求めたところで応じてくれるような人物ではないと言うこともそうだが、彼がそれほどくだらない男ではないと言うことが公然の事実だからだ。

 誰かが「信じられない」などと述べたところで、最早「ある」か「ない」かと言う次元はとうに過ぎている。聡が投げかけているのは「あったらどうする」と言う例え話ではなく「あるからどうする」と言う選択肢。つまり聡はそれだけのものを持っているのだ。



 聡の右手がテスラコイルのように青い稲光を放った。

 回転数を上げるエンジンのような激しい音が鳴り響き、魔法陣それぞれが噛み合った歯車として速度の異なる回転を重ね合う。

 その光景を目の当たりにしてもなお、聡はおろか、虎太郎を含めた全員が全く臆していなかった。

 最早魔法と言う言葉を抜きにしては表現することが出来ない状況。命の危険を促されるほどの事態。

 それでも彼らが抱えた、痛みは、怒りは、彼らの決断をよどませないのだ。

「人は、それぞれが自分の世界に生きている」

「目の前、同じ空間に存在する人物ですら、誰一人として同じ世界を生きてはいない」

「ただ、各自の世界線が、バタフライエフェクトで結びつき、認識を補完している」

「だからこそ、誰の所為かもわからない、あからさまな理不尽が起きる」

「そうやって互いに引っ張り合いながら、七十七億もの並列世界が走っている」

「これは比喩ではない」

 ただ、次に聡が放つ言葉は、聡以外の各人が想定できないほど大きな規模と勢いで、彼らをまだ見たことのない未知の受難へと手招いた。

「だったら異世界七十七億を支配しろ。権利は与えてやる」





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

Lunaire
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい

梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。

神に同情された転生者物語

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。 すると、神様と名乗った青年にこれまでの人生を同情された異世界に転生してのんびりと過ごしてと言われる。 悠翔は、チート能力をもらって異世界を旅する。

あの、神様、普通の家庭に転生させてって言いましたよね?なんか、森にいるんですけど.......。

▽空
ファンタジー
テンプレのトラックバーンで転生したよ...... どうしようΣ( ̄□ ̄;) とりあえず、今世を楽しんでやる~!!!!!!!!! R指定は念のためです。 マイペースに更新していきます。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...