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平和荘 (1)

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 受験以外の諸々は、すべてステファンが手配してくれた。だからこれから向かう新居も、ステファンが用意してくれたものだ。机も寝具も家具もあるから、着替えだけあれば入居できるのだと言う。

 建物の名前は「平和荘」と言うそうだ。何とも言えないノスタルジックな響きが、昭和な木造の安アパートを連想させる。でも、学校へのアクセスは非常にいい。歩いて十分ちょっとという、近すぎず、遠すぎず、ほどよい距離だ。
 ただ助手席に乗っているだけで暇な私は、新居についてステファンに質問してみた。

「引っ越し先は、どんなところなんですか?」
「洋館だよ」
「ヨウカン?」
「うん。西洋風の建物ってこと」

 木造の安アパートを想像していた私は、頭の中のイメージを修正しようとした。が、洋館の安アパートって、どんな感じなんだろう。全く想像できない。私が眉間にしわを寄せて考え込んでいると、ステファンは追い打ちをかけてきた。

「何というか、異界の狭間みたいなところにある建物なんだよね」
「異界の狭間……?」

 ますます訳がわからない。

「まあ、訳あり物件なのはおいといて──」
「え、訳ありなの⁉」

 びっくりして思わず大きな声を出してしまった。おいとかないでほしい。まさかそんな物件を選んでくるとは、思ってもいなかった。でも、訳ありな洋館なら想像できるような気がした。ホーンテッドマンション的な何かが頭の中に浮かぶ。

「大丈夫。気をつけてれば実害ないから」
「それってつまり、気をつけないと実害あるってことじゃないの……」

 ステファンは横目でちらりと私のほうを見て、にっこり笑顔で私のつぶやきをスルーした。

 まあ、オカルト的なものとかスピリチュアル系なものは、あまり、というか全然信じてないんだけども。具体的にどんな「訳あり」なのかは知っておきたいところだ。そもそも気をつけてないと実害があるって、どんな実害なのよ。

 じっとりとした目でステファンをにらんでいると、彼は笑顔のまま私に質問して、あからさまに話題をそらした。

「千紘ちゃんは、シェアハウスって知ってる?」
「聞いたことはあります。いろんな人が集まって、ひとつの家を共同で借りることでしょ?」
「そうそう、それだよ。平和荘はシェアハウスなんだ」
「へえ」

 これまでに聞いた情報をつなぎ合わせると、私の新居は平和荘という名前の、訳ありな洋館のシェアハウスらしい。聞けば聞くほど、どんな場所なのかわからなくなる。私が難しい顔をして考え込んでいるのを横目で見て、ステファンは声を上げて笑った。

「安心してよ。僕も住んでるし、そこまでおかしな場所じゃないよ」

 そこまでおかしな場所じゃないって、ちょっとはおかしな場所ってことだよね? 全然安心できなくない? そう考えてから、楽しそうに運転しているステファンの表情を横目でうかがったら、ただ単にからかわれているだけのような気がしてきた。うん、きっとそうだ。真に受けちゃいけない。

 気を取り直して、シェアハウスの中身について質問してみた。

「服しか持ってきてないけど、今日寝る布団とか大丈夫なんですか?」
「家具はひととおりそろってるから、心配いらないよ。ただし古いけどね」
「ああ、使えれば別に何でもいいですよ」

 前の住人が置いて行ったものがあるとか、そういう感じなのだろうか。寝る場所の心配がいらないとわかると、今度は別のことが気になってくる。

「平和荘は、何人でシェアしてるんですか」
「千紘ちゃんを入れて、八人だよ」

 思っていたよりだいぶ多かった。4LDKで四人くらいを想像していたのに。

「相部屋なんですか?」
「いや、全員個室」

 ちょっと待って。全員個室で八人ってことは、最低でも八部屋以上ある家ってことじゃない? いったいどんな家なのよ。まとめると、平和荘は「最低でも八部屋以上ある、訳ありな洋館のシェハウス」ということになる。情報が増えれば増えるほど、想像しにくくなるんだけど。ほんと、どんな場所なのよ。

 家そのものに関して具体的なイメージを思い描くことは、諦めたほうがよさそうだ。代わりに、住人について質問してみる。

「どんな人たちが住んでるんですか」
「社会人が半分、学生が半分って感じかな」

 私家版の学生寮みたいな場所かと思っていたので、半分が社会人とは意外だった。

「空きが出ても、基本的に募集はしてないんだよ。だから、どうしても仕事つながりの入居者が多めになっちゃうんだ」
「あとは、私みたいに紹介してもらえた人ってことですか」
「そうそう。そういうこと」

 半分が社会人なら、学生ばかりの家よりは落ち着いているのかもしれない。正直、騒がしいのは苦手だから、その点はありがたいと思った。

 あれこれ尋ねたいことはあるものの、どうせ一時間ほどで到着する。人づてに話を聞くより、変に先入観を持たずに自分の目で直接見るほうがいいかもしれない。そう思って目を閉じたら、少し休むだけのつもりが、そのまま寝入ってしまったらしい。ステファンから声をかけられて目を覚ました。

「千紘ちゃん、着いたよ」

 まだ少し眠い目をこすりながら、あたりを見回す。車が停まっているのは、路上ではなかった。どこかの敷地内のロータリーだ。そして助手席のドアを開けると、ちょうど玄関だった。八部屋以上あると聞いてはいても、この大きさの家はちょっと想定外だ。

 何しろ敷地内にロータリーがあって、玄関前で雨に濡れずに車の乗り降りができるるだけの、広々としたポーチがある。ミニバンでも悠々とポーチの屋根の下、玄関前に横付けできるのだ。家と言うより、屋敷と呼ぶほうがしっくりくる。レンガ造りの構えだけ見たら、まるで海外のホテルみたい。

 呆然としている私に、ステファンは笑いながら車を降りるよううながした。

「さあ、降りた降りた。ほら、部屋へ案内するよ」

 ステファンはバックドアを開けて、段ボールを二個積み上げて抱えた。一個は自分で持とうと手を出したら、「女の子に持たせる荷物じゃない」と断られた。仕方ないので、手持ち無沙汰ながらステファンの後ろをついて行く。彼は玄関の前でいったん足を止めると、誰にともなく口を開いた。

「ブラウニー・ベン、玄関を開けてくれる?」
「はい」

 驚いたことに、どこからともなく返事が聞こえ、玄関ドアが開く。私は目を丸くした。
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