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卒業式 (1)

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 待ちに待った、中学校の卒業式がやってきた。やっとだ。やっと卒業だ。
 高校に入れば、私は伯父の家から出ていける。

 その開放感と、これから迎える高校生活への期待で、私は卒業式の間ずっと気もそぞろだった。もっともこのときはまだ、自分の高校生活がどんなものになるのか、まったく想像がついていなかったのだけど。
 まさか常識では考えられないような出来事が、あんなふうにいくつも待ち受けているだなんて、誰に予想できるだろう。


 * * *


 私は母、佐藤(さとう)美咲(みさき)とイギリス人である父、ロバート・グリーンフィールドの間の婚外子として生まれた。だから姓は佐藤、母の姓だ。名前は千紘(ちひろ)。父の付けた横文字の名前もあるけど、日本の戸籍にミドルネームなんてないので、戸籍上の名前は佐藤千紘だ。

 両親が結婚しなかった理由は、知らない。結婚していなくても両親は仲のよい夫婦だったし、東京都内で暮らす、普通にしあわせな家庭だった。──私が小学四年のときに、父が行方不明となるまでは。
 ある日、父は泊まりがけの出張に出かけたきり、帰って来なかった。

 それからは母と二人、父の帰りを待ちながら暮らしていた。でも中学一年のとき、母までが忽然と姿を消してしまった。朝、いつもどおりに見送られて学校に行き、家に帰ってみたら「ちょっと出かけてきます。すぐ戻ります」と書き置きを残して、母の姿が消えていたのだ。それきり母は帰って来なかった。せめて行き先くらいは書いてほしかったよ、お母さん。

 母のスマホに電話をかけてみたけど、何度かけても「おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または電源が入っていないためお繋ぎできません」とメッセージが流れるばかりで、つながらない。

 私は心細く思いながらも、自分で食事を用意して母を待った。用意したと言っても、作ったのはおみそ汁とおひたしだけ。あとは冷蔵庫にあった魚を焼いて、キャベツの千切りとトマトのくし切りを添えただけの、簡単なものだ。

 いつもの夕食の時間を一時間過ぎても母が帰ってこないので、諦めてひとりで夕食を済ませた。さらに、いつもより遅くまで起きて待っていても帰ってこないので、しょんぼりと布団に入って寝た。

 朝になったら母が帰ってきていることを期待して起きたけど、やはり母はいない。母が帰ってきていないとわかったときには、がっかりするよりも怖くなった。誰かに相談したい。相談するなら、友だちか先生か。いずれにしても学校に行かなくては。

 朝食は、母のために用意したまま残っていた夕食を食べて、手っ取り早く済ませた。学校に向かってとぼとぼ歩いていると、後ろからよく知っている声がした。

「ちいちゃん、おはよー!」
「しおちゃん、おはよう……」

 しおちゃんこと佐伯(さえき)淑生(としお)は、小学生の頃からずっと仲のいい親友だ。男の子だけど、趣味が一致していてよく話が合うのだ。しおちゃんは、目がパッチリしていて黒目がちで、お人形みたいにかわいい顔をしている。男の子だけど。中学に入っても声変わりがまだで、きれいなボーイソプラノのままだったから、男装している女の子と言われれば信じる人もいそうな感じだった。

 そんなしおちゃんと私が仲よしなのは、どちらもはみ出し者だったから。
 しおちゃんは、かわいすぎる顔立ちと、きれいすぎる歌声と、女子と話の合う趣味のせいで、男子からよくからかわれていた。もっとはっきり言うと、いじめの標的にされていた。ならば女子と仲がいいかと言えば、それもない。女子からは「男らしくなくて気持ち悪い」と遠巻きにされていた。

 もっとも、しおちゃん自身はおっとりしたかわいい顔とは裏腹に、割と性格が図太い上に口が悪いところもあるので、何を言われても「あいつら本当、馬鹿だよねー」と陰でせせら笑うだけで、あまり気にしている様子はなかった。男子たちから「男らしくない」とからかわれても、しおちゃんは「あいつらみたいに幼稚で下品なのを男らしいって言うなら、僕は男らしくなくて結構」と鼻で笑って相手にしない。

 実のところ、しおちゃんはきれいで上品なものが好きなだけで、中身は普通の男の子だと私は思っている。ちょっと精神年齢が普通より高いだけの、普通の男の子だ。ただし普通の男の子にしては美少女顔なところが、からかいの種にはなっているわけなんだけど。

 私がはみ出し者だった理由も、しおちゃんと同じく顔のせいだ。どうやら私には、父の遺伝子が濃く出たようで、見た目にアジア系の特徴が薄い。薄いと言うか、まあ、はっきり言うと全然ない。髪の色は明るい茶色というかゴールドブロンドだし、目の色はいわゆるはしばみ色で、ペリドットのような黄緑色だ。

 父が金髪でも、ハーフなら普通は髪の色はもっと黒っぽくなりそうなものなのに。母の遺伝子が全然仕事をしていない。そのせいでよく「ガイジン」とからかわれた。「名前と顔が合ってない」と言われたこともある。まったく大きなお世話である。

 しおちゃんと私は学校の図書室の常連で、同じような本をよく借りることから仲よくなった。シリーズものの新刊が入ると、お互いに情報共有して順番に借りたりしたものだ。私は話の合う友だちができて単純にうれしかったのだけど、しおちゃんは私が普通に話しかけるのが不思議だったようだ。あるとき、こんなことを言われた。

「男のくせにこんな本を読むなんてって、言わないんだね」

 なんでそんなことを言わなきゃならないの、と逆に不思議に思って、私はきょとんとしたと思う。だって私も、少年向けの本ならたくさん読んでいる。「トム・ソーヤーの冒険」も「ロビンソン・クルーソー」も「十五少年漂流記」も「宝島」も読んだけど、「女のくせに」なんて言われたことは一度もない。なのに男の子が「赤毛のアン」や「若草物語」を読んだら、「男のくせに」って言われるの? おかしくない?

 私の困惑顔にしおちゃんは声を上げて笑い、「そういうの気にしないなら、うちに遊びにおいでよ」と誘ってくれた。そして素直に誘いに乗って遊びに行って、びっくりした。しおちゃんの家は、すごく大きかった。しかも、しおちゃん専用の図書室がある。たぶん十畳くらいの大きさの部屋で、図書館みたいに本棚が整然と置かれていた。中でも少女マンガの蔵書が充実していて、学校でも図書館でも借りられないものが文字どおり山ほど置いてある、すてきな空間だった。

「読みたいのがあれば、言ってね。貸してあげる」

 こうして、しおちゃんと私はお互いの家を行き来する仲となった。友だちの少ない私にとっては、唯一の親友だ。
 そんなしおちゃんは、他人の気持ちにも聡い。だから挨拶を交わしただけで、私の元気がないのにもすぐ気がついた。

「どうしたの、ちいちゃん。何かあった?」
「うん。昨日、お母さんが帰ってこなかった……。すぐ帰るって書いてあったのに」
「電話はかけてみた?」
「かけたよ。でも何度かけてもつながらないの」
「なにそれ、大変じゃん! 警察は? もう行った?」
「行ってない」

 しおちゃんに言われるまで、警察に届け出るなんてことは思いつきもしなかった。
 彼は私の手を引いて方向転換し、一番近い交番に向かって歩き出した。

「しおちゃん、学校は?」
「そんなことより、警察に行くほうが大事でしょ」

 しおちゃんはスマホを取り出して家に電話し、事情を説明した上で、私が交番に行くのに付き添うから学校には遅刻するとお母さんに伝えていた。私は自分で思っていた以上に心細かったみたいで、しおちゃんが一緒にいてくれることが心からありがたかった。

 交番でおまわりさんに事情を話し始めたところへ、しおちゃんのお母さんが駆けつけてくれた。子どもだけでは用事が足りないこともあるだろうと、心配してくれたらしかった。
 聞き取りや手続きには、なんだかんだとお昼近くまでかかった。

 それから学校に行き、担任の先生に家の事情を説明し、授業が終わったらまっすぐ家に帰ったけど、やっぱり母は帰っていなかった。心配して家までついてきたしおちゃんに、母が帰ってくるまでしおちゃんの家に泊まるよう誘われた。そのときは、いつ母が帰ってくるかわからないからと断ってしまった。
 でも結局、翌日おばさんに説得された。

「中学生の女の子がたったひとりで夜を過ごしてるかと思うと、おばさん心配で眠れなくなっちゃうわ。お願いだから、うちに来てちょうだい。お母さんにメモを残して、毎日様子を見に帰ればいいじゃない。ね?」

 それで、しおちゃんの家にお世話になることになった。お世話になった期間は、一か月ほど。一か月で母が見つかったから、ではない。さすがに子どものひとり暮らしは警察の人も心配したのか、私の伯父に連絡してしまったからだ。そうして私は大変に不本意ながら、伯父の家に引き取られることになったのだった。
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