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第2章 唯一の宝物
#9.
しおりを挟む『カケル、今週は行けそうか?』
『ごめん、今週も金曜は夜勤なんだ。また行けそうな日、連絡する』
『そっか、やっぱり仕事大変なんだな。また余裕が出来たらチハルとハルカに会いに行こうぜ!』
『うん、必ず』
真夜中の3時半にも関わらずダイキは1分もかからずにメッセージが返ってくる。そんな時間にも関わらずこの職場は真昼のように照明が光っていて、休日の動物園のように騒がしい音を立てて人間や機械たちが活動している。ダイキから送られてきたスタンプを受け取り、僕は休憩時間を終えた。
休憩を終えてから4時間ほどが経ち、仕事を終えて職場の出入り口にある僕の体重よりも明らかに重い黒色のドアを横に動かして外へ出ると夜勤週間を終えた僕を祝福してくれているかのような朝日が僕の全身を包んだ。今回の夜勤週間は山中さんがいなかったため、体に溜まるストレスが極端に少なかった。体も断然軽い。このまま家に帰って眠るだけだと何だか勿体ない気分になった僕は車を走らせて僕が気に入っている場所へ向かった。
「あぁー、今回も頑張った。自分」
目の前には海のように広がる山に囲まれた湖。後ろを振り返ると、まるで外国の草原に来たかと錯覚しそうになるほどの緑色に囲まれた芝生が足元に生い茂る。僕はその芝生に横たわり独り言を空へ向けて叫んだ。中途半端な時間だからか、広大な公園だからか、今この公園は僕しかいない。開放的な気分になった僕は、体を大の字にして寝転がり思いっきり深呼吸をした。草木を揺らしながら吹き抜けるそよ風が僕の体を労ってくれているようだった。
「このまま死んだら天国に行けそうだな」
目を閉じても日光が僕を照らしているのが分かるぐらい、視界が明るくなっている。のんびりと体を脱力させていると、
「こんな天気のいい日に物騒なこと言うんだね」
何とも聞き覚えのある綺麗な声が頭上から聞こえてきた。慌てて体を起こして声が聞こえた方へ体を向けると、そこにはあのタレントに似た、見覚えしかない女性が向日葵のような黄色い花の柄がついている水色のワンピースを着て立っていた。UFOみたいな形をした白くて大きい帽子が飛んでいかないように手で押さえながら彼女は笑って僕を見ていた。ほのかに上品な薔薇みたいな香りが今日も僕の鼻をくすぐって僕は咄嗟に体を起こした。
「チ、チハルさん!?」
「お、よく覚えてたね。さては私を気に入ったな?」
しししと笑うチハルさんの笑顔は、彼女が着ている服の柄の花に劣らないくらい華やかに咲いているようだった。
「な、何でこんなところに?」
「ここ、私の家の近所でお気に入りの場所だから。逆にカケルくん、こんないい天気の朝に何でさっきみたいなこと言ってたの?」
「い、いや今のは冗談というか……」
「まぁ、ネガティブなのは私も同じだから分かるよ」
「え?」
声のトーンが急に暗くなったのが分かり、僕は言葉が詰まった。
「カケルくん、今から何するの?」
「え? あ、あぁ夜勤終わりだから家に帰る前にここで休んでこうかなって思ってました。それからはゆっくり家に帰ろうかと思ってて」
「あ、仕事終わりなんだね。お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございます」
彼女の声と笑顔がすぐに戻り、僕の体にのしかかっている疲労をどこか遠くへ飛ばしていってくれているようで、少しずつ体が癒やされていくように軽くなる。ただ、彼女は素敵な笑顔を見せているものの、どこか儚げな表情にも見てとれる気がした。
「チハルさんはこれから、どこへ行くんですか?」
「んー、私もここに来るのが目的だったからなぁ。この後はあんまり考えてなかったや。あ、カケルくんさえ良ければヨネダでモーニングでもしていく?」
「ヨネダ? あ、あぁ喫茶店のですか?」
「そうそう。あそこのモーニングで出るトースト美味しいんだよね。ただ、量が多いから1人じゃ食べきれないと思ってさ」
「な、なるほど。お、おれで良ければ……」
「ホント? じゃあ行こう! 私、運転するからさ」
「え、いいんですか?」
「もちろん。さっきまで仕事だった人は大人しく休んでいて下さい」
「あ、ありがとうございます」
僕の背中から吹き抜けていく柔らかい風と彼女の優しい言葉に押されて、僕は言われるがまま駐車場に停めてあった彼女の車に乗り込んだ。今日の空みたいに真っ青な車は遠くから探してもすぐに見つけられそうなほど目立っていた。車の中に入ると洗濯したばかりの服から香ってくるような爽やかな柔軟剤みたいな匂いが僕の鼻をくすぐった。
「お、お邪魔します……」
「どうぞ。散らかってるから後ろの席は見ちゃダメだよ」
「え?」
「え? じゃない。絶対見ないでね」
「フ、フリかなぁと思って」
「全っ然違うから! 絶対ダメだからね!」
彼女の勢いのある言葉は僕の耳に届いてくるけれど、やっぱりどこか後ろの席を見てほしそうな顔で僕を見つめる彼女の顔。僕はやっぱり直視することは出来なくて誤魔化すように窓の外を眺めた。
「偉いね。シートベルトもちゃんとしてる」
「ま、まぁ真面目が取り柄なんで」
「ふふ。じゃあ行くよ」
動き出した彼女の車は、人間が歩いているみたいに本当にゆっくりだった。今日、彼女を見て改めて惹かれた。平常心を保つことを常に意識して彼女の隣に座っていた。緊張はもちろんした。けれど、何だろう。心の中がこの窓の外の景色みたいにぽかぽかとしている。いつもは苛立ちが積もる小鳥たちの囀りが、今は僕の状況を応援してくれているように聞こえた。
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