秘密のビーフシチュー

やまとゆう

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第3章 離れてはいけないし、離れたくない

#39

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 「ちょっと作りすぎちゃったかな」
 「ほんとにね。僕、こんなに食べたの久しぶりだ。しばらくビーフシチューはいらないかな」
 「あはは。確かに達月くん、普段もあんまり食べないもんね」
 「うん。でも、食べすぎてしまうぐらい美味しかった」
 「ふふ。素直でよろしい。美味しく出来てよかったよ」
 「ごちそうさまでした」
 「はーい」

達月くんが食器を洗っている間に、私はテーブルを拭いたりコーヒーを淹れ直したりして彼がリラックス出来る空間を作った。私には美術的な感性は無いけれど、ここに飾られている絵画を見ていると、それだけで何だかお洒落な空間にいるみたいな気持ちになる。彼はテーブルの横にある本棚から文庫本を取り出して読み始めた。

 「あ、ありがとう。コーヒー。無意識に飲んでた」

私の淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでくれた達月くんは、えへへと笑って再びコーヒーカップをテーブルの上においた。

 「ううん。お腹いっぱいだろうから、また飲める時に飲んでね」
 「うん。コーヒーは別腹だからいくらでも飲める」
 「時間も時間だから飲み過ぎもダメだよ」
 「なんか今の日菜さんの言い方、何だか優子さんみたいだった」
 「ほ、ほんと? 全然自分じゃ思わなかったけど」

彼から思ってもいなかったことを言われて、私はあからさまに慌ててコーヒーカップとその下に敷いてある皿とをガチャンと派手に鳴らした。そんな様子を彼は柔らかい表情で見つめている。恥ずかしさを紛らわせるために話題を探した私は、咄嗟にそれを思いついた。

 「そ、そういえばさ、達月くんっ!」
 「ん? 何?」
 「今日さ、これ、持ってきたんだよね。気づいてたかもだけど」
 「うん。ずっと思ってた。アコギだよね」
 「そう。いつも配信の時に使ってる私の相棒」
 「もしかして、演奏してくれるの?」
 「うん。キミを励ますつもりで持ってきた」
 「まじかぁ。ちぇりーさんの生演奏、こんな近くで聴けるなんて最高じゃん」

コーヒーカップの隣に文庫本を置いた彼は、ぱぁっと表情が明るくなった。こんなに太陽のように明るく笑っている達月くんが見られるのが私は本当に嬉しかった。ギターを持つと普段は緊張して手汗をかいてしまうけれど、今日はそんなこともなく、自分でもいい具合に力が抜けていると思っている。

 「人前で演奏するの、本当に久しぶりだからミスっても温かく見守ってね」
 「もちろん。ずっと聴いてる。音が聴こえなくなるまで聴いてるね」
 「ありがとう。じゃあ、どうしようか。そうだな……」

私は弦を合わせながら頭の中で何を弾こうか考えていた。そういえば、達月くんはRADWIMPSが好きだって言っていた気がする。チューニングをする私を1秒も見逃さないようにしているくらい、まじまじと見つめている彼の目を見つめ返しながら私は口を開いた。

 「じゃあとりあえずRADWIMPS弾きます。曲は『ふたりごと』」
 「激アツじゃん。お願いします!」

私も気分が昂っているからか、普段よりもリラックスしながら弦を弾きながら普段よりも声が出せていた。滑舌も悪くない。少しずつ楽しくなってきた私は、彼に笑顔を見せながら歌うことができた。つられるように彼もへらっと笑った顔がとても印象に残った。演奏を終えると、彼は目を光らせて手を叩いてくれた。

 「いや、やばいよ。日菜さん」
 「うん?」
 「ちぇりーさんの生演奏、目の前で聴けちゃうのはやばい」
 「ふふ。そう言ってもらえたら私も嬉しい」
 「うん、ほんとにやばい時間すごしてる」
 「うん。達月くんの語彙力もやばくなってるね」
 「それぐらい今、テンション上がってる」
 「確かにキミがそんなに大きな声を出して笑ってるのは初めて見たな」
 「しかも選曲がやばかったからなぁ」

余韻に浸るように話す彼の笑顔を見ていると、私もつられて口角が上がる。予想以上に喜んでもらえているようで私もはしゃいでしまおうかと思うくらい嬉しくなった。だが、彼は突然涙を流し始めた。それは本当に唐突の涙だった。

 「え? 達月くん? どうしたの?」
 「あ、ごめん。感動してつい泣けてきちゃって」
 「そ、そんなに? 嬉しいけど大袈裟だよ。早乙女達月に比べたら知名度も断然少ないし、私なんてまだまだだよ」
 「ファンからしたらそうでもないんだよ」
 「達月くんがそんなに喜んでくれてよかったよ。少しは元気、出た?」
 「うん。とても」
 「よかった。それは何よりだよ」

彼はそう言って再び笑顔を見せてくれたけれど、私は彼の流していた涙と彼の表情を見ていると素直に喜べずに心の中に何かが引っかかる感覚がした。けれど、今は彼も心の底から楽しんでくれている気がする。今抱いた違和感は私の気のせいだと自分に思い込ませ、3曲ほど彼のリクエストに応えて演奏した。彼はどの曲も味わうように目を閉じて私の演奏と声に耳を傾けていた。その表情をとっても愛しく思いながら私は全て歌いきった。


            ✳︎

 「失礼します」
 「はいどうぞー。お、日菜さん。久しぶりだね」
 「うん。半年以上は会ってなかったと思う。佳苗から少しずつ状況教えてもらってたけど。元気?」
 「おう! めっちゃ元気だよ! 順調にリハビリも進んでるしな。来週から筋トレの量も増やしていいことになったしな」
 「すごい。さすが、日本代表選手だね。佳苗」
 「張り切りすぎて悪化させないでよね」
 「はは! さすがにそれはない」
 「何があるか分かんないじゃん。晴樹さん、特に頑張りすぎるところあるから。はい、これ。いつもの」
 「おぉー! ありがとう! 1週間の楽しみ!」

ベッドの上で太陽のような明るい笑顔を見せる晴樹さんは、佳苗から紙袋を受け取っていた。箱の中身を聞いていなくても分かる。このにおいはアップルパイだ。つい最近、アップルパイを1人で作れるようになった私と同じタイミングで佳苗も作り方をマスターしたらしい。この状況を見たら、あの2人も佳苗も私たちの店に引き抜こうと考えそうだ。もちろんそれは私も同じ意見だ。
 晴樹さんが入院してから半年以上が過ぎた。晴樹さんのケガは予想以上に治りが早いらしく、病院の先生も驚くほど順調にリハビリが進んでいるらしい。晴樹さんの体質がすごいのかもしれないけれど、佳苗の存在が大きいだろうと私は思っている。楽しそうに話す2人を見ていると、まるで新婚夫婦のようにも見えてくる。

 「うんまっ! やっぱり佳苗の作るアップルパイは最高だな!」
 「いやいや、日菜と優子さんとニケさんのおかげだから。ちゃんと日菜にも感謝してよね」
 「当たり前じゃん。日菜ちゃんもありがとう。佳苗に作り方教えてやってもらって」
 「いやいや、私は何もしてない。佳苗の努力の賜物だし、もう晴樹さんからそれ聞くの20回は超えたかな」
 「はは。感謝を伝えるのは何回でもさせてくれよ」
 「そういや今日、達月くんは?」
 「今日は新作を出版するための打ち合わせだって。出版社に行ってる」
 「そっかぁ。2年ぶり? 早乙女達月の新作」
 「うん。そうだね。どんな物語になってるのか既に楽しみだよ」
 「あらすじとか本人に聞かないのか?」

きょとんとした顔で私を見つめる晴樹さんに対して、私と佳苗は同じタイミングでため息を吐いた。佳苗の方がわずかに吐いた息が長かった。

 「ネタバレを聞いた後に読む小説ほどテンションの上がらないものはないから。絶対聞かないでしょ、普通」

呆れた様子で話して晴樹さんを見つめる佳苗に対して、朗らかで爽やかに笑う晴樹さんの対比が極端すぎて私もつられて笑えた。

 「佳苗の表情、一周回って怖いから」
 「そうだぞ。眉間に皺寄せてたらずっと顔に力入ってるぞ」
 「晴樹さんの言葉に呆れちゃっただけだから」
 「そういや、達月にもしばらく会ってないな。日菜ちゃん、あいつ、元気にしてるか?」
 「うん。元気そうだよ。アトリエで作業してるところとか、私たちの店に来た時にパソコン触ってるところを見てるのが大半だけど。あ、そういえば私の演奏、気に入ってくれてるかな」
 「そっかそっか。日菜ちゃんも達月も楽しそうで良かったよ」
 「うん。最近、毎日楽しいよ。職場が変わってから毎日びっくりするぐらい忙しいけど、その分優子さんとかニケさんにも支えてもらってる」
 「いいことだ。心機一転、充実していたら何よりだな」
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