秘密のビーフシチュー

やまとゆう

文字の大きさ
上 下
20 / 53
第2章 人が嫌いだった

#20

しおりを挟む

 「お待たせしました」

優子さんが運んできてくれたビーフシチューを見た瞬間、それに呼応するように私のお腹が大きく鳴った。恥ずかしさのあまり顔が熱くなっていると、「お腹は正直ね」と言って、天使の笑顔(私が名付けた)を私に向けて彼女がテーブルの上に置いた。
 見た瞬間に分かる。絶対に美味しいやつだ。ぐつぐつと沸き立っているルウの中に姿を見せるゴロゴロとした四角くて大きな牛肉。その隣にはホロホロに溶けかけているとろけたじゃがいもと、鮮やかな色で存在感を放つ人参の甘い香りが食欲を刺激する。その横に浸かっているのはカボチャだろうか。三日月のような形になっているそれも、やけに存在感を放っている。隣に置かれているライ麦のパンを、そのルウにつけたらたまらなく美味しいだろうな。その想像をしただけで既に味がしそうだった。私は早くそれを口に運びたくて目の前にあるこの料理たちに釘付けになった。

 「桜井さん、ガン見しすぎだよ」

じっとそれを見つめていると、優子さんの背後から飲み物を持ってきてくれたニケさんにもぷっと笑われてしまう始末だ。

 「い、いや、ビーフシチューが本当に美味しそうだったので! もうなんか、香りだけで食欲が体の中から溢れ出るように思えて!」
 「ふふふ。気に入ってもらえて良かったです。ね、ニケさん」
 「うん。ぜひ堪能してほしいな」

ルウの中へスプーンを沈ませると、とろとろに蕩けたそれと一緒にじゃがいもがスプーンの上に乗った。スプーンが口に近づくにつれて、ルウの香りもどんどん近づいてくる。あまりにも良い香りのそれを思いきって口の中に入れた。

 「うわ……! 何これ! 美味しっ!」

圧倒的だった。それは今までに食べてきたどの料理よりも美味しいと思えた。口に入れた途端に広がる、ルウの風味とじゃがいもの優しい味が私の口角を自然に上げた。何だこのビーフシチューは。幸せを食べ物で具現化したみたいな味だ。本当に美味しい。涙が出そうになる。視界がじんと滲んだ。

 「さ、桜井さん! 大丈夫ですか?」

そんな私の目を見た優子さんが慌てて私の元へ駆け寄った。すると私は、自然と顔の力が抜け、えへへと優子さんの方を向いて笑った。

 「ごめんなさい。あまりにも美味しくて泣いちゃいそうでした」
 「そ、それは嬉しいです。涙ぐむ人は流石に初めてだよね」 
 「そうだね。それだけ美味しいって思えたなら素直にすっごい嬉しいけどね」

ニケさんの方を見ると、彼も照れくさそうに笑いながら茶色い髪の毛を掻いて私の顔を見た。

 「その牛肉。びっくりするぐらい美味しいから。騙されたと思って食べてみて」
 「は、はい。いただきます」

促されるままそれを口にすると、これまた私がこれまでに食べてきた食べ物の中で一番美味しかった。それはもうダントツでぶっちぎりで、言葉にするには難しいぐらい美味しかった。よく煮込まれているその牛肉は5秒くらいで口の中から消えていった。美味しさが5秒で終わってしまうもどかしさを感じながら私は再びルウの中から牛肉を探した。

 「あはは。すぐ無くなっちゃうでしょ。牛肉」
 「は、はい! 噛んでないのに無くなっちゃって! それでもビックリするぐらい美味しくて! 私、こんな美味しい料理食べたことないです!」
 「いやぁ、そんなこと言ってくれたらこのシチューも嬉しいだろうね。僕も優子もこのシチューは大好物なんだ」
 「本当に美味しいですよね。このシチュー。桜井さんにも気に入ってもらえてよかったです」
 「はい! 本当に気に入っちゃいました。これからここに来たら、絶対さっきの言葉いっちゃいますよ」
 「ふふ。是非仰ってください。他のじゃがいもも人参もルウも、全部美味しいですから全部堪能してくださいね。あと、そのカボチャも」
 「あ、ありがとうございます……! やっぱりカボチャだったんだ。じゃあ、お言葉に甘えて……」

それを全て食べ終えて窓から外の景色を眺める頃には、太陽はすっかり役目を終えて夜の街灯たちが踊っているように煌びやかな光がついたり消えたり色を変えたりしていた。他の席に座っている老夫婦やジャージ姿の男の子たち、楽しそうに笑い合っている男女たちの手元にはオムライスや鉄板に乗ったナポリタンなんかが置かれていたけれど、私が食べたあのビーフシチューは置かれていなかった。それを思い出していると、私はさっき食べたばかりなのにまたビーフシチューが食べたくなった。

 「ごちそうさまでした、本当に美味しかったです」
 「今日もありがとうございます。いつでもお待ちしてますね」
 「桜井さん、本日もありがとうございました。久々にビーフシチューを出して食べてもらったのが君でよかったよ。また食べに来てね」
 「は、はい! すぐにまた伺うと思います! あの、今度は佳苗っていう友達と一緒にビーフシチューを食べに来てもいいですか?」

私がそう言うと、優子さんとニケさんは全く同じタイミングで微笑んだ。そして全く同じタイミングでゆっくり首を縦に動かした。

 「もちろん。是非お越しください」
 「うん。今日より美味しいの作るね」
 「あ、ありがとうございます! 楽しみにしています!」

私は2人に深めのお辞儀をした。顔を上げて気づいたけれど、今日は私が最後の客だったらしい。結局、閉店時間まで居てしまった。早々と帰るつもりだったのに、気がつくとずっとここにいたいと思っている自分がいた。

 「じゃ、じゃあまた!」
 「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
 「ありがとうね、桜井さん」

ニケさんがドアノブに手を伸ばし、徐々にドアが閉じられていく。2人の姿も少しずつ見えなくなっていった。その時だった。

 「あ、あの……!」

ドアが閉まる瞬間、気がつくと私は2人を呼び止めていた。すると、ドアがゆっくりと開いて再び2人が私の目の前に現れた。ニケさんは驚いているのか、さっきよりも目が大きくなっている。優子さんは落ち着いた様子で、じっと私を見つめている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

私達、政略結婚ですから。

恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。 それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

サトウ・レン
青春
「夏風夏鈴って、名前の中にふたつも〈夏〉が入っていて、これでもかって夏を前面に押し出してくる名前でしょ。ナツカゼカリン。だから嫌いなんだ。この名前も夏も」  困惑する僕に、彼女は言った。聞いてもないのに、言わなくてもいいことまで。不思議な子だな、と思った。そしてそれが不思議と嫌ではなかった。そこも含めて不思議だった。彼女はそれだけ言うと、また逃げるようにしていなくなってしまった。 ※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。 ※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。 〈参考〉 伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫) ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫) 堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫) 三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫) 片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫) 村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫) 住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)

私は最後まで君に嘘をつく

井藤 美樹
青春
【本編完結済みです】 ――好きです、愛してます。 告げたくても、告げることができなかった言葉。 その代わりに、私は君にこの言葉を告げるわ。最高の笑顔でね。 「ありがとう」って。 心の中では、飲み込んだ言葉を告げながら。 ありきたりなことしか言えないけど、君に会えて、本当に私は幸せだった。 これは、最後まで君に嘘を突き通すことを選んだ、私の物語。 そして、私の嘘を知らずに、世間知らずの女の子に付き合ってくれた、心優しい君の物語。

ツンデレ少女とひねくれ王子の恋愛バトル

星名柚花
青春
花守沙良にとって、学力だけが唯一他人に誇れるものだった。 入学式では新入生代表挨拶を任せられたし、このまま高校でも自分が一番…と思いきや、本当にトップ入学を果たしたのはクラスメイトの超イケメン、不破秀司だった。 初の実力テストでも当然のような顔で一位を取った秀司に、沙良は勝負を挑む。 敗者はケーキで勝者を祝う。 そんなルールを決めたせいで、沙良は毎回秀司にケーキを振る舞う羽目に。 仕方ない、今回もまたケーキを作るとするか。 また美味しいって言ってくれるといいな……って違う! 別に彼のことが好きとかそんなんじゃないんだから!! これはなかなか素直になれない二人のラブ・コメディ。

下弦の盃(さかづき)

朝海
青春
 学校帰りの少女――須田あかりは、やくざの男たちに絡まれているところを、穏健派のやくざ白蘭会の組長・本橋澪に助けられる。  澪に助けられたことから、澪の兄で強硬派のやくざ蒼蘭会・組長の本橋要との権力争いに巻き込まれていく。

怪我でサッカーを辞めた天才は、高校で熱狂的なファンから勧誘責めに遭う

もぐのすけ
青春
神童と言われた天才サッカー少年は中学時代、日本クラブユースサッカー選手権、高円宮杯においてクラブを二連覇させる大活躍を見せた。 将来はプロ確実と言われていた彼だったが中学3年のクラブユース選手権の予選において、選手生命が絶たれる程の大怪我を負ってしまう。 サッカーが出来なくなることで激しく落ち込む彼だったが、幼馴染の手助けを得て立ち上がり、高校生活という新しい未来に向かって歩き出す。 そんな中、高校で中学時代の高坂修斗を知る人達がここぞとばかりに部活や生徒会へ勧誘し始める。 サッカーを辞めても一部の人からは依然として評価の高い彼と、人気な彼の姿にヤキモキする幼馴染、それを取り巻く友人達との刺激的な高校生活が始まる。

処理中です...