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第2章 碓氷 雫
#36
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『もしもしー?』
「あ、もしもし。ごめんなさい、急にこんな時間に」
『ううん、全然いいよ! どうした、雫ちゃん?』
ただただ非常識。先生とのお出かけ(デート?)を終え、日付が変わり1日のやることが全て終わった私は、かかってくれたらいいなという期待を込めてハルカさんに電話をかけた。こんな時間でも2コールで電話を取ってくれるハルカさんはやっぱり優しい人だ。
「ハルカさん、今日私、先生と2人でお出かけしてきました」
『え!? マジかマジか! 急展開が過ぎるって! ちょっと待って! 雫ちゃん、今から洗顔と歯磨き、秒で終わらせてくるから!』
「あ、はい。一回電話、切っておきましょうか?」
私の返事を聞かずに電話越しに慌ただしい足音が遠ざかっていくのが聞こえた。ごめんなさい、先生。こんな時間にそんなに焦らせてしまって。心の中で謝っていると、先生は本当に1分くらいで帰ってきた。
『はぁ、はぁ……。ごめん、お待たせ!』
「いやいや、こちらこそ……。ごめんなさい、焦らせてしまって」
『ううん、全然大丈夫だよ! それよりすぐその話聞きたくてさ!』
「ごめんなさい。ありがとうございます、じゃあ話しますね」
時間が経つにつれ息が整っていく先生にスマホ越しで頭を下げ、「実は……」と私は切り出した。
「先生の地元へ2人で行くことになりました」
『うわぁー! すごい進展じゃん! 何で急にそんな流れに?』
「あ、あと、ごめんなさい。昨日、ハルカさんと一緒に行ったバッティングセンター、もう今日先生と行っちゃいました。3人で行くって約束していたのに……」
『あぁ、いいのいいの! それはまたいつでも行ったらいいし! 何ならまた2人で行ってきてもらってもいいし!』
「いえ、今度は絶対ハルカさんも誘います。それでね、あそこにいた炭酸じいちゃんが、まさかの先生と地元が一緒の人だったんです。それも、先生のお祖父さんと親友だったらしくて」
『へぇー! 斗和くんって出身は神奈川県だったよね? こんなに離れた街でバッタリそんな関係性の人と出会うなんてすごい確率じゃんね。なんか、そういうの聞いた時、人って出会うべくして出会ってんだなって思うなぁ!』
「私も横で聞いていてすごくそう思いました。先生もおじいちゃんもとても嬉しそうに地元の話をしていたので、お二人とも故郷が大好きなんだなと思いました。それで……、その流れで、近いうちに2人でそこへ行こうって話になりました」
『すごいすごい! いや、ほんとにすごい! 私は斗和くんと炭酸じいちゃんに繋がりがあったのとか正直どうでもいいけど、雫ちゃんが斗和くんと遠出することがすごいと思ってる! 旅行になるよね? 多分』
「りょ、旅行……! どうでしょう? 行こうと思えば多分、日帰りでも帰ったりはできると思いますけど……」
話しているうちにハルカさんの顔がどんどんニヤニヤしている気がする。口角が上がりすぎてほぼ顔の半分口みたいな状態になっているのが想像できる(さすがに言い過ぎたしハルカさんに失礼)。ただ、ハルカさんに言われたことを想像していくうちに、私も徐々に体が熱くなり心臓の動きも活発になっていく。
『いいじゃん、今からすっごく楽しみじゃん! 日帰りにしろ、お泊まりにしろ! てか絶対お泊まりの方がいいでしょ!』
「私は先生のしたいように合わせます……! 多分、仕事の方だって色々やることも出てくるでしょうし」
『旅行に行ってくるなら楽しむことだけを考えた方がいいよ! 普段は行けないような場所に行くんだろうし。それに、その場所ならではの美味しいものが食べられるんだろうし』
「ま、まぁ、それはそうですけど……」
私よりも楽しそうにウキウキしている声のするハルカさんがすごく可愛い。私だって内心はすごく嬉しいしハルカさんみたいにはしゃぎたい。けど、やっぱり私は恥ずかしさが勝つ。
『神奈川県って言っても、色んな場所があるよね。斗和くんって神奈川のどの辺り出身なの? 未だに地名までは知らなかったんだよね』
「えっと……、海に近い所で、川野町? って言っていたと思います」
『え、川野町……?』
その土地の名前を聞いた瞬間、ハルカさんの声がスマホから消えた。沈黙の後に聞こえた『雫ちゃん』と私を呼ぶ声は、ハルカさんから笑顔も消えていたのが分かった。
「え? どうしたんですか? ハルカさん……。何か怖いんだけど」
「雫ちゃん、川野町って……。覚えてないの?」
「え? 私、知ってる土地ですか?」
「川野町はね、20年前にあの大地震と大津波を経験した町だよ……」
「え……」
頭の中に私が幼かった頃の記憶が蘇る。太平洋が震源になった大きな地震。『観測史上最大の地震』、『未曾有の大災害』、『この世の終わりの始まり』。テレビのニュースで何度も繰り返し読み上げられるその文章とともに流れる、大地を大きく揺らす振動とともに聞こえてくるゴゴゴという轟音。そこに建てられていた家や車などが一瞬にして飲み込まれていく津波の映像。そのカメラから聞こえる現地の人たちの泣き叫ぶ声。それら全てが現実に起こっていた街が先生の故郷、川野町だ。
「先生の故郷は、あの川野町……」
『そう……。あの大災害の一番、被害の大きかった町だね。私が高校生だったから斗和くんは中学生くらいの頃か……。正直、ビックリしたなぁ。本人、そのこと今まで全然言ってこなかったから』
今日の先生、おじいちゃんと喋っていた時の先生の会話や表情が胸の中に突き刺さるようにして蘇る。先生が川野町について話していた時に見せた笑顔を思い出すだけで心臓が締め付けられるような感覚になった。
「ハ、ハルカさん……」
『ん? どうした雫ちゃん』
「私、先生と話してきてもいいですか……?」
『……うん。雫ちゃんならそうすると思ったよ。行っといで』
ハルカさんの優しい声が私の心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「ごめんなさい。ハルカさん。こんな時間に私から電話かけたのに」
『いいのいいの。それよりも斗和くんと話したいんでしょ? 私だって今の雫ちゃんの立場ならすぐにでも話に行きたくなると思うもん。だから気にしないで』
「す、すみません。ありがとうございます……」
『ほらほら、謝るのはそれぐらいにしてさ! 行ってらっしゃい』
「ありがとうございます……。行ってきます!」
通話を終えるボタンを押したのと同じタイミングで椅子から立ち上がり、そのままの勢いでドアを登って行く。師匠の部屋の前に立ち、一度深呼吸をしてからコンコンとドアを叩いた。すると、いつものように「はーい」とゆるっとした先生の声が返ってきた。恐る恐るドアを開けた。
「はは。雫さん、慎重に開けすぎ。何もしてないよ」
「い、いえ。久々に先生の部屋を開けたもので……」
「そうだっけ? まぁ最近はリビングで仕事とか終わらせちゃうしなぁ。あ、ごめんごめん。それで、何だった?」
「せ、先生。まずはお詫びさせてください。ごめんなさい」
「え、なになに? 怖いんだけど。僕、雫さんを謝らせるようなことしたっけ?」
「顔をあげてよ」という先生の声を聞き、ゆっくりと顔を上げた。無理もない。先生のその反応とその表情が普通だ。
「いえ。先生は何もしていません。私が無知、いえ、気づけなかったことに対して謝らせてください」
「気づけなかった? さっきから何のことだい? 雫さん」
「先生の故郷のことです」
「……あぁ、そのことね」
先生の表情が変わった。ただ、それは「悲しい」とか「憎い」とか、そういった顔ではない、まるでその町の景色や思い出を噛み締めている、そんな顔のように私には見えた。先生の沈黙が、ひんやりとした部屋の空気をさらに冷たくしているように感じた。私を見つめている先生の目が、私の体温も少し下げているようだった。
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