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第2章 碓氷 雫

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 「あー! 美味しかった! ビビンバが美味し過ぎたけど、最後のシャーベットが何もかも感情奪い去ってぶっちぎりで優勝だったね」
 「はい。すっごく美味しかったです。気持ち的にもスッキリしますね」

季節の変わりが近づいているような生温かい風が私の全身にまとわりつくように吹いた。不快感を感じるようなこの風も、シャーベットを食べたおかげなのか、それすらも心地よく感じた。耳をすますと、店の近くにある田んぼの方から1匹や2匹ではない量のカエルたちの鳴き声が合唱しているように聞こえた。

 「ほんとだね。これだけジトってしてても不思議と爽快感があるね。このまま体動かしても汗とかかかなそうな気がする」
 「そうですか? ハルカさんは汗っかきだから運動したらすぐ汗ばむと思いますよ」
 「それがね、最近、汗かきにくくなったの! 仕事中出にくくなったのは嬉しいけど、体絞る時とかに出ないと結構辛いんだよね。体質変わってきたのかなぁ?」
 「……それなら今から体、動かしに行きませんか?」
 「え? 今から?」
 「はい」

腕時計の液晶画面に触れると、時刻は21時半を過ぎた頃だった。平日とはいえ、この時間に行える施設は限られている。ただ、私はこの時間でも出来るアクティビティを知っている。スマホのロックを外し、カメラロールにある2000枚以上の写真を見ながら人差し指を下から上に沿わせて動かしていく。見つけた。そして、それをそのままハルカさんに見せつけるようにスマホを彼女の方へ向けた。

 「行きませんか? バッティングセンター」
 「おー! バッティングセンターかぁ! いいじゃん! こんな時間でもやってるんだね」
 「はい。ここ、平日は23時半までやってて社会人には良心的な営業時間なんですよ。それに、ここからだと車で5分くらいで着きますからね」
 「雫ちゃん、マジでナイスじゃん! じゃあそこに行こうよ!」
 「はい、行きましょう。私、運転していくんで車に乗ってください」
 「え、ありがとうー! 雫ちゃんの助手席乗るの久しぶりだなぁ」

21時41分からバッティングセンターへ向かう、脳内小学生のような成人女性が2人、ウキウキしながら目的地へ向かった。狭い空間で話していたこともあり、さっきよりも大きな声で先生について再び話していた私の車は、本当に5分くらいでバッティングセンターに着いた。私の提案は正しかったようで、車から降りたハルカさんは建物を見た瞬間、暗闇でも分かるぐらい両目を輝かせてそれをじっと眺めている。

 「雫ちゃん! ここ、雰囲気最高じゃない?」
 「いいですよね、秘密基地みたいで。お客もそこまで多くありませんし」

『伊澤バッティングセンター』と書かれた、家にある液晶テレビくらいの大きさの看板は長年の雨風などの影響なのか、所々装飾が剥がれ裏側の木の板が剥き出しになっている。昭和に建てられたラブホテルみたいな外観に、鉄腕アトムとキン肉マンを足して2で割ったような顔の野球帽を被った少年のキャラクターが必要以上に口角を上げて笑っている。いかにも、といった雰囲気のここは、確かに子どもが楽しみに来るというよりかは私たちみたいな大人が夜中に訪れるのが適しているような空間に思えた。

 「見て! 20球、100円だって! めっちゃ安いじゃん」
 「そうなんですか?」

読み取れる範囲で看板に書いてある文字を見たハルカさんは、まるで玩具を見つけた子どものような笑顔でそこを指差し目を輝かせている。

 「そうだよ! 100円で大体12球から15球ぐらい、高いところなら200円かかったりするところもあったりするんだから! 破格だって」
 「く、詳しいんですね……」
 「当たり前じゃん! スポーツ施設は一通り網羅してるから! ほら、早く行こうよー!」
 「あ、待ってください!」

私を置いて入り口まで走っていったハルカさんは、私が追いかけても追いつけないくらいの速さで駆け抜けていく。大の大人がこんなにはしゃいでいるのを見たのは久しぶりだ。あ、でも少し前にカケルさんの家へ行って朝まで枕投げをしてたんだった。普段落ち着いている人がはしゃいでいるのを見ることができると、何故か無性に嬉しくなってくる。ウォーミングアップがてら、私も走ってハルカさんの後を追いかけた。

 カァン! カァン! キィン!

明らかにホームランの弾道ではないところにホームランマークの板が備えつけられている場所にボコンと音を立ててハルカさんの打った鋭い打球が命中した。

 『おめでとうございます。ホームラン、ホームランでございます』

祝う気などさらさら無いような機械音がハルカさんの低空飛行ホームランを祝うアナウンスが響き渡った。客が私たちだけで良かった。嬉しさより恥ずかしさが勝ちそうな空気を私は感じ取っているが、当の本人は次のボールが来るまではしゃいでいてデッドボールをくらいそうになっていた。その後も快音を響かせていたハルカさんが満足げな顔をしてネットをくぐって帰ってきた。

 「すごかったです。ホームラン。おめでとうございます」
 「いやぁ、当たるもんだね! まぁでもあの弾道なら普通、良くてセンター前ヒットぐらいだと思うけどね」
 「あ、ハルカさんも思ってたんですか」
 「まぁ気持ち良く打てたから結果良し! 次は雫ちゃんの番だよ」
 「は、はい……! 打てるかな……」

この場所を私から提案したものの、いざ自分の番になると少し緊張。観客はハルカさんだけなのに、見えないところに何人もいるようなたくさんの視線を感じるのは気のせいなのだろうか。ネットをくぐり、備えつけられている金属バットが2本あり、「子ども用」と書かれている入れ物の方にあるバットを手に取った。軽く握ってみると手に張り付くようなグリップの感触が焦っている私の心の中を煽ってくるように思えた。

 「雫ちゃんファイト!」
 「は、はい!」

おそるおそる100円を入れると、ホームベースからマウンドくらい離れた場所に設置されていたマシンがゴウンゴウンと動き始め、地面の辺りに表示されている電光掲示板に「20」と数字が点った。向こうのネット越しに見える機械の腕の部分が、ゆっくりと回り始めたと思った瞬間、そこから勢いよくボールが飛び出した。私はほぼ反射でバットを横に振った。

 「ひゃあ!」

私の声と同じくらいのタイミングで後ろにあった緩衝板がドスンと鈍い音が響いた。ワンストライク。

 「ドンマイドンマイ! タイミング、悪くないよ!」
 「ほ、ほんとですか!?」

どこかで缶コーヒーを買ったのか、手元にあるそれに口をつけながらハルカさんは私にエールを送ってくれている。そっちに気を取られていたら、またボールが飛んできていた。ツーストライク。

 「ほらほら! 雫ちゃん! ボール、どんどん来ちゃうよ!」
 「そ、そんなこと言ったって……!」

カシュ。軽やかな音と一緒に飛び込んでくる白いボールを目に捉えながらも私の振ったバットは空を切った。三球三振。

 「ボールは見えてるね。あとは、もう少し脇を締めて肘を畳むように振ってみて!」
 「ひ、肘を畳むように?」

こんな感じ! と言って、実際に動きを見せてくれるハルカさんのそれを意識しながら振ってみた。すると。

カァン!

さっきよりもバットがコンパクトに触れるようになり、私の振ったバットにジャストのタイミングでボールが当たったようだ。マシンが投げてくるスピードよりも速そうな速度で私の打ったボールが勢いよく飛んだ。我ながらお見事。センター前ヒットかな。

 「ナイバッティン! タイミングバッチシじゃん!」
 「ハルカさんの教え方が上手いんです……よ!」

気持ちいい。私の打った打球はホームランになりそうな角度で飛んでいった。
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