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第2章 碓氷 雫
#25
しおりを挟む私が無意識のうちに食べていたのか、私の知らないうちにハルカさんに食べられていたのか目の前にはビビンバを食べた後の石焼きの器、チヂミが盛られていたであろう大皿。トッポギが乗せられていた鉄板焼きの皿。全て食べ尽くされている。あれ? こんなに私のお腹膨れてたっけ。ハルカさんと2時間くらい色んなことを話していたら、目の前にあった料理がいつの間にか底を尽きていた。
「いやぁ、食ったね。雫ちゃん」
「私、ハルカさんと色んなこと話し過ぎて食べてた記憶無いんですけど」
「嘘でしょ!? ビビンバ、感動しながら食べてたじゃん。ぶっちゃけ私よりチヂミ食べてた量、多いからね。無意識だったの?」
「た、多分……。美味しかったっていう感覚はどこかにある気がするんですけど」
「ま、まじか雫ちゃん……」
「ご、ごめんなさい。ハルカさんより食べてしまったのだったら申し訳ないです……」
「いやいや! いいの! 若い子がいっぱい食べることは素晴らしいことだから! それに楽しんでくれてるってことでしょ?」
「はい。すっごく楽しませてもらってます。まだまだ話し足りないことばっかりで。時間がすぐ過ぎてしまいます。もう2時間ぐらい経って……、え? 4時間!?」
腕時計を見ると、針はひとりでに秒針が動いたのかと思えるほど時間は進んでいて、すでに23時を過ぎた頃だった。体感時間は2時間くらいしか経ってないと思っていたのに。
「そうだよ、雫ちゃん。もうそろそろここのラストオーダーになる時間だと思うけど、何かデザート注文する? あ、ちなみにここの巨峰シャーベット、めちゃくちゃ美味しいよ。量もちょうどいいしね」
「そ、そうですね……! お口直しに甘いものは食べたいです」
「そうこなくちゃ! すいませーん!」
ハルカさんは酒を飲んだのかと聞いてしまいそうなほど頬が赤くなっていた。ただ、店員にはちゃんとした滑舌で2人分のシャーベットを頼んでくれているあたり、ハルカさんの飲み物はソフトドリンクのままだと信じている。まぁさすがにお酒は飲んでいないだろう。さすがに。
「雫ちゃんも甘いの好きだもんね。絶対、気にいると思うよ!」
「本当ですか。楽しみです。久々にお店のシャーベットを食べます」
「そうなの? 斗和くんも甘党だろうから2人で食べに行ったりしないの? もしくは2人で作ったりとか?」
「うーん、しないですね。先生が甘党なのはあるんですけど、なかなか2人で食事には行かないですね。料理も主菜と副菜くらいで。あとは米とか味噌汁とか、スープとかしか最近は作ってないです」
手元にあるコップを指で擦りながら黙って私を見つめているハルカさんは明らかに何かを言いたそうな顔をしている。私はその目線に背筋がぴんと伸びてハルカさんの目を見つめ返した。しばらくの沈黙の後、ハルカさんの口からは「うーん」という唸り声が漏れた。
「どうしたんですか? ハルカさん」
「いや、斗和くんも雫ちゃんも奥手で受け身だろうから、進展とかあったりしないのかなぁって思ったりしてね」
「進展かぁ……。特に無いですけどねぇ」
ハルカさんは私と正反対の性格をしているような人だから、多分私の考え方は理解するのは難しいはずだ。それでも彼女は、私が学生の頃から先生への想いがあることを知っていて、それが成就するようにいつだって見守ってくれている。ただ、私の行動が下手なこともあれば、先生の性格があんなだからこの想いが彼に届くことはなく、気がつけば7年くらいは私と斗和先生、「先生と頼れる助手」という関係性で落ち着いているのが現状だ。
「こんなに可愛くて素敵な女の子が近くにいて、その子が好意を抱いてるのに全く気付かない斗和くんはある意味、悪魔だよね」
「いいんです。なんだかんだ長い時間一緒にいるので、多分もう先生にはそういう感覚は無いんだと思います。ましてや先生が恋愛をしているところなんてこれっぽっちもイメージ出来ませんからね」
「あはは、それは確かに出来ないね。もう斗和くんも30過ぎていい大人なのにねぇ。童貞だったとしたら妖精になりそうな年齢だし、斗和くんは色気もあるしイケメンだけど、やっぱりどうしても童貞なイメージは抜けないな」
ハルカさんに悪気がないことは重々承知しているし、ハルカさんの言う通り私も先生にはそういうイメージがある(先生、失礼なことを心の中で思っていてごめんなさい)。それでも先生のことをそういう風に言われると、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚になって息がしづらくなる。
「それこそ、クライアントの中には綺麗な女の人はいっぱいいますから、その方たちが先生に声をかけるような場面はよく見ます。最近も一度、口説かれているような所に遭遇しまして。ドアの外から勢いよくそれを妨害しましたが。どうしたって気になるんですよね」
「しかも斗和くんって発言がいちいち相手をドキッとさせるような言い方しない?」
「え、もうしまくってますよ! 私が知らないところでも言ってそうな気がしますし」
「それはもう罪すぎするね! 斗和くん!」
一般の成人男性よりは逞しそうに見える腕を組みながらさっきよりも大きな声で話し出すハルカさんからは明らかな怒りの感情があるように見えた。彼女の目が普段よりもキマッている。あ、これはここへ来て長くなるぞ、話。私はそう確信した。
「そもそもさぁ! クライアントが女性客多すぎるんだよ! あれは何でなの? 斗和くんの趣味?」
「いえ、本人からは聞いてませんが趣味ではないと思います。クライアントの方たちが施術を受けたあと、私たちの店を、それぞれの仲の良い人たちに教えているようです。あ、私たちからしたら嬉しいことなんですけど。何か悪いことされてるみたいな感じで言っちゃいましたけどそういうわけじゃないです」
「でもさでもさ! それでも男性客が増えても良くない? 明らかに女性比率が高いじゃん? 絶対おかしいって!」
「男性のクライアントも徐々に増えていますよ。この前みたいに、予約はされずに施術をされる方もいますし。むしろ男性の方たちは予約をされないパターンの方が多いかもしれないですね。あとは……」
「あとは?」
先生の悪口を言っているつもりはないのに、彼のいないところでこういう話をすると、どうも罪悪感のような後ろめたさが心の中に生まれる。それを誤魔化すように私は手元にあった水を飲み干した。それが口から直接胃に届いたようにひんやりとお腹が冷たくなった。
「……先生の異常な魅力です。フェロモンって言ったらいいんでしょうかね。あの人から醸し出されているピンク色のオーラみたいなものがクライアントを包み込むように魅了しているように見えるんですよね」
「なるほど……。まぁ確かに彼の愛嬌は人並外れてるのは分かる。それならクライアントの女性たちは逆に斗和くんを独り占めしたくならないのかな?」
「それは、私が阻止しているから女性たちは一歩を踏み出さないんです」
「雫ちゃんが阻止? どういうこと?」
「個人的に連絡先を聞こうとしているクライアントには私からNGを出したり。少し前に不可抗力で許してしまいましたが、業務以外の時間帯で食事に誘われたりするのを私がNGを出したりとする感じです。まぁ簡単に言うと、先生の近くにいる私が常にボディガードのような状態になっているということです」
自分が発している言葉につくづく嫌気がさす。それと同時に自己嫌悪に陥る。私が先生を独り占めしているように聞こえる私の行動は、全て女性のクライアントの行動を抑制するという名目で行っている独占なのだろうと。何も言わずにそれを聞いているハルカさんも手元にあったドリンクを飲み干して喉を軽く鳴らした。
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