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第1章 麻倉 斗和
#10
しおりを挟む「はーい。お疲れ様、2人ともぉ」
「斗和さん! 雫さん! お疲れ様です!」
ドアを開けて出迎えてくれたのは午前中に約束していた師匠と、合宿へ行ったはずのリッカちゃんだった。リッカちゃんは、瞳の中に星が散りばめられているくらいキラキラと輝かせて僕らを見つめていた。久しぶりに見たけど、身長伸びたのかな? 目線が前より近い気がする。
「こんばんは? リッカちゃん、合宿って師匠に聞いてたけど?」
「そうなの。合宿だったんだけど、宿泊先の高校がインフルエンザ流行ってるみたいでさ、突然無くなっちゃったんだよね。だから今日は学校で普段通りの練習だったんだ」
「そうなんだね。ごめん、せっかくの親子水入らずなのにお邪魔しちゃってるけど」
「ううん! いいの! 父さんとご飯を食べるのも楽しいけど、斗和さんと雫さんが一緒にいてくれたらもっと楽しいから!」
ニシシと笑うリッカちゃんの笑顔はまるで太陽のように明るくて、同級生や同じ学校に通う男の子たちはこの笑顔を見ただけで彼女のことを好きになるんじゃないかと思えるほど、相変わらずとっても魅力的だ。
「リッカちゃあんん! 何ていい子なの!? もう抱きついちゃう!」
「えへへ、苦しいよ! 雫さん。私、まだシャワーしてないから汗くさいよ」
「くさくない! むしろ、若い女の子のいい匂いがする!」
女性同士の会話とは言え、雫さん、今の発言は危ないにおいしかしないよ。師匠は僕と同じことを考えているような顔で2人が抱きしめ合っているのをじっと見つめている。
「雫ちゃんの発言は、雫ちゃんが言うからギリギリセーフだね」
「あはは。ちょっと舞い上がっちゃいました。先生が言ったら一発アウトですからね」
「いや、言わないから。絶対」
とんでもないキラーパスが雫さんから飛んできた僕は、すかさずそれを放り投げるように素早く返事をした。すると、雫さんの腕の間からリッカちゃんがひょっこりと顔を出して僕を見て笑った。
「斗和さんに言われても、私はアウトにしないと思うよ」
えへへと笑うリッカちゃんは僕を惑わすように言っているのではなく、本心でそう言ってくれている。昔からそうだ。彼女はウソをつかず、僕や雫さんを本当の家族のように、兄や姉のように想ってくれている。と、師匠からいつか聞いたことがあったっけ。そんなリッカちゃんに僕も頬を緩めて笑顔を返した。
「父さんの歳に近いオジサンを現役女子高生がからかっちゃダメだよ」
「そうそう。斗和だって男だからね。いくら師匠の娘だからって、これだけ可愛かったらドキってしちゃうだろうからね」
忘れていた。師匠はバカが5個ぐらいつくほどの親バカだ。つまり、リッカちゃんを溺愛している。どこぞの馬の骨が彼女の周りにまとわりつこうものなら、その優しい笑顔から一変し恐ろしい目つきをそれらに見せつける。らしい。リッカちゃんからずっと前に聞いた話だけど、あながち盛った話でもないといえそうなのが少し怖い。
「大丈夫だよ。師匠。僕、未だに恋とか愛とかよく分かってない人間だから。リッカちゃんみたいに可愛い子から言い寄られても全く揺らがないのが実際だから」
「いや、斗和。リッカぐらい可愛い女の子から言い寄られたらドキッとしろよ。おれでもしちゃうぞ。実際」
「いやいや、師匠。それどっちに転んでも師匠が怒るパターンのやつでしょ」
「はは。バレたか。まぁでもリッカも少し見ないうちに成長したろ?」
「確かにね。パッと見ただけでも身長伸びてる気がするし、前よりも女性らしい体つきになってきてるね」
雫さんと抱き合っているリッカちゃんを見てそう呟くと、その言葉に即座に反応した雫さんの顔から笑顔が消え、鋭い視線を僕に向けた。
「先生、それセクハラ発言ですよ。普通に」
「いやぁー、斗和さんのえっちぃー!」
そして女性2人に茶化される始末。それを見てへらへらと笑っている師匠。僕は医師的目線で伝えたつもりでそんな邪(よこしま)な感情があるはずがない。そもそもリッカちゃんはまだ16歳だ。そんな子にそういう気持ちがあったのならその時点で僕は犯罪を犯している。
「オジサンをからかっちゃいけないよ。僕は1人の医者としてそう言っただけであって、決してそんないやらしい気持ちなんてあるはずなくて……」
「斗和。みんな分かってるよ」
師匠が僕の言葉を遮ると、3人とも僕を見つめてへらへらと笑っている。特にリッカちゃんが一際へらへらと笑っていた。
「相変わらず斗和さんは真面目だなぁ! 父さんより真面目だよ」
「えぇ? そう言われる父さんの心境は複雑なんだけど」
「大丈夫です。カケルさんも先生と同じくらい真面目ですよ」
「はは。ありがとう。しっかり者の雫ちゃんがそう言ってくれると、おれもいくらか自信が持てるよ。さ、そろそろゴハン食べるよ。今日はおれが作った得意料理だ。リッカ、斗和と雫ちゃんのコートを持ってあげて」
「はーい! 2人とも上着、預かるね」
「あ、ごめんね。ありがとう」
「2人分のコートは結構重いと思うけど大丈夫?」
「大丈夫だよ! 私、部活で結構筋トレしてるから」
そう言って僕らからコートを受け取ったリッカちゃんは、その発言通り軽々と僕らの羽織っていた厚手のコートをリビングの隣にある部屋の方へ持って行った。あの部屋は確か……。僕の記憶が正しければ、あの部屋だ。
「師匠。チハルさんに挨拶してくるね」
「うん。ありがとう。じゃあリビングで待ってるよ」
「あ、先生。私も行きます!」
僕らは結果的にリッカちゃんを追いかける形で足を動かした。傷跡ひとつない綺麗な木目調のドアの前に着き、コンコンと軽い音を鳴らしてノックをするとドアの中から「はーい」というリッカちゃんの声が返ってきた。
「リッカちゃん、ごめんね。チハルさんに挨拶させてもらっていいかな? もちろん雫さんも」
「うん。当たり前じゃん。母さんも喜んでくれてるよ。きっと」
「ありがとう」
目の前にある写真の女性、師匠の奥さんだったチハルさんはまるで満開の桜が咲き誇っているような綺麗な笑顔を僕らの方へ向けている。僕はその手前にある鐘をちんと鳴らし手を合わせた。
『久しぶり。チハルさん。そっちの世界でも元気にしてる? おかげさまで僕も雫さんも怪我や病気をすることなく、元気に過ごしているよ。師匠とリッカちゃんと今日はここで食事を楽しませてもらうね』
心の中でチハルさんに向けて言葉を届けると、ほのかに薔薇のような上品な匂いが僕の鼻をくすぐるように香った気がした。この遺影写真を見ているといつも思う。まるでマンガに出てくるヒロインのような人だ。師匠が言うにはピンク色の髪の毛は地毛だと言うし、僕の3倍はありそうなほどの大きな瞳に、とろんと垂れている目は、この世界に生きる全人類を癒してくれそうなほどの優しい雰囲気が伝わってくる。
「お待たせしました。さ、行きましょう」
僕よりも長い時間手を合わせていた雫さんは、チハルさんに挨拶を終えるとそのまま勢いよく写真に背を向けてスタスタと軽い足取りで歩いて行った。普段から歩くのが早い雫さんに、普段から歩くのが遅い僕がいつもより早めに歩いて行くと、リビングが近づくにつれてとっても香ばしい香りが漂ってきた。これはにんにくの匂いだ。その匂いが僕の体を貫通して直接食欲を刺激してくるようだった。
「何これ、師匠。すっごくいい匂いしてんだけど」
「あぁ、おかえり。2人とも。今日はね、アヒージョ作ったよ。豚肉とにんにくのね」
「すごいですね! 何だか体の中の食欲に直接届いてくるようないい匂いがしてますね」
雫さんが僕と全く同じようなことを考えていて少し笑えた。
「ん? どうしたんですか? 師匠」
「いやいや、何でもないよ」
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