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第1章 麻倉 斗和

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 「斗和、今日は仕事終わるのは何時?」
 「今日? 今日ね、結構予約が入ってるから早くても20時過ぎとかかなぁ。遅かったらもう少しかかるかもだけど」
 「そっか。もし良かったらさ、仕事終わりにおれん家来ない? もちろん雫ちゃんも。あ、予定が無かったらね」

 ヘッドスパを終えた師匠は髪を雫ちゃんに乾かしてもらいながら僕らに話しかける。師匠は工場で働いていたこともあり、声は張り上げて出すのが得意らしく、ドライヤーの音にも負けない力強い声を出して鏡越しで僕らの方を見つめている。

 「僕は予定無いけど、師匠ん家はいいの? リッカちゃんいるでしょ?」
 「私も今日は何の予定も無いですけど」

 僕や雫さんも声を張り上げながら師匠と会話する。こんなに大きな声を出して話すのは久しぶりだ。自分でもこんなに大きな声が出ることに驚いているのは内緒。師匠の髪の毛がさっきよりも一段と綺麗に整えられ、ドライヤーの音が止んだ。左目が前髪に隠れている師匠は何とも言えない色気を醸し出しているようだった。

 「今日はね、リッカは長野県に合宿へ行ってるんだ。帰ってくるのは明日の夕方ぐらいかな。だから今日、1人で寂しいんだよね。あ、料理はおれが作るよ。さっきしてくれたマッサージのお礼にね」
 「そうなの? まぁ師匠の家がいいならもちろん行きたいけど」
 「私も先生と同じ意見です」
 「おぉー! じゃあぜひ来てよ」

 先生は顔がさっきよりも明るくなり、ウキウキしている少年のような笑顔で僕らに笑いかけた。

 「でもリッカちゃん、合宿なんだ。さすが高校生だね」
 「もうね、可愛くて仕方ないよ。顔もどんどん妻に似てきたしね」

 師匠の言うリッカちゃんは何を隠そう、師匠の一人娘で、初めて僕が会ったのがもうかれこれ10年くらい前になるだろうか。まだまだ小学生低学年だったリッカちゃんがもう高校生になって部活の合宿に参加しているとは。時の流れの早さはいつだって恐ろしい。あと、それと同じく師匠の奥さんが天国へ旅立ったのも10年前になるだろうか。

 「……カケルさん、私、チハルさんのお墓参りもしたいです」
 「あぁ、じゃあまた一緒に行こっか。チハルも喜んでくれると思うな」
 「じゃあ師匠、今日の営業終わったらすぐメッセージ送るね」
 「うん。何ならいつでも迎えるように近くのファミレスで時間潰しておくよ」
 「ありがとう。じゃあ雫さん、今日はパパッと終わらせちゃおう」
 「クライアントに寄り添う師匠がパパッと施術を終えられるとはちょっと思えないですけどね」
 「あはは。心配はいらないよ。今日の僕は頭が回転してるからね。クライアント一人ひとりに応じた対応を瞬時に思いつくだろうから。任せといてよ」
 「……妙に自信のある先生は何かをやらかす不安しかないんですけど」
 「ハハ、助手に心配されてる斗和先生、忙しいだろうけど頑張ってね」
 「ありがとう。大丈夫だと思うんだけどな……。あれ? 師匠。アフターカウンセリングもやるよね? 今から」
 「あぁ、おれは今それをやってもらってるもんだと思ってたよ。それに、仕事終わったらいっぱい語れそうだから、そこを楽しみにしておくよ。今からたくさんお客さん来るのなら尚更だよ」

 雫ちゃん、ごめん。コート取ってもらえるかな? そう言って師匠はテキパキと帰る準備を始め、1分もしないうちに師匠はウチに来ていた状態に戻って玄関の前に立っていた。雫さんは軽い駆け足で師匠の元へ駆けつけ師匠のコートを彼に渡すと、師匠はニンマリと笑って僕らの顔を見た。

 「ありがとうね。短い時間だったけど、すごいリラックスできたよ。じゃあ今日の夜、楽しみにしてるね」
 「はーい。また疲れが溜まりきる前にここへ来てね。特に足の筋肉がすぐに疲れが蓄積しやすい人だからさ」
 「カケルさん、今回もありがとうございました。今日の夜、楽しみにして1日乗り越えますね」
 「何かそう言ってくれるとおれまで嬉しくなっちゃったな。ありがとうね。じゃあ2人とも、忙しいだろうけど無理しすぎず頑張ってね」

 ドアが閉まり、顔が見えなくなるまで師匠のへらっとした笑顔が僕らに向けられていた。雫さんの方をちらっと見ると、彼女も普段よりも口角が上がっていた。彼女は師匠と会った後は、こんな感じで普段よりも明るい表情になっていることが多い。雫さんが実際どう考えているのかは分からないけれど、その表情は恋愛感情があるのではと思ってしまう時が一度や二度ではない。まぁそのことを彼女に言うと完全に否定されるだろうから絶対に言わないけれど。そんな雫さんは再びスイッチが切り替わったように一度大きく深呼吸をすると、

 「さ! 次のクライアントが来店される前に整えますよ」

 と言って足早にカウンセリングルームの方へと戻っていった。機嫌が良い時はこうして分かりやすい振る舞いをする彼女が、実に彼女らしいと思えた。僕は彼女にバレないようにフフッと笑みを溢しながら彼女に続くようにカウンセリングルームの方へ戻った。やっぱり僕も今日は調子が良いようで、次のクライアントを迎える準備が5分ほどで終わった。

           ✳︎

 「やるじゃないですか、先生」
 「だから言ったでしょ。頭回転してるって。今日は久しぶりに効率を優先して仕事したよ。まぁ、クライアント全員がリラックスしきれてたのが大きいね。その結果があるのは雫さんのおかげでもあるから、ちゃんと感謝しないとね。今日もありがとう、雫さん」
 「いえ。今日は先生のおかげです。私は経過レポートをまとめるのがメインでしたので」

 謙虚な言葉と落ち着いた声で僕の声に答えながら彼女は今日の仕事で使っていた器具や食器を着実に片付けていく。そんな雫さんを視界の隅で捉えながら、僕は彼女がまとめてくれたレポートをクライアント一人一人のデータをパソコンに上書きして保存していく。今日ここへ来てくれた17人、もちろんその中の1人には師匠も入っている。雫さんがとても分かりやすくまとめてくれているレポートは、僕が手をつけなくてもいいぐらいの内容だ。

 「そのレポートが素晴らしい出来だから、今日の仕事が終わるのも想定していたよりもずっと早そうで嬉しいよ。さすが、頼れる助手ですね」
 「恐縮です。が、私にとっても早く仕事を終わらせてカケルさんの家へ行きたいと思っているのが本音な所もありますが」
 「いいんだよ。理由はどうあれ、仕事を要領よくテキパキとこなしていける事実が雫さんの魅力のひとつでもあるからね」
 「あ、ありがとうございます……。で合っているんでしょうか?」
 「うん。素直に受け取ってよ」

 じゃれ合うように話し合っている僕らは、お互いの仕事とやることを終え、師匠の家へ向かえるように着実に準備を済ませていく。と言っても、僕が持っていくのは主に歯ブラシと着替えだけだけれど。僕がリュックに荷物を詰め終えると、それと同じぐらいのタイミングで雫さんがテーブルの上に彼女のリュックが置かれた。僕のよりも3倍は大きそうなほどのリュックは、少し動かすだけで、リュックの中で色々混じり合うようにたくさんの物が入ってそうなガチャガチャと音を立てている。

 「し、雫さん。家出するぐらい荷物多いね」
 「当たり前じゃないですか。女は色んな物が必要ですから。そうやって言う先生は逆に荷物少なすぎるんじゃないですか?」
 「それは僕も思ったね。けど大丈夫、とりあえず着替えが入ってるからそれで大丈夫だよ。ありがとうね。ぼちぼち、準備出来たら車に乗り込もうか」
 「はい。運転は任せてください」

仕事おわりには思えないくらい明るい様子で車を運転する雫さんのおかげで、10分もしないうちに師匠の家に着いたように思えた。車を降り、雫さんが師匠の家のインターホンを鳴らすと、家の中から明るい声色で師匠の声が聞こえてきた。
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