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外伝 その王子と恋に落ちたら大変です  第二章 黄金竜の雛の番

第十二話 こぼれたミルクは戻らない

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「ユーリス」

 母ルイーズが両手を広げてユーリスを抱きしめた。

「今日はこちらに泊まるのでしょう」

 ユーリスは自分の荷物が屋敷の中へと運ばれていくのを見て、内心ため息をついていたが、同意した。

「ええ、今日はこちらに泊まる予定です」

 母に抱きしめられた時、胸元にいる雛竜のウェイズリーが潰れてしまったのではないかと少し心配だったが、雛竜が少し身動きしたので、無事だとわかりホッとした。

 そのまま母に手を取られ、妹達に囲まれるように屋敷の中へと連れて行かれる。
 父ジャクセンは黙ったままついてくる。

「これからコックにも話して、貴方の好物ばかり用意する予定なのよ。楽しみにしてね」

 母は居間にユーリスを連れてきて、そして長椅子にユーリスを押すようにして座らせた。
 クラリオネは一礼して、部屋を出ていってしまう。
 五年ぶりに再会したクラリオネと話をしたかったユーリスは、残念な気持ちでクラリオネが立ち去るのを見送った。
 長椅子に座ったユーリスの傍らにピッタリと母が座り、そしてその反対側には妹達が座る。
 なんとなしに包囲されている感じがすると、ユーリスは苦笑した。

 それから夕食まで、母ルイーズと、二人の妹コレットとベアトリスはひっきりなしにユーリスに向かって楽しそうに話しかけ続けた。家族の近況やたわいもない話題も含め、尽きることのない彼女達の話に、ユーリスは頷き続けていた。まるで話が尽きたのならば、ユーリスが目の前から消え失せてしまうのではないかと、恐れているような様子すらうかがえた。

 父ジャクセンはその時も黙って母と二人の妹とユーリスの様子を眺めていた。
 彼がようやく口を開いたのは、夕食も終え、食後のお茶を召使が淹れてくれた時だった。

「ユーリス」

 何故か、母と妹二人が、父の声にビクリと身を震わせた。
 そして母は言った。

「貴方、ユーリスを怒らないで頂戴」

「………………」

「やっと帰ってきてくれたのよ。五年ぶりに帰ってきたの。ユーリスを怒らないで」

「ルイーズ、お前は席を外しなさい。コレットとベアトリス、お前達もだ。私はユーリスと話がしたい」

「いやよ」

 母ルイーズはそう言ってユーリスの腕を掴んだ。反対側に座っていたコレットとベアトリスももう片方のユーリスの腕を掴む。

「お兄様を苛めないで、お父様」

「お兄様は帰ってきたばかりなのよ、お父様」

 そう言って庇おうとする母と妹二人の姿に、ユーリスは嬉しく思う気持ちもありながらも、軽く首を振った。
 五年前、十六歳で国を離れた時ならまだしも、今はもう二十一歳の大人になったユーリスである。
 母や妹二人に庇われる年齢ではない。

「ありがとう、母上、コレット、ベアトリス」

 そう言ってユーリスは母と妹達に優しく言う。

「私も父上とお話ししなければなりません。どうか、その間は別の部屋に」

 首を振る母と二人の妹に、ユーリスは困ったような顔を見せながら、言った。

「お願いです」

 それに、ようやく母と二人の妹はうなだれるようにして、頷いたのだ。
 それから三人は父親をキッと睨みつけながら言った。

「ユーリスを泣かせたら承知致しませんからね」

「「お兄様を苛めないで下さいね」」

 母と妹二人は、部屋を出る寸前まで父ジャクセンを睨み続けていた。
 そしてパタンと扉が閉まった後、ジャクセンは小さく笑った。

「随分と好かれているな、ユーリス」

 その言葉にユーリスは「嬉しいことです」と素直に答えた。
 ジャクセンは、召使が淹れたお茶のカップを持ち、口につけながら言った。

「だが、お前は彼女達に別れの挨拶もせずに国を去ろうとしていた。そうなのだろう?」

 父親の言葉に、ユーリスは深々とため息をついた。
  
 その通りだった。
 父ジャクセンと顔を合わせることが嫌で、明日にはそのまま宿からアレドリア王国に向けて出立する予定だった。彼女達に別れの挨拶をするために国へ戻って来たはずなのに、結局それが出来ていなかった。そしてこの国を離れたら、もう、戻るつもりはなかった。

「…………その通りです」

「お前は、私の仕事を継ぐつもりは毛頭ないのか」

「ありません」

 ユーリスのハッキリとした返事に、ジャクセンは目を伏せた。
 ユーリスには、自分が、父親に酷いことをしている自覚があった。
 幼い頃から父に期待されて育ってきた。立派な父のことを誰よりも誇らしく思っていた。以前には当然のように彼の敷いたレールの上を歩く覚悟があった。
 でも今は、もうない。

「アレドリアに戻って、研究を続けるつもりか」

「そうです」

「そうか」

 ジャクセンは眉の間を揉むように押さえていた。
 そしてそれから何も言うこともなく、しばらくの間、黙り込んでいた。
 やがて彼が口を開いた時、思わぬことを彼は言った。

「もし、あの時、シルヴェスター王子との関係を認めていたら、お前はこの国に残り続け、私の仕事を継いでいてくれたのだろうか」

 ユーリスはその言葉に驚いて、それから考え込んだ。



 もし五年前、シルヴェスターとの関係をジャクセンがすんなりと認めていたら。

 自分は、サイラス王子から他の兄王子に会わせても良いと言われても、その誘いに乗ることはなかっただろう。だから、サイラス王子とハウル王子に乱暴されそうになったあの事件も発生しなかっただろう。ひいては、シルヴェスターもこの国を去ることもなかった。そしてユーリスも国を去る必要も無かった。

 でも、たとえあの時、ジャクセンが二人の仲を認めたとしても、ユーリスがシルヴェスターとすんなりと結ばれることは出来なかったはずだ。メロウサ王妃がシルヴェスターとユーリスが結ばれることを妨害する可能性が大きかっただろう。王家に疎んじられているシルヴェスターとユーリスの関係を、ジャクセンが認めることは、バンクール商会の商売にもマイナスの影響を与えていたはずだ。

 それでも、ジャクセンが後見して二人を後押ししていたなら。

 考えてはならないことだが、考えてしまう。
 シルヴェスターが王族の身分を捨てて、バンクール商会に入る未来だってあったかも知れない。そんなことはあり得ないかもしれない。でも、もしそうできていたら。

 ユーリスはぎゅっと目を閉じて、そして拳を握り締めた。
 それから息を一つ深くついた。

「たらればの話をしても仕方がありません。父上」

 そう。
 もう、考えても仕方のないことだった。
 すでに事は起きてしまっている。
 ユーリスはアレドリア王国へ渡り、学問の道へ進み、シルヴェスターは国を去った。
 そして未だ、彼の行方は杳として知れない。


 ジャクセンは「……そうだな」と少しだけ寂しそうに言葉を口にして、それ以上何も話さなかった。
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