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プロローグ
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王の命令により、ルドニア地方に出兵すると言うと、彼は秀麗な眉を寄せ、心配そうな眼差しで私を見た。
「あちらは、蛮族が出没していると聞いている。大変治安が悪いらしい」
そう、彼の言葉通り、蛮族のせいで砦も落ちたという話だった。
だからこそ、騎士団の派兵が決まったのだ。
危険な場所に遣わされるのはいつものことだった。
「大丈夫だ。また戻って来て、お前のところに茶を飲みにくる」
その言葉に、彼の側仕えのテラは苦笑していた。
神官長のルーディスは、頻繁に茶を飲みに来る私のために、常に好みの茶葉を用意してくれていた。私のためにブレンドまでしている。
学生時代からの付き合いだから、ルーディスとは長い。もう十年以上になるのか。
ただ、今回ルーディスはひどく心配そうな様子を見せていた。
神官長の彼は、“聖人”だった。女ならば“聖女”と呼ばれ、男では“聖人”と呼ばれる。
そう呼ばれる者は、美しい姿形はもとより、不思議な力を持っていた。
彼が持っていたのは、光魔法たる治癒の力と、予知の力だった。
彼は、腰ほどまである長い銀髪に、紫色の瞳をしていて、それこそ精霊のように浮世離れした美しさがあった。その姿形だけで、お前が神官長になると信者が増えただろうと言うと、ルーディスは苦笑し、側仕えのテラは怒っていた。
裾の長い白の神官服をまとい、腰には細かな銀糸の刺繍の施されたベルトを巻いている。襟元まで覆い、肌の露出のないきっちりとしたその服装は、真面目な彼の性格を表しているようにも思える。右手には手袋をしている。その手袋の下の甲に、“聖人”の徴たる紫色の花の形の痣があるという。
それを表に出して神殿の仕事をした方が、受けがいいのではないかと言うと、ルーディスは困惑した顔で言った。
「別に見世物ではないので」
彼は、“聖人”ともてはやされることを嫌がっていた。目立つ美人顔の彼は、意外にも地味好みで、清貧をモットーにしていた。贅沢しようと思えば、いくらでも贅沢ができる身の上だったのに。
常よりも心配した様子のルーディスに、私はそれならばと、初めて希望を口にした。
「お前の髪を少しくれないか。魔除けになりそうだ」
そんなことでいいのかと、ルーディスは肩にかかっていた長い髪を無造作にぷつりと切って、私に差し出した。何も考えずに適当に美しい髪を切り落とす神官長に、テラは真っ青になっていた。
「ルーディス様、ちゃんとバランスを考えて切らないといけませんよ」
慌てているテラと、無頓着といえるほど自分の姿に構わない彼の様子に、私は笑ってしまった。
受け取った銀の髪を手にして、礼を口にする。
「ありがとう。これで無事に戻って来られる気がする。きっと加護があるだろう」
「そうだといいが。騎士団長殿が無事に帰ってくることを祈っているよ」
彼は微笑みながら、少し茶化すように言った。
私は史上最年少で騎士団長の地位についた。彼は時折、それを茶化すのだ。
騎士団長殿、騎士団長殿となにくれと声をかけてくる。うんざりする私の様子を面白がっていた。
そういうお茶目なところが、この美しい神官長にはあった。
そして、私は無事に、ルドニア地方での任務を終えて、都に帰還した。
だが、神官長のルーディスには会えなかった。
彼は“ライシャ事変”に巻き込まれ、その命を落としていたからだ。
“ライシャ事変”とは、第一王子とその婚約者の地位に就こうとした男爵令嬢の起こした事件である。
第一王子は身分の低い男爵令嬢と恋に落ち、自身の本来の婚約者である侯爵令嬢との婚約を破棄した上で、その男爵令嬢を新たな婚約者に据えようとした。
しかし、しかるべき理由がなければ、身分の低い男爵令嬢が王子の婚約者になることはできない。
そのため、王子と男爵令嬢は、男爵令嬢を“聖女”にすることを計画した。
すでにその時点で、王子と男爵令嬢の魂は魔族の元に堕ちていたのではないかという噂がある。そうでなければ、このようにおぞましくも稚拙な計画が立てられるはずがなかったであろうから。
彼らは、神殿の神官長たるルーディスが、“聖人の徴”を右手に持っていることを知っていた。だから、彼を殺して、その徴を奪い、男爵令嬢の右手に移植することにしたのだ。
王子と男爵令嬢とその仲間達は、神殿を襲い、ルーディスをはじめとした神官達を惨殺し、そして“聖人の徴”を奪った。何らかの術を使ったのか、当初はルーディスをはじめとした神官達の死は隠されていた。周囲の人々も気づくことがなかったという。
だが、神殿の多くの神官を殺したのである。到底隠し通せることではなく、時間が経過するにつれて、人々の不審は増し、不審を抱く者達がまた王子達に攫われて殺されることになる。平民から貴族まで、それこそ何人もの人間が、その時、殺されたという。
第一王子の弟にあたる、第三王子がついには立ち上がり、ルドニア地方での任務を終えて帰還した私達騎士と協力の末、ようやく、第一王子と男爵令嬢は捕まり、二人をはじめとしたその仲間達は処刑の運びになった。そうなるまでが非常に長く、その間にも凄惨な事件が続き、王家の名誉は地に落ちることになった。
ことが全て終わった時、私は喪失感に包まれていた。
いつも神殿にいて、私に微笑んでくれたあの美しい神官長はいないのだ。
私の手元に残った、この銀の髪、一房だけが、彼の残していったものだった。
男爵令嬢の右手に移された“聖人の徴”は、移植こそ成功したが、“聖女”としての力はまったく発揮されなかったという。当然だった。聖人殺しが、聖女になれるはずがない。殺害された神官達の死体はすべて燃やされ、埋められたという話だった。
本当に、ルーディスは煙のように消えてしまった。
だから、最初は信じられなかった。
神殿に行けば、今でも彼がいて、私のためにお茶を入れてくれるような気がしてならない。
そして、私は後悔している。
こんなことになるのならば、彼に告白をしておくべきだった。
誰よりも美しく、身も清らかに神に仕える身であった彼に、自分が想いを告げることは許されなかった。
どんなに想っても、手の届かない高嶺の花。そう、それが彼だった。
だからこそ、ずっと私は彼を心の中で想っていたのだ。
その結果、想いの欠片すら告げることも叶わず、彼は逝ってしまった。
「あちらは、蛮族が出没していると聞いている。大変治安が悪いらしい」
そう、彼の言葉通り、蛮族のせいで砦も落ちたという話だった。
だからこそ、騎士団の派兵が決まったのだ。
危険な場所に遣わされるのはいつものことだった。
「大丈夫だ。また戻って来て、お前のところに茶を飲みにくる」
その言葉に、彼の側仕えのテラは苦笑していた。
神官長のルーディスは、頻繁に茶を飲みに来る私のために、常に好みの茶葉を用意してくれていた。私のためにブレンドまでしている。
学生時代からの付き合いだから、ルーディスとは長い。もう十年以上になるのか。
ただ、今回ルーディスはひどく心配そうな様子を見せていた。
神官長の彼は、“聖人”だった。女ならば“聖女”と呼ばれ、男では“聖人”と呼ばれる。
そう呼ばれる者は、美しい姿形はもとより、不思議な力を持っていた。
彼が持っていたのは、光魔法たる治癒の力と、予知の力だった。
彼は、腰ほどまである長い銀髪に、紫色の瞳をしていて、それこそ精霊のように浮世離れした美しさがあった。その姿形だけで、お前が神官長になると信者が増えただろうと言うと、ルーディスは苦笑し、側仕えのテラは怒っていた。
裾の長い白の神官服をまとい、腰には細かな銀糸の刺繍の施されたベルトを巻いている。襟元まで覆い、肌の露出のないきっちりとしたその服装は、真面目な彼の性格を表しているようにも思える。右手には手袋をしている。その手袋の下の甲に、“聖人”の徴たる紫色の花の形の痣があるという。
それを表に出して神殿の仕事をした方が、受けがいいのではないかと言うと、ルーディスは困惑した顔で言った。
「別に見世物ではないので」
彼は、“聖人”ともてはやされることを嫌がっていた。目立つ美人顔の彼は、意外にも地味好みで、清貧をモットーにしていた。贅沢しようと思えば、いくらでも贅沢ができる身の上だったのに。
常よりも心配した様子のルーディスに、私はそれならばと、初めて希望を口にした。
「お前の髪を少しくれないか。魔除けになりそうだ」
そんなことでいいのかと、ルーディスは肩にかかっていた長い髪を無造作にぷつりと切って、私に差し出した。何も考えずに適当に美しい髪を切り落とす神官長に、テラは真っ青になっていた。
「ルーディス様、ちゃんとバランスを考えて切らないといけませんよ」
慌てているテラと、無頓着といえるほど自分の姿に構わない彼の様子に、私は笑ってしまった。
受け取った銀の髪を手にして、礼を口にする。
「ありがとう。これで無事に戻って来られる気がする。きっと加護があるだろう」
「そうだといいが。騎士団長殿が無事に帰ってくることを祈っているよ」
彼は微笑みながら、少し茶化すように言った。
私は史上最年少で騎士団長の地位についた。彼は時折、それを茶化すのだ。
騎士団長殿、騎士団長殿となにくれと声をかけてくる。うんざりする私の様子を面白がっていた。
そういうお茶目なところが、この美しい神官長にはあった。
そして、私は無事に、ルドニア地方での任務を終えて、都に帰還した。
だが、神官長のルーディスには会えなかった。
彼は“ライシャ事変”に巻き込まれ、その命を落としていたからだ。
“ライシャ事変”とは、第一王子とその婚約者の地位に就こうとした男爵令嬢の起こした事件である。
第一王子は身分の低い男爵令嬢と恋に落ち、自身の本来の婚約者である侯爵令嬢との婚約を破棄した上で、その男爵令嬢を新たな婚約者に据えようとした。
しかし、しかるべき理由がなければ、身分の低い男爵令嬢が王子の婚約者になることはできない。
そのため、王子と男爵令嬢は、男爵令嬢を“聖女”にすることを計画した。
すでにその時点で、王子と男爵令嬢の魂は魔族の元に堕ちていたのではないかという噂がある。そうでなければ、このようにおぞましくも稚拙な計画が立てられるはずがなかったであろうから。
彼らは、神殿の神官長たるルーディスが、“聖人の徴”を右手に持っていることを知っていた。だから、彼を殺して、その徴を奪い、男爵令嬢の右手に移植することにしたのだ。
王子と男爵令嬢とその仲間達は、神殿を襲い、ルーディスをはじめとした神官達を惨殺し、そして“聖人の徴”を奪った。何らかの術を使ったのか、当初はルーディスをはじめとした神官達の死は隠されていた。周囲の人々も気づくことがなかったという。
だが、神殿の多くの神官を殺したのである。到底隠し通せることではなく、時間が経過するにつれて、人々の不審は増し、不審を抱く者達がまた王子達に攫われて殺されることになる。平民から貴族まで、それこそ何人もの人間が、その時、殺されたという。
第一王子の弟にあたる、第三王子がついには立ち上がり、ルドニア地方での任務を終えて帰還した私達騎士と協力の末、ようやく、第一王子と男爵令嬢は捕まり、二人をはじめとしたその仲間達は処刑の運びになった。そうなるまでが非常に長く、その間にも凄惨な事件が続き、王家の名誉は地に落ちることになった。
ことが全て終わった時、私は喪失感に包まれていた。
いつも神殿にいて、私に微笑んでくれたあの美しい神官長はいないのだ。
私の手元に残った、この銀の髪、一房だけが、彼の残していったものだった。
男爵令嬢の右手に移された“聖人の徴”は、移植こそ成功したが、“聖女”としての力はまったく発揮されなかったという。当然だった。聖人殺しが、聖女になれるはずがない。殺害された神官達の死体はすべて燃やされ、埋められたという話だった。
本当に、ルーディスは煙のように消えてしまった。
だから、最初は信じられなかった。
神殿に行けば、今でも彼がいて、私のためにお茶を入れてくれるような気がしてならない。
そして、私は後悔している。
こんなことになるのならば、彼に告白をしておくべきだった。
誰よりも美しく、身も清らかに神に仕える身であった彼に、自分が想いを告げることは許されなかった。
どんなに想っても、手の届かない高嶺の花。そう、それが彼だった。
だからこそ、ずっと私は彼を心の中で想っていたのだ。
その結果、想いの欠片すら告げることも叶わず、彼は逝ってしまった。
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