騎士団長が大変です

曙なつき

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第二十九章 豊かな実り

第十八話 想いの行方

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 呼び出された竜を初めて見た時、ラーシェは呆然とソレを眺めた。

(これは、桁が違う)

 “黒の司祭”は召喚に巻き込まれて命を落とした。
 ラーシェも危うく渦に巻き込まれそうになったが、魔界から牛頭の悪魔オロバスが、ラーシェのために魔法を使ってくれたのだろう。ラーシェの体はふわりと持ちあがり、竜のいる場所から少し離れた空に漂った。安全な場所から竜の巨体を眺めていた。
 空間が歪んでいるのだろう。竜の足元辺りがブレて見え、竜が動くたびに空間が揺れていた。
 森は消え去り、黒い空間が広がっていく。

 かつて海の神の地位にあり、悪魔に堕ちたといわれる巨大な海竜。
 現れると同時に、森の空間を歪ませ、森を壊しながら人間達が多く住む都に向かってノッソリと動き出している。その巨大な竜を見て、この竜に知性はあるのだろうかとラーシェは思う。
 ただ、人の多い場所を選んで、壊そうと考えているだけのような気もする。

 だが、願いは叶えてもらわねば困る。
 ハデスを、生き返らせてもらわねば、困るのだ。

 そう考え、竜の近くにもっと近寄って様子を見てみようと思った時、突然、ラーシェの胸を一本の大剣が深々と貫いた。



 ラーシェは驚いて、自分の胸を見た。
 そこには、まるで自分の胸から生えてきたかのように、大剣の銀色の剣先が突き出ていた。

 魔界では、馬頭の悪魔オロバスも驚いて椅子から立ち上がり、叫んでいた。
 オロバスはラーシェを救おうとしたが、もはや遅かった。ラーシェの手から映像を送っていた水晶球が地上に落ちて粉々に砕け散る。オロバスの側の水晶球もまたプツリと暗闇に包まれた。
 

 ラーシェは何故だという顔で胸を貫く剣先を見ながら、口から鮮血を吐き出した。

「…………」

 空中で、オロバスの魔法で飛んでいた自分を見つけ出し、そして地上から遥か高い場所で飛んでいる自分の胸を確実に貫くように、剣を放つことができる者。
 そんなことが出来る者は限られている。
 当然、人間ではない。

 まさかと思いながら、視線を大剣が飛んできた方向へやると、そこにはレブランの忠実な配下である吸血鬼のゼトゥとネリアの姿があった。ネリアはラーシェの姿を見つめている。

(あの二人が来たのか。レブランは僕の始末を二人に命じたわけか)

 淫魔の自分など、吸血鬼の怒りに触れれば、その命など風前の灯であろうと思っていた。
 見つかってしまえば、レブランの元を逃げた自分は殺される。
 だからオロバスの処にいても、いつもレブランのことが気になり、自分はずっと怯えていた。
 あの、誰よりも強い吸血鬼の男は、自分を許さないと思っていた。

 空から地面に落ちたラーシェは、ネリア達が近寄った時にはすでに事切れていた。
 ネリア達は横目で、巨竜と格闘する巨大化した黒い人形を見つめ、急ぎその場を離れる。
 大きいとは知っていたが、トリトーンがあそこまで巨大な悪魔であるとは考えてもいなかった。
 自分達の手で倒すどころではない。身を守ることで精いっぱいという有様である。
 だから、殺したラーシェの遺体はそこに置いていくしかなかった。
 そのうち空間の歪みに巻き込まれて、彼の遺体も消えてしまうだろう。

 バート少年に危害を加える魔族の処分は、レブランから許されていた。
 だから、“黒の司祭”を連れ出したラーシェは、見つけ次第、始末するとゼトゥは主張していた。そのことにネリアは最後まで反対していた。
 きっとラーシェは、脅されてオロバスと一緒にいるのだろうと思ったのだ。
 トリトーンを召喚するなど、そんな大それたことをあの淫魔の青年一人で行うとは思えなかった。
 だがゼトゥは「召喚主と一緒に行動していること自体が間違いだ」と言って、彼は強引に魔剣で殺してしまった。

 ネリアは、視線を前にやる。

 誰よりも美しい、何もかも持っているような、贅沢に慣れ切った淫蕩な淫魔だった。
 誰からも愛されていながら、いつも満たされず、寂しそうな目をしていた。
 彼が、主たるレブランに想いを寄せ、そしてその想いが叶わないことに苛立っていることを知っていた。
 その苛立ちと寂しさを埋めるため、ハデス騎士団長と身体を重ね、今度はその男に夢中になっていた。

 可哀想な淫魔だった。

 ハデス騎士団長は行方不明のまま、ずっとその姿は見えない。
 そしてラーシェもまた、その姿を消すことになる。

 憐れみはネリアの心の中を一瞬横切る。
 だが、そうした思いもほんの一瞬のことだった。
 次にはもう、目の前の巨大な竜の出現をどうしてくれようかと考えることに夢中になっていたのだ。

 
    *


 ハデスの小さな屋敷を管理していた使用人のデラは、いよいよこの屋敷も処分されると聞いて、屋敷から離れることになった。
 給金などは、ハデス騎士団長の息子の一人が代わって払ってくれた。
 息子は、ハデス騎士団長によく似た騎士の男だった。

 ハデス騎士団長は行方不明のまま、時間だけが過ぎていた。
 ランディアの騎士団には新しい騎士団長が就任し、ハデス騎士団長のいないことに、皆が慣れていっている。

(結局、彼はどこへ行ってしまったのだろう)

 デラは内心思う。
 煙のように忽然と消えてしまった騎士団長。
 そして、その後、彼の情人であったあの黒髪の美しい青年もまた、姿を見ることが無くなってしまった。
 一度、ラーシェはハデス騎士団長の服を取りに来たことがあった。だから、ラーシェはハデス騎士団長の居場所を知っているのだろう。どうせなら、二人で駆け落ちでもしていればいいのにと心の中で願っていた。

 この屋敷で睦み合う二人の姿は、今でも、デラの瞼に浮かんでくる。
 共に夢中になって口づけ、足を絡め、愛し合うあの姿は、使用人としては覗き見てはならぬものであったが、ついつい、食い入るように覗き見ていた。
 誰よりも美しい淫魔の青年は、あの逞しい騎士団長に組み伏せられ、愛されている時は、なおも目を奪うような妖艶さがあった。宝石のような紫色の瞳は、ハデスを見る時には、どこかキラキラと輝きを浮かべていた。
 彼自身はそれに、気が付いていただろうか。

 デラは、最後に屋敷のに中を綺麗に掃き清め、テーブルの上のものも片付けた。
 塵取りと箒を、用具棚に仕舞う。鍵を手に、部屋から出ようとする。
 そして何気なく、部屋の中を最後に振り返った。
 次の瞬間、デラの目は開かれた。
 居間に置かれている大きな姿見に、一瞬、彼らの姿が映ったのだ。

 一人は長身の鍛え抜かれた体躯を持つ騎士の四十代の男。長いマントを翻した、この王国の騎士の、帯剣をした正装姿だった。そしていま一人は、長い黒髪を揺らす美しい青年だった。
 愛し気に互いを見つめ、そしてきつく抱きしめ合う二人。
 騎士団長ハデスは、ラーシェの黒髪に手をやり、それに口づけを落とす。
 騎士団長の顔色は血の気を失っており、その面も生気を失ったモノだったが、瞳は強く意志の光を讃えていた。
 そして長い黒髪の美貌の青年は、嬉しそうに、そう、純粋な子供のような笑顔を浮かべて、男の身にすがりつく。逞しい腕に抱き締められる。

 二人は睦み合う恋人達のように熱心に口づけを交わし、互いの瞳にはもう相手のことしか見えていなかった。
 どこか幸せそうな表情で、二人は見つめ合う。
 そして現れた時と同じ唐突さで、鏡に映った二人の姿は消え去った。
 後はしんと静まり返った部屋だけであった。デラは息をつくと、鍵で屋敷の扉を閉めた。

 それは一瞬の幻か。
 それとも、自分の願望が見せたものなのか、分からない。

 だがそれっきり、あの騎士団長と黒髪の美しい青年の姿を見ることはなく、そしてデラは、その後、二度とこの屋敷へ足を運ぶことはなかったのである。
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