騎士団長が大変です

曙なつき

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第二十一章 水路に潜むものと氷雪の剣

第二話 花を捧げる

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 食事を終えた後、ハデスはラーシェに大人の拳ほどもある、どこか重たげに頭を垂れる花の一輪を差し出した。
 受け取りながらも、これは何だというような表情で、ラーシェはハデスを見上げる。

「先日、イルメキアの姫君達が我が国にいらした時の、御礼の品として王宮にこの花が届けられたのだ。シャクヤクという。綺麗な花であろう」

 白く透けるような花びらが幾重にも重なり、それは大きくも繊細な花であった。

「陛下が私に下さった。受け取った時から、貴方に捧げたいと思っていた」

 純白の、その穢れの無いような白い花を見て、それからハデスを見るラーシェ。
 このハデスという男が、自分に非常に好意を抱いていることを知っている。
 こんな屋敷まで、逢引きのためにわざわざ用意するくらいだ。
 陛下はきっと、その花を、ハデスの妻にやるようにと下さったのではないかと、ラーシェは内心思っていた。ハデスが情人である自分に夢中になって、家庭をないがしろにしている噂は、王宮にもすでに届いているのだろう。夫婦二人の仲を修復するきっかけになればと渡した花を、よもやその情人に渡していることなど、陛下は考えもしていないだろう。
 そしてそんな陛下の御心など思いもよらないくらい、そう、どうしようもないくらいに自分に夢中になっている騎士団長の地位にある男。恋に堕ちている愚かな男。

 でも、悪くはない。

 ラーシェは彼にしては珍しく、微笑みを浮かべて言った。

「ありがとう、とても嬉しいよ」

 そして彼はハデスの逞しい身体に白い手を巻きつけ、口づけた。ほどなくして二人して寝台の上でもつれ合うように、愛し合ったのだった。



 事が終わると、ハデスはフーとため息をついた。
 その筋肉で覆われた胸に手を這わせながら、ラーシェは尋ねる。

「大丈夫?」

 ハデスは乱れた前髪を掻き上げながら言った。

「私も年かな。恥ずかしながら持たなくなっているな」

 ラーシェは彼の額にキスをする。

 そこでラーシェは(気を付けなければ)と思った。
 淫魔である自分は、快楽のまま相手の精力を貪れば、相手を干からびさせ、殺してしまうことすら可能だ。ハデスは騎士であり、その身を鍛え上げていることもあって、むしろ、自分の相手としては“持つ方”なのだ。でも、気持ち良さからつい夢中になってしまうと、彼の精力を吸い過ぎてしまう。
 それはハデスの寿命を削ることになる。

 ラーシェはハデスを気に入っていた。
 だから、彼を壊すことの無いように大切にしたかった。

 ハデスはラーシェの頬に手を添え、その柔らかな唇に自分の唇を押し当て、舌を吸う。
 唾液すらも吸い上げるような口づけの後、彼は言った。

「まあ、貴方に寝台の上で殺されたとしても本望だろうが」

 そう言うハデスが、ラーシェには可愛く思える。
 この逞しい騎士は自分に夢中で、自分に殺されてもいいと思うほどに、自分を愛している。
 実際、自分が淫魔で、彼を殺すこともできるほど、愛することができると知ったのなら、彼はどう思うだろうか?

 そう思うと可笑しかった。
 ハデスは、僕を無条件に愛してくれる、貴重な人間の強い男だった。

「無理はしないで」

 そう言いながらも、ラーシェはハデスの身体に足を絡め、また唇を求めた。





 朝靄が漂うような朝も早くの時間に、ハデスは一足早くこの屋敷を後にする。
 彼は、愛しい青年の頬に口づけを落とした後、言った。

「都ではここ最近、子供らが攫われる事件が続いている。貴方も気を付けるように」

「わかったよ」

 心配する表情で自分の方を何度も振り返って見ながら、ハデスは白い靄の中に消えた。
 ラーシェは手を振って見送る。

 そうしながらも、ラーシェは男のその心配が杞憂であることを知っていた。

 ラーシェは魔族の、それも吸血鬼族の庇護を受けている淫魔だ。
 そんな淫魔に害を為そうとする人間などいない。
 いや、もしいたとしても、相手の方が返り討ちに遭うだろう。
 それくらいの自信があった。

 もちろん、ハデスはそんなラーシェの背景など知らない。
 禍々しいほど美しい青年が、実は淫魔であることも知らない。
 あれほどの快楽を人にもたらすことが出来る者が、人であるはずがない。
 それでも、彼はそのことに気が付いていない。

 もし自分が、魔族の淫魔だと知ったなら、彼はどうするだろうか。
 何度も愛を囁き、抱きしめてくれたその手で、剣を手に取り、僕を殺そうとするだろうか。


 ラーシェは冷たい朝の空気の中、白い息を吐いた。

 彼は何もかもに、目を瞑っている。
 家庭をないがしろにしてまで、自分に夢中になっている男だった。
 きっとこれからも、何も目に入らずに、自分に溺れてくれるだろう。
 そう、願っていた。
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