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十一.

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手洗い場でのひと悶着が済んだ後、オディーナは元の部屋には戻らず、奥の騒がしい部屋の方へと足を運んでいた。
散々彼女に搾り取られたあの五人の男どもは、命こそ取られてはいないものの再起不能であり、便座付きの個室二つへと分けて押し込まれ、そのまま放置されていた。
すぐには気づかれないとはいえ、オディーナに残された時間は限られている。
——何かあるのは確実なんですよねぇ。
その何かとはタカトの大叔父の隠し場所か、あるいはガモール一派の隠し財産か。
あの中年の男がやたらと盗人呼ばわりしてきたので、後者の線もあり得なくはない。
それに加えて、ユウという若人が話した密談という言葉。
これはやはり、タカトら九人の不在が確認され、いよいよ例の裏倉庫へと襲撃を掛ける準備に入った可能性を示唆していると言えるだろう。
彼らが討って出る前に、行動を起こさなければならない。
「やっぱり密談とやらを盗み聞きするしかないですか」
とオディーナは呟くも、同時に危険度が高すぎる行為であることを彼女は自覚していた。
五人分の精気で力が満ちていることもあり、自分があっさりやられてしまう不安はさほどない。
それよりも、騒ぎに過剰に反応した連中が、即座に大叔父を始末してしまう危険がまず頭に浮かんだ。
丁度その時である。
オディーナが元居た部屋の方向から、食膳を運ぶ一人の若者が向かってきているのが見えた。咄嗟に近くの空き部屋へと身を隠すオディーナだが、あることに思い至る。
「そういえば、最初にここの構造を調べた時に、変に独立した場所がありましたね」
その場所は、ガモールと面会した書斎室から西の方角に進み、内庭に出た辺りにぽつんと存在しており、最初は武器庫にでも使用しているのかと彼女は認識していたが、どうもあの若者の動きを見ていると、何故か密談をしているこちらの方向ではなく、その不審な場所へと向かっているように見える。
若者の進む方向から、また別の男が食膳を持って現れた。
その男は逆に、オディーナのいる方向を目指しているようで、手に持つ食器類は非常に煌びやかで、装飾の目立つ一品だ。
対して、若者の持つ食器は劣化によるひび割れが目立ち、いつ捨ててもおかしくないような代物であった。
そう、オディーナに出された食事もまた、その粗雑な食器類に乗せられていたのだ。
「ひょっとするとこれは、思わぬ当たりを引いちゃいましたかぁ」
ガモールは実に傲慢で、対等と思わない者を見下す傾向がある。
であれば、精神的に追い込む意味でも、劣悪な環境に閉じ込め、かつ粗末な食器を寄越すなどの肝の小さな嫌がらせをするのは十分に考えられた。
人の目が届いてないことを確かめた後、オディーナはそっと若者の跡を追っていく。
やはり、内庭のところには一つ大きな土蔵が置かれており、若者は足元に食膳を置くと、重厚感のある両開き戸に手を掛けてゆっくりと開く。また食膳を持つとそのまま中へと入り、出てきたときには手ぶらであった。
ここにきて、疑惑は確信へと変わった。間違いなく土蔵の中には誰かが幽閉されている。
該当するような人物は、一人しかいないだろう。
「——ビンゴです。ここまで来たら、あとは待つだけ。討手を出して、手薄になったその時……」

すぐさま、来た道を引き返すと、先ほど身を隠した部屋へと移った。
奥の窓をすかさず開ける。
そこは、ガモール邸の外れにある入り組んだ樹木群が一望できる位置であった。

「下調べの通りで安心です、では行きますよ」
瞬間、一呼吸のうちに発する四字の詠唱。
オディーナの左の指先に、ちろちろと青白く燃える火が現れる。
はじめは人差し指、続いて中指、終いには五本全ての先に蒼炎が宿った。
「ここで秘密兵器ちゃんの出番ですね」
右手に取り出したのは、予め預けられていた、紅色で、くす玉のような形をしたもの。
指の間に五つ、それを挟み込む。
その状態のまま、オディーナは座って目を瞑ると、両耳へと神経を集中させる。
外庭の方から、人の行き交う足音が徐々に増えているのが分かった。
その中に蹄の音が聞こえる。どうやら馬を出すつもりらしい。
柵やら壁やらに掛けられた武器を手に取り、かちゃかちゃと支度をする忙しそうな気配が大きくなるにつれて、殺気立った連中の熱気があたかも鰯の大群のように集まっていく。
距離はあるはずなのに、まるで睨まれているような錯覚をオディーナは覚えた。

やがてその気配は、遠ざかる足音とともに萎んでいき、ついには何も感じられなくなった。

その時を待ちかねたかのように、オディーナは両手を勢い良く振りかぶり、窓の外に向かって十の線を放った。
紅と蒼、一つずつが交錯する。
五つの翠色が、ばばん、と弾けたかと思うと、耳を劈くような轟音が響いた。

これは出発前に考案された、新しい合図である。

当初予定していた煙による合図は、耐火性の煉瓦では時間が掛かるとして、より即効性のあるものに切り替える必要があった。
そこに助け舟を出したのが、ポックル・ポポである。
実は火薬を扱うのを生業としていた彼は、剣術の他にも爆発物を用いた闘いを得意としている。
柔和な表情でありながら、導火線に火の付きやすい性格をそのまま反映したように、先ほどのくす玉は美しい色合いでありながら爆発の威力は想像以上であった。
「何事ですか」
真っ先に駆け寄ってきた者は、あの若人のユウであった。
何故お前がここにいる、とユウが明らかな動揺を隠せずにいる隙に、オディーナは紅の瞳にその顔を捉える。
かつての見張り番がそうだったように、一言も発することが出来ず、ただ棒立ちの案山子と化したユウ。
去り際にオディーナは「しばらくのデコイ、お願いしますね」と悪戯っぽく舌を出し、そそくさと部屋を後にした。
そうして迷わず中庭へと一直線に駈けていく。
途中、驚いて飛び出してきた者たちに見つかってしまったが、もはやこそこそと動く必要はない。オディーナが辿り着くと、既に土蔵の前に四人、剣を携えた男どもが中に押し入ろうとしていた。間違いなく、この非常時に中の人物が逃げ出さないよう、場所を移すかあるいは、さっさと始末するつもりなのだ。

「はいはい、そうは問屋が卸しませんよ、っと」

まず一番近くにいた男を魔眼で捉え、動けなくする。彼女の眼だけでは複数人を縛れないからだ。
そうしてオディーナはその両肩を踏み台にすると、観音開きの扉の前へと跳躍し、侵入を阻止せんと立ち塞がる。
残る三人、躊躇いもなく剣を抜くと、心臓を穿つ者、首を落とさんとする者、足の腱を狙う者、誰もが声を張り上げ、容赦なく彼女へと斬りかかった。
再びオディーナが宙へと飛ぶ、しかし今度は隠していた翼を広げ、そのまま間合いの外を保ったまま浮遊を続けた。
「貴様、人間ではないな」
そう聞こえたのと同時に、空気を裂くように弓矢が三本、翼の根元を狙うように飛翔して来る。すかさず宙返りをするかのように旋回し、事なきを得た。
彼女の役割は、あくまでタカトらが駈けつけるまでの時間稼ぎである。
先ほどの手洗い場とは違い、開けた内庭で何の罠の仕込みもないまま戦える算段があるほど、オディーナは強くはない。
幸い吸精した五人分の貯蓄があるため、十全の魔力から惜しみなく魔眼を使い、向かってくる一人を止めては盾になるよう位置取ることを繰り返す。
こうして度重なる攻撃を捌いていたものの、オディーナを無視して土蔵に入ろうとする者が出るたびに攻勢に転じなくてはならないため、徐々に動きに陰りが見えてきた。
何度目かの大喝が聞こえる。いちいち叫んでからでなければ斬りかかれないのですか、そう煽ってやりたいオディーナであったが、とうとう足を滑らせ、地面に膝を付いてしまう。

迫り来る剣筋が、やたらとゆっくり、視界へと映った。
このまま行けば、肩から腹部にかけてばっさりと斬られるであろう。
剣を打ち下ろそうとする男の姿が、二倍にも、三倍にも見えたところで、ようやくオディーナは死に直面していると理解した。

「お待たせしました、オディーナ殿。ここからは某にお任せを」

疾風が、オディーナの前を通り過ぎる。
ばたばたと二、三人、剣を落として倒れる男が見えた。
タカト率いる突撃部隊が、馳せ参じたのだ。
たちまち怒号が響き渡る。他の面々も順次到着した模様である。
「お前ら、間違っても斬るんじゃねぇぞ」そう呼びかけたのは意外にも、一番乗り気ではなかったセガタ・カインだ。
「グライアンツの御大の身柄は既にこっちのものだ。わざわざ雑魚の血で剣を染める必要はねぇ、気絶させて生け捕りにしろ」
これでいいんだろ、そう言いたげな視線をオディーナへとぶつける。
やはり不満げな目をして、しかし初めて見るはずの翼のある姿に言及することなく、カインは指揮へと戻った。どうやら、オディーナが淫魔であることはとっくにお見通しだったらしい。
ぱさり、とオディーナに上着を被せるタカト。
背中にグライアンツの家紋を飾ってあり、一目で誰のものか分かる特注品である。
「これを着ていれば、他の同志に誤って斬りかかられることはないでしょう」
何よりその恰好でいられては忍びないので、と言い残し、タカトは敵を制圧するべく奥へと進んでいく。
後に残されたオディーナは、衣服に残るタカトの香りに包まれたまま、ほっと一息を付いて奥へと視線を向けた。
間もなく、猿轡を噛まされ、両手を拘束された状態のガモール・ダントンら数名が、アレクやダンといった面々に取り囲まれたまま歩いてくるのが見えた。
——成功しちゃいました。
半ば放心したように心の中で呟いた。
——作戦、完璧に嵌まっちゃいやがりましたね。
泥でぬかるんでいた地面が、いつの間にか乾き始めていた。
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