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12.奔走
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研ぎたての剣を持ち上げ、太陽にかざしてみる。陽光を浴びてきらりと光る白銀の刃は、その身に己の顔を綺麗に映し出していた。十分な仕上がりだ。テオドアは最後に柔らかな布で剣身を拭うと、そばに置いてあった革製の鞘に手を伸ばした。
ふと、こつんという硬い感触が指先に触れる。鞘とは違う感触に振り返れば、指先から少し離れたところに銅色の小さな球体が転がっていた。テオドアは思い出したようにそれを手に取ると、剣同様に太陽にかざしてまじまじと眺める。
ところどころにつなぎ目のある小さな金属球。それは昨晩モールから手渡されたものだ。あの時の彼の必死な形相が脳裏に蘇る。
『どうか無茶はなさらぬよう。危険になったらこれをお使いください。ヴォモイの戯言など気にしてはなりませぬ。いいですね、絶対に命を投げ打つような真似はしないでください。貴方は絶対に、ここに還ってこなければなりませぬ。』
強制転移装置――モールの震える手から受け取ったそれは、簡素な見た目とは裏腹に、非常に高価な魔法道具だ。起動した対象を指定した位置まで瞬間移動させることができる優れものである。
高度な魔法技術を付与していることから、当然値段も恐ろしく高い。御貴族様でも持っているのはごく少数だろう。テオドアが到底買えるものではないのだ。
(てかこれあの爺さんでも買えるもんなのか…?いや、たしかにあの人はすげーお偉いさんだけどさあ……)
実は国の備蓄からかっぱらってきてるのではないだろうか、そんな失礼な疑念が頭をよぎる。小さな髭長爺が備蓄庫をこそこそ漁る様子を想像して、ふっと笑いがこぼれた。
(……良い人だよなあ。)
目の前に広がる柔らかな緑芝を眺めながら、ぼんやりとそんなことを思う。地平線まで広がる萌野に、その向こうに生い茂る木々たち。奥に連なる冷涼な山々と、そこから流れてくる清らかなせせらぎ。
寄宿舎裏から眺める景色は、とてものどかで美しかった。
(良い国だな、ここは。)
不意に目の前を横切ったアオスジアゲハを目で追いながら、テオドアはその場でくっと伸びをする。刃研ぎで凝り固まった肩が、少しだけほぐれた気がした。
(俺は好きだよ。この国、ローアルデが。)
例え自分は愛されていないとしても。
テオドアはもう一度ぐっと伸びをすると、あわせて思い切り深呼吸をしてみた。瑞々しい空気が身体中を駆け巡るのを感じる。
「それじゃ、いっちょお国のために頑張りますかねえ。」
テオドアは今度こそ剣を鞘にしまうと、遠くに行ってしまったアオスジアゲハを眺めながら小さく独りごちた。
***
一枚、また一枚と足下で連なっていく夏落葉をなんとはなしに眺める。竹箒で集めたそれらは、もう随分大きな山になっていた。今ちりとりですくったとしても、きっと溢れてしまうだろう。にも関わらずビアの箒で掃く手は、緩慢ながらも止まることはなかった。
ここに在らずな心の中に浮かぶのは、昨日のテオドアの顔ばかり。
(ノイマン副隊長、一体どうしたのかしら……)
あの後、ブローチを渡すついでにレーナにそれとなく聞いてみたが、何も知らない様子だった。単なる杞憂に過ぎないかもしれないが、それにしては妙に引っかかる。
(いや、杞憂だったらそれが一番嬉しいんだけどれども――)
落葉山が膝近くまでかさを増し、ビアがやっとちりとりを手に取った時だった。
「おい聞いたか?北の森の話。」
切羽詰まった声に振り返れば、役人と思しき二人組が何やら難儀そうな顔で話し込んでいた。
「大魔犬が出たってやつだろ?役人の間じゃ、昨日からこの話題でどこも持ちきりじゃねえか。お上が今必死で箝口令を敷いてるとこだよ。」
「メイドたちの耳に届いたら、それこそたちまち広まっちまうからなあ。」
今まさにそのメイドの耳に入り込んでいるのだが。ちょうど死角に入り込んでいたこともあり、話に夢中な二人はビアの存在に気づいてないみたいだ。
(ヘルハウンドって何かしら?……あの二人の様子から察するに、あまり良いものじゃなさそうね。)
それにしても随分深刻そうな様子だ。事態を飲み込めていないビアも、なんだか釣られて不安になってしまう。あまり大事ではないといいのだが……
「あの魔物の寝ぐらって確か渓谷の方だよな?なんでまたそんな大物がこんなとこまで……」
「なんとか引き返してくれないもんかね。市街地の方まできたらたまったもんじゃない。」
なるほど、どうやら魔物が出たようだ。そしておそらくかなり大物のようである。
「今までこんなこと起きたことないから、上もどう対処するか色々揉めてるみたいだ。……まあどのみち騎士団か魔術師部隊あたり派遣するしかないだろうなあ。」
「ああそうそう、その件だよ。俺が話したかったの。……聞いたか?誰が討伐に行くか。」
男の顔が一層険しくなった。相手も釣られるように眉間に皺を寄せる。
「……まさか決まったのか?……誰だよそんなハズレくじ引いたやつ。」
「第八部隊のノイマン副隊長だとさ。」
ビアの心臓がドクンと跳ねた。
若草の目が大きく見開く。それまでぼんやりしていた頭をガツンと殴られたような気がした。男の言葉がエコーをかけたように何度も脳内に響き渡る。
「……ああ、あのガルムンドの。いやまあ確かに適役っちゃあそうだけど……じゃあ第八部隊が討伐に行くってことか?」
「んーにゃ、それがどうも違うみたいでよ。……なんでも、あの人一人で行くらしいんだよ。」
「はあ!?いやさすがにあの人でも一人じゃ無理だろ!自殺行為だ!」
「何人行っても同じだよ。だから一人で行くんだろ。仲間思いの男らしいからな。部下連れてって余計な犠牲を出したくないんじゃないか?」
「そ、それにしたって……じゃあせめて他部隊の隊長格とかも一緒にさあ……」
「今回指揮を取ってるのはヴォモイ大臣なんだよ。……あの人の性格なら、……分かるだろう?」
男達がひどく苦々しい顔になる。最後に「ひどい話だな。」と一言付け足し話を締めくくると、そのまま仕事場へと戻っていった。
二人の姿はとうになくなったというのに、ビアはいまだその場に立ちつくし、彼らがいた場所をじっと見つめていた。瞳は見開いたまま、瞬きすら疎かになっていた。
まるでブリキの人形にでもなったかのように、身体が思うように動かない。指先が震える。喉から胸にかけて妙なひりつきを覚える。頭の中に男達の話がずっと響き続ける。
とても恐ろしい魔物が現れたらしい。
そしてそれを倒しに行くのは
(……ノイマン副隊長ひとり?)
***
豪奢な柱の影に隠れながら、人目を避けるように城の廊下を進む。ぴかぴかの深紅の絨毯を履き潰した軍靴で汚すのは抵抗があるが、自分の正装はこれなので仕方がない。ジミルは物陰から人がいないことを確認すると、目の前の渡り廊下を素早く駆け抜けた。
別に城内への出入りは禁止されていないのだが、騎士団のうち頻繁に往来するのは警備を担当する貴族部隊までだ。それより下は魔物討伐や近辺巡警などの外回りの仕事が当てられる為、北門をくぐり城の敷地に入ることはあまりない。第六以下の騎士の中で頻繁に来ているのは、厨房で餌付けされた燃費の悪いテオドアくらいか。
敷地ですらそんな調子なので、城の中きたらことさらである。そこはもはやある種の禁域。第六以下の騎士が白亜の城のその内に入り込むことは、暗黙の御法度になりつつあった。
副隊長格のテオドアですら厨房の戸を叩くのがやっとなのに、しがない二等兵のジミルが第八部隊の隊服でうろつけば、たちまち周囲の視線を集めてしまう。
(……ったく。中立国って名乗るんなら、内部の不公平も是正してくれよな)
そう内心で毒づくと、彼は渡り廊下の奥、突き当たりの先の扉を押し開けた。中を覗けば、広い書庫の片隅に、目当ての人物一人ぽつんとただずんでいる。
あちらも早速ジミルの存在に気づいたらしい。まるで意外だと言わんばかりに、薄水の双眸が銀縁眼鏡越しに見開いた。
***
書庫を後にしたジミルは、そのまままっすぐ北門のほうに向かう。城内は用がないならさっさと退散するのが吉だ。しかしなるべく人の少ない方にと裏手に回ったのは失敗だった。
北門までの道筋に、厨房の前を通ることをすっかり忘れていたジミルは、その前に差し掛かった時、会いたくなかった人物に出くわしてしまった。
「………ビアさん」
ジミルが気づくより早くこちらの存在を察知した彼女は、縋るような目でこちらを見つめてきた。若草色の瞳が不安げに揺れている。
「ブナンダーさん……ノイマン副隊長に、なにがあったんですか?」
(ああ、最悪だ……)
内心で舌を打つ。
何を聞かずともその一言だけで、彼女がおおよそのことを知っているとジミルは悟った。
ふと、こつんという硬い感触が指先に触れる。鞘とは違う感触に振り返れば、指先から少し離れたところに銅色の小さな球体が転がっていた。テオドアは思い出したようにそれを手に取ると、剣同様に太陽にかざしてまじまじと眺める。
ところどころにつなぎ目のある小さな金属球。それは昨晩モールから手渡されたものだ。あの時の彼の必死な形相が脳裏に蘇る。
『どうか無茶はなさらぬよう。危険になったらこれをお使いください。ヴォモイの戯言など気にしてはなりませぬ。いいですね、絶対に命を投げ打つような真似はしないでください。貴方は絶対に、ここに還ってこなければなりませぬ。』
強制転移装置――モールの震える手から受け取ったそれは、簡素な見た目とは裏腹に、非常に高価な魔法道具だ。起動した対象を指定した位置まで瞬間移動させることができる優れものである。
高度な魔法技術を付与していることから、当然値段も恐ろしく高い。御貴族様でも持っているのはごく少数だろう。テオドアが到底買えるものではないのだ。
(てかこれあの爺さんでも買えるもんなのか…?いや、たしかにあの人はすげーお偉いさんだけどさあ……)
実は国の備蓄からかっぱらってきてるのではないだろうか、そんな失礼な疑念が頭をよぎる。小さな髭長爺が備蓄庫をこそこそ漁る様子を想像して、ふっと笑いがこぼれた。
(……良い人だよなあ。)
目の前に広がる柔らかな緑芝を眺めながら、ぼんやりとそんなことを思う。地平線まで広がる萌野に、その向こうに生い茂る木々たち。奥に連なる冷涼な山々と、そこから流れてくる清らかなせせらぎ。
寄宿舎裏から眺める景色は、とてものどかで美しかった。
(良い国だな、ここは。)
不意に目の前を横切ったアオスジアゲハを目で追いながら、テオドアはその場でくっと伸びをする。刃研ぎで凝り固まった肩が、少しだけほぐれた気がした。
(俺は好きだよ。この国、ローアルデが。)
例え自分は愛されていないとしても。
テオドアはもう一度ぐっと伸びをすると、あわせて思い切り深呼吸をしてみた。瑞々しい空気が身体中を駆け巡るのを感じる。
「それじゃ、いっちょお国のために頑張りますかねえ。」
テオドアは今度こそ剣を鞘にしまうと、遠くに行ってしまったアオスジアゲハを眺めながら小さく独りごちた。
***
一枚、また一枚と足下で連なっていく夏落葉をなんとはなしに眺める。竹箒で集めたそれらは、もう随分大きな山になっていた。今ちりとりですくったとしても、きっと溢れてしまうだろう。にも関わらずビアの箒で掃く手は、緩慢ながらも止まることはなかった。
ここに在らずな心の中に浮かぶのは、昨日のテオドアの顔ばかり。
(ノイマン副隊長、一体どうしたのかしら……)
あの後、ブローチを渡すついでにレーナにそれとなく聞いてみたが、何も知らない様子だった。単なる杞憂に過ぎないかもしれないが、それにしては妙に引っかかる。
(いや、杞憂だったらそれが一番嬉しいんだけどれども――)
落葉山が膝近くまでかさを増し、ビアがやっとちりとりを手に取った時だった。
「おい聞いたか?北の森の話。」
切羽詰まった声に振り返れば、役人と思しき二人組が何やら難儀そうな顔で話し込んでいた。
「大魔犬が出たってやつだろ?役人の間じゃ、昨日からこの話題でどこも持ちきりじゃねえか。お上が今必死で箝口令を敷いてるとこだよ。」
「メイドたちの耳に届いたら、それこそたちまち広まっちまうからなあ。」
今まさにそのメイドの耳に入り込んでいるのだが。ちょうど死角に入り込んでいたこともあり、話に夢中な二人はビアの存在に気づいてないみたいだ。
(ヘルハウンドって何かしら?……あの二人の様子から察するに、あまり良いものじゃなさそうね。)
それにしても随分深刻そうな様子だ。事態を飲み込めていないビアも、なんだか釣られて不安になってしまう。あまり大事ではないといいのだが……
「あの魔物の寝ぐらって確か渓谷の方だよな?なんでまたそんな大物がこんなとこまで……」
「なんとか引き返してくれないもんかね。市街地の方まできたらたまったもんじゃない。」
なるほど、どうやら魔物が出たようだ。そしておそらくかなり大物のようである。
「今までこんなこと起きたことないから、上もどう対処するか色々揉めてるみたいだ。……まあどのみち騎士団か魔術師部隊あたり派遣するしかないだろうなあ。」
「ああそうそう、その件だよ。俺が話したかったの。……聞いたか?誰が討伐に行くか。」
男の顔が一層険しくなった。相手も釣られるように眉間に皺を寄せる。
「……まさか決まったのか?……誰だよそんなハズレくじ引いたやつ。」
「第八部隊のノイマン副隊長だとさ。」
ビアの心臓がドクンと跳ねた。
若草の目が大きく見開く。それまでぼんやりしていた頭をガツンと殴られたような気がした。男の言葉がエコーをかけたように何度も脳内に響き渡る。
「……ああ、あのガルムンドの。いやまあ確かに適役っちゃあそうだけど……じゃあ第八部隊が討伐に行くってことか?」
「んーにゃ、それがどうも違うみたいでよ。……なんでも、あの人一人で行くらしいんだよ。」
「はあ!?いやさすがにあの人でも一人じゃ無理だろ!自殺行為だ!」
「何人行っても同じだよ。だから一人で行くんだろ。仲間思いの男らしいからな。部下連れてって余計な犠牲を出したくないんじゃないか?」
「そ、それにしたって……じゃあせめて他部隊の隊長格とかも一緒にさあ……」
「今回指揮を取ってるのはヴォモイ大臣なんだよ。……あの人の性格なら、……分かるだろう?」
男達がひどく苦々しい顔になる。最後に「ひどい話だな。」と一言付け足し話を締めくくると、そのまま仕事場へと戻っていった。
二人の姿はとうになくなったというのに、ビアはいまだその場に立ちつくし、彼らがいた場所をじっと見つめていた。瞳は見開いたまま、瞬きすら疎かになっていた。
まるでブリキの人形にでもなったかのように、身体が思うように動かない。指先が震える。喉から胸にかけて妙なひりつきを覚える。頭の中に男達の話がずっと響き続ける。
とても恐ろしい魔物が現れたらしい。
そしてそれを倒しに行くのは
(……ノイマン副隊長ひとり?)
***
豪奢な柱の影に隠れながら、人目を避けるように城の廊下を進む。ぴかぴかの深紅の絨毯を履き潰した軍靴で汚すのは抵抗があるが、自分の正装はこれなので仕方がない。ジミルは物陰から人がいないことを確認すると、目の前の渡り廊下を素早く駆け抜けた。
別に城内への出入りは禁止されていないのだが、騎士団のうち頻繁に往来するのは警備を担当する貴族部隊までだ。それより下は魔物討伐や近辺巡警などの外回りの仕事が当てられる為、北門をくぐり城の敷地に入ることはあまりない。第六以下の騎士の中で頻繁に来ているのは、厨房で餌付けされた燃費の悪いテオドアくらいか。
敷地ですらそんな調子なので、城の中きたらことさらである。そこはもはやある種の禁域。第六以下の騎士が白亜の城のその内に入り込むことは、暗黙の御法度になりつつあった。
副隊長格のテオドアですら厨房の戸を叩くのがやっとなのに、しがない二等兵のジミルが第八部隊の隊服でうろつけば、たちまち周囲の視線を集めてしまう。
(……ったく。中立国って名乗るんなら、内部の不公平も是正してくれよな)
そう内心で毒づくと、彼は渡り廊下の奥、突き当たりの先の扉を押し開けた。中を覗けば、広い書庫の片隅に、目当ての人物一人ぽつんとただずんでいる。
あちらも早速ジミルの存在に気づいたらしい。まるで意外だと言わんばかりに、薄水の双眸が銀縁眼鏡越しに見開いた。
***
書庫を後にしたジミルは、そのまままっすぐ北門のほうに向かう。城内は用がないならさっさと退散するのが吉だ。しかしなるべく人の少ない方にと裏手に回ったのは失敗だった。
北門までの道筋に、厨房の前を通ることをすっかり忘れていたジミルは、その前に差し掛かった時、会いたくなかった人物に出くわしてしまった。
「………ビアさん」
ジミルが気づくより早くこちらの存在を察知した彼女は、縋るような目でこちらを見つめてきた。若草色の瞳が不安げに揺れている。
「ブナンダーさん……ノイマン副隊長に、なにがあったんですか?」
(ああ、最悪だ……)
内心で舌を打つ。
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