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08.フェリクス=ローアルデ-1

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 大理石でできた城の廊下をカツカツと鳴らしながら、フェリクスは早足で執務室に向かう。
 まったく、皇太子の座に着いてからというもの、おちおち休む暇もない。現国王の父が病に臥せてからはより一層酷くなった。

(それもこれも、すべてあの瘴気とやらが濃くなったせいだ。)

 ここ十数年で世界――とりわけフィリンヘルム西大陸を覆う瘴気は急激に濃度を増した。そしてそれに伴い、しばらく落ち着いていた世相も綻びを見せ、今では各国の間で不穏な空気が漂っている。
 最たる原因は資源の枯渇。魔物の数が増えて、その被害をまず受けるのは辺境の農村だ。モンスターの襲撃により、大事に育てていた田畑が焼け野原になるといったことが、ここ数年で格段に増えた。恵の国と名高いローアルデは、今のところさほど影響を受けていないが、元々痩せた土地の目立つガルムンドなどはかなりの大打撃だ。魔物を討伐しても、出どころの瘴気を取っ払えないのではキリがない。
 するとどうなるか。多くの国は他国と同盟を組み、物流や経済の活性化を図る。……しかし一部の国は、別の国への侵略を検討し始めたのである。――戦の国、ガルムンドがまさにそれだ。
 あの国の攻撃的態度は年々硬化している。周辺諸国への圧力はもちろん、最近では大国ルタリスクやローアルデにまで戦争の影をちらつかせる始末だ。三大国の一つがそのような有り様では、瘴気云々どころではいられない。なんとか穏便に外交を進め、フィリンヘルム一丸となって瘴気の原因解明へと舵を切りたいのだが、なかなか思うように進まない。

(……そんな中で、召喚の儀が成功したのはまさに天恵だな。)

 特別な力を持つ救国の乙女の顕現は、他国への抑止力につながる。職種ジョブ、能力云々も大事だが、乙女の存在それ自体が、この世界では大きな意味を持っているのだ。ビアのことはまだ公にはしていないが、じきに噂も出回ることだろう。そうすれば、しばらくガルムンドは様子見の姿勢に入るはずだ。

(そう、ビア様の存在は我々ローアルデにとって大きな切り札だ。そして……)

 陶器のような白い肌に、わずかに赤みが差す。それまで無機質だった顔がほんの少しだけ歪んだ。

(ビア様……)

 悩ましげなため息が漏れる。はしばみ色の髪をした女の無邪気な笑顔がフェリクスの脳裏に浮かんだ。彼女に惹かれ始めたのは、一体いつ頃だったろうか。別にドラマチックな何かがあった訳ではない。ただ、日々たわいない話を交わす中で、徐々に彼女に対し好感を持ち、気づいたら焦がれるようになっていた。

 それこそ最初のうちなど、フェリクスは今とは真逆。表立って顔には出さないものの、彼はビアに対し懐疑的な気持ちを抱いていた。
 救国の乙女の顕現。それは国にとって大いに喜ばしいことだが、フェリクスの身からしたら手放しで喜べる話ではない。それまで有耶無耶にしてきた婚姻話が、一気に進められてしまうからだ。
 どこの国でも乙女が召喚されれば、必ず王族との婚姻関係を結ばせる。乙女の国外流出を防止する為だ。乙女の存在はそれだけで国家権力の強化につながる。その血筋を継げれば尚更のこと。

 なんとか国に留まってもらおうとみなが必死になる結果、かつて乙女達の待遇はそれはもうすごいものとなった。彼女達が欲しいものは血眼になって探し与え、やれといったことは是が非でもやってのける。どこの国でもそんなことをしていたら、なかにはその座に胡座を掻きだす者が出てきたそうだ。
 フェリクスが生まれるはるか昔に、ローアルデにもそんな乙女がいた。彼女は聖女ではなかったが、強力な治癒術を扱う僧侶だってらしい。退魔の力こそなけれど、治癒魔法とは聖女の得意とする分野だ。聖女に近き存在が現れたと、それは大層もてはやされたことだろう。国総出で彼女をもてなし、慈しみ、甘やかした結果、最初は真面目で仕事熱心だった彼女も見事に味を占め、どんどん堕落していったそうだ。その結果、国の財政は傾き、当時の国家権力はかえって下落してしまったという。
 このことは世間一般には公表されていないが、彼女の世話に手を焼いたローアルデ一族と国の重鎮の中では、過去の教訓として今もなお語り継がれている。二度とこんなことを起こさないようにと、戒めを込めて。
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