模範解答は網羅済みです

米と麦

文字の大きさ
上 下
42 / 45

40.夏休み 別荘(Ⅴ)

しおりを挟む

 各々が部屋に戻ってからしばらくすると、ジーブスから夕食の時間だと声がかかった。いそいそと食卓に着くと、昼同様、美味しい食事が運ばれてきた。

「ふう、夜も美味しかった……。」
「ああ。特にあのビーフシチューは最高だったな。今まで食べたどのビーフシチューより美味しかった。」
「へへっ、すごいでしょ~!ジーブスの作る料理はどれも絶品なんだよ!」

 ハワードの言葉に、なぜかアダムが得意気に返す。

「アダム様は、今までも結構ジーブス様の料理を食べたことがあるのかしら?」
「うん!今はここの管理人をしてるけど、まだお父様がうちにいた頃は、そっちのバトラーをしてたからね。基本的に食事は料理人が作ってくれるんだけど、間食や夜食とかは、たまにジーブスに作ってもらってたんだ~。」
「坊ちゃま、それはご主人様や奥様には秘密にしてくださいませ。」
「もちろん、お母様達には内緒にしてるよ!でもジーブスったら、なんでこの館の管理人なんか引き受けたの?みんな寂しがってるよ~。」

 アダムが子犬のような顔でジーブスを見つめる。ジーブスは眉を八の字にして返事に詰まっていた。

「うう…それは……」
「アダム、困らせちゃ駄目ですよ。裏の菜園を見たでしょう?ジーブスは、長年夢だった田舎でのスローライフを絶賛満喫中なのです。すぐ近くに奥様も移住されているのが、その何よりの証拠でしょう。」

 リュカが冷静にたしなめる。しかしその事実の露呈はかえってジーブスを困惑させたようだ。彼は顔を青くして必死に言葉を探していた。

「りゅ、リュカ様…………どうか!このことだけはご内密にしてくださいませ……!」
「え?え、ええ。もちろんですよ!それに僕は全然気にしておりませんし!!顔を上げてください、ジーブス!!」

 深々と頭を下げるジーブスを、リュカがあわあわと焦りながら必死に慰めの言葉をかけていた。彼の様子からして、おそらくジーブスの気持ちは、皆暗黙の了解だったのだろう。不謹慎ながら、少し微笑ましくなってしまった。

「……みんな気づいてることだったのに、アダムが馬鹿だから……」
「馬鹿じゃないし!誰もそんな話してなかったじゃん!!」
「ああいうのは、察してあげるのが大事なの!!ジーブスは、人一倍バトラーとして意識が高いんだから!!うちで厨房を使うのだって、別に禁止されてないのに、ここは料理人の領分だから~ってすごく申し訳なさそうにしてただろう?ああいう責任感の強い人には、こっちから何かしらタテマエを作ってあげなきゃいけないの!!お父様がここの管理人をジーブスに任せたのだって、本心では彼の望みを叶えてあげたかったからだよ。」
「…リュカってたまにすごい難しい話するよな~。僕分かんない。」
「はあ……もういいよ。アダムはそのままでいて。その方が僕も楽っちゃ楽だから。」
「うーわ、感じ悪~~い。」

 ジーブスを何とかなだめすかした後(ヘレンの力も借りた)、リュカがげんなりしながらアダムに不満をぶつけていた。正反対ながらなんだかんだ仲の良い二人は、互いにぶーぶー言いながらもけして会話が途切れない。一人っ子のクラリスは、微笑ましさと、多少の羨ましさの混ざった気持ちで、二人の後ろ姿を見ていた。

 食事を終え、湯あみと歯磨きを済ませると、本格的に就寝の準備が整った。時刻はもうすぐ二十二時。少し早い気もするが、長旅の疲れからか、結構いい具合に眠気がやってきていた。隣のカミラも、先程から何度か欠伸あくびをしているので、おそらく同じ気持ちだろう。
 洗面所から二階へ戻るとちょうど自室に戻るハワードと鉢合わせた。

「アダムとリュカなら、もう床に就いたみたいだよ。まだ幼いから就寝時刻も早いのだろう。風呂を浴びた後からずっとうつらうつらとしていたよ。」
「あら、そうなのね。……私も長旅でだいぶ疲れたみたい。もう眠くてたまらないの。」
「わたくしも同じだわ。ハワード、貴方はどうします?希望なら、また書庫を開けてもかまわないけど。ただ、わたくしはついていけそうにないから、開錠はジーブスにお願いしてくださる?おそらくこの時間は鍵がかかっているはずだから…」
「確かに、僕はまだもう少し起きていられそうだが…皆が眠るなら合わせようかな。一人で書庫に行くのも寂しいしな。」
「そうね…幽霊や猟奇殺人鬼が現れたら怖いものね。」
「くくくクラリス!!やめろ、めったなことを言うもんじゃない!!カミラやジーブス殿に失礼だろう!!まったく、読書家は想像力が豊かで困る。」
「あらハワード、もしかして怖いのかしら?」
「そ、そそそそそそんなはずないだろう!!とにかく僕はもう寝るぞ!!おやすみ!!二人とも良い夢を!!」
「クラリスったら、ハワードが怒ってしまったじゃない……お休みなさいませ、ハワード。」
「おやすみハワード。怖くなったらこちらの部屋に来てもよろしくてよ~」

 カミラがクラリスの横腹をひじでつつく。既に部屋に入ったハワードが、扉越しから「結構だ!!」と叫んでいるのが聞こえた。

「ふう…では、わたくしたちおそろそろ寝ましょうか。」
「そうねえ…もう上瞼と下瞼が仲良しですわ…ふわあぁぁ……」

 クラリスが大あくびをしながら自室に入る。カミラはその後ろに続くと、おねむの相方が布団に入るのを見届けてからそっと明かりを消した。この年頃の女子であれば、本来ならもう少しピロートークを楽しむところなのだろう。しかし、二人とも眠気がピークに達していたらしい。枕に頭を預けた瞬間、夢の中へと誘われていった。柔らかな肌触りのシーツと、鼻をツンとかすめる夜の森の空気がとても心地良かった。

***

 窓の外で鳴いていた鈴虫の声も止み、風もないのか、草木のざわめく音もしない。コチコチと回る時計の秒針だけが、いやに耳に響く真夜中。ベッドの上で、まだ意識を手放せずにいる者がいた。

(ぜんっっっっっぜん、眠れん!!!!)

 ハワードは何度もつむっては開きを繰り返していた両目を、ついにかっ開いた。

(あああああ!!全て全て、あのクラリスの言葉のせいじゃないか!!)

 そう、彼が床に就く直前、あの寝ぼけた子うさぎがご自慢の想像力を活かして口にした余計な一言--

(んんん、なっにっがっ!!幽霊だ!猟奇的殺人鬼だ!!まったく、そんなもの実在する訳ないじゃないか!彼女の読書趣味も、ここまでくると少し身体に毒な気もするな。無人の廃墟ならともかく、ここはずっとジーブス殿が管理してくださっていた場所だぞ!?それをクラリスときたら縁起でもないことを…)

 ハワードが心の中で散々毒づいていたちょうどその時、窓の外で急に突風が吹いた。部屋の窓ガラスが、ガタガタと大きな音を立てる。ハワードはびくっと大げさなほど肩を振るわせると、そのまま窓の方を凝視した。

(か、風か……)

 急に気が抜けたかのように、長い溜息を漏らす。一呼吸置いてまた、クラリスに対して、半ば恨み言に近い悪態をつき始めた。

(別に僕は怖がっている訳じゃない。そうだ、全然怖くなどない。幽霊などそんな非科学的な存在、恐るるに足らないわけだ。…だが、もし。もしも、そんな輩が現れたら……猟奇的殺人鬼などは百パーセントありえないとは言い切れない。そして、そやつが皆の寝込みを狙って襲いかかってきたら……そうしたら、この館はどうする?女子供が多く、成人男性のジーブス殿だって少し歳を召している。となると、闘えるのは自分だけだ。)

 もはや弁解じみた理屈を自分に言い聞かせる。しかし、いざその見えない敵と自分が相見えた瞬間を想像すると、たちまち背中に悪寒が走った。
 ちなみに彼はこの時、カミラがは剣術で、クラリスは魔法で学内一位の成績を修めており、万が一悪い輩がここへ侵入したとて、彼の出番はあまりないであろうことをすっかり忘れていた。

 寝返りを打ち、身体を横向けにする。両手で目をグリグリ乱暴にこするが、一向に眠気はやってこない。

(うう…早く睡魔よやってきてくれ……)

 ハワードが切に願う。その祈りも虚しく、彼は次の太陽が顔を出すまで、一睡もできないまま布団に潜り込んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...