華と毒薬

アザミユメコ

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三十 終幕 ※R18

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 その日の早朝、志千しちはかつて栽培所があった場所に一人でやってきた。

 立入禁止の縄はかかっているが、すでに半月以上が経過しているため警察の姿はない。
 鶴月かくげつ撮影所の名が入った建物の焼け跡はいまだ生々しく、それでも生き残った庭の野菊があちこちで開花している。

 小さなくわで地面に穴を掘り、抽斗ひきだしに隠されていたものを風呂敷ごと埋めた。

 一度きりの摂取なら体から抜ければ問題ないと医者もいっていたが、百夜ももやのそばに置いておくのが嫌だったからだ。

 酒を受けつけない体質の百夜は、あれから何日も寝込んでしまった。 
 張りつめていた糸が切れたみたいに、いまだ熱が上がったり下がったりしている。
 ちょうど撮影の仕事も終わっていたため家で静養中だ。

 警察の対応はほとんど桜蒔おうじがやってくれた。
 資金繰りのため違法の薬物を地方で密売していていた座長夫婦は捕まり、鶴月座は事実上の解散となった。
 焼け跡からは管理人の萩尾の他に、死亡時期不明の骨が見つかった。

 志千は牡丹荘で最後まで咲いていた狂い菊を花束にし、焼け跡の前に置いて去った。


 懐いていた萩尾があのような最期を遂げ、蝶子はしばらく落ち込んでいたが、桜蒔が折を見て真実を話した。

 蝶子が捨て子ではなく、残菊の実子だったことだ。
 少女はしばらくきょとんとして、悩ましげにぽつりといった

「ウチ、残菊に似てない」
「あ~、この顔は父方の祖母の血でなぁ……。って、わしと似とるの嫌なん!?」
「大丈夫、蝶子さんはすごく可愛いよ」

 と、慌てて助け舟をだす。母親似ではなくとも、小動物のようで可愛らしいのは本当である。

「じゃあわしも可愛い?」
「先生は黙ってて」

 座長と残菊のあいだに生まれた子。
 つまり百夜とは父親違い、桜蒔とは母親違いで、どちらとも血の繋がった兄妹ということになる。

 それを知って、蝶子はホロホロと涙を零した。

「よかったねえ。みんな家族がいて、ひとりにならなくて」
「蝶子」

 百夜は腕を広げ、蝶子を抱きしめた。

「なあ、提案なんじゃけど」

 と、桜蒔がめずらしく真面目な声でいった。

「お嬢、わしの養子にならんか? 学校もちゃんと通お。今まで外から見とるだけで、いまさらと思うかもしれんけど……。堂々と関われる権利ができたんじゃ。考えとって」
「う、うん……」

 蝶子は驚いた顔をして、それでもしっかりと頷いた。

「自分の子の面倒も見れんくせに、なんでお嬢を引き取ったんかと疑問に思っとったが……。千代見ちよみも、その母親も私娼じゃった。あいつは親として最低ではあったけど、いつもドブ川って呼んどったその生活の苦しみだけは知っとるけえ、お嬢に同じ道を辿らせたくなかったのはわかったわ。その想いはわしが引き継ぐ」

 そして、今度は百夜のほうへ向き直った。

「ももは、女優をやめたかったらやめてもええし、続けてもええ。今まで無理いうて悪かったな」
「ああ……」

 百夜はどちらとも答えず、ただ相槌を打った。


 結果として、『生ける菊人形』が二代目残菊最後の出演作となった。

 最終幕は百夜の回復を待って、前回よりひと月の間を置いて上演された。
 脚本には少し手が入り、志千たちが最初に受け取っていた台本とは結末が変わっている。

 ボロボロの見世物小屋に取り残されて朽ちていく人形から、ふたたび花が芽吹き、その躰は黄金色で飾られる。
 毎晩形を変える狂い菊を撮り溜め、スクリーンに映して百夜の背後から伸びていく演出を使っている。

 物語を最後まで読んで感じたのは、菊人形への深い愛情だった。
 見守るだけで自分を抑えつくした、とてもささやかな。

 ──ああ、この人は、ほんとうに残菊のことが好きだったんだ。

 萩尾の最期の言葉を聞いて、もしかすると花村千代見は、子どもたちと生きていく道も思い描いていたのかもしれないと思った。
 どのような関係性であれ、その傍らにはきっと劇作家の姿があった。

 薬によって無理やり忘れさせられたのは苦しみではなく、平凡で幸せな未来だったのではないか。
 花村千代見がすでにこの世にいない今となっては、真実は誰にもわからない。

 千代見本人だけではなく、座長や正妻、萩尾、そして桜蒔や百夜すらも、誰もが伝説の女優残菊というれ物にとらわれていた。

 舞台で狂い咲く黄金色の花。永遠に美しいままのお人形。
 もう、二度と人々の前に現れない。

 これで完全なる幕引きなのだと、初代残菊の幻影を追いかけて集まった観客たちにも伝わったようだ。
 芝居小屋は満員だったにもかかわらず、閉演後は水面に広がる波紋のような静けさで人々は去っていった。
 まるで夢そのものだったみたいに余韻だけを残して、その後話題にのぼることもなくなった。

 百夜が夏に撮影していた『ウィンダミーヤ夫人の扇』も無事に完成し、公開初日の説明は志千が担当した。

 表向きはこちらが二代目残菊最後の作品となる。
 二代目主演の封切ふうきりをもぎとるのが浅草にきた目的の一つだったのだが、果たせたものの最初で最後になってしまった。

 二代目残菊もまた初代と同じように、後を引く菊の香だけを残し、消えていく運命だったのだ。

 最後まで無事にやり遂げた公開最終日。
 志千が牡丹荘に帰ると、蝶子が慌てた様子で玄関まで出迎えにきた。

「しちちゃん、電報が届いてるよ」

 差出人は、兄だった。
 短い文章に目を通し、すぐに紙を閉じる。

「……親父が倒れたらしい。ちょっと公衆電話まで行ってくる」

 志千の声を聞いて、二階から心配げな表情の百夜が降りてきた。

「ちゃんと帰ってくるから」

 そう言い聞かせ、帰ってきたそのままの恰好でふたたび六区の方面に戻った。


 ***


 無事に家族と連絡が取れた志千は──
 さてどうしたものかと、思い悩んでいた。

 鳳館おおとりかんで折り返しを待っていたせいで、少し時間がかかってしまった。
 十二階下のほうへ戻っていると、途中で百夜と出くわした。帰りが遅いので心配して迎えにきてくれたらしい。

「大丈夫だったのか?」
「ああ、命に別状はないみたいなんだけど……」

 電話が繋がったとき兄の声は存外深刻ではなく、ほっと胸を撫でおろした。
 しかし、わざわざ志千に急ぎの電報を送ってきたのは理由があったのだ。

 話をするため、小さなやしろがある近くの神社に入った。
 境内の階段に並んで腰を下ろす。

「親父、長期で全国巡業の予定があるらしくてさ。その穴埋めを俺に任せたいみたいなんだ。とりあえず一度横浜に戻ってこいって」
「どのくらいの期間だ?」
「半年から、一年くらい」

 ずっと傍にいると約束しておいて、まさかすぐこんな事態になるとは思っていなかった。

「参ったな……。あの親父が、俺を頼るなんて今までなかったのに」
「なぜ悩む? すぐ帰ってやれ」

 言い淀む志千に向かって、百夜は迷いもなくそういった。

「でも……」
「父親の助けになりたいんだろう。おれの見てきた志千はそういう奴だった。それに、頼られるのは一人前の活動弁士として認められた証拠だ」

 活動弁士の世界では第一人者である、寿ことぶきはちの代役。
 今までだったらきっと志千より経験のある弁士に声をかけていただろう。
 百夜と離れてしまうことを除けば嬉しくもあり、息子として、こんなときこそ父を助けたかった。

「それとも、二度と戻ってこないつもりなのか?」

 笑いながらそういった百夜の言葉を、志千は慌てて否定する。

「まさか! 終わったらすぐここへ帰るに決まってんだろ」
「じゃあ、さっさと行け。あの家で待っててやる」

 百夜、と名を呼んで、背に手をまわす。

「おい、外だぞ」

 帯をほどこうとしたところで、柔らかい制止がかかった。

 構わず空いた手で口内に指を差し入れる。

「ちょ、っと、なにす──」
「百夜、口ん中すげえ感じるよな。まあどこでも感じてるけど」

 絡まる舌は熱くて、指が溶けそうだった。

「ふ、ぁ……」

 その隙に帯を緩める。冷たい外気に触れた手で温かい素肌に直接触れると、百夜の腰が仰け反った。着物がはだけて肩から落ちる。

 志千の指のあいだから唾液が滴り落ちてきた。ようやく口を解放し、耳元で囁く。

「……いい? 一年分摂取させて」
「やめられないところまできてから許可を取るな。ずるい」

 了承の代わりに、座っている志千の膝へ正面から抱きつくように乗ってきた。
 少し上の位置から慎ましいくちづけが降ってくる。

 大きく開かれた衿元から露出している胸の突起を吸ったり、舌先で転がしたりしてもてあそんでいると、百夜が吐息を抑えながらいった。

「……っ、んっ……めずらしいな、志千から求めてくるのは」
「え、そう?」

 思い返してみればそうかもしれない。
 志千は毎日でもしたいくらいだが、どうしたって体に負担がかかるのは百夜のほうなのだ。

 だから様子を見て、求められたら応じるようにしていた。
 迫るのはうまくいった仕事の後で、よほど気分がたかぶっている日だけだ。

「いわれてみりゃそうだけど、百夜はちゃんとねだってくるもんな? 意外にやらしいこと好きだよな」
「……だめ?」
「いいや、最高」

 普段はつっけんどんなのに自分の前だけは甘えん坊で、しかも腕の中では大いに乱れてくれる恋人。可愛くないはずがない。

「でも、もっと志千からも、欲しいっていわれたい」
「毎日押し倒しそうで、我慢してんだよ……」

 唾液で濡らした手を後ろに伸ばし、あえて指は挿入いれずにやわやわと触れるように円を描く。
 胸をついばむのと同時にしつこく続けていると、百夜が堪りかねた声を漏らした。

「……それ、も、やめっ……」
「優しく擦ってるだけなのに?」

 空いたほうの手で前を握ると、すでにとろとろになっていた先端から液が零れた。
 その瞬間に指を埋め、一番好きなところを刺激する。

「今っ、今でたばっかり、だから……!」

 声を抑えているせいか、その分、快感が体の内側にでも向かっているかのように普段より感じやすくなっている。

「ふぅ、ん、あっ──!!」

 今度は白濁液をださずに達したのを確認して、座って対面で向かい合ったまま百夜の両膝を抱えあげた。
 はち切れそうだった自身の物を、ぬぷっと沈めていく。

「んっ……志千の、挿入はいってくる……」
挿入いれただけでまた軽く飛んだ? ほんと、感じやすいな」
「だ、だって、この体勢、深いっ……!!」

 抱えた体ごとゆっくりゆすれば、なかをきつく締めつけてきた。
 あえてゆるゆると緩慢な動きを続けていると、百夜の全身が紅潮し、涙目になってくる。

 その状態ですがりついてきて、囁く。

「し、ち……志千の、声が好きだ」
「ん?」
「それから、ここの筋肉が恰好いいから好き……」

 と、腹を撫でてくる。

「はっ……ん……じつは、顔も好きだ」
「なに、俺の好きなところ教えてくれてんの?」
「うん……あと、優しいのが好き。おれのことも、おれの家族も……自分の家族や周りを大事にしている志千が好き」

 腕の中で幸せそうにしている顔を眺めていると、余裕がなくなってきた。
 下から激しく打ちつけ、百夜のなかが痙攣して震えるのと同時に、最奥にすべてを吐きだした。


 乱れた着物を直し、膝の上で横抱きにして額に唇をつける。

「あとは帰ってからな」
「まだ続きがあるのか……」
「一年分だから」
「明日すぐ発つのか?」

 そう窺う表情はやはり少し寂しそうで、後ろ髪を引かれそうになる。

「いや、館長にも相談しないといけねえし、早くても来週頭になると思う」
「数日あるじゃないか」
「それまで毎日抱き潰すから、覚悟しとけ」

 志千が首元に顔を埋めると、百夜はふんわりと優しく抱き返してくれた。
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