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プロローグ
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街でばら撒かれていたビラには、たった一行、こう記されていた。
『伝説の大女優 残菊復活せし』
とうの昔に朽ちたはずの廃屋で、ひそやかに上演されているという違法芝居。
人々の口から口へと噂話は流れていき、たどり着いた観客たちは半信半疑のまま、開演を待っている。
「ねえ、残菊って、あの……」
「そう。十年前に突然表舞台から姿を消してしまった。明治の終わりとともに散った大女優さ」
「死んだのではなかったの?」
「わからないんだよ。文士と心中したとか、さる高貴な身分の御方と駆け落ちしたとか、流行り病に冒されたとか。さまざまな憶測が飛び交っていたけれど、真相は闇の中だ」
「でも、あそこに座っているのって……」
客が舞台を指さす。背後にスクリーンはあるが、役者は一人だ。
目を閉じて、安楽椅子に座っている。
「人形ではないの? いくらなんでも、綺麗すぎる。見ているとぞっとするみたい」
薄暗い中でもわかるほど睫毛が長く、頬に影が落ちている。
作り物めいた肌の質感は遠目にもなめらかで、脈打つ血管さえ透けているように青白かった。
舞台に明かりが灯されたそのとき、女優の瞳がひらいた。
「ひっ」
菊の花を躰に纏い、人形に扮していた彼女は、小鳥のように澄んだ声で語らいをはじめた。
「生きている……」
「あの声は、本物の残菊だ。生きていたんだ」
ただそこにいるだけで、香が匂い立つように華々しい。
まさに『生ける菊人形』だと評されていた彼女は、当時とまったく変わらぬ姿形、声のままで観客の前に現れた。
「伝説の大女優、復活だ!」
ごく短い物語を演じたあと、静かに舞台の灯が消える。
続きはまた、次の機会に──
鈴が転がるような儚い声で、終演は告げられた。
次はいつ演るのか、これまでの回はいったいどんな筋だったのかと、観客たちが騒ぎはじめる。
黒衣の従業員が彼らを早々に追いだして、深夜にのみ開かれる違法の芝居は幕を下ろした。
***
埃の積もった楽屋で、菊人形は鬘を脱いだ。
広がり落ちた長い髪は色素が薄く、亜麻色の毛先は石油洋燈の灯りに透けている。
人形の扮装を解いた姿は間違いなく男性なのだが、女物の着物を着たままでも違和感のない中性的な容姿だ。
追いかけてくるように、黒髪で背の高い青年が扉を押して部屋に入ってきた。
「よお、百夜。どうだった、俺の声色は。今夜も完璧だったろ?」
と、嬉しそうに後ろから両肩を掴んで、まとわりついてくる。
舞台を終えたあとで少なからず興奮しているらしい。
「ああ……。志千、それより、これを見ろ。ついに例の脅迫状が届いた。獲物がかかったようだ」
背に張りついていた青年を追い払い、一通の手紙を差しだした。
「どこにあったんだ?」
「花束に紛れて、客席から放り込まれていた」
「熱烈なファンレタァかもよ。おまえは人気者だからな」
「いいから黙って読め。なんと書いてある」
「黙っていたら読めないだろうよ」
黒髪の青年は憎まれ口を返しながら、紙を洋燈で照らして文章を読みあげた。
筆跡を判別できないようにしているのか、新聞紙を切り抜いて糊で貼った文字が並んでいる。
『今度コソ 残菊ヲ殺ス』
紙のあいだには、手折られた菊の花が一輪はさまっていた。
花弁と茎は鮮やかな色を保ったまま、押し花の要領で水分を失って形を固定されている。
「以前とまったく同じやり方……。同一犯で間違いないだろう」
「切り抜きなんてベタだねえ。俺らの罠に引っかかるくらいだから、やっぱりこいつも本物の残菊は居場所を知らねえんじゃねえの?」
「だが『今度こそ』という言葉が引っかかる。やはり、十年前の出来事に関わっている可能性は高い」
「とりあえず、手紙の送り主を特定しなけりゃな」
「ああ。あまり長居すると警察に嗅ぎつけられる。さっさとずらかるぞ」
菊人形に扮していたほうの青年は、女物の着物を脱ぎながらいった。あらかじめ用意していた男物に着替えて鏡の前に腰をおろす。
無言で相棒に組紐を渡して、暗に結ってくれと頼んだ。
「百夜」
髪を結われている途中、蜜のような甘い声で名を呼ばれ、返事のかわりに顔をあげる。
背後から覗きこむような恰好をしていたらしい相棒との距離は思いのほか近く、額と額がぶつかった。
「痛い。近い。はやく結え──」
真上に向かって文句をいうと、
「無理すんなよ」
柔らかく、優しい調子の声が降り注ぐ。
「べつに、無理なんかしていない」
言葉とは裏腹に、指は相棒の服の袖を求め、きつく掴んでいた。
「残菊はきっとどこかで生きている。まだ、希望は消えちゃいない」
十年も昔に起こった大女優の失踪。その真相を追う青年がふたり。
『伝説の大女優 残菊復活せし』
とうの昔に朽ちたはずの廃屋で、ひそやかに上演されているという違法芝居。
人々の口から口へと噂話は流れていき、たどり着いた観客たちは半信半疑のまま、開演を待っている。
「ねえ、残菊って、あの……」
「そう。十年前に突然表舞台から姿を消してしまった。明治の終わりとともに散った大女優さ」
「死んだのではなかったの?」
「わからないんだよ。文士と心中したとか、さる高貴な身分の御方と駆け落ちしたとか、流行り病に冒されたとか。さまざまな憶測が飛び交っていたけれど、真相は闇の中だ」
「でも、あそこに座っているのって……」
客が舞台を指さす。背後にスクリーンはあるが、役者は一人だ。
目を閉じて、安楽椅子に座っている。
「人形ではないの? いくらなんでも、綺麗すぎる。見ているとぞっとするみたい」
薄暗い中でもわかるほど睫毛が長く、頬に影が落ちている。
作り物めいた肌の質感は遠目にもなめらかで、脈打つ血管さえ透けているように青白かった。
舞台に明かりが灯されたそのとき、女優の瞳がひらいた。
「ひっ」
菊の花を躰に纏い、人形に扮していた彼女は、小鳥のように澄んだ声で語らいをはじめた。
「生きている……」
「あの声は、本物の残菊だ。生きていたんだ」
ただそこにいるだけで、香が匂い立つように華々しい。
まさに『生ける菊人形』だと評されていた彼女は、当時とまったく変わらぬ姿形、声のままで観客の前に現れた。
「伝説の大女優、復活だ!」
ごく短い物語を演じたあと、静かに舞台の灯が消える。
続きはまた、次の機会に──
鈴が転がるような儚い声で、終演は告げられた。
次はいつ演るのか、これまでの回はいったいどんな筋だったのかと、観客たちが騒ぎはじめる。
黒衣の従業員が彼らを早々に追いだして、深夜にのみ開かれる違法の芝居は幕を下ろした。
***
埃の積もった楽屋で、菊人形は鬘を脱いだ。
広がり落ちた長い髪は色素が薄く、亜麻色の毛先は石油洋燈の灯りに透けている。
人形の扮装を解いた姿は間違いなく男性なのだが、女物の着物を着たままでも違和感のない中性的な容姿だ。
追いかけてくるように、黒髪で背の高い青年が扉を押して部屋に入ってきた。
「よお、百夜。どうだった、俺の声色は。今夜も完璧だったろ?」
と、嬉しそうに後ろから両肩を掴んで、まとわりついてくる。
舞台を終えたあとで少なからず興奮しているらしい。
「ああ……。志千、それより、これを見ろ。ついに例の脅迫状が届いた。獲物がかかったようだ」
背に張りついていた青年を追い払い、一通の手紙を差しだした。
「どこにあったんだ?」
「花束に紛れて、客席から放り込まれていた」
「熱烈なファンレタァかもよ。おまえは人気者だからな」
「いいから黙って読め。なんと書いてある」
「黙っていたら読めないだろうよ」
黒髪の青年は憎まれ口を返しながら、紙を洋燈で照らして文章を読みあげた。
筆跡を判別できないようにしているのか、新聞紙を切り抜いて糊で貼った文字が並んでいる。
『今度コソ 残菊ヲ殺ス』
紙のあいだには、手折られた菊の花が一輪はさまっていた。
花弁と茎は鮮やかな色を保ったまま、押し花の要領で水分を失って形を固定されている。
「以前とまったく同じやり方……。同一犯で間違いないだろう」
「切り抜きなんてベタだねえ。俺らの罠に引っかかるくらいだから、やっぱりこいつも本物の残菊は居場所を知らねえんじゃねえの?」
「だが『今度こそ』という言葉が引っかかる。やはり、十年前の出来事に関わっている可能性は高い」
「とりあえず、手紙の送り主を特定しなけりゃな」
「ああ。あまり長居すると警察に嗅ぎつけられる。さっさとずらかるぞ」
菊人形に扮していたほうの青年は、女物の着物を脱ぎながらいった。あらかじめ用意していた男物に着替えて鏡の前に腰をおろす。
無言で相棒に組紐を渡して、暗に結ってくれと頼んだ。
「百夜」
髪を結われている途中、蜜のような甘い声で名を呼ばれ、返事のかわりに顔をあげる。
背後から覗きこむような恰好をしていたらしい相棒との距離は思いのほか近く、額と額がぶつかった。
「痛い。近い。はやく結え──」
真上に向かって文句をいうと、
「無理すんなよ」
柔らかく、優しい調子の声が降り注ぐ。
「べつに、無理なんかしていない」
言葉とは裏腹に、指は相棒の服の袖を求め、きつく掴んでいた。
「残菊はきっとどこかで生きている。まだ、希望は消えちゃいない」
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