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第十章 呪力と言霊
第四節-01
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カタリ、と物音がした。美咲はいつの間にか眠っていたようだったが、やはり眠りは浅く、すぐに音に反応した。
風の音ではない。その証拠に、部屋の障子が開く音が耳に飛び込んできた。
いったい、誰なのか。偶然、縁側に背を向けていた美咲は固唾を飲んで耳を澄ませる。
畳を踏み締める音が近付いて来る。美咲の緊張は高まり、鼓動も早鐘を打ち続ける。
「美咲」
名前を呼ばれ、全身が粟立つ。女物の声ではなく、若い張りのある男物の声でもない。
美咲は瞼を固く閉ざした。だが、意識とは裏腹に、身体は小さく震える。
「気付いているのだろう? こっちを見なさい」
やはり、起きていることを完全に見抜かれている。美咲は諦め、身を捩った。
片膝を上げた格好で座りながら、声の主――藍田が美咲を見下ろしている。暗がりではっきりと見えないはずなのに、歪んだ口元が不気味に目に飛び込んできた。
「――なんかあったんですか?」
勤めて冷静に訊ねるも、やはり動揺は隠せない。まともに藍田の顔を見ることも出来ず、首元に視線を注いだ。
よく見たら、藍田は浴衣姿だった。寝間着代わりでもあるのだろう。そして、ほんのわずかだが、藍田から香水のような匂いが漂ってきた。
あまり好みの匂いではなかった。意識して嗅いでしまうと、吐き気が込み上げてくる。
「どうした?」
自らの口元を押さえ出した美咲に、藍田が訊ねてくる。
美咲は相変わらず口に手を当てたまま、「気持ち悪い……」と答えた。
「気持ち悪い?」
「――匂いが……」
「匂い? ああ、これか」
藍田は自らの浴衣の袖に視線を落とした。
「私のではないのだがね。どうやら移ってしまったらしい」
言っている意味が分からなかったが、不快だと思うのには変わりないから、美咲は眉間に皺を寄せながら首を傾げた。
そんな美咲に対し、藍田は、「別に深く考えることじゃない」と軽くあしらった。
「それより、少し私に付き合いなさい。私も今夜はなかなか眠れなくてね」
一方的な言い方だが、ここでは藍田が絶対だ。追い出そうとしても、何かと理由を付けて居座り続けるのは安易に想像出来た。
美咲は半身を起こした。そして、自らも浴衣だったことに気付き、乱れかけていた浴衣の合わせ目を正す。
「電気、点けますね」
美咲が立ち上がろうとすると、藍田の手が美咲の手首を強く引いた。
「このままで構わんよ。今夜は満月だ。月明りで充分だろう?」
藍田が言うも、それほど明るいとは思わない。むしろ、今夜は雲が重くのしかかり、月は時々顔を覗かせる程度だ。
「私、あんまり暗いのは苦手なんですけど……」
そう言って、何とか手を振りほどこうとするも、藍田の握力は思いのほか強い。
恐る恐る、藍田を見上げる。普段から何を考えているか分からないから怖いとは思っているが、今はその比ではない。
完全に、飢えた獣の目をしている。南條も、不意に雄の感情を剥き出しにすることはあった。だが、南條ならば受け入れられても、同じ血の通う、むしろ自分が嫌悪を抱いている相手だから恐怖しか湧いてこない。
また、襲われかけた時のことが頭を過ぎる。
「この手を離せ! 離せったら!」
自分の中の恐怖に打ち勝とうと、声を荒らげる。しかし、所詮は弱い犬の遠吠えだと、もう一人の自分が呆れている。
そのうち、美咲の身体が藍田に引き寄せられた。強いチカラで抱き締められ、どれほど身じろぎしても離そうとしてくれない。
「どうしたら、分かってくれるんだ……」
いつもの自信に溢れた間からは信じられないほど、弱々しく掠れた声音で美咲の耳元で囁いてくる。
「前にも言ったはずだ。私は、桜姫が現れてくれるのを待ち望んでいた、と。私は、桜姫を愛している。桜姫の存在だけが、私の心の支えだった。桜姫――いや、佐久良よ。私の想いに応えてはくれないか? 鬼王の元になど行くな。あれにも渡さぬ。佐久良は私のものだ。ただ、一生、私の側にいてくれれば良いのだ……」
藍田に抱き締められながら、美咲は違和感のようなものを覚えた。〈桜姫〉ではなく、〈佐久良〉と言い換えた藍田に。
風の音ではない。その証拠に、部屋の障子が開く音が耳に飛び込んできた。
いったい、誰なのか。偶然、縁側に背を向けていた美咲は固唾を飲んで耳を澄ませる。
畳を踏み締める音が近付いて来る。美咲の緊張は高まり、鼓動も早鐘を打ち続ける。
「美咲」
名前を呼ばれ、全身が粟立つ。女物の声ではなく、若い張りのある男物の声でもない。
美咲は瞼を固く閉ざした。だが、意識とは裏腹に、身体は小さく震える。
「気付いているのだろう? こっちを見なさい」
やはり、起きていることを完全に見抜かれている。美咲は諦め、身を捩った。
片膝を上げた格好で座りながら、声の主――藍田が美咲を見下ろしている。暗がりではっきりと見えないはずなのに、歪んだ口元が不気味に目に飛び込んできた。
「――なんかあったんですか?」
勤めて冷静に訊ねるも、やはり動揺は隠せない。まともに藍田の顔を見ることも出来ず、首元に視線を注いだ。
よく見たら、藍田は浴衣姿だった。寝間着代わりでもあるのだろう。そして、ほんのわずかだが、藍田から香水のような匂いが漂ってきた。
あまり好みの匂いではなかった。意識して嗅いでしまうと、吐き気が込み上げてくる。
「どうした?」
自らの口元を押さえ出した美咲に、藍田が訊ねてくる。
美咲は相変わらず口に手を当てたまま、「気持ち悪い……」と答えた。
「気持ち悪い?」
「――匂いが……」
「匂い? ああ、これか」
藍田は自らの浴衣の袖に視線を落とした。
「私のではないのだがね。どうやら移ってしまったらしい」
言っている意味が分からなかったが、不快だと思うのには変わりないから、美咲は眉間に皺を寄せながら首を傾げた。
そんな美咲に対し、藍田は、「別に深く考えることじゃない」と軽くあしらった。
「それより、少し私に付き合いなさい。私も今夜はなかなか眠れなくてね」
一方的な言い方だが、ここでは藍田が絶対だ。追い出そうとしても、何かと理由を付けて居座り続けるのは安易に想像出来た。
美咲は半身を起こした。そして、自らも浴衣だったことに気付き、乱れかけていた浴衣の合わせ目を正す。
「電気、点けますね」
美咲が立ち上がろうとすると、藍田の手が美咲の手首を強く引いた。
「このままで構わんよ。今夜は満月だ。月明りで充分だろう?」
藍田が言うも、それほど明るいとは思わない。むしろ、今夜は雲が重くのしかかり、月は時々顔を覗かせる程度だ。
「私、あんまり暗いのは苦手なんですけど……」
そう言って、何とか手を振りほどこうとするも、藍田の握力は思いのほか強い。
恐る恐る、藍田を見上げる。普段から何を考えているか分からないから怖いとは思っているが、今はその比ではない。
完全に、飢えた獣の目をしている。南條も、不意に雄の感情を剥き出しにすることはあった。だが、南條ならば受け入れられても、同じ血の通う、むしろ自分が嫌悪を抱いている相手だから恐怖しか湧いてこない。
また、襲われかけた時のことが頭を過ぎる。
「この手を離せ! 離せったら!」
自分の中の恐怖に打ち勝とうと、声を荒らげる。しかし、所詮は弱い犬の遠吠えだと、もう一人の自分が呆れている。
そのうち、美咲の身体が藍田に引き寄せられた。強いチカラで抱き締められ、どれほど身じろぎしても離そうとしてくれない。
「どうしたら、分かってくれるんだ……」
いつもの自信に溢れた間からは信じられないほど、弱々しく掠れた声音で美咲の耳元で囁いてくる。
「前にも言ったはずだ。私は、桜姫が現れてくれるのを待ち望んでいた、と。私は、桜姫を愛している。桜姫の存在だけが、私の心の支えだった。桜姫――いや、佐久良よ。私の想いに応えてはくれないか? 鬼王の元になど行くな。あれにも渡さぬ。佐久良は私のものだ。ただ、一生、私の側にいてくれれば良いのだ……」
藍田に抱き締められながら、美咲は違和感のようなものを覚えた。〈桜姫〉ではなく、〈佐久良〉と言い換えた藍田に。
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