宵月桜舞

雪原歌乃

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第九章 恣意と煩慮

第四節

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 ◆◇◆◇◆◇

 今朝方、美咲がまた本家へ連れ去られたことを知り、叔父宅にいた全員は動揺を隠せずにいた。普段は気丈な理美も、今回ばかりは取り乱している。とはいえ、それでもそこにいる人間の中では一番冷静だった。
「もう、わけ分かんない……」
 頭を両手で抱えながら何度も横に振る仕草を見せる優奈。優奈はきっと、自分の代わりに美咲が本家に行ってしまったのだと悔いているに違いない。
 だが、優奈以上に後悔しているのは朝霞だった。朝霞や優奈の代わりか、いや、父にとっては朝霞達はどうでもいい。藍田は美咲を欲していた。正確には、美咲の中に存在する桜姫だ。
「また、変なことされなきゃいいけど……」
 美咲とずっと行動を共にしている優奈は、本家でどんな仕打ちを受けたかよく知っている。朝霞も詳細までは知らずとも、藍田が美咲相手に何をしようとしたかは何となく想像が付く。だからこそ、なおのこと自分を呪いたくなる。
「とにかく、落ち着こう」
 そう口にした貴雄の唇も心なしか震えている。貴雄もまた、自分の無力さを責めているに違いない。
 そんな貴雄に続き、理美は「そうね」と頷く。
「ここで騒いだってどうにもならないもの。まずはそれぞれ、やることをやる。アサちゃんに優奈ちゃん、あなた達は学校に行きなさいね。お父さんも仕事に行く!」
「ああ」
「分かりました」
 理美の言葉に、貴雄と優奈は素直に応じた。だが、朝霞だけは首を縦に動かせなかった。
「アサちゃん?」
 理美が怪訝そうに見つめてくる。
 朝霞は理美の視線を逃れようとさり気なく俯き、唇を強く噛み締めた。
「――行けません……」
 ようやく出たのは、否定の言葉だった。
「どうして?」
 理美は穏やかな口調で訊ねてくる。だが、穏やかなようでいて、わずかに怒りを含んでいるようにも感じた。
「みいちゃんが心配で……、学校どころじゃないからです……」
「それはみんな同じよ?」
「はい、分かってます……」
「だったら行きなさい。この家にいるなら、この家のルールに従ってもらわないと困るの。私はそんな理由でサボるのを許すことは出来ないわ。そんな甘ったれた考えしか出来ないなら、今すぐにでも本家に戻っていいのよ?」
「おい母さん、それは言い過ぎ……」
 貴雄が慌てて制止しようとしたが、理美は、「あなたは黙って!」とピシャリと遮った。
「アサちゃん、もう一度言うわよ? 学校に行きなさい。嫌なら本家に戻りなさい」
 ただでさえピリピリしていたのに、さらに重苦しい空気がリビングを占拠する。
 一時いっときでも朝霞を庇おうとした貴雄は、妻に何を言っても無駄だと悟ったのか黙っている。
 優奈もまた、口を真一文字に結んだまま、朝霞に注目する。
 選択の余地はなかった。自分に甘えている。美咲にも悪いと思ったが、「本家には、戻りたくありません」と答えた。
「なら、ちゃんと学校行くのね?」
 理美の再三の問いに、朝霞はゆっくりと頷く。
 理美は口元に笑みを湛えた。朝霞の答えに、ホッとしてくれたようだ。
「じゃあ、それぞれ行く支度して。そうそう、アサちゃんのことは車で送ってあげるから。ここからじゃだいぶ距離があるでしょ?」
 甘ったれた考え云々を言われたあとだから、車の送迎の提案を出されて動揺してしまう。
「いえ、別に多少歩くのは……」
「いいから。それに、今のアサちゃんには監視役が必要そうだから」
「――適当にサボりそう、ってことですか……?」
「アサちゃんは真面目だから適当なことはしないと思うけど。ただ、状況が状況だからね」
 反論の余地はなかった。もちろん、学校に行くと決めた時点でサボろうなどとは考えもしなかったのだが。
「ほらほら、時間はお金より貴重よ!」
 理美が大袈裟にパンパンと両手を叩くと、貴雄と優奈はわらわらと行動を開始する。朝食を摂り、それぞれ会社や学校へ向かう。
 朝霞はと言うと、二人が出てからほどなくして迎えが現れた。
「オッス」
 理美に促されるようにリビングに姿を現したのは、雅通だった。予想外の人物の登場に朝霞が目を丸くしていると、理美は満足げにニッコリして見せた。
「今日、お仕事お休みなんですって。だから頼んでたのよ、送り迎え」
 意図的なのか、それとも他意はないのか朝霞には分からない。だが、少しでも雅通と二人きりで過ごせる時間を持てるの嬉しくて、心の中で理美に感謝した。
「さ、ほんとに遅刻しちゃうから!」
 理美に背中を叩かれ、朝霞はハッと我に返る。
「それじゃ雅通君、よろしくね?」
「はい、分かりました」
 雅通は軽く唇に弧を描きながら、軽く会釈する。
 朝霞もまた、雅通に倣って頭を小さく動かした。
「行って来ます、叔母さん」
「はい、行ってらっしゃい」
 理美は満面の笑みで手をヒラヒラと振り続けていた。
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