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第七章 揺動と傷痕
第八節
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◆◇◆◇◆◇
南條に家まで送り届けられてから、美咲は家にいた貴雄と理美に軽く挨拶し、そのまま自室へと引っ込んだ。そして、着替えもせず、バッグを机の上に半ば乱暴に放り投げると、自らもベッドにダイブした。
美咲はぼんやりと天井を仰ぐ。
今頃、南條は何をしているのか。もしかしたら、自分のことを想い続けているのか。
南條の本心を知り、美咲の中で彼の存在は以前にも増して大きくなっている。
南條と出逢うまでは、恋というものは知らなかった。いや、幼い頃に淡い初恋のような経験はあったが、胸を抉られるほどの強い痛みを知ったのは、やはり南條を好きだと自覚してからだった。
(桜姫も、鬼王をこれほど恋い焦がれているの?)
美咲は瞼を閉じ、自分の中の桜姫に問いかける。
桜姫からの応答はない。だが、代わりに胸の奥にチクリと微かな感覚を覚えた美咲は、それが桜姫の無言のメッセージなのだと受け取った。
桜姫は自分とは比べものにならないほど、過酷な運命を辿っていた。相思相愛だった相手とは決して結ばれず、ヒトでなくなり、鬼王に添うようになってからも、決して幸福は得られなかった。
鬼王と桜姫に幸福になってほしい。しかし、二人が真に結ばれるには、美咲の存在を消さなくてはならなくなる。
(私だって、まだまだ生きたいんだ……)
美咲は祈るように強く思う。感情が入り乱れ、無意識に瞼の奥が熱くなり、眦から幾筋もの涙が零れ落ちた。
『……しい……を……う……ちは……だ……お……じ……』
心の中に途切れ途切れに声が聴こえてくる。
美咲はハッとして目を開け、勢い良く半身を起こす。
グルリと辺りを見回す。だが、呼びかけてきた主の姿はどこにもない。
「――桜、姫……?」
美咲は視点が定まらないまま、声の主の名を口にする。
『――私はそなたの中だ……。姿見でもない限り、私が見えるはずがなかろう……?』
今度ははっきりと聴こえてきた。だが、声の主――桜姫の言う通り、姿はやはり見えない。
「いきなり呼びかけてくるなんてビックリするじゃない。卑怯よ……」
『別に呼びかけたつもりはない。私はただ、独り言を言ったに過ぎない。それにそなたが勝手に反応しただけだ』
「――なら、紛らわしい独り言はやめなさいよ」
『独り言なら、そなたもしょっちゅう口にしておろう?』
「そうだけど……」
結局、桜姫にはとても口で勝てない。何を言ってもサラリと返されてしまうから、結局は美咲が折れて口を噤むしかない。南條が相手でも同じような状況になるが。
『起こされたついでだ。私が少し話し相手になってやろう』
「――何なのよ、その上から目線な言い方……」
美咲は口を尖らせながら吐き出したが、気を紛らわせたかったのは事実だったから、姿は見えずとも、桜姫が話し相手になってくれるのは救いだった。
『そなたは、あの者と契りを結べなかったことが不満か?』
「チギリ……?」
美咲は最初、何を言っているのか分からず言葉を反芻した。だが、少し考えて、ようやく意味を理解した。
「桜姫にしては、ずいぶんと下品な質問だね」
皮肉を籠めて言うも、桜姫は全く意に介した様子もなく、『私はそなたと一心同体だ』と淡々と返される。
『そなたの中にい続けたら、そなたの感情は全て私に伝わってくる。それと、言っておくが、私はそなた達のように身体の契りを望んだことなど一度たりともない。――望むことが愚かの極みであるからな……』
「――それってまるで、私と南條さんが欲望だけで突っ走ってるって言ってるみたいじゃない?」
『そんなことを言っているのではない』
桜姫の声が、美咲の中で凛と鋭く響いた。
美咲は驚き、そのまま絶句してしまう。
桜姫は訥々と続けた。
『鬼王は肉体を持っておらん。むろん、私もだ。いや、肉体が滅びていなくとも、私の想いは決して成就することはなかった。――私がヒトでなくなったのは、愚かな恋心を抱いた罰。そして……、我が兄上も……』
そこまで言うと、桜姫は今度こそ沈黙の闇へと落ちた。
「桜姫……?」
美咲は先ほどと同様に呼びかける。だが、今度は何も返ってこなかった。もしかして、美咲の中から存在すら消えてしまったのか。
しかし、瞼を閉じていた時と同様の胸の苦しみを覚えたことで、桜姫はまだ自分の中にいるのだと自覚した。
「……っ……うっ……」
鼻の奥にツンとした痛みを感じ、嗚咽が漏れる。先ほどにも増して、桜姫の想いが美咲に流れ込み、呼吸も満足に出来ないほどの息苦しさを感じた。
「想い続けることすら……罪なの……ですか……?」
不意に口を突いたこの言葉は、美咲から出たものではない。桜姫の強過ぎる想いが、美咲という媒体を通して言霊に変えた。
愛する者と結ばれずともヒトとして生き続けるか、それとも、ヒトを棄ててヒトならざる者と永遠を共にするか。桜姫にとって、本当に幸せだったのはどちらなのだろう。
(〈幸せ〉は自分の力で自分の手で掴みとるしかないんだね、きっと……)
涙で濡れた瞳で、美咲は自らの両手をジッと眺める。
どんな時でも、自分を優しく、温かい眼差しで包んでくれる南條。それが最高の幸せだと思うが、ただ、南條に甘えているのも事実だ。
雅通は美咲の甘えを鋭く見抜いている。口煩いと思いつつ、言っていることが的を射ているから、つい、ムキになって否定してしまう。
(自分はどうしようもなくちっぽけだ。でも、みんなと幸せになりたいと願うぐらいは、いいでしょ……?)
桜姫に同意を求めようとするのもまた、甘えだと分かっている。それでも、ほんの少しでもいい、自分に応えてほしいと思ってしまう。
「これからもっと、強くなるから……」
美咲はそう口にし、深呼吸を繰り返す。
気休め程度かもしれない。だが、そうすることで、少しは心が穏やかになってゆくような感じがした。
「明日から、頑張るから……」
もう一度口に出して言うと、美咲はベッドから降りた。
ドアを開け、部屋を出たとたん、ふわりと味噌汁のいい匂いが鼻腔を擽った。
【第七章 - End】
南條に家まで送り届けられてから、美咲は家にいた貴雄と理美に軽く挨拶し、そのまま自室へと引っ込んだ。そして、着替えもせず、バッグを机の上に半ば乱暴に放り投げると、自らもベッドにダイブした。
美咲はぼんやりと天井を仰ぐ。
今頃、南條は何をしているのか。もしかしたら、自分のことを想い続けているのか。
南條の本心を知り、美咲の中で彼の存在は以前にも増して大きくなっている。
南條と出逢うまでは、恋というものは知らなかった。いや、幼い頃に淡い初恋のような経験はあったが、胸を抉られるほどの強い痛みを知ったのは、やはり南條を好きだと自覚してからだった。
(桜姫も、鬼王をこれほど恋い焦がれているの?)
美咲は瞼を閉じ、自分の中の桜姫に問いかける。
桜姫からの応答はない。だが、代わりに胸の奥にチクリと微かな感覚を覚えた美咲は、それが桜姫の無言のメッセージなのだと受け取った。
桜姫は自分とは比べものにならないほど、過酷な運命を辿っていた。相思相愛だった相手とは決して結ばれず、ヒトでなくなり、鬼王に添うようになってからも、決して幸福は得られなかった。
鬼王と桜姫に幸福になってほしい。しかし、二人が真に結ばれるには、美咲の存在を消さなくてはならなくなる。
(私だって、まだまだ生きたいんだ……)
美咲は祈るように強く思う。感情が入り乱れ、無意識に瞼の奥が熱くなり、眦から幾筋もの涙が零れ落ちた。
『……しい……を……う……ちは……だ……お……じ……』
心の中に途切れ途切れに声が聴こえてくる。
美咲はハッとして目を開け、勢い良く半身を起こす。
グルリと辺りを見回す。だが、呼びかけてきた主の姿はどこにもない。
「――桜、姫……?」
美咲は視点が定まらないまま、声の主の名を口にする。
『――私はそなたの中だ……。姿見でもない限り、私が見えるはずがなかろう……?』
今度ははっきりと聴こえてきた。だが、声の主――桜姫の言う通り、姿はやはり見えない。
「いきなり呼びかけてくるなんてビックリするじゃない。卑怯よ……」
『別に呼びかけたつもりはない。私はただ、独り言を言ったに過ぎない。それにそなたが勝手に反応しただけだ』
「――なら、紛らわしい独り言はやめなさいよ」
『独り言なら、そなたもしょっちゅう口にしておろう?』
「そうだけど……」
結局、桜姫にはとても口で勝てない。何を言ってもサラリと返されてしまうから、結局は美咲が折れて口を噤むしかない。南條が相手でも同じような状況になるが。
『起こされたついでだ。私が少し話し相手になってやろう』
「――何なのよ、その上から目線な言い方……」
美咲は口を尖らせながら吐き出したが、気を紛らわせたかったのは事実だったから、姿は見えずとも、桜姫が話し相手になってくれるのは救いだった。
『そなたは、あの者と契りを結べなかったことが不満か?』
「チギリ……?」
美咲は最初、何を言っているのか分からず言葉を反芻した。だが、少し考えて、ようやく意味を理解した。
「桜姫にしては、ずいぶんと下品な質問だね」
皮肉を籠めて言うも、桜姫は全く意に介した様子もなく、『私はそなたと一心同体だ』と淡々と返される。
『そなたの中にい続けたら、そなたの感情は全て私に伝わってくる。それと、言っておくが、私はそなた達のように身体の契りを望んだことなど一度たりともない。――望むことが愚かの極みであるからな……』
「――それってまるで、私と南條さんが欲望だけで突っ走ってるって言ってるみたいじゃない?」
『そんなことを言っているのではない』
桜姫の声が、美咲の中で凛と鋭く響いた。
美咲は驚き、そのまま絶句してしまう。
桜姫は訥々と続けた。
『鬼王は肉体を持っておらん。むろん、私もだ。いや、肉体が滅びていなくとも、私の想いは決して成就することはなかった。――私がヒトでなくなったのは、愚かな恋心を抱いた罰。そして……、我が兄上も……』
そこまで言うと、桜姫は今度こそ沈黙の闇へと落ちた。
「桜姫……?」
美咲は先ほどと同様に呼びかける。だが、今度は何も返ってこなかった。もしかして、美咲の中から存在すら消えてしまったのか。
しかし、瞼を閉じていた時と同様の胸の苦しみを覚えたことで、桜姫はまだ自分の中にいるのだと自覚した。
「……っ……うっ……」
鼻の奥にツンとした痛みを感じ、嗚咽が漏れる。先ほどにも増して、桜姫の想いが美咲に流れ込み、呼吸も満足に出来ないほどの息苦しさを感じた。
「想い続けることすら……罪なの……ですか……?」
不意に口を突いたこの言葉は、美咲から出たものではない。桜姫の強過ぎる想いが、美咲という媒体を通して言霊に変えた。
愛する者と結ばれずともヒトとして生き続けるか、それとも、ヒトを棄ててヒトならざる者と永遠を共にするか。桜姫にとって、本当に幸せだったのはどちらなのだろう。
(〈幸せ〉は自分の力で自分の手で掴みとるしかないんだね、きっと……)
涙で濡れた瞳で、美咲は自らの両手をジッと眺める。
どんな時でも、自分を優しく、温かい眼差しで包んでくれる南條。それが最高の幸せだと思うが、ただ、南條に甘えているのも事実だ。
雅通は美咲の甘えを鋭く見抜いている。口煩いと思いつつ、言っていることが的を射ているから、つい、ムキになって否定してしまう。
(自分はどうしようもなくちっぽけだ。でも、みんなと幸せになりたいと願うぐらいは、いいでしょ……?)
桜姫に同意を求めようとするのもまた、甘えだと分かっている。それでも、ほんの少しでもいい、自分に応えてほしいと思ってしまう。
「これからもっと、強くなるから……」
美咲はそう口にし、深呼吸を繰り返す。
気休め程度かもしれない。だが、そうすることで、少しは心が穏やかになってゆくような感じがした。
「明日から、頑張るから……」
もう一度口に出して言うと、美咲はベッドから降りた。
ドアを開け、部屋を出たとたん、ふわりと味噌汁のいい匂いが鼻腔を擽った。
【第七章 - End】
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