宵月桜舞

雪原歌乃

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第二章 恋情と真実

第四節

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 誕生会も中盤に差しかかると、食べ物はあらかた減り、中途半端な状態で残っているペットボトル入りのオレンジジュースとウーロン茶、空になったビールの空き缶が隅の方に溜まっている。
 ふと、玲太を見ると、疲れが出始めたのか、コクリコクリと船を漕いでいた。
「しょうがねえなあ」
 樋口は苦笑いし、玲太を軽々と抱き上げる。体格がいい樋口が抱いていると、未発達な玲太の身体はよけいに小さく見えた。
「このまま寝かせてくるから、あとは適当にやっててくれ」
 そう言い残して、樋口はリビングを後にした。
 残された大人達――美咲は未成年だが――は、それぞれ、残っていた食べ物を口にしたり、飲み物を喉に流し込む作業に没頭する。
「さて、おチビちゃんは寝てしまったし、そろそろ訊かせてもらおうかしら?」
 沈黙を破ったのは江梨子だった。江梨子は頬杖を突き、不敵に口元を歪めながら、南條と美咲を交互に見比べる。
 不意に、南條は嫌な予感がした。江梨子がこんな笑い方をする時は、必ずロクでもないことを考えている。
「――変な質問はなしですよ?」
「変な質問ってどんな質問されると思ってるの?」
「そんなの分かるわけないでしょう。とにかく、俺も彼女も困らないことを訊いて下さい」
 そう念を押したのだが、江梨子はそんなものは全く気にせず、予想通り――いや、予想以上にとんでもない質問を投げかけてきた。
「あんた、いつ美咲ちゃんを抱いたの?」
 これには、当の南條と美咲だけではなく、同席していた雅通も仰天し、口に含んだビールを噴き出してしまった。ただ、南條と美咲は幸いにも何も口にしていなかったから、仰け反るだけに留まったのだが。
「ちょっとやだ汚い。ちゃんと拭きなさいよ」
 雅通が噴き出す原因を作ったのは江梨子なのに、自分のことは完全に棚に上げている。
 憐れな雅通は何度も咳き込み、「す、すいません……」と謝罪しながら、布巾でテーブルを拭いていた。
 南條はそれを複雑な心境で眺めると、江梨子に向き直った。
「変な質問はするなと言ったはずです」
「別に変なことなんて訊いてないでしょ?」
「どこがですか」
 南條は眉根を寄せて、こめかみを押さえた。
「そもそも江梨子さん、俺と彼女の関係を誤解してませんか? 言っておきますが、俺達は断じて、江梨子さんが想像してるようなことは一切してません」
「ええっ、嘘でしょ? ほんとになんにもしてないの?」
「してません」
 江梨子のしつこい追及にも、南條はきっぱりと否定した。ただ、キスはしているから、全く手を出していないと言い切れないのも確かだ。だが、これを白状すれば、江梨子を必要以上に喜ばせてしまうのが目に見えているから、あえて何も言わずにおこうと決めた。
 頑として否定する南條に痺れを切らしたのか、江梨子は今度は、美咲に向けて、「ねえ」と満面の笑みを浮かべる。それは、悪魔の微笑みのように南條の目には映った。
「南條君、ほんとに美咲ちゃんに何もしなかったの? こいつ、こんな風に飄々と構えてるくせに以外と手は早いから、絶対なんかされたんじゃない? どう?」
「そ、それは……」
 美咲は南條以上に戸惑っている。どうしていいのかといった感じで、南條に視線を向けて必死に訴えてくる。
 江梨子の性癖をよく分かっている南條ですらたじたじになるのに、免疫のない美咲だと、江梨子の笑顔の攻撃は恐怖の対象でしかないだろう。
「江梨子さん、彼女が困ってますから」
 静かに、しかし厳しく窘めるも、当の江梨子は、「あんたに訊いてない!」と突っぱねてきた。これも想定の範囲内だったものの、江梨子のしつこさにはほとほと呆れる。
「これから男ってヤなのよ」
 江梨子はそう言うと、美咲の側ににじり寄り、抱き締めながら顔をすり寄せた。
「うーん、ほんと可愛いわあ。やっぱ女の子っていいわねえ。大丈夫、お姉さんがしっかり、野獣どもから美咲ちゃんを守ってあげるから!」
 野獣はどっちだ、という突っ込みを、南條はすんでで飲み込んだ。唐突に美咲の唇を奪ってしまった手前、江梨子に強く言えないところは確かにあるが、江梨子の方がよほど危険だと南條は思う。恐らく、雅通も同じことを考えているだろう。雅通を一瞥すると、南條に目配せしながら苦笑いしてきた。
「おう、戻ったぞ!」
 リビングのドアが勢いよく開かれるのと同時に、樋口がのっそりと姿を現した。
(助かった……)
 南條は心の底からホッと息を吐いた。樋口がいれば、江梨子の暴走は確実に抑えられる。
「おいおい何だ? 女同士でイチャイチャしやがって」
「――早く彼女から江梨子さんを引き離して下さい」
 呆れたように美咲と江梨子を見下ろしている樋口に、南條はすかさず言った。
「あなたがいない間、大変だったんですから……。とんでもない質問はしてくるわ、彼女まで巻き込むわ……」
「とんでもない質問? どんな質問だ?」
「とんでもないことなんて訊いてないわよお。私はただ、南條君の気紛れで美咲ちゃんの純潔が奪われたんじゃないかって心配しただけよ」
「なっ……」
 樋口は言いかけ、そのまま口をパクパクさせた。この男は子供を一人儲けているのに、性的な話題は全くと言っていいほど受け付けない。江梨子もそれは分かっているはずだが、普通に口に出してしまう。
「いや、まあ、江梨子の気持ちは分からんでもないけどな、うん」
 大袈裟に咳払いしながら言う樋口は、見ている側の方が恥ずかしくなるほど赤面させている。
「と、とにかくだ。その……、南條だって考えなしな行動はしないはずだからな、うん。
 まず江梨子、彼女から離れなさい。ほら、苦しそうにしてるぞ?」
「でもお……」
「いいから。彼女が窒息したらどうする?」
 これまた、そんなわけないだろう、と突っ込みたくなる説得の仕方だが、江梨子には充分に効果があったらしい。というよりも、注意してきた相手が樋口だからこそ、「仕方ないわねえ」と言いながらも素直に美咲を解放した。
 江梨子の魔の手から逃れることが出来た美咲は、何度も深呼吸を繰り返す。江梨子は身体に似合わず怪力だから、冗談ではなく本気で苦しかったのだろう。
(窒息もあながち大袈裟じゃないな)
 南條はそう思い直した。
「あ、もう九時過ぎたか」
 不意に樋口が口にした。南條を始め、そこにいた全員も、釣られるように壁に掲げられた時計を見上げる。
「どうする? そろそろお開きにするか?」
 全員を見回しながら訊ねる樋口に、南條は「そうですね」と同意した。
「俺達はともかく、彼女はあまり遅くなり過ぎたら両親を心配させるでしょう」
「だな。瀧村は……」
「俺、酒飲んだからバイク乗れませんよ?」
「ああ分かった。じゃあウチに泊まってけ。で、南條は帰るのか?」
「ええ。彼女を送り届けてから、そのまま自分のアパートに戻りますよ」
 そこまで言ってから、南條は江梨子をチラリと見る。
「――美咲ちゃんも泊まってけばいいのに……」
 南條の名前を出さないのが、江梨子らしいと言えば江梨子らしい。南條が思わず苦笑すると、樋口は、「仕方ないだろ」と、やんわり窘めた。
「彼女は泊まるつもりなんて元からなかっただろうから。また今度、改めて泊まりに来てもらえばいいだろ?」
「――分かったわ。今回は我慢する……」
 さすがの江梨子も、樋口にかかれば飼い慣らされた忠犬のように大人しくなる。それだけ、樋口に対する愛が大きいのだろうが、ここまで変貌するのも、ある意味凄いと南條はいつも思う。
(樋口さん以外に江梨子さんを手懐けられるのはいないな、きっと)
 そんなことを考えながら、南條は立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろお暇します。藍田、大丈夫か?」
 美咲に訊ねると、美咲は「はい」と頷く。
「今日はありがとうございました」
 深々と辞儀をする美咲に、江梨子は満面の笑みを浮かべた。
「またいつでも来てね。美咲ちゃんみたいに可愛い子は大歓迎だから!」
「はあ……。ありがとうございます」
 目を爛々と輝かせる江梨子に、美咲は戸惑いを隠せずにいる。
 江梨子はそれに気付いているのかいないのか、両手を握り、しつこいぐらいに握手した。
「ほんとよ? 絶対、ぜーったい来てね?」
「は、はい……」
 江梨子の執拗な攻撃に、美咲はとうとう苦笑いした。
「ほら、もういいだろ?」
 見かねた樋口が、さり気なく二人の間に入って引き離し、目尻を下げながら美咲に笑いかけた。
「江梨子じゃないが、ほんとに遠慮なくいつでも来てくれ」
 これでようやく、江梨子から完全に解放された。
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