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9話 木の下で声を聴く

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 弥生が自宅療養を始めた日から、咲也の朝は忙しかった。

「うおおおおおお!!!!」

 咲也は誰よりも早く起きて身支度を整え、洗濯機に洗濯物を放り込んだ。慣れない作業に戸惑いながら学校の準備物を確認して、叔父夫婦の起床と共に朝食。残った時間で洗い物を済ませ、学校へ。初めの数日は、遅刻ギリギリで到着していた。

「菜種梅雨くん。遅いですよ。明日からは気をつけなさい。」
「は‥‥はい‥‥」

 姉貴いつもこんなことしてたのか⁉︎しかも15分前には着いてたって‥‥どうやったらできるんだよ!食器洗いはもちろん、洗濯物なんて、俺は放り込んでるだけなのに、めちゃくちゃ時間かかるじゃねえか!

「咲也、最近疲れてるみたいだね。家事は思った以上に大変だろ?」

 颯太はニヤニヤして楽しそうだ。

「ああ‥‥弁当のおかずは前日に叔母さんが作っておいてくれるけど、明日からは食堂も使った方がいいな。叔母さんも毎日結構疲れていることに最近気づいたよ。」
「やっと周りが見えるようになったみたいだね。僕だってお弁当作りは週2でやってるし、食器洗いは僕の担当だよ。」
「えー!やってるならちょっとくらいアドバイスくれよ‥‥‥」
「まず初めは自分でやってみることだね。そっちの方が大変さは身に染みる。弥生さんもそう言わなかった?」
「聞いてねえ‥‥でも俺今日はさらに家事をやるために早めに帰るから。」
「感心、感心。僕も今日は委員会で遅くなるし。」

 放課後、咲也は掃除が終わると同時に学校を飛び出し、花屋に寄って家に帰った。あまりに早い帰宅に小春は驚き、無茶をしていないかと尋ねたが、咲也は大丈夫だと言った。
 一息ついた後、咲也は弥生の部屋に行った。ノックをすると返事が聞こえたので中に入った。弥生はベッドの上で本を読んでおり、疲れ切った咲也の顔を見て、吹き出した。

「大変さが分かったみたいで何より。明日からもよろしくね。」
「おう。これ‥‥買って来たけどいる?花、好きだろ。」

 咲也が取り出したのは、白いガーベラだった。弥生は嬉しそうに受け取り、花を見つめる。

「ありがとう、気が効くね。後で生けるよ。」
「良かった‥‥花持って歩くのって結構恥ずかしかった。」
「お礼に体調が戻ったら、一緒にどっか行こうか。」
「え、マジで⁉やった!あっ‥‥」
「ふふ。やっぱり咲也はまだ子供ね。行きたい所、今の内に考えておきなよ。」

 幼い時と同じように喜んでしまい、咲也は照れ笑いを浮かべた。弥生は再三無理をしないように言いつけ、勉強の相談に乗った。

                        *

 翌日、学校から帰った咲也は弥生の体調を確認した後、叔母に許可をもらって、3人で行った桜並木を歩いた。もうすぐ梅雨をむかえる6月。当然桜の花はなく、緑が深くなっていた。

 もうふた月くらい経つのか‥‥あの日は楽しかったな。久し振りに心から笑った。

 坂を登り、あの日3人で昼食を摂り、写真を撮った桜の木に辿り着いた。サクラが触れた枝のあたりを見上げ、ぽつりと呟く。

「サクラ‥‥どこ行ったんだよ。初めはお前のこと、他人の心に踏み込んでくる最悪なやつだと思ったけど‥‥お前のいない日常は、案外つまらねえよ。あの世に‥‥帰っちまったのか?」

 咲也は木に手を当てて言葉を続けようとしたが、口をつぐんだ。苦笑して、木から手を離す。

「これじゃあただのヤバイ奴だな。もう真っ暗だ。早く帰るか。」

 踵を返し、立ち去ろうとしたその時、どこか切なさを滲ませた声が聴こえた。

(来てくれたんだね。咲也くん。)

「サクラどこにいるんだ姿を見せてくれ!」

(私も咲也くんの顔を見て話がしたい。でも、無理なんだ。)

「何でだよ⁉︎俺はお前に聞きたいこともあるし、俺が大事なことをやり遂げるのを側で見ていて欲しいんだ!」

(ふふっ‥‥ありがとう。だけど‥‥次に私が咲也くんの前に姿を見せるのは、咲也くんがご両親に再会する時だよ。こんなふうにここで話をすることも、もうできない。)

 いつもよりやけに力ない声だった。咲也は一段と声を張り上げる。

「ならせめて教えてくれ!何で俺たちの前から姿を消したんだ⁉︎」

(‥‥私が側にいたら、咲也くんは立ち止まったままになっちゃうの。ご両親のことを想い続けて苦しむだけで、前には進んでくれない。だから姿を消した。そして咲也くんは今、変わろうとしている。希望を見出して、それに向かって進んでいる。)

「お前がいたって変わらなかっただろ!そもそもお前‥‥本当に死神なのかよ!」

(今は、これ以上は何も言えない。咲也くん自身で突き止めて。‥‥待ってるから。)

 その言葉を最後に、声は途切れた。咲也は木を隅から隅まで見たが、サクラの姿はなかった。

「一体‥‥お前は何なんだよ、サクラ!どこまで俺を‥‥悩ませるんだよ!」

 咲也の声が、虚しく闇の空に響いた。雲間から出ている三日月が、どこか不気味な光を放っていた。
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