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Case37.若女将の涙⑥
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脅しの言葉は似合わなかった。現に、その手は震えている。私は勝手に迷いがあると解釈し、歩を少し進めた。
「これ以上、罪を重ねないでください。それに、その殺人に何の意味があるんです? 復讐の範囲を逸脱しています」
鋭い視線を向けられたのは初めてのように思えた。でも、怯んではいられない。
私が怯むことは、1つの命を喪わせることと同義だった。
「あなたに殺せるんですか? あなたが奪おうとしている命が、亡くした家族と重なるとしても」
息を呑む音が聞こえた。
ーカイリ『若女将の涙』第6章ー
※
「集まって頂き、ありがとうございます。私が皆さんをお呼びしたのは、今回の事件を解き明かすためです」
従業員たちが騒ついた。海里は軽く目を閉じ、迷いを消す時間を設ける。そして数秒後に目を開け、初めに答えを口にした。
「この事件の犯人は榊雪美さん。ここ、月影旅館の若女将です」
警察官たちは唖然とした。従業員も驚きを隠せていない。
五十嵐は前に進み出て、思わず海里の肩を掴んだ。
「どういうことですか⁉︎ 榊雪美は亡くなっているのですよ⁉︎」
「亡くなっていませんよ。あの遺体は偽物です。
京都府警さん、雪美さんの遺体が今どうなっているか本部にお尋ねください。全員に聞こえるようスピーカーにして」
1人の刑事がスマートフォンを出し、本部に電話をかけた。
『先輩? どうされました?』
「榊雪美の遺体がどうなっているか、今すぐ確認して現状を報告してくれ」
『・・・はあ、分かりました』
少しの間、足音とわずかな話し声が断続的に流れた。すると、突然の静寂が訪れ、直後叫び声が聞こえた。五十嵐は焦りながら、声を上げる。
「どうしたんですか⁉︎」
『い・・・遺体が・・・・腐っていません! それどころか、血が流れ続けている!』
先程よりも喧騒が広がった。海里は淡々と続ける。
「これで分かりましたよね。遺体が発見されたのは今朝。殺されたのは昨夜のうちです。そんな遺体が、腐らない? 出血を流し続ける? あり得ませんよ。
つまり、発見された遺体は偽物です。雪美さんが作った人形なんです。血液は動物の血や、赤い絵の具で誤魔化したのでしょう。もしかすると、彼女自身の血液も含まれているかもしれませんが、そこまでは分かりません」
海里の言葉に、五十嵐は尋ねた。
「でも・・・どうして気がつかなかったのですか?」
海里は少し回りくどく、五十嵐の言葉に答えた。
「・・・・雪美さんは、実によく考えてあの人形を作りましたよ。わざと悲惨な殺し方をして、“絶対に死んでいる”と思わせた。遺体が本物かどうかなど、確かめる必要もないほど無惨に殺したんです。遺体が偽物と知られれば、自分が犯人だとバレますから。
現に、私たちは遺体を見た瞬間、脈を取ったり呼吸を確かめたりしなかったでしょう」
海里の言葉に納得しつつ、五十嵐は更に尋ねた。
「・・・でも・・鍵は? 遺体発見時に落ちていた鍵と、玄関の石の側にあった鍵と、榊渉の懐にあった鍵束・・・・。あれを榊雪美が仕組んだ証拠は?」
「・・・・鍵の件は、順を追って説明しましょう」
海里は1度深呼吸をしてから、言葉を続けた。
「まず23時頃、雪美さんは、宿泊客の1人にロビーで姿を目撃されています。恐らく、彼女はこの時に自分の人形を滅多刺しにして、遺体発見現場の扉の前に鍵を捨てた。付け外しは簡単にできたはずです。
次に入口の外に落ちていた雪美さんの部屋の鍵。あれも、その時に雪美さんが落としたものです。“入口の方に行った”という証言もありましたし、間違いないでしょう。調べれば、彼女の指紋の1つや2つ、出るはずです。
最後に、鍵束。彼女があれを渉さんの着物の中に隠したのは、この2つの行動より前の話です。」
「前?」
警察官たちが唖然とした。海里は頷く。
「渉さんは22時頃に就寝した。そして、この旅館の電気は22時半で止まります。彼女が犯行に及んだのが23時頃ですから、時間としては十分でしょう」
「しかし・・・だからと言って鍵を隠せますか? 渉さんが目を覚ます可能性は?」
「ありませんよ。雪美さんは、私と渉さん2人の湯呑みに睡眠薬を入れていたのですから。」
全員が目を丸くした。海里は苦笑いを浮かべる。
「気づいたのはつい先ほどのことです。昨夜私は、床に就いた後、妙な眠気に襲われ、すぐに深い眠りに落ちたんです。疲労のせいかと思いましたが、あれは、睡眠薬のせいだった。
そもそも、渉さんが婿養子であれ、彼女と共に仕事をしないことはおかしいでしょう。例え彼女が若女将でも、彼は彼女の夫、旅館の当主です。結婚したばかりなのだから、仕事を覚える意味でも共に仕事をした方がいい」
「それは分かりますが、睡眠薬はいつ?」
「昨日の夜、私は渉さんと長話をしました。その時、彼女からお茶を受け取っています。その時ですよ。
厨房はバタバタしていて、お茶を持って来る暇もなかった上、一宿泊客に食事の時間でもないのに従業員の方がお茶を持って来る必要もない。何より、雪美さんがお茶を淹れた証拠があります」
そう言って、海里はスマートフォンの写真を見せた。小説の参考と思って撮った旅館の写真に、お茶を淹れる彼女の姿がある。
「睡眠薬で眠れば、部屋に入って鍵を隠されても分からないでしょう。渉さんが鍵を持っていることに気がついたのは、捜査が進み、鍵が無いと言われた当たりだと思います。睡眠薬の効力が残っていたでしょうし、雪美さんの死で動揺していたので、そのくらいが妥当です」
「なるほど・・・自分が持っていると言えば、犯人になるかもしれない。だから黙っているしかなかったんですね?」
五十嵐の言葉に海里は頷いた。
「はい。これで、鍵の件は終わりです。次に、あの脅迫状の説明をしましょう」
海里が五十嵐を横目で見ると、彼女は証拠品の中から脅迫状を取り出した。海里はそれを受け取りながら、説明を続ける。
「この脅迫状の隅っこにあるこれ。何か分かりますか?」
「汚れ? でも、妙にはっきりとしているな・・・・」
「これは墨です」
「墨?」
「ええ。ある警察官からの情報提供で分かりました。
この墨を扱っているお店は、月影旅館だけに墨を提供していました。要するに業務提携ですね。そして、お店から墨を受け取るのは榊家の人間の役目であり、旅館に置かれている墨の居場所を知っているのも、榊家の人間だけだそうです。
ですから、これを書いたのは榊家の人間と分かる。そして、幼い榊秀さんは殺人犯から除外します。漢字も難しいものが混じっていますし、小学校低学年の彼には、まず書けない。狙撃という殺害方法も取れないでしょうから」
「亡くなった渉さんは?」
「彼は“榊家の人間”と言い切っていいか微妙なところですね。確かに、彼が亡くならなければ彼が犯人の可能性も捨てきれなかったでしょう」
「女将の梨香子さんは? 彼女の亡くなった夫は、渉さん同様、婿養子だったのですよね? 榊家の人間が犯人で、榊雪美が亡くなっているなら、自然と彼女に行き着くはずです」
「ええ。その点で見れば、確かに怪しいですね。しかし無理です」
海里は断言した。五十嵐が尋ねる。
「なぜ?」
「彼女は足腰が弱いく、普段部屋から出てきていません。何より彼女が犯人の場合、雪美さんの遺体を偽装する必要がないんです。以上の理由から、彼女は犯人ではありません」
「なるほど・・・・」
「よって雪美さんが残ります。ただ、私も遺体の話を提供されるまで、犯人が分からなかった。しかし、今回の件に繋がる事件がありました」
海里は京都府警を睨み、脅迫状に書かれた“R”の字を指し示した。
「京都府警の皆さん。あなた方の中にも、10年前、この旅館で起きた殺人事件に関わった方はいらっしゃるでしょう」
警察官たちの顔色が変わった。海里は彼らに詰め寄る。
「亡くなったのは、当時雪美さんの婚約者であった樹勇太郎さん。逮捕されたのは、彼女の父・榊信良さんです。
しかし、これは誤認逮捕だった。あなた方は、調べていくうちに誤認逮捕だと分かったはずです。ですが、自分たちの顔が潰れることを恐れたあなたたちは、その事実を公表せず、裁判で無理やり有罪判決を言い渡した」
警察官たちは肯定こそしなかったが、青白い顔と動かした眉が肯定を意味していた。
「つまり、この“R”が示すのはRevengeーーーー復讐です。雪美さんは家族を奪われたことを恨み、復讐した」
海里がそこまで言い切ると、五十嵐が手を挙げて質問した。どうやら彼女は、当時の事件に参加していないらしい。
「しかし、なぜ渉さんを?」
「簡単な話です。樹勇太郎さんを殺したのが、彼だったから。それ以外、理由などありません。経営の傾きで結婚したと言っていましたし、その辺りが動機かもしれませんね。彼に鍵束を押し付けたのも、夫相手に取る行動ものではないでしょう。
とにかく、彼は勇太郎さんを殺し、信良さんの誤認逮捕を分かっていながら、彼女の夫の座に着いた。真実を知った彼女がーーーー平気でいられるはずがない」
警官たちは頭を抱え、苦しそうに呟いた。
「・・・・仕方なかったんだ。あの事件に・・・時間をかけていられなかった。別の事件で、急がないといけなくてーーーー」
言い訳を口にし始めた警察官たちの言葉を、海里はすぐさま断ち切った。
「その別の事件のために、誰かを犠牲にしても構わないのですか? あなた方が誤認逮捕をしなければ、今回の事件は起こらなかった。それは、受け止めるべき罪であり真実です。どれほどの人間の心に絶望を灯し、未来を閉ざしたか、分かっているのですか?」
海里の目には、怒りが浮かんでいた。彼は深い溜息をつき、ゆっくりと従業員の元へ歩いていく。
「気づけなかった私も・・・罪人なのでしょう。あなたと共にいながら、何も知らなかった。・・・・知ろうと、しなかった。
しかし、人の命を奪うという行為は、どんな理由があっても許されない。悲しみや、怒りや、憎悪が抑えられずとも、その一線を超えてしまったら、人は人でいられなくなるのです」
海里は足を止めた。微かに俯いていた顔を挙げ、目の前にいる女性従業員の顔を見る。
「雪美さん。あなたは、私に謎を解いてもらうことを求めたのではありませんか? 自分の罪だけではなく、10年前の事件も、どちらも。そうでなければ私をここに呼ばず、あんなに証拠を残さなかったはずです」
雪美はゆっくりと顔を上げた。微笑を浮かべてはいるが、その目にもう輝きはない。普段より濃い化粧が別人に見えないこともなかったが、見知った人間が数秒顔を見つめれば、すぐに彼女本人と分かるほどだった。彼女は笑みを崩さず、ゆったりと頷く。
「ええ。海里君に解いて欲しかった。解いてくれるか分からなかったけど、海里君は私の思った通り、私の死を起点に、私の死に怒って、捜査を始めてくれた。
そして今、迷いを消して、全てを明らかにしてくれたわ。ありがとう。これで父さんも勇太郎さんも、少しは報われたんじゃないかと思う。
私、後悔してないわ。本当に海里君が探偵なんだって分かって、嬉しさすら感じているの」
その言葉に嘘はなかったが、海里はそんな言葉を聞きたくなかった。しかし、自分の心情を利用した雪美に、怒りを覚えることもなかった。
海里が言葉を探していると、雪美は突然笑みを消し、顔に影を落とした。
「・・・・でも、私の復讐は、まだ終わりじゃないの」
雪美の言葉に海里はハッとした。彼女は強く歯軋りをし、叫ぶ。
「まだ・・・殺さなきゃならない人がいるのよ!」
雪美は海里を強く押し、踵を返した。全速力で走り始めた彼女を、海里と警察官は慌てて追いかける。
「あの女、どこに・・・!」
「決まっています! 榊秀さんの元です! 彼は渉さんの弟・・・・彼女にとっては、彼も復讐相手なんです!」
海里の予想は当たっていた。彼女は秀の部屋に行き、彼を強引に連れ出した。右手に、拳銃を持って。
「雪美さん! 待ってください!」
雪美は止まらなかった。1つしかないエレベーターを彼女が使用したため、海里たちは非常階段で上階へ行くしかなかった。7階建ての旅館の屋上を目指して階段を登るのは一苦労だった。
やっとの思いで屋上につき、開放されている扉を開け放つと、そこには、落ちるギリギリまで下がって秀の頭に銃を向ける雪美の姿があった。秀は状況が読み込めないのか、真っ青になり震えている。
「発砲用意!」
京都府警の言葉に海里はギョッとして叫んだ。
「やめてください! 彼ごと撃つ気ですか⁉︎」
「目の前で民間人が人質に取られている以上、拳銃を抜く必要がある! 他にどうやって彼を助けろと⁉︎」
「私が話をしますから下がっていてください! あなた方に・・・彼女を救えるわけがないでしょう!」
海里は雪美の方を向き、ゆっくりと彼女に近づいていった。雪美は秀の頭に銃を突き付けながら言う。
「来ないで、海里君。それ以上近寄ったら、この子を撃つわ」
「・・・・雪美さん。これ以上、罪を重ねないでください。もう・・・十分でしょう。そんな幼い子まで殺して・・・・何になると言うのですか?」
「殺さなきゃいけないのよ。それが私の復讐なんだから」
海里の質問に、雪美は簡潔に答えた。海里は俯き、何かを考えるように口を開きかけ、閉じる。その様子を見て、雪美は苛立ちを帯びた口調で尋ねた。
「まだ何かあるの?」
やがて、海里は何かを決意したように顔を上げ、尋ねた。
「亡くなった弟さんがいても、彼を殺しますか? いいえ・・・・“殺せる”のですか? あなたに」
「これ以上、罪を重ねないでください。それに、その殺人に何の意味があるんです? 復讐の範囲を逸脱しています」
鋭い視線を向けられたのは初めてのように思えた。でも、怯んではいられない。
私が怯むことは、1つの命を喪わせることと同義だった。
「あなたに殺せるんですか? あなたが奪おうとしている命が、亡くした家族と重なるとしても」
息を呑む音が聞こえた。
ーカイリ『若女将の涙』第6章ー
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「集まって頂き、ありがとうございます。私が皆さんをお呼びしたのは、今回の事件を解き明かすためです」
従業員たちが騒ついた。海里は軽く目を閉じ、迷いを消す時間を設ける。そして数秒後に目を開け、初めに答えを口にした。
「この事件の犯人は榊雪美さん。ここ、月影旅館の若女将です」
警察官たちは唖然とした。従業員も驚きを隠せていない。
五十嵐は前に進み出て、思わず海里の肩を掴んだ。
「どういうことですか⁉︎ 榊雪美は亡くなっているのですよ⁉︎」
「亡くなっていませんよ。あの遺体は偽物です。
京都府警さん、雪美さんの遺体が今どうなっているか本部にお尋ねください。全員に聞こえるようスピーカーにして」
1人の刑事がスマートフォンを出し、本部に電話をかけた。
『先輩? どうされました?』
「榊雪美の遺体がどうなっているか、今すぐ確認して現状を報告してくれ」
『・・・はあ、分かりました』
少しの間、足音とわずかな話し声が断続的に流れた。すると、突然の静寂が訪れ、直後叫び声が聞こえた。五十嵐は焦りながら、声を上げる。
「どうしたんですか⁉︎」
『い・・・遺体が・・・・腐っていません! それどころか、血が流れ続けている!』
先程よりも喧騒が広がった。海里は淡々と続ける。
「これで分かりましたよね。遺体が発見されたのは今朝。殺されたのは昨夜のうちです。そんな遺体が、腐らない? 出血を流し続ける? あり得ませんよ。
つまり、発見された遺体は偽物です。雪美さんが作った人形なんです。血液は動物の血や、赤い絵の具で誤魔化したのでしょう。もしかすると、彼女自身の血液も含まれているかもしれませんが、そこまでは分かりません」
海里の言葉に、五十嵐は尋ねた。
「でも・・・どうして気がつかなかったのですか?」
海里は少し回りくどく、五十嵐の言葉に答えた。
「・・・・雪美さんは、実によく考えてあの人形を作りましたよ。わざと悲惨な殺し方をして、“絶対に死んでいる”と思わせた。遺体が本物かどうかなど、確かめる必要もないほど無惨に殺したんです。遺体が偽物と知られれば、自分が犯人だとバレますから。
現に、私たちは遺体を見た瞬間、脈を取ったり呼吸を確かめたりしなかったでしょう」
海里の言葉に納得しつつ、五十嵐は更に尋ねた。
「・・・でも・・鍵は? 遺体発見時に落ちていた鍵と、玄関の石の側にあった鍵と、榊渉の懐にあった鍵束・・・・。あれを榊雪美が仕組んだ証拠は?」
「・・・・鍵の件は、順を追って説明しましょう」
海里は1度深呼吸をしてから、言葉を続けた。
「まず23時頃、雪美さんは、宿泊客の1人にロビーで姿を目撃されています。恐らく、彼女はこの時に自分の人形を滅多刺しにして、遺体発見現場の扉の前に鍵を捨てた。付け外しは簡単にできたはずです。
次に入口の外に落ちていた雪美さんの部屋の鍵。あれも、その時に雪美さんが落としたものです。“入口の方に行った”という証言もありましたし、間違いないでしょう。調べれば、彼女の指紋の1つや2つ、出るはずです。
最後に、鍵束。彼女があれを渉さんの着物の中に隠したのは、この2つの行動より前の話です。」
「前?」
警察官たちが唖然とした。海里は頷く。
「渉さんは22時頃に就寝した。そして、この旅館の電気は22時半で止まります。彼女が犯行に及んだのが23時頃ですから、時間としては十分でしょう」
「しかし・・・だからと言って鍵を隠せますか? 渉さんが目を覚ます可能性は?」
「ありませんよ。雪美さんは、私と渉さん2人の湯呑みに睡眠薬を入れていたのですから。」
全員が目を丸くした。海里は苦笑いを浮かべる。
「気づいたのはつい先ほどのことです。昨夜私は、床に就いた後、妙な眠気に襲われ、すぐに深い眠りに落ちたんです。疲労のせいかと思いましたが、あれは、睡眠薬のせいだった。
そもそも、渉さんが婿養子であれ、彼女と共に仕事をしないことはおかしいでしょう。例え彼女が若女将でも、彼は彼女の夫、旅館の当主です。結婚したばかりなのだから、仕事を覚える意味でも共に仕事をした方がいい」
「それは分かりますが、睡眠薬はいつ?」
「昨日の夜、私は渉さんと長話をしました。その時、彼女からお茶を受け取っています。その時ですよ。
厨房はバタバタしていて、お茶を持って来る暇もなかった上、一宿泊客に食事の時間でもないのに従業員の方がお茶を持って来る必要もない。何より、雪美さんがお茶を淹れた証拠があります」
そう言って、海里はスマートフォンの写真を見せた。小説の参考と思って撮った旅館の写真に、お茶を淹れる彼女の姿がある。
「睡眠薬で眠れば、部屋に入って鍵を隠されても分からないでしょう。渉さんが鍵を持っていることに気がついたのは、捜査が進み、鍵が無いと言われた当たりだと思います。睡眠薬の効力が残っていたでしょうし、雪美さんの死で動揺していたので、そのくらいが妥当です」
「なるほど・・・自分が持っていると言えば、犯人になるかもしれない。だから黙っているしかなかったんですね?」
五十嵐の言葉に海里は頷いた。
「はい。これで、鍵の件は終わりです。次に、あの脅迫状の説明をしましょう」
海里が五十嵐を横目で見ると、彼女は証拠品の中から脅迫状を取り出した。海里はそれを受け取りながら、説明を続ける。
「この脅迫状の隅っこにあるこれ。何か分かりますか?」
「汚れ? でも、妙にはっきりとしているな・・・・」
「これは墨です」
「墨?」
「ええ。ある警察官からの情報提供で分かりました。
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ですから、これを書いたのは榊家の人間と分かる。そして、幼い榊秀さんは殺人犯から除外します。漢字も難しいものが混じっていますし、小学校低学年の彼には、まず書けない。狙撃という殺害方法も取れないでしょうから」
「亡くなった渉さんは?」
「彼は“榊家の人間”と言い切っていいか微妙なところですね。確かに、彼が亡くならなければ彼が犯人の可能性も捨てきれなかったでしょう」
「女将の梨香子さんは? 彼女の亡くなった夫は、渉さん同様、婿養子だったのですよね? 榊家の人間が犯人で、榊雪美が亡くなっているなら、自然と彼女に行き着くはずです」
「ええ。その点で見れば、確かに怪しいですね。しかし無理です」
海里は断言した。五十嵐が尋ねる。
「なぜ?」
「彼女は足腰が弱いく、普段部屋から出てきていません。何より彼女が犯人の場合、雪美さんの遺体を偽装する必要がないんです。以上の理由から、彼女は犯人ではありません」
「なるほど・・・・」
「よって雪美さんが残ります。ただ、私も遺体の話を提供されるまで、犯人が分からなかった。しかし、今回の件に繋がる事件がありました」
海里は京都府警を睨み、脅迫状に書かれた“R”の字を指し示した。
「京都府警の皆さん。あなた方の中にも、10年前、この旅館で起きた殺人事件に関わった方はいらっしゃるでしょう」
警察官たちの顔色が変わった。海里は彼らに詰め寄る。
「亡くなったのは、当時雪美さんの婚約者であった樹勇太郎さん。逮捕されたのは、彼女の父・榊信良さんです。
しかし、これは誤認逮捕だった。あなた方は、調べていくうちに誤認逮捕だと分かったはずです。ですが、自分たちの顔が潰れることを恐れたあなたたちは、その事実を公表せず、裁判で無理やり有罪判決を言い渡した」
警察官たちは肯定こそしなかったが、青白い顔と動かした眉が肯定を意味していた。
「つまり、この“R”が示すのはRevengeーーーー復讐です。雪美さんは家族を奪われたことを恨み、復讐した」
海里がそこまで言い切ると、五十嵐が手を挙げて質問した。どうやら彼女は、当時の事件に参加していないらしい。
「しかし、なぜ渉さんを?」
「簡単な話です。樹勇太郎さんを殺したのが、彼だったから。それ以外、理由などありません。経営の傾きで結婚したと言っていましたし、その辺りが動機かもしれませんね。彼に鍵束を押し付けたのも、夫相手に取る行動ものではないでしょう。
とにかく、彼は勇太郎さんを殺し、信良さんの誤認逮捕を分かっていながら、彼女の夫の座に着いた。真実を知った彼女がーーーー平気でいられるはずがない」
警官たちは頭を抱え、苦しそうに呟いた。
「・・・・仕方なかったんだ。あの事件に・・・時間をかけていられなかった。別の事件で、急がないといけなくてーーーー」
言い訳を口にし始めた警察官たちの言葉を、海里はすぐさま断ち切った。
「その別の事件のために、誰かを犠牲にしても構わないのですか? あなた方が誤認逮捕をしなければ、今回の事件は起こらなかった。それは、受け止めるべき罪であり真実です。どれほどの人間の心に絶望を灯し、未来を閉ざしたか、分かっているのですか?」
海里の目には、怒りが浮かんでいた。彼は深い溜息をつき、ゆっくりと従業員の元へ歩いていく。
「気づけなかった私も・・・罪人なのでしょう。あなたと共にいながら、何も知らなかった。・・・・知ろうと、しなかった。
しかし、人の命を奪うという行為は、どんな理由があっても許されない。悲しみや、怒りや、憎悪が抑えられずとも、その一線を超えてしまったら、人は人でいられなくなるのです」
海里は足を止めた。微かに俯いていた顔を挙げ、目の前にいる女性従業員の顔を見る。
「雪美さん。あなたは、私に謎を解いてもらうことを求めたのではありませんか? 自分の罪だけではなく、10年前の事件も、どちらも。そうでなければ私をここに呼ばず、あんなに証拠を残さなかったはずです」
雪美はゆっくりと顔を上げた。微笑を浮かべてはいるが、その目にもう輝きはない。普段より濃い化粧が別人に見えないこともなかったが、見知った人間が数秒顔を見つめれば、すぐに彼女本人と分かるほどだった。彼女は笑みを崩さず、ゆったりと頷く。
「ええ。海里君に解いて欲しかった。解いてくれるか分からなかったけど、海里君は私の思った通り、私の死を起点に、私の死に怒って、捜査を始めてくれた。
そして今、迷いを消して、全てを明らかにしてくれたわ。ありがとう。これで父さんも勇太郎さんも、少しは報われたんじゃないかと思う。
私、後悔してないわ。本当に海里君が探偵なんだって分かって、嬉しさすら感じているの」
その言葉に嘘はなかったが、海里はそんな言葉を聞きたくなかった。しかし、自分の心情を利用した雪美に、怒りを覚えることもなかった。
海里が言葉を探していると、雪美は突然笑みを消し、顔に影を落とした。
「・・・・でも、私の復讐は、まだ終わりじゃないの」
雪美の言葉に海里はハッとした。彼女は強く歯軋りをし、叫ぶ。
「まだ・・・殺さなきゃならない人がいるのよ!」
雪美は海里を強く押し、踵を返した。全速力で走り始めた彼女を、海里と警察官は慌てて追いかける。
「あの女、どこに・・・!」
「決まっています! 榊秀さんの元です! 彼は渉さんの弟・・・・彼女にとっては、彼も復讐相手なんです!」
海里の予想は当たっていた。彼女は秀の部屋に行き、彼を強引に連れ出した。右手に、拳銃を持って。
「雪美さん! 待ってください!」
雪美は止まらなかった。1つしかないエレベーターを彼女が使用したため、海里たちは非常階段で上階へ行くしかなかった。7階建ての旅館の屋上を目指して階段を登るのは一苦労だった。
やっとの思いで屋上につき、開放されている扉を開け放つと、そこには、落ちるギリギリまで下がって秀の頭に銃を向ける雪美の姿があった。秀は状況が読み込めないのか、真っ青になり震えている。
「発砲用意!」
京都府警の言葉に海里はギョッとして叫んだ。
「やめてください! 彼ごと撃つ気ですか⁉︎」
「目の前で民間人が人質に取られている以上、拳銃を抜く必要がある! 他にどうやって彼を助けろと⁉︎」
「私が話をしますから下がっていてください! あなた方に・・・彼女を救えるわけがないでしょう!」
海里は雪美の方を向き、ゆっくりと彼女に近づいていった。雪美は秀の頭に銃を突き付けながら言う。
「来ないで、海里君。それ以上近寄ったら、この子を撃つわ」
「・・・・雪美さん。これ以上、罪を重ねないでください。もう・・・十分でしょう。そんな幼い子まで殺して・・・・何になると言うのですか?」
「殺さなきゃいけないのよ。それが私の復讐なんだから」
海里の質問に、雪美は簡潔に答えた。海里は俯き、何かを考えるように口を開きかけ、閉じる。その様子を見て、雪美は苛立ちを帯びた口調で尋ねた。
「まだ何かあるの?」
やがて、海里は何かを決意したように顔を上げ、尋ねた。
「亡くなった弟さんがいても、彼を殺しますか? いいえ・・・・“殺せる”のですか? あなたに」
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