小説探偵

夕凪ヨウ

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Case23.魔の館の変死体②

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 自分の息を呑む音が聞こえた。
 目の前に佇む彼女の姿を見た瞬間、事件へ向いていた探偵としての私の思考が、一瞬にして小説家の思考に戻った。頭の中で、小説を綴る文字が流れているのを感じた。
「こんにちは」
 彼女は笑みを浮かべていた。ウェーブのかかった長い黒髪が、両肩に垂れている。体の線が細く、喪服から露出している肌は雪のように白い。しかし何より目を引くのは、宝石のように美しい顔立ちの中に芽生える、真っ青な瞳。
 夜のようにほの暗く、深海のような神秘さを纏わせた瞳を持つ彼女から、私は目が離せなかった。

     ーカイリ『魔の館の変死体』第2章ー

            ※

「こんなに親子の確執がある家、初めて見ました・・・・。反抗期ではないですよね」
 春菜の事情聴取を終えた後、海里が呟いた。龍は「違うだろう」と応じる。
「さっきの言葉には怒りなんてものじゃない、明確な憎悪があった。
 まあ、代々続く家ほど人間関係はややこしいものさ。親子の対立なんて最たるものだ」
 そのような家の事情を知っているかのような口振りだった。海里は深く尋ねようと思ったが、事件の捜査中であることを考え、やめた。
「ご両親から話を聞けると思いますか?」
「聞かなきゃならない。面倒な相手だが、事件の当事者である以上、家なんて関係ないさ」
 龍の言葉は警察官として誰に対しても平等である意思を述べているようでもあり、いわゆる上流階級の面倒を嫌っているように聞こえた。ますます疑問が募る海里だったが、同時に、執事の黒田を思い出す。彼は自分の思考を封じるため、話題を変えることにした。
「そう言えば東堂さん。先ほど大広間に行った時、黒田さんと仰る執事の方に案内してもらったのですがーーーー」
 海里の言葉に龍は目を丸くした。避難所の詳細は彼も知らなかったようだった。
「あの時の?」
「はい」
「奇妙な縁があったもんだな。だが、あの時はこの館じゃなかった。ここは天宮家の本宅だと聞いているから・・・・以前の館は別荘か別宅、ってとこか」
「そういうことでしょうね。私も驚きました」
 2人が話していると、客間の扉をノックする音がした。龍が返事をすると、ゆっくりと扉が開く。
「こんにちは。天宮小夜さよです」
 2人は目を見開いた。天宮小夜は、爆破事件の避難所で諍いを止めた女性だったのだ。あの時、顔は見えなかったが、声が同じだった。
 龍はすぐに驚きの表情を戻し、来てもらったことに礼を述べたが、海里は驚いたままだった。


 海里が言葉を失うほどに、小夜は美しい女性だった。
 ウェーブのかかった長い黒髪が揺れ、そのせいか、髪の乗った両肩が一層細く見える。顔立ちは整っているの一言に収まらないほど美しく、傾国の美女、という言葉が彼の頭をよぎった。
 最も目を引くのは真っ青な瞳で、夜空のように暗く、深海のように神秘的な雰囲気を帯びていた。喪服を着ていることもあってか、美し過ぎるからか、立ち姿すら儚げに見えた。
「あら? 以前、別荘に来られた刑事さんと探偵さんですね?」
 小夜の言葉で海里はようやく我に帰った。幸い声は聞こえていたので、慌てて頷く。
「はい。まさか、天宮家のご令嬢だったとは思いませんでした」
「ふふっ。そんな大した者ではありませんよ。ただの、一資産家の娘です」
 小夜は笑い、ソファーに腰掛けた。仕草の1つ1つに、洗礼された美しさが滲み出ている。
「以前の事件の顛末は、黒田から聞いています。驚きましたが、あの後、別荘に来られていた皆さんは、親戚やご友人を頼って、無事お帰りになられたんです。警察の方には、詳しくお話しできなかったのですけど」
 龍が安堵の息を吐き、避難所として別荘を提供してくれたことに改めて礼を述べた。小夜は笑って謙遜し、事情聴取を促した。
 海里は自分を落ち着かせるように軽く深呼吸をし、尋ねる。
「泉龍寺さんが亡くなった時、どこで何をされていましたか?」
「父の会社で残業をしていました。昨日は普段より遅くなってしまって、黒田に迎えを頼み、23時半頃に家へ。
 その後、まだ起きていた真人と話をして、自分の部屋で眠りました。彼もその後、眠ったと思いますが、何せ本当に疲れていて、すぐに眠ってしまったので、その後のことは・・・・」
 小夜は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。これまでの事情聴取で、被害者に昨夜会った者はいなかったため、手掛かりになるかと踏んだが、就寝していてはどうしようもない。海里は質問を変えた。
「では、泉龍寺さんが殺される原因に、心当たりはありませんか?」
 突然、小夜が打って変わって苦い笑みを浮かべた。嘲笑にも見える。海里は思わず眉を顰めた。
 小夜は、先程より低く、哀愁を帯びた声を出した。
「ああ、すみません。、不思議だと思っただけです。随分と慣れた聞き方をされるものですから、何度も同じようなことをして来られたのだなあ、なんて考えてしまって」
 突然の発言に海里は固まり、意味を理解して驚いた。小夜の発言は、彼が小説家であって探偵が本業ではないことを知っている、ということだったからだ。
 何より、嘲笑とも取れる彼女の笑みは、海里の行いを良く思っていないように感じられた。
「どうして、私のことを・・・・」
「どうしてだと思いますか? 探偵さん」
 海里は困惑を隠せなかった。小夜が自分のことを知っていることはもちろん、自身の行いを責めているような口振りが、彼から言葉を奪っていた。
 どうしようもできずに海里が視線を泳がせていると、龍が口を開いた。
「彼の態度が気に障ったのでしたら、代わりに私が謝罪します」
 龍は冷静に言った。何か言おうとした海里を押し留め、彼はゆったりとした口調で続ける。
「警察が一般人を捜査に加えていることに対して、不審に思うのは無理もありません。実際、あり得ないことですから。しかし、こちらとしても信頼の置けない者を捜査に踏み込ませたりはしません。彼が捜査に加わっていることはともかく、この点は理解して頂きたいと思っています」
 揺るぎのない声だった。龍は一泊置いて続ける。
「もう1度お尋ねしますね。泉龍寺さんが殺害される理由に、心当たりはありませんか?」
 龍は一貫して動じなかった。しかし、小夜もまた、彼の様子に気取られることも、海里に対する態度を特別改めることもなく、両親が自分と彼の婚約を良く思っていなかった、とだけ言った。
「そうですか」
 龍の答えは短かった。小夜は頷き、言葉を続ける。
「これ以上の捜査を私たちは求めていません。例え犯人が分かっても、彼が死んだ事実は変わらない。何も解決しませんから」
 探偵や警察は必要ない。小夜はそう言っているように感じた。海里は不信感が拭えなかったが、龍はそこで事情聴取を打ち切り、遺体の検分と現場整理が終わり次第、退散すると伝えた。

            ※
                   
「大人しく帰るものなんだ・・・・」
 パトカーに乗り込む海里たちを見ながら春菜が言った。小夜が口を開く。
「今日帰ってもらったのは父上たちがいらっしゃらないからよ。どうせ明日も来るわ」
「追い返すのか?」
「決めていないわ。言ったでしょう? 秋平。私たちは、何も考える必要はないの。聞かれたことに正直に答えて、事件の成り行きを見守っていればいい」
 小夜はそう言って椅子から立ち上がった。軽く目を閉じ、息を吐く。
「明日、叔父上がいらっしゃるわ。みんな余計なことを話してはダメよ」
「でもお姉様。夏弥には無理よ」
「あの子は素直な子だものね。叔父上の性格からして、あの子の発言も気になるのでしょうけれど・・・・あの子も、もう8歳。分別はつく歳よ。心配はしていないわ」

            ※

 その夜、海里と龍は警視庁にいた。浩史から龍に、今回の事件について報告するよう言われたためだった。
「天宮家が面倒だとは知っていたが、そこまでだったか」
「はい。天宮小夜は事件の解決を拒むような言い方をしましたが、一般人に事件の解決を任せることはしません。このまま捜査を続けます」
「そうした方がいいだろうな。だが、これを見ろ」
 そう言って、浩史は1枚の新聞を机に投げた。龍は新聞を手に取り、見出しを見て眉を動かす。
「天宮家の隠蔽事件? しかも殺人? 一体、これは何ですか?」
「見た通りだ。天宮家の当主である天宮和豊の弟は、当時女性と揉めて殺害している。公にならなかったのは、天宮家の財力と権力があったからだ」
「そんなことが許されるのですか?」
 海里の質問に浩史は首を横に振った。海里は顔を歪める。
「だが、正直その話が事実か否か、よく分からない。警察ではなく政治家も絡んで有耶無耶になったからな。天宮家のご令嬢・ご令息に聞いても何も知らないだろう。ただ・・・・」
「ただ?」
 龍が反問した。浩史は続ける。
「長女の天宮小夜は少し違うかもしれないな。彼女は、父親の代わりに社員を仕切るほどの能力があり、現在父親が経営している会社も後々継ぐとの話もある。
 江本君の正体をなぜ知っているのかは分からないが、そんなことを言ったのは父親譲りの頭脳があってこそだ」
 浩史の言葉に海里は眉を顰めた。同時に、このまま引き下がるわけにはいかないと感じる。龍の方へ視線を移し、真剣な表情で口を開いた。
「東堂さん。今回の事件と合わせて、この記事の真相、及び天宮小夜さんのことを調べてくれませんか?」
「天宮小夜、本人を? 何も知らない可能性だってあるぞ?」
「その場合は私が謝罪します。どちらにせよ、今回の事件と含めて、過去の事件を明るみにしてしまいたいんです。全てを明らかにしなければ、私は納得できません」
 海里はそう断言した。龍は軽く溜息をつく。
「分かった。調べてやる。ただ、事実が判明するまで本人や家族を刺激するな。犯人じゃない誰かにまで、余計なものは背負わせられない」
「はい。ありがとうございます」

            ※
                    
「懲りない方ですね。昨日のことを忘れました?」
 翌日、本宅に顔を出した海里を見て、小夜は呆れた声を出した。海里は首を横に振る。
「いいえ。私はただ、真実を明らかにしたいだけです。死んだ方が戻らないことは承知しています。それでも、全てが闇に葬られるよりは、良い結果になる」
 小夜はしばらく考えた後、なぜか龍の方を見た。彼が微かに頷いたので、彼女は黒田を呼び出し、昨日と同じ客間を開けておくように伝える。
「今日は父と母、叔父がいます。くれぐれも勝手なことはなさらないでください。話は私が通しますから」
「ありがとうございます」
 玄関扉を潜るなり、怒鳴り声が響いた。海里たちが駆け足で声がした階段の踊り場を見ると、小夜の父・天宮和豊と秋平が言い争っていた。
「何度も言ってるだろ! あんたたちの事情を俺たちに押し付けるな‼︎」
「親に庇護されなければ生きられない子供が何を偉そうに。黙って従えと何度言わせる」
「あんたたちの言うことなんて聞くだけ無駄だろうが!」
 昨日までの礼儀正しい様子とは打って変わって、秋平は怒りを露わにしていた。和豊が怒鳴り返そうとした瞬間、小夜は声を上げる。
「秋平、やめなさい」
「姉さん」
 小夜は急足で階段を上がり、秋平を諫めた。
「あまり大声を出さないで。母上の体調が悪くなるわ。
 今日も警察の方が来られているの。昨日の聴取の続きだから、あなたは部屋に。春菜と夏弥にも出て来ないよう伝えておいて」
「・・・・分かったよ」
 秋平が自分の部屋へ戻ると、和豊は海里と龍を見た。彫刻のように整った顔立ちをしているが、苛ついているせいか迫力がある。秋平は父親似のようだった。
 和豊は盛大な溜息をつき、小夜を睨みつける。
「なぜ入れた? たかが男1人の自殺くらいで大袈裟な」
「真人さんは自殺なんてしませんし、あれは自殺じゃありません。疑いを晴らしたいのなら、少しは捜査に協力してください」
「それが親に向かっての口利きか」
 和豊の言葉に、小夜は眉を顰めて続けた。
「・・・・私たちにやましいことはない。ただ、家を好き勝手に歩かれるのが嫌なだけです。そこまで否定されるなんて、父上は何か、やましいことでも?」
 父娘の間に緊張が走った。和豊は拳を握りしめていたが、龍と目が合うと手を緩めた。
和彦かずひこ綾美あやみには何も言うな。お前たち4人で動け」
「父上たちの事情聴取が終わっていないから来られているんです。電話で説明したでしょう?」
「私は忙しいんだ。警察如きの話に付き合っている暇はない。
 分かったらとっとと消えろ。お前の顔を見ているだけで、気分が悪くなる」
 そう吐き捨てた和豊の視線は、なぜか小夜ではなく龍に注がれていた。 
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