殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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72 諸行無常

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「何もかも消してしまおうと思うの」
 春海の一言に、蒼一が特段驚く様子はなかった。彼は無言で続きを促し、椅子に座り直す。正面に腰掛けている春海は、食事の手を止めて続けた。
「混乱は生じるだろうし、意味があるかも分からない。でも、どうせ滅びてしまうのなら、自分たちの手でやってしまいたいのよ。囁やかな復讐、といったところかしら。
 いずれにせよ、全てが終われば必要なくなる。だったら、消してしまってもいいと思わない?」
「いいだろうな。もう必要ない。やり方は?」
「それは思案中。拓司たちと協力するかどうかによって変わるわね。まあ、あの子たちと協力するなら、私のことを話さないと納得してくれないでしょうね」
 今度は蒼一が食事の手を止めた。目の前で白米を咀嚼する春海を見つめ、躊躇いがちに口を開く。
「人の醜悪さを煮詰めたような話だろう。いいのか? 悠はともかく、拓司は信用していたはずの心が揺らぐぞ」
「一種の人生経験にしてもらうわ。それと、火宮も同席させて欲しいの。ここまで来たら話した方がいいでしょう。曲がりなりにも刑事なんだから、拓司の隠し事は見抜く。後から同じ話はしたくない」
 返す言葉を見つけられなかった蒼一は、仕方なく食事を再開した。幸い味はするが、頭の中は10年前に飛んでいる。その様子を見て、春海は苦笑いを浮かべた。
「心配してくれることには礼を言うわ。でも、限界があることは理解しているでしょう? 私の過去のことも、あなたのことも、隠し切れるほど小さなものじゃない。現に、拓司は一路からの話を聞いて、あなたの心を見抜いてしまった。確実に成長してるのよ」
 年齢的にも身体的にも拓司は大人になりつつある、と春海は続けた。10年前、兄を喪ったことに慟哭し、自分の意思がありつつ、どこか流される形で死人になることを決意した拓司。10年の時を経て、彼は自分の気物に区切りをつけた上で、真相を突き止める決意ができていた。
「拓司も悠も、覚悟はできている。雑多な感情を整理して、本当にやりたいことを見つけ出して、目的に向かって一直線に走り始めた。後は、私たちと火宮だけ。
 私たちだけが、まだ過去への答えを見つけられないでいる。心の傷や、犯した罪に、向き合う姿勢が取れないでいる」
 もういいでしょう、と春海は言った。蒼一は彼女を見た。昔から変わらない寂しげな瞳が、蒼一を射抜いた。
「答えを見つけて向き合いましょう。簡単なことじゃなくても、私たちはやらなければならない。あの子たちだけを前に押し出して、自分たちは陰に居続けるなんてこと、あの子たちは許してくれないわ。押し出される前に、自分から出てしまいましょう」
 春海の言葉は理解も納得もできた。10年、もしくは10年以上、答えを探すことも向き合うこともしなかった過去の傷。振り返れば今の自分が崩れる故に、目を逸らし続けた傷。できることなら、このまま無視していたかったと、蒼一は感じた。
「あなただって終われないでしょう? 消してしまうなら、全てを終わらせてからの方がいいわ。後が楽になる」
 楽。
 その一言に縋れる道があれば良かったと、蒼一は柄にもなく思った。家の存続に必死な親族や、己の全てが正しいと信じて疑わない両親と姉。それら全てから離れることができれば、そうでなくとも一路のように、笑って受け入れることができれば、きっと違う何かがあったのだろうと思った。
 だが、全ては過去のことである。取り返しも巻き戻しもできないことを、考えたところで仕方がなかった。少しでも楽になりたければ、春海の言葉通りにするしかなかった。
「・・・・分かった。近いうちに集まって話をしよう。春江は呼ぶか?」
「本当は呼んで欲しくないわ。でも、春江もこのままじゃ終われないから」
 蒼一は頷いて瞑目した。少しずつ巡る過去を落ち着かせ、やがて彼は長い息を漏らした。

            ※

「具体的にどうすんの?」
 全てを消すという話を聞いた直後、拓司は開口一番に、そう尋ねた。迷いも戸惑いも見当たらず、ただ尋ねている、という態度だった。
「そんな意外そうな顔しないでくれよ、春海姉ちゃん。俺だって、どうするのかな、とは思ってたんだ。
 俺たちが真相に辿り着いて、それを心の内にしまっておくか周知させるかは知らねえ。ただ、今まで通り続いてるってのは、納得いかねえよ。10年前の事件に如何なる動機があろうとも、一因に家が絡んでいて、悪習が繰り返されることは明白だ。打ち切るべきだと思うよ」
 拓司はハッキリとそう言った。悠は隣で何度か頷き、同意を示す。
「やりようはいくらでもある。ま、ボクは血縁じゃないから、拓司たちの意見を参考にして動くよ。望み通りに情報は動かせるし」
「さすが、風口君。
 私も構いません。というより、必要なことだと思います。何事にも限度がありますが、その限度を超えてしまっていますから」
 悠の左斜め前に腰掛ける翔一郎もまた、同意した。どこか望んでいた、というような態度である。
 3人の同意を得た後、春海は隣に腰掛ける春江と一路を見た。一路は苦笑する。
「もちろんいいぜ。寧ろ、やるのかどうか聞きたかったところだ。俺自身、すっきりした余生を過ごしたいしな」
 冗談めかした一路の言葉に拓司は笑った。血縁と分かって以来、彼らは以前よりも打ち解けていた。
 反対に、春江は何か迷いがあるようだった。視線は泳ぎ、春海と蒼一を交互に見つめる。彼女の視線は、過去を訴えていると、2人は理解できた。
「ありがとう春江。でも、私は決めたの」
「・・・・あなたの心に、新しい傷を作ってしまわない? 私は、2度と同じ失敗をしたくないわ」
「大丈夫よ。それに、私の決意は春江、あなたの区切りになると思うの。だから、傷なんてできないわ。一緒に向き合ってくれる?」
 謎めいた言葉に、春江は強く頷いた。春海は安堵したように柔らかい笑みを浮かべる。
「実際さ、悠はどこまで掴んでるんだ?」
「かなりの量、としか言えないかな。でも、不滅を滅するって言うんだから、足りないことはあるよ。更に調べないと」
 会話が落ち着くと、蒼一が重い口を開いた。彼は春海と春江を一瞥いちべつし、すぐに全体を見渡した。
「全てを消してしまうと決めた以上、隠し事をするのをやめようと思う。拓司も悠も火宮も気がついているかもしれないが、俺たちは過去のことで、大きな隠し事をしている。話すべきか、ずっと迷って決断できなかったが、ここまで来た以上、話さなければならないと思う」
 続きは春海が引き取った。
「耳を塞ぎたくなるかもしれないわ。でも、知っておくに越したことはない。家の存続に命をかけ、権力に取り憑かれた人間のことを」
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