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71 いってらっしゃい
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「嫌だ」
反射的に、ボクはそう口にしていた。先程までの迷いを、棚に上げて。
「ボクはお父さんの傍にいたい。嘘じゃない」
「疑ってなんていないよ。子供を信じない父親がどこにいるんだい」
こんな時でも、お父さんはボクを真っ直ぐ見てくれた。でも、だからこそ納得できない。疑っていないなら、確かに迷いはあるけれど、それでも。
「私はね、悠をこれ以上、家や家族という存在に縛り続けたくないんだ。君は、私の不義の末に生まれた。もちろん、私にとってそんなことは関係なく、息子だと思っている。それは変わらない。だけど同時に、不義の子であること、血の繋がりがないことを、気にしていると分かる。それこそが、家や家族という存在に、君を縛り続けてしまっている原因だ。
でもそれは、悠が気に病むことじゃないんだよ。子供が生まれるのは、親がいるからだ。親のいない人間はいない。確かに世間体としては責められる結果なのかもしれないけれど、生まれた子供に罪なんてない。負い目も罪の意識も、君が背負うべきものじゃない」
「だったら尚更、お父さんと一緒にいたっていいじゃないか。もうあの人を家族とは思っていない。お父さんだけが・・・・」
「私だけが家族という思いもまた、悠を縛り続けてしまっているんだ。その思いこそが、と言い換えてもいい。私は、その思いから悠を解放したいんだよ」
お父さんの言いたいことは理解できた。でも、頭で理解していても、心と言葉が理解を拒む。
「縛り続けられててもいい。それほど、ボクにとってお父さんは大切だ」
嘘じゃない。間違いのない、ボクの本心だ。それなのに、どうして悲しそうな顔をするの? お父さん。
「大切な子がいるのだろう。司君の死に、最も傷を負った子が」
「やっぱり起きてたの?」
「徐々に聞こえた、というべきだね。“やりたいこともある”からは起きていたよ」
さっきの独り言、ほぼ全部じゃないか。じゃあお父さんは、あの言葉を聞いた上で、ここに来るなと言ったのか。
「悠。確かに私は、君にそんなことをして欲しくはなかった。かつての約束を守って欲しかった」
ボクは思わず視線を逸らした。分かっている。約束を破ったのはボクだ。怒られたって仕方がない。
でも、なぜか、お父さんはそれ以上ボクを責めなかった。
「でも、そうさせたのは私だ。司君が亡くなった直後、私が体を壊したことで、楽をさせてあげられなくなった。だからこそ、悠は自分の取れる道を取った。全ては私のせいなんだよ」
「そんなことない! そんなこと、1度も思ったことなんてないよ! ボクはお父さんに、1日でも早く元気になってーーーー」
叫ぼうとしたボクの顔の前に静かに手をかざして、お父さんは微笑んだ。自然と言葉が引っ込んで、口を噤んでしまう。お父さんは「分かっているよ」と言った。
「それでも後悔しているんだ。だから、もう解放してあげたい」
悠月は必死に説得を試みた。しかし、悠が、息子が、こうと決めたらやり切る力と意志があり、曲げないことを理解していた。だからこそ彼は、問答が長引かないよう、別の視点から言葉を紡いだ。
「私なりの親の役割を考えたんだ。聞いてくれる?」
悠は子供である自覚があるのか、曖昧に頷いて承諾した。悠月は一言礼を述べ、言葉を続ける。
「親とは、子供を助けつつ、子供の成長を促す役割があると思っている。いくら子供が大切であっても、助け過ぎれば負担となり、感情のまま動けば虐待となる。私は、絶対にそんなことをしたくなかった。なんて言うのかな。丁度いい助け方を、常に思案していたんだよ」
悠の育児をしていた時から、考えていたことだった。はいはい、つかまり立ち、一人立ち。時間の経過と共に、悠は自分の力で成長していた。でも、言葉や知識は、まず親から与えるもの。そのために色んな絵本を読み、教育番組を一緒に見たりもした。それは確実に、親の助けを必要とすべきものだった。
そして、それらが一緒になって、悠は成長した。だからこそ、悠月は思い至った。子供は1人で成長できる部分もあるが、親の助けを必要とする部分もあること。優しくも厳しい言葉を言い、成長に繋げることも、必要だった。
「何より重要なのは、時間の経過と同時に、子供を子供ではなく、1人の人間と認め、自立した存在へと成長を促すこと。そのためには、親と子の距離は、近すぎても遠すぎてもいけない。
今、私たちは近すぎる。離れなければいけない時が来たんだ」
気がつくと、父子は涙を流していた。号泣ではない。一筋の涙が、頬を伝っていた。互いの心を理解した上で、今後どうするべきかも理解したからこその、涙だった。
悠月は伝う涙を拭うことなく、口を開いた。
「やりたいことをやりなさい。力になりたいと思う人がいるなら、その人の力になってあげなさい。それが、悠、君が自立した存在となるために必要なことだ。私の傍にいることは、君の成長を阻害する」
反論を重ねようとした悠を遮り、悠月は続けた。
「育ててくれた恩と、息子だと言ってくれた恩が、返せていないとも言ったね。そんなことはない。十分だよ。この10年間、病院に通って私に言葉をかけてくれたことが、私には最大で最高の恩返しなんだ」
お父さん、と掠れた声が漏れた。悠はとめどなく涙を流し、今日去れば2度と生きて会えないかもしれない、父の顔を見た。ぼやける視界が鬱陶しかった。
「どんな道に進もうと、私は悠を否定しない。悠が決めたことなんだから。
悠は、抑圧された世界に生きて来た。そうさせてしまった。そこから自由になって、やりたいことがあるんだろう? 背中を押すに決まっているじゃないか。私は、悠の父親なんだから」
悠が勢いよく涙を拭った。悠月は微笑んだまま、ゆったりと両腕を伸ばし、10年ぶりに息子を抱きしめる。悠も抱きしめ返した。
「いってらっしゃい、悠」
その声は、これまでのどんな声より優しかった。温かく、慈愛に満ち、愛に溢れていた。また、涙が悠の頬を伝った。
そして、体に負担をかけない程度に、悠は強く父を抱きしめた。悲しみはあったが、背中を押してくれた嬉しさが優っていた。柔らかい笑みを浮かべ、幼い頃に教えてもらった挨拶を返す。
「いってきます、お父さん」
2度と会えないと分かっても、前に進むと決めたから。
反射的に、ボクはそう口にしていた。先程までの迷いを、棚に上げて。
「ボクはお父さんの傍にいたい。嘘じゃない」
「疑ってなんていないよ。子供を信じない父親がどこにいるんだい」
こんな時でも、お父さんはボクを真っ直ぐ見てくれた。でも、だからこそ納得できない。疑っていないなら、確かに迷いはあるけれど、それでも。
「私はね、悠をこれ以上、家や家族という存在に縛り続けたくないんだ。君は、私の不義の末に生まれた。もちろん、私にとってそんなことは関係なく、息子だと思っている。それは変わらない。だけど同時に、不義の子であること、血の繋がりがないことを、気にしていると分かる。それこそが、家や家族という存在に、君を縛り続けてしまっている原因だ。
でもそれは、悠が気に病むことじゃないんだよ。子供が生まれるのは、親がいるからだ。親のいない人間はいない。確かに世間体としては責められる結果なのかもしれないけれど、生まれた子供に罪なんてない。負い目も罪の意識も、君が背負うべきものじゃない」
「だったら尚更、お父さんと一緒にいたっていいじゃないか。もうあの人を家族とは思っていない。お父さんだけが・・・・」
「私だけが家族という思いもまた、悠を縛り続けてしまっているんだ。その思いこそが、と言い換えてもいい。私は、その思いから悠を解放したいんだよ」
お父さんの言いたいことは理解できた。でも、頭で理解していても、心と言葉が理解を拒む。
「縛り続けられててもいい。それほど、ボクにとってお父さんは大切だ」
嘘じゃない。間違いのない、ボクの本心だ。それなのに、どうして悲しそうな顔をするの? お父さん。
「大切な子がいるのだろう。司君の死に、最も傷を負った子が」
「やっぱり起きてたの?」
「徐々に聞こえた、というべきだね。“やりたいこともある”からは起きていたよ」
さっきの独り言、ほぼ全部じゃないか。じゃあお父さんは、あの言葉を聞いた上で、ここに来るなと言ったのか。
「悠。確かに私は、君にそんなことをして欲しくはなかった。かつての約束を守って欲しかった」
ボクは思わず視線を逸らした。分かっている。約束を破ったのはボクだ。怒られたって仕方がない。
でも、なぜか、お父さんはそれ以上ボクを責めなかった。
「でも、そうさせたのは私だ。司君が亡くなった直後、私が体を壊したことで、楽をさせてあげられなくなった。だからこそ、悠は自分の取れる道を取った。全ては私のせいなんだよ」
「そんなことない! そんなこと、1度も思ったことなんてないよ! ボクはお父さんに、1日でも早く元気になってーーーー」
叫ぼうとしたボクの顔の前に静かに手をかざして、お父さんは微笑んだ。自然と言葉が引っ込んで、口を噤んでしまう。お父さんは「分かっているよ」と言った。
「それでも後悔しているんだ。だから、もう解放してあげたい」
悠月は必死に説得を試みた。しかし、悠が、息子が、こうと決めたらやり切る力と意志があり、曲げないことを理解していた。だからこそ彼は、問答が長引かないよう、別の視点から言葉を紡いだ。
「私なりの親の役割を考えたんだ。聞いてくれる?」
悠は子供である自覚があるのか、曖昧に頷いて承諾した。悠月は一言礼を述べ、言葉を続ける。
「親とは、子供を助けつつ、子供の成長を促す役割があると思っている。いくら子供が大切であっても、助け過ぎれば負担となり、感情のまま動けば虐待となる。私は、絶対にそんなことをしたくなかった。なんて言うのかな。丁度いい助け方を、常に思案していたんだよ」
悠の育児をしていた時から、考えていたことだった。はいはい、つかまり立ち、一人立ち。時間の経過と共に、悠は自分の力で成長していた。でも、言葉や知識は、まず親から与えるもの。そのために色んな絵本を読み、教育番組を一緒に見たりもした。それは確実に、親の助けを必要とすべきものだった。
そして、それらが一緒になって、悠は成長した。だからこそ、悠月は思い至った。子供は1人で成長できる部分もあるが、親の助けを必要とする部分もあること。優しくも厳しい言葉を言い、成長に繋げることも、必要だった。
「何より重要なのは、時間の経過と同時に、子供を子供ではなく、1人の人間と認め、自立した存在へと成長を促すこと。そのためには、親と子の距離は、近すぎても遠すぎてもいけない。
今、私たちは近すぎる。離れなければいけない時が来たんだ」
気がつくと、父子は涙を流していた。号泣ではない。一筋の涙が、頬を伝っていた。互いの心を理解した上で、今後どうするべきかも理解したからこその、涙だった。
悠月は伝う涙を拭うことなく、口を開いた。
「やりたいことをやりなさい。力になりたいと思う人がいるなら、その人の力になってあげなさい。それが、悠、君が自立した存在となるために必要なことだ。私の傍にいることは、君の成長を阻害する」
反論を重ねようとした悠を遮り、悠月は続けた。
「育ててくれた恩と、息子だと言ってくれた恩が、返せていないとも言ったね。そんなことはない。十分だよ。この10年間、病院に通って私に言葉をかけてくれたことが、私には最大で最高の恩返しなんだ」
お父さん、と掠れた声が漏れた。悠はとめどなく涙を流し、今日去れば2度と生きて会えないかもしれない、父の顔を見た。ぼやける視界が鬱陶しかった。
「どんな道に進もうと、私は悠を否定しない。悠が決めたことなんだから。
悠は、抑圧された世界に生きて来た。そうさせてしまった。そこから自由になって、やりたいことがあるんだろう? 背中を押すに決まっているじゃないか。私は、悠の父親なんだから」
悠が勢いよく涙を拭った。悠月は微笑んだまま、ゆったりと両腕を伸ばし、10年ぶりに息子を抱きしめる。悠も抱きしめ返した。
「いってらっしゃい、悠」
その声は、これまでのどんな声より優しかった。温かく、慈愛に満ち、愛に溢れていた。また、涙が悠の頬を伝った。
そして、体に負担をかけない程度に、悠は強く父を抱きしめた。悲しみはあったが、背中を押してくれた嬉しさが優っていた。柔らかい笑みを浮かべ、幼い頃に教えてもらった挨拶を返す。
「いってきます、お父さん」
2度と会えないと分かっても、前に進むと決めたから。
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